クスリ(抗菌剤)が腸内フローラを壊す! 
Wednesday, June 10, 2015, 11:08 AM
6/10 晴 10時 浅草での空間線量は14ベクレル/立法メートル


私はかつて大手製薬会社に勤務しておりました。主力商品は抗菌剤です。
市販の風邪薬は炎症を抑える成分なのですが、医者では風邪薬はばい菌を殺す抗菌剤が処方されることが多いです。
抗菌剤は感染症にはてきめんな効果を発揮します。

ただよく知られているデメリットがあります。
一つは、ばい菌に耐性ができてしまうということ。つまり抗生物質の効かないばい菌ができてしまうということ。
もう一つは、体内の良性の最近まで殺してしまうことです。

ですから抗生物質(抗菌剤)はばい菌とのいたちごっこで、つぎつぎと組成を替えた新製品ができるのはそういうこと。
そして全世界的に抗菌剤は製薬会社のドル箱商品です。

むかし私の上司が結核になり、隔離入院させられた上におむすびになるほど両手一杯の抗生物質を飲まされたと笑って話していました。現代の結核菌は耐性を持っているので、とりあえず手当たり次第抗生物質を飲ますしか手段がないのです。

よく知られている副作用は下痢です。
つまり腸内細菌が少なくなり、悪玉が増えている状態では身体の防衛反応で下痢便となってしまうのです。

製薬会社でしたから、ちょっと鼻風邪ぎみになると営業部門へ行って適当に薬をもらってきたり、胃腸薬とか二日酔いだとかで気軽に呑んでましたけど、今思えば結構怖いことをしてました。

腸内フローラが壊れると容姿が悪くなるだけではなく病気のデパートになります。
抗生物質漬けになった患者はばい菌の繁殖装置になってしまう危険があるのです。

病院内には薬剤耐性をもつウィルスがいるから、病院に長居は無用にするに越したことはありません。

薬の信奉は大腸癌をはじめ病気のリスクを高めるだけ



ちなみに結核を患った上司は社会復帰されましたが、もともと老けてましたが退院後はさらに老け顔(皺だらけの肌、白髪)となって30代なのに50代と見られてました。老けているから病気になったのか、抗生物質漬けになったから老けたのかはわかりませんけど(笑)

腸内フローラは一度壊れるとなかなか復原しない



腸内細菌は無菌だった赤ちゃんが授乳など接触を通して母親から引き継がれるそうで、その腸内細菌の構成は生涯を通してあまり変わらないのだとか。母親の腸内フローラと類似していくのです。

だから母系が高血圧だとか糖尿病、肥満といった慢性症を持っていると高い確率で遺伝すると言われています。もともと腸内細菌が少ないと腸内にフローラが育まれないからでしょう。(フローラとはお花畑のこと)

せっかくの腸内フローラを自ら破壊してしまうということも愚かなことです。

腸内細菌のバランスが崩れるのはストレスによる下痢だとか、食べ過ぎ、飲み過ぎ、偏食などが挙げられますが、

見落とされがちなのは抗菌剤の濫用


も原因のひとつです。なんたって目薬にも配合されてますからね。

ヤクルトの広告で掲載されていた図を掲載しておきます。
乳酸飲料や発酵食は腸に良いのでしょうけども、まずは食生活と安易な抗菌剤の服用をまず止めることが先決でしょう。

ちなみに抗菌剤の濫用を推し進めた明治期の医者は森鴎外(林太郎)です。
脚気もばい菌によるものだと、日清・日露戦争では兵士に大量のクレゾール薬を服用させて死者を増やしました。クレゾール薬とは石炭のタールから作られた消毒薬で、病院独特の臭いの元。現在は正露丸という名前です。

過去ログ:
売れすぎて生産中止?これぞ鳥井商法(メディアの逆利用)
美肌のキーワードは美容液よりもまず「抗糖化」 〜老けて見えないために〜
カロリーゼロは飲んではいけない 人工甘味料による発症と中毒性 腸内細菌にはオリゴ糖がお勧め
認知症は高インスリンによる「生活習慣病」であるという医師の主張
体内細菌の悪玉が問題なのではなく種類が少ないことが病気を引き起こすのです
南雲吉則医師のアンチエージング法は西式健康法とほぼ同じでした
美味しくて腸内細菌もよろこぶ数百円の便秘薬
大切なことなので繰り返します。高血圧の原因は塩ではありません。
痛風の原因は腸と腸内細菌が原因であった(メモ)
12/9 10時 浅草での空間線量は16Bq/m^3
NewsWeek誌に掲載された腸内細菌と体重についての記事
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日本の海軍の父は勝海舟ではなく小栗忠順(おぐりただまさ)です 
Monday, June 8, 2015, 11:18 AM
6/8 晴 10時 浅草での空間線量は13ベクレル/立法メートル

昨日は横須賀を散歩してきました。副島隆彦先生の横須賀の歴史の講演会があったのですが、満員で入ることができなかったのでそれならば気ままに歩いてみます。

京浜急行・横須賀中央駅が横須賀の中心地です。三浦半島は平地がないので、ここで住むのは坂道は覚悟しなくてはなりません。

電車で後の席で背もたれがごつごつと動いて気持ち悪いので、チラっと見たら縦にも横にもデブい黒人夫婦が乗ってました。膝がちょうど背もたれにあたって窮屈そうでした。つうか京急の席で窮屈ってどれだけデカイんだよ。

(写真:三笠公園の軍艦三笠)
駅に降り立てば、日本の地という感覚よりもフィリピンとかタイとかあっちの街のような感覚を覚えます。
ホットパンツであらわな格好の娘が闊歩し、貧民街の黒人のような格好の若者が寄り添ってます。白人、黒人、制服姿の海上自衛官がぞろぞろ歩いています。軍人相手の小さな店が建ち並び看板もペンキで手書きで英字です。ワッペン屋やスカジャンで有名な刺繍屋も健在です。

沖縄だけじゃない。基地の町はあちこちにある



あたりまえですが、横須賀以外でも関東では厚木、福生(横田基地)、座間といった米軍基地のある地域は日本の風景ではありません。たぶんアメリカの風景でもないですけど。
そうそう六本木も在日米軍基地がありました。

横須賀が軍港になった経緯は、幕末に外国勘定奉行の小栗忠順(おぐりただまさ)が製鉄所をフランスの支援で設けたことから歴史が始まります。それまでは東京湾の入口にある漁村に過ぎなかった。

しかし国防上で重要な地点であることから急速に軍事拠点として注目されるようになったのです。


JR横須賀駅前はヴェルニー公園という名前で整備されており、幕末の招聘技師フランソワ・レオンス・ベルニーの功績を称える記念館が建てられています。中には1895年製(慶応2年)スチームハンマーが展示されています。

これは鋳鉄(炭素が多い)をハンマーで叩いて(鍛えて)硬い鉄にするために用いられます。
工具の製造の他にも大型船の艤装品(フックや滑車、錨など)では鉄製品は必需品です。砲塔や鉄板を留める鋲の製造にも用いられたのでしょう。

なんと最近まで使われていたそうです。

江戸幕府から明治政府に施設はわたり、横須賀製鉄所から横須賀造船所、横須賀海軍工廠と名称がかわり、戦後は米軍横須賀基地となっています。

横須賀製鉄所の副所長ティボディエ・ジュール・セザール・クロードの館は現存していた!

これは初めて知ったのですが、米軍横須賀基地には小栗忠順が招聘したフランス人技師の館が現存していたのです。
横須賀市に寄贈されて、復原する計画が持ち上がっているそうですが、ぜひ横須賀市関係者の方にはお願いしたいです。

なぜなら

ティボディエの館はフリーメイソンのロッジであった



副島隆彦先生が発見したのですが、解体前の写真にはフリーメイソンのコンパスのマークが集会室には彫り込まれており、正面には目ン玉のレリーフが掲げられています。

(写真は横須賀米軍基地にあった解体前のティボテェの官舎、100年以上前の建物)
なぜ幕末の施設が壊されることなく、帝国海軍、米軍海軍と引き続いて利用されてきたのでしょうか。

ずばり言えば、高級将校の集会所(祈祷所)だったからです。

日本軍人でもフリーメイソン会員であったから、維持されてきたという隠れた歴史の証拠なのです。

フランス系フリーメイソン(=ロスチャイルド)を招いて幕府の国防体制を整えようとした小栗忠順・・・この横須賀製鉄所の姉妹施設は群馬の富岡製糸場です。

明治政府下になって小栗忠順が心血を注いだ横須賀製鉄所はフランスの技術支援から英国式にすべて切替えられました。フランス人技師らは追い出されていったのです。

誰がそうしたのか?

小栗を差し置いて海軍の創設者となぜか言われる勝海舟、本当の黒幕は幕末に英国へ渡った長州ファイブ(井上聞多(井上馨)、遠藤謹助、山尾庸三、伊藤俊輔(伊藤博文)、野村弥吉(井上勝))らです。

山尾庸三がフランスを追い出して英国資本に切り替えた



山尾庸三(やまおようぞう)とは日本の造船業の父として歴史には登場してきますが、元々は長州藩の過激武士で暗殺者です。
それが維新後は英国の命令で横須賀鉄工所(フランス人が運営していた)を乗っ取り、フランスから英国にひき渡したのです。
そして軍艦の修繕・製造の拠点として発展させていきました。

資本と技術を提供したのは英国のフリーメイソンです。そこまでは単にフランスからイギリスに運営が引き継がれたということで、明治新政府の背後に英国(のフリーメイソン)が居たというだけに過ぎないのですが、運営するフリーメイソンの会員は、明治半ば(1900年代)となるとロックフェラーにつながっていきます。

日本帝国海軍は日本の軍隊ではなかった?



成り立ちがフランス(技術)資本、そして明治になると英国(技術)資本の導入で拡張されて重要軍事施設となります。さらにはフリーメイソンのロッジがあったということから、当時の覇権主義国家(蘭仏英米)の重要軍事拠点という性質をもともとから持っていたのです。

幕末−明治期ではフリーメイソン思想の具現化した施設が、横須賀製鉄所(横須賀造船所)であって、横須賀海軍工廠、やがてアメリカ海軍基地となったといういきさつがあるのです。

繰り返します。
日本の海軍は小栗忠順が造ったの?勝海舟が造ったの?山尾庸三が造ったの?

ちがいます

英米系フリーメイソンが日本海軍を造り、影で支配した



大阪城を造ったのは誰?豊臣秀吉ではなく大工です・・・と同じような問答に感じられるかもしれませんが、歴史ではなぜか大工に過ぎない小栗忠順、勝海舟や山尾庸三が挙げられますが、海軍を造ったのは覇権主義国家にいたフリーメイソン達、はっきりいえばロスチャイルドに連なる人です。

そして明治中期から大正にかけてロックフェラーに乗っ取られていった。
これが歴史の真実なのです。

かたや長州藩士・大村益次郎によって近代軍隊として整備されたロスチャイルド系の陸軍は
大村暗殺後も山縣有朋らにそのまま引き継がれていったのです。

だから陸軍(ロスチャイルド系)と海軍(ロックフェラー系)の上層部は仲が悪く対立していたのは当然なのです。

横須賀市政100周年の紹介サイト
http://www.museum.yokosuka.kanagawa.jp/archives/exinfo/2883
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理工系大学の職業訓練校化は無理な相談です 
Saturday, June 6, 2015, 12:03 PM
6/6 晴 10時 浅草での空間線量は140ベクレル/立法メートル

測定器の誤作動でしょうか、いきなり空間線量が10倍になりました。不思議です。

さて硬直化している教育体制を変える動きがいろいろあります。大学の格付けにも熱心です。最近では外人教員を入れろとか、留学生を一定割合入学させれば大学をグローバルと認定するとして、こまごまと文科省の言いなりになれば助成金を交付しています。

グローバル大学/ローカル大学と線引きされては敵わないと、国公立私立問わず留学生受け入れ活動に勤しんでいます。
パンフレットを英文や各国語で用意したり、留学生用の交流会館や宿泊施設の準備などなど、表向きなことを整備して、助成金を交付してくださいと文部省に尻尾を振っています。

・・・勝手に大学どうしで銭の掴み合いをやってくれ

大学の知能レベルを引き上げる目的よりも、ミエミエな国外への知名度を高めるため。
学生も教員も知能指数では世界レベルに遠く及ばないから、せめて外国人比率をたかめて海外に名前だけでも知ってもらおうという羊頭狗肉のバラマキ政策です。

ひきつづいて大学の職業訓練校化へと方針が決定しました

司法試験受験のための法科大学院設置でミソをつけているのに、懲りずに今度は理工系学部を職業訓練校とするそうです。

農学部だから農業で喰えるようにすると言っているようなもの。医学部や獣医学部、看護学部、薬学部といったところは元々から職業訓練も兼ねているので問題はないでしょう。

私は工学部系ですからはっきり言いますけど、大学工学部の職業訓練校化は絶対無理だと思います。

工学部出身者だから設計できるか?熔接できるか?旋盤操作できるか?自動車のエンジンを治せるか?ラジオやテレビを組立てられるか?言われれば99%そんな奴いません。

高度経済成長の1960年代あたりまでは、工学部とは旧制の専門学校の色が濃くて、職業訓練
目的で製図や熔接、加工実習があったそうですが、経済成長でホワイトカラー指向とともに消えていきました。座学ばっかりです。

だから歯車一つ、ラジオ一台作ることはできません。

私の大学は工業高等専門学校(高専)からの編入組もいたので、その出身者は一目置かれていました。高校時代に好きなだけ機械いじりやパソコンに触れているからです。同級生で在学中にソフトウェアをつくって外車で通学しているのもいたっけなあ。

工専ロボコン(ロボットコンテスト)の技量は東大工学部だって持ち合わせてないのです。

なぜなら教える側の教員のほとんどが社会経験ゼロだから。理屈・理論でメシ喰っているだけだから。
製造現場の実態など何も知らないですし、そもそも自分の腕で稼ぐことをしたことがない人たちです。

そんな人たちしかいないところで「職業のうんたら」を学ぶことなどありえねえ話

大学卒の肩書きがあったところで、現場では歳喰っているだけ邪魔者扱いです(笑)

むしろ専門学校で自動車修理や熔接、機械設計、精密加工、医学系なら看護や臨床検査技師やレントゲン技師になったほうが安定してメシが喰えます。

私は大学というレベルは旧帝大系ぐらいで、あとは専門学校でいいと思っています。
高等教育とは名ばかりで、日本には聞いたことのない大学が多すぎ(笑)

とくに工学部系含め、大卒者の大多数は高卒レベルの仕事しかしていないのだから。

大学を「職業教育学校」に…19年度実施方針
2015年06月04日 10時09分

 政府は、実践的な職業教育や技能訓練を行う高等教育機関として「職業教育学校」を設置する方針を固めた。

高校卒業後の進学や、社会人の専門知識の習得を想定している。学校は新設せず、希望する既存の大学や短大などに職業教育学校へ転換してもらう考えだ。4日の政府の産業競争力会議(議長・安倍首相)で原案が示され、月内にまとめる成長戦略の柱とする。

 中央教育審議会で詳細を検討する。学校の種類などを定める学校教育法の改正など、必要な法整備を来年度中に行う。2019年度からの実施を目指す。

 少子化が進む中、学生の確保に苦しむ私大や短大などの選択肢として制度化する狙いもある。大学が学部の一つとして併設できるようにする。
2015年06月04日 10時09分 Copyright © The Yomiuri Shimbun

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歪んだ税法が詐欺まがいの不動産業者を跋扈させている (安普請な賃貸住宅) 
Friday, June 5, 2015, 03:06 PM
6/5 曇 10時 浅草での空間線量は13ベクレル/立法メートル

ここ下町ではものすごい勢いでアパートやマンションが建てられています。近郊で驚くのは田畑だったところに低層の安普請なアパートが建ち並んでいることです。

電車はおろかバス停でさえないところに誰が住むのでしょうかと思っていたら、一括借り上げの長期契約(サブリース)で家賃保証をする業者が、年寄をだまして農地を安定収入だとか相続税対策だと煽って建設させているようです。

一度建ってしまえば、入居募集の費用だ、管理費だ、あげくは家賃補償金を下げて所有者からとことん毟り取るのです。

軽量鉄骨のプレハブで工事用事務所に毛が生えた程度のもので、住んだことはないのですが弟が若い頃一時住んでいたことがあるのでわかりますが、ベニア板の壁も床も薄くて隣の話し声が聞こえるようなもの。夏は暑く、冬は寒い。

まだ築浅ならマシですが、年数が経てばまんま簡易宿泊所そのものです。
狭いワンルームなので、介護ホーム代わりとなっているところもよく見かけます。それならまだマシですが、大半は住む人も居らずに手入れもされないで荒れていくそうです。

需要の見込めないところになぜこれほどのアパートが建つのかと理由を考えれば、銀行の融資を受けやすい経済状況であること、零細農家が高齢化しているからです。そこに相続税対策を名目に不動産業者がつけ込みます。

もっとも大家と賃借人に寄生する不動産屋という業態そのものがトラブルの原因なんですけどね。

私が一番許せないことは

日本には優良な賃貸住宅がいつまでも存在しないこと



欧米では住宅は財産で、少しでも資産価値を上げるために持ち主は修繕やリフォームをします。ところが日本では上物よりも土地にしか資産価値はないとみなされています。

とくに賃貸住宅はいつまでも使い捨てです。そして賃借人に長く借りてもらうことは大迷惑と不動産屋も家主も捉えていることです。
家賃の改定は契約更新で行うことはできますが、それよりも短期で礼金・敷金といった不透明な会計を繰り返した方が双方が儲かるからです。

すなわち、一度建てたら住居人を建物の寿命まで何回転させるか、だけに主眼が置かれるのです。
建物の寿命30年の間にどれだけ人を住まわせて追い出すことができるかということ。

家賃保障(一括借り上げ方式の30年契約というサブリース)も、不動産屋と銀行に甘い汁をチュウチュウ吸われて30年後(もっと短いでしょう)には出涸らしの廃墟となるわけです。それが貧乏地域の寒々しい風景となりつつあります。

人が多い地域で需要が見込める場所なのに、家族向けの上質な賃貸住宅がなかなか見つからないのは、そういった背景があるからだと考えています。

東京では比較的多摩川沿いには住環境が整っているので、転勤されてきた人たちはそちらにあこがれますね。
広くて清潔な賃貸住宅は所得平均の高い地域しかないのです。

こちら下町では入り組んだ長屋が潰された跡に建坪率目一杯の日当たりの悪い鉄骨ビルが次々に建っています。
家族向けの住宅は本当に少ない。これが私の住居に関する悩みです。

一方ではタワーマンションが都市圏に雨後の筍のように建っています。
タワーマンションブームというやつで、すぐに完売になるほどのバブル状況なのだとか。

最大の原因は今年から相続税法の改定(基礎控除額が低くなった)で、資産評価額が実際の販売価格よりも低いタワーマンションは資産圧縮に使えると老齢の小金持ちが飛びついたわけです。

転載の記事にあるように、タワーマンションは5000万円の物件でも評価額は1400万円となる場合があります。

ただし解説にあるように、高層住宅は急速に資産価値は目減りしていきます。(修繕が必要な10年超は負債となっていきます)

相続税対策のタワーマンションも郊外の安普請アパートも同じ運命を辿ると言うことで、いつまでも日本の住環境は見劣りする状況に変わりはないということです。

タワーマンションバブルとはよく言ったものです。

これに乗じて湾岸地区に建てられたかつての”億ション”も周辺と似たような中古価格で投げ売られています。

ババの抜き合いの様相です。ひょっとしらた外国人が買っているのかも知れませんが、強気な値段です。


10秒で読む日経!視点が変ると仕事や投資の種になる
http://archive.mag2.com/0000102800/20150601154000000.html
(転載開始)
                   2015/6/1 No.3071
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 10秒で読む日経!視点が変わると仕事と投資のネタになる
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   今日のNews
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●窓の外ははるか神戸の夜景まで見渡せる。ここは大阪市天王寺区のタワーマン
 ション、夕陽丘イクス。高層階の3LDKに家族4人で住む太田浩さん(36、
 仮名)が5000万円のこの物件に目をつけたのは「相続節税に使える」ためだ。
 物件は67歳の父親が所有する。タワーマンションは高層階になるほど課税評
価額が低く、太田さんの物件はわずか1400万円。美しい夜景と1000万円の相続
 節税効果に太田さんは「申し分ない」と笑う。
 1月から始まった相続増税が生んだ特需に住宅市場が沸いている。大阪府内の
 人口は減り始め空き家も増えているのに、節税効果が大きいタワーマンション
 は10棟近くの計画が進む。合理的なのだろうか。
 人口が減り始めた日本では世帯数ももうすぐ減少に転じる。「節税狙いの住宅
 投資は本人には合理的だが日本経済で見れば壮大な無駄を生む」と小峰隆夫
 法政大大学院教授(68)は言う。ここにも税が日本を惑わす新たな光景が広
 がっている。               日本経済新聞 6月1日

   __________
   佐々木の視点・考え方
    ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
★今年改訂された相続税法がタワーマンションブームを煽っているそうだ。

 タワーマンションの高層階の相続税算定のための評価額が異様に低いからだ。
 販売価格5千万円のマンションは32%の1.6千万円の価値になる。

 この結果、法改定で相続税支払いを余儀なくされる相続人が相続税支払いを避
 けるためにタワーマンションを挙って買っている。

 では、なぜ国税庁はタワーマンションの相続税評価額を低評価にするのだろう。

 それは、マンションの建物部分を資産とはみなしていないから。

 筑後48年経てば耐久期間が切れ、建て替えをしなければいけなくなる。

 その時に多くの住人は公的年金を主的収入にする高齢者ばかりになる。
 住人の8割が賛成し、住民の拠出で建て替えしなけれないけないが、高額の
 建て替え費用を借金も含めて支払える人は少数派だ。

 建て替え出来ねばマンションごと売却せねばならぬが、売却のためには建物を
 解体する費用が代金から支払われ、残った金額があればそのお金を戸数全体の
 均等割りして受けとるので雀の涙しか残らない。

 タワーマンションの高層階は下層より高額だが、区分保有する土地は、あくまで
 戸数割で平等ゆえ、その高額の代金分は露と消えるのだ。

 こうして、無価値になるという現実があるので、国税庁はマンションの現在時価
 の殆どを資産とは評価していないのだ。

 高層マンションは短期で売却すれば、買値や少し上の価格で売れることもある。
 あくまで短期売却狙いなら、悪くない。

 しかし、建築後10年を過ぎて、大規模な修繕が発生するようになると、売却価格
 はどんどん下がってゆく。充分な修繕積立が出来ているマンションは殆ど無いの
 で追加拠出が必要になり、その分マンションの売却価値が減るからだ。
 その時になれば、人口減もあって中古物件を買う人、買える余裕のある人は減り
 価格はぐんと下がる。

 よって、高層マンション購入が節税となるのは、被相続人が10年以内に確実に
 死んでくれる被相続人だけとなる。長生きすればするほど、相続財産は減って
 ゆくのだ。
(転載おわり)

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「引力」ではない!「押しつけられる力」なのである(暗黒物質の正体) 
Thursday, June 4, 2015, 12:55 PM
6/4 晴 10時 浅草での空間線量は17ベクレル/立法メートル

暗黒物質(ダークマター:dark matter)はかつてから想像のものでしかありませんでした。あくまでも存在を仮定した上での物理現象の説明に用いられてきました。

古代ギリシャ時代から、宇宙には何が満たされているのか?という疑問がつきまとっていました。
そこで天体の浮かぶ空間で光や熱を通すことのできる物質をエーテル(Ether)と名付けられました。

それでも真空中では光や熱、電磁波が通ることは電場と磁場が交互に連なると理屈がわかったことから、宇宙(真空)は何もない空間と近代科学では理解されました。

ニュートンは物質には引き合う力(引力)があるということを発見(決して原理を解明したわけではない)し、アインシュタインが光の速度は一定であると定義したことで、時間軸が伸張することを数学的に説明しました。これらが現代物理の定説となりました。

ここから天文学では、宇宙の始りは集中した一点の爆発から起こったというビッグバン説へと繋がっていきます。
そして宇宙は風船のように膨らんでいく。我々の銀河系も風船の皮の一点に乗っている状態ということ。

だから望遠鏡で周囲の銀河を覗くと、離れて行かなくてはならない・・・ところが近づいている銀河もあったりします。ビッグバンはあちこちであったとでもいうのでしょうか。
ビッグバン以前はどういう状態だったのか?物質(元素)ができる前の状態も、引力が発生する過程もわかっていません。

あくまでも物質には引力があり、慣性が働き、光は一定速度であるという説から導き出されたものです。

銀河の渦巻き模様は現代物理では説明できない



かき回したコーヒーにミルクを垂らすと、きれいな渦巻きができるでしょう。中心は早く周り、縁に近づくほど速度が遅くなるので渦巻きが出来上がるのです。ところが銀河の渦巻きを観測してみると、中心の回る速度と周縁部の速度は一緒なのです。

中心で10度回ると、周縁でも10度回っている・・・すなわち周縁の方が移動速度は中心よりも速いのです。

つまりレコードのターンテーブルのように回っているということ。中心部の引力で周縁部が回っているわけではないのです。

「宇宙論の超トリック 暗黒物質の正体 『現代物理の死角』復刻補強版」 (コンノケンイチ著 ヒカルランド)が30年前から現代物理の矛盾を突いていた書籍です。

ブラックホールやビッグバン理論もアインシュタインの光の速度不変の説明もすべてこじつけであり、本来宇宙には時間軸や空間座標という基準点そのものが存在しない。だから時間もなければ速度といった概念は生まれないのです。

数学嫌いにとって
時間軸がないから微分積分で悩まされなくていいですね(笑)


私なりに解釈してみると、着ているTシャツは裏返しにしても着られます。一応プリントしてある方が表であり、タグが付いている方が裏側ですけども、それをはぎ取ってみるとどう着ても良い。すなわち表裏の概念は無くなるわけです。

時間や空間の基準点がなくなるとどうなっちゃうの?
Tシャツをいくらひっくり返しても裏にならないように、ずっと循環してしまいます。

始点だったどころが終点となり、終りがないのです。

過去も未来になってしまうし、「生きている」「死んでいる」は循環途中の一状態でしかない



・・・仏教や密教系思想そのものです。

歴史は繰り返すという陳腐な話ではなく、時間も回り回っているのですから

現在の行為で「過去」も変わってしまう



おいおいなんだか分けわかんなくなってきたぞ(笑)

解説)有名な「シュレディンガーの猫」という思考実験では「観測された時点で現象は確定する」というもの。ただし、その観測者も箱の中にいる猫と同じ存在だから、第三者に観測していると認めてもらわない限り、観測結果はいつまでも決まらないということです。つまりいつまでも猫の状態(生きているか死んでいるか)はわからないです。

さらにはニュートンが導き出した「重力とは物質による引力」ではなく「無」から押しつけられていると考えるのが暗黒物質を前提とした最新素粒子物理学論です。

例えるならスポンジをくりぬいて鉄球を埋込んだら、鉄球にはずっとスポンジから圧力をうけている状態です。

南部陽一郎博士のノーベル賞の論文は、物質が光速以下となると「そこにあるという存在の確率が増えたことで引力が計算上では生まれる」というA4一枚の計算過程です。

どうです?

私なりに解釈すれば、暗黒物質(ダークマター)が空間に満たされているとすると、光速以下でその場所に留まると暗黒物質に押しつけられる・・・これが引力の発生原因と指摘しているわけです。

義務教育でクルクルパーにさせられた我々には、暗黒物質なんて空想のものだと思いこまされているのです。

現実には暗黒物質(ダークマター)はあり、最先端物理学者達の研究が進められているという記事です。

東北の山中を30kmくりぬいて、リニア加速器で素粒子の検出するという計画が注目されているのは、暗黒物質の発見を目指しているからです。

暗黒物質を制御できるようになれば、それはすなわち空間の制御であり、引力(重力)を自在に操れるということになります。
水に浮かんだ船を進ませるためには、舳先の水をすくってやれば船は進みます。

暗黒物質の発見は宗教観(倫理観)にも影響していく



我々含め、森羅万象はどうやって出来上がってきたのか、表裏も時間の始りも終りもない空間が天(ヘヴン:heaven)ということが新たな物理学という神学に新たな一頁を加えることになるでしょう。

過去ログ:二人の物理学者、湯川秀樹と武谷三男 物理学者軽視のツケ
ノーベル賞南部陽一郎博士「物質の根源は波動」であるという話


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日本年金機構の125万件のデータ量はどれくらい? 約1.2ギガバイト 
Wednesday, June 3, 2015, 01:21 PM
6/2 雨 10時 浅草での空間線量は14ベクレル/立法メートル

ニュースを見ていると省庁のシステムはインターネットではなく、旧来の汎用機と専用端末時代の専用回線にしたほうがいいです。銀行のATMもかつては全銀協の専用線でしたが、今ではインターネットかもしれません。銀行や省庁といったセキュリティーが要求されていても、ほとんどがマイクロソフト+PCサーバーらしいですけどね。

年金機構から流失したのは125万件と報道されています。(推定なのでもっと増える可能性もある)

たとえば5000万件中の125万件だとすると、なんらかの条件検索をしたうえでの125万件なのでしょう。

何歳以上の受給者だとか寡婦/寡夫だとか、東京世田谷区や目黒区や渋谷区といった住民だとか悪用するには、それなりに絞っておかなければなりません。

官報情報ではシステム構築の受注者はNTTデータやIBM、NEC、日立といった大企業の名がならんでいます。けども実際にそこで作業しているのは孫請け、曾孫請け、派遣業者から放り込まれた人たちばかりです。

国籍だってバラバラです。指先一つでいくらでもデータは取れるのですから、金で転ぶ奴がそこらにいる。

脆弱なインターネットを国の基幹システムに用いている限りは、これからも同様の事件はつづくでしょう。

さて125万件のデータ量とはどれくらいでしょう。

1人当たりのデータを1キロbyte程度としましょうか。文字数で500文字程度。原稿用紙一枚分に年金番号、名前、住所、報酬月額、扶養者の有無・・・そんなにならないでしょうけど、計算しやすいように500文字(1kByte)と仮定します。

1,250,000件×1024byte
=1,280,000,000
=1,280,000K
=1,280M
=約1.2ギガバイト

125万人分の登録情報など小型メモリーで十分



5ギガバイトぐらいの安売りされているUSBメモリーで十分なわけです。
もしくはインターネットでダウンロードするにせよ、高速光回線では20分もあれば十分です。

漏洩対策はしているんでしょうけども、所詮は人間があちこちで携わっているからザルです。
年金の関係者を名乗る詐欺師にはより一層気をつけろ、ということ。
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日本で純水素社会は案外手軽に実現できるのです 
Tuesday, June 2, 2015, 06:56 PM
6/2 晴 10時 浅草での空間線量は17ベクレル/立法メートル

トヨタの燃料電池自動車が市販されるようになり、重工各社も経産省の肝いりで大型の燃料電池の開発が進められています。

燃料電池の燃料とは水素もしくは天然ガス(メタンが主成分)を入れると水の電気分解の反対の反応で電気が取り出せる仕組みです。石油系やアルコールといった分子量の大きな燃料も使えるようですが、結局は水素だけが必要なわけで、元素に分解する化学反応や触媒装置といった設備が必要になってしまいます。

その点、水素単体で供給されるのであれば、装置は小型で単純になります。

私は燃料電池の燃料は天然ガス(メタン)が主役だろうと思っていました。
日本の海洋部周辺にはメタンハイドレードというメタンが氷状になったものが大量に埋っていることは知られています。
また関東平野はどこを掘っても、天然ガスが地下水と共に吹き出してきます。

墨田区とか荒川区、足立区にはかつては地下から吹き出る天然ガスを使って、江戸切り子や風鈴などガラス細工する小規模の工場や工房がたくさんあったのです。

石油トーチだと煤がついてしまいますが、ガスは煤が出ないので適しているのです。

東芝の前身、京橋(銀座の北地区)にあった白熱舎が明治23年に白熱電球の国産化に成功して、電球と電気の普及が始まりました。電球製造技術はやがて通信機の真空管製造へと拡大していきます。東芝の本社が名前の通り芝浦という都心の外れにある理由はガスが地面から出たからです。そういえばお隣は東京ガスの本社だったかな。

現在は地盤沈下を理由に地下水・ガスの採集は禁止されていますが、天然ガスは日本独自の唯一のエネルギーであるからこそ、技術的な開発をすべきだと思います。

同様にパイプラインでサハリン、北海道を経由してくれば、最低でもガス料金は1/3になるという試算が石油連盟でなされています。

現在においては液化天然ガス(LNG)として輸入される限りでは、無駄が多すぎてコストが高すぎで水素社会は夢物語です。

天然ガスを大量に消費する工場の気化設備の周辺は真夏でも涼しいですよ。北海道の室蘭などでは加熱してやるのだとか。
冷却器で冷やして圧力掛けて液化して、専用運搬船で運んで、消費地でまた温めてガスにする・・・どれだけエネルギーを投入してんねん!と呆れるくらい効率が悪いのです。

コストが馬鹿高いLNGをがんがん発電で使うなどは狂気の沙汰です



燃料タイプの異なる発電所の構成ではベース電源は原子力で、リリーフ的にガス発電所を動かすのが一番理にかなっているのです。
原子力発電所を廃止や稼動させないとなると、いつまでも石炭、重油、天然ガスで賄わなければなりません。
結局は割高な燃料であるガスはそうそう使えないので、主力は石炭や重油という大気汚染が深刻な中国と同じ状況に陥ります。

浄化装置が日本にはあるかまだマシですけども、それでもここ数年で空気が汚れてきました。
窓やベランダを拭き掃除してみると、煤汚れで雑巾がすぐに黒くなります。

ロシアからパイプラインが敷設されない限り水素社会は来ない?



日本はいつまでも石油に頼らなければ産業も生活も成り立たないのが現状です。原子力をすべて止める愚策の上に、円安でエネルギーコストが跳ね上がっています。これじゃあ日本の工業はいつまでも不利な状況です。どうするのでしょ。

そういう状況で興味深い記事を紹介しておきます。

日本にある工業地帯では大量に水素が副産物として発生しているので、この余剰な水素を活用して地域経済を盛り上げようと官民で進められているという記事です。

読者の方で化学プラントや製鉄所に入ったことのある方は少ないでしょう。
工業地帯では案外ガスボンベを積んだトラックやら、液化タンクのローリー車をよく見かけます。
石油から化学薬品やプラスチック原料をつくる工場で水素充填所がなんであるのかなと思っていました。
または液化専門の会社もあります。

ずっと酸素や水素が大量に必要なのだろうと思っていましたが、その逆で化学産業では排出していたわけですね。

また福岡市では下水処理で発生するメタンから水素を取り出す試みをはじめています。
そういう設備開発はどんどんやってほしいです。

燃料電池社会が実現されるのはいつでしょうか。私が生きている間にぜひお願いします。


過去ログ:検索キーワード:天然ガス:

石油の湧出る地区が日本にもあったそうです
足らないと欠乏症で重金属は多すぎると中毒症 六価クロム汚染土はいまだに足元にある
ロシアからのガスパイプラインは実現するのか
ウクライナは米露の原発建設重要地点となった。そしてアルゴアが登場
スコットランド独立運動は実はロシア工作による反EU運動だったのではないか
メタンガス発生プラントは都市部周辺でこそ建設されるべき
液化天然ガス(LNG)は壮大な無駄で成り立つ産物です
ウクライナ紛争「エコロジーという洗脳」で私が希望した通りになってきましたよ
原発ゼロよりも低エネルギー社会を目指す方が現実的である
ポチ公が急に吠えだしたよワンワンワン ガス=電力の新規参入を求める米露
みえみえな化学兵器使用によるシリア政府批難
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思考停止に陥る危険な言葉・・・それは馬鹿が拝む「ナントカの『神様』」 
Monday, June 1, 2015, 06:23 PM
思想とは宗教(信仰)に基づいたもので、思想から主義(方針)が生まれ、それにより思考(視点)が定まり、戦略(争点)となり、技術・技巧へと降りていきます。


この様に宗教的背景の理性から枝葉の様に広がった筋道、言い換えれば、山の石清水が小川となり、河となって海へ流れる様を俯瞰する学問が哲学と呼ばれています。

だから哲学は学問の王様なのです。

近代人(Modern-man)は考えの順番は以下のようになります。

宗教(信仰)

思想(理想)

主義・思考

戦略

技術

このようにホントは理系男子/女子(そんな人がホントにいるわけないけど)は、人間の格式のヒエラルキーでは下層なんです。
軍隊では戦略を決める参謀が上層部です。工兵(engineer)や技官(technician)は所詮は末端です。官僚組織、大企業組織ではそんなもの。

無神論者(アデェイスト:atheist)というのは、理知的ではない人物、信仰がないことは、人間ではなく獣と同じように見られてしまいます。これがいまでも世界標準。人とは宗教や信仰において形作られ行動するという大前提があるからです。

組織のトップに立つためには神がかってなくてはならない



これは卑弥呼の時代から現代にまで通じる普遍の原則なのです。
理詰めの技術屋あがりが頂点に立つためには、鬼気迫るカリスマ性が絶対必要です。

偏執狂(パラノイア)、根拠無き自信にあふれる万能感(躁病)、強欲(greed)などなど

諸々な障害を持つ精神患者をなぜか日本では「神」と崇める



先日読了した本につづけて、「逆説の日本史(10) 天下布武と信長の謎」(井沢元彦 小学館)を読了しました。

学校の歴史では織田信長という知略・戦略に優れた武将が室町幕府のつぎに足利義昭を立てて権力者の頂点となったぐらいしか記されていません。
法華教系の創価学会信者の教師なんかに習ったら、武力によって宗教弾圧をした極悪人になってしまいますw
もっとも法華教と一向宗との武力対立が目立ち、治安が乱れていたことが、介入のそもそもの理由。
そして武力で厳しく鎮圧したのは度重なる講和協定を破った一向宗(浄土真宗)の方です。

なぜなら一向宗の顕如(けんにょ)は准門跡(じゅんもんぜき)という本来は皇族が出家してなる位にまでなり、天皇の威光を奪いつつあったからです。

信長は天下統一への障害は宗教勢力が最大の問題だったのです。僧兵、女子供年寄すべての信者がゲリラ戦を繰り広げるのですから手を焼いています。

大阪に拠点を移せなかったのは一向宗本願寺の勢力が強かったからです。

話ははしょって、それでは信長はどう考えたのか?

それならばオレが神様になって敬われる存在になってやる



滋賀県近江八幡市にある安土城跡の側に、安土城天守閣の復原したもの(1992年のセルビア万博で展示した)が建てられています。

あれを数年前に見学しましたが、城と言うよりも和風教会そのものです。

安土城は信長を神格化するための宗教施設



だからわざわざ鉄砲時代には不利な山の頂上に築いたのです。四方から拝めるように。

天守閣という命名も「天主(ゼウス)」を自分になぞらえて信長自身が名付けたのでしょう。私の発見か!?と思っていたらやっぱり同じ論を唱えている人はいたのです。(残念!)

イエズス会の宣教師たちから、ローマ法皇というたった一人が海を越えて世界を支配していることを知っていたことは事実です。

信長がスゴイところは、それならばオレが世界中の国王を従える神になってやると決めたことです。
敵対する巨大宗教組織一向宗の顕如は天皇家系と同列になっています。それまでは天皇という神格を拠り所に、表向きは臣下として日本の統一をしていたのですが、世界はそれ以上の権力があることを思い知らされたのです。

織田信長は無神論者ではなく無信仰者(nonbeliber)に過ぎない



歴史の教科書では無神論者では宗教の信仰をしていないと書かれているものもありますが、あきらかに間違っています。
信長はどのような宗教にも寛容でしたし、よく信長自身でも研究しています。

さらに天皇を従える絶対権力者、すなわち「生き神」として日本や周辺国を統治することを、実行したのが信長であったということ。

5月18日の朝日新聞経済面には松下電器産業(現パナソニック)の苦境が載っています。
かつての家電の覇者の面影はどこへやら。

ソニー、パナソニックどちらにも共通しているのは「神格化」した経営者がいたということです。

とくに松下幸之助は「経営の神様」と崇められて社内でも幸之助の意見で商品計画が白紙になったのです。コンピュータ事業で開発資金がかかることを嫌って、一番早く撤退を決めています。

松下幸之助がパソコンの開発を一転中止させた



その後アップル、IBMがパソコンを作りコンピュータ業界は目覚ましく発展していきます。

東芝もワープロで参入しましたけど、IBMのおこぼれニッチ市場です。リコーって会社はIBMの下請で生産を受け持っていました。
ソニーもパソコンよりも高級なワークステーションで参入していましたが、アメリカの日本代理店と製造下請程度のものでした。
どちらにせよ1980年代で日本の家電メーカーはパソコンからは撤退しているのです。

ちょうど携帯電話がスマホになって携帯電話をやめたような同じ流れです。

松下もソニーも東芝、富士通、NEC・・・家電メーカーはコンピュータに関しては自前技術を何一つ持つことはできませんでした。

松下に関して言えば、他社との横並びから、パソコン事業は組立主体の子会社で首を繋いでいたのです。アッセンブリメーカーに過ぎないのでは他社も同じで、携帯電話の構図と全く同じです。

松下幸之助は創価学会に強い関心を持っていたことは自伝にも記されています。
労働争議や会社への忠誠に創価学会/法華教(日蓮宗)の組織化の方法論(すなわち勧誘行為、仏教的に言えば折伏(しゃくぶく))が規模拡大と社内統制には有効だと本気で思っていたのです。

なぜか松下幸之助は「経営の神様」とメディアで呼ばれていた



どこが神様だよ(笑)先見性ぜんぜんないじゃん。

同じムジナで

ソニーの盛田昭夫は「営業の神様」でしたね



売れる家電を大量に作ることが「経営」で、それを円安でアメリカに大量に売りさばくのが「営業」という時代だからこそ付いた称号なのでしょうが、今ではずいぶん<安易な神様>だなあとしか思えませんね。

トップが「神さま」と呼ばれている時点で、その企業の将来はだいたい見えてくるものです。

神さまが死んじゃうんだからw



それでも神さまがいなくなっても主義(〜ism)はしばらく残るから、存続はしていくのでしょうけども、主義からは他社でも真似できるのです。台湾メーカーは日本の主義をそっくり取り入れて繁栄していることからも明らかです。

トヨタのカンバン方式の代表される少量納入方式や生産向上活動のトヨタイズムというやつです。

安易になんとかの神さまと人に名付けるのは、日本のメディアの悪癖です。

宗教基盤の無い人物から批判の思考を取り除き、盲目的に従わせるための(無意識な)方便です。

本当に「神さま」であったら日本史/世界史に名を残さなければなりません。
松下幸之助や盛田昭夫が世界史の年表に出てくるわけがないw
後世で残るのはせいぜい日本の工業史だけです。

ナントカの神さまと呼ばれる人物は眉唾だということです



私は近づきません(笑)

過去ログ:カトリック(バチカン)VSプロテスタントという構図は今も続く
儒教(陽明学)とプロテスタント(ユニテリアニズム)との相似について
あなただって立派なフリーメイソン思想なのです
「天守閣」のてんしゅは天主(ゼウス)の城という意味である。
自転車はなぜ倒れないのか?通説の誤り (実証主義こそが科学的である)
こりゃ面白そう!完全セルフサービスのお葬式「0葬(ゼロさい)」
結局、新島襄は日本のキリスト教徒らに影響を及ぼしたのか?

数学は神を知るための手段であるという西欧の常識
理系とか理工学部とか理学と工学をいっしょくたにする愚かさ
統計屋が数学界では蔑視される理由
数学者は哲学者でもあることを知る

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これからは大陸国家の連携の時代へ(海の道よりも陸の道) 
Monday, June 1, 2015, 03:08 PM
6/1 晴 10時 浅草での空間線量は18ベクレル/立法メートル

一週間ぶりに自宅に戻りました。溜った洗濯物と衣替えで秋冬物を洗っているうちにお昼になりました。
二週間近く新聞が溜っており、まとめ読みします。

昨日は副島隆彦の学問道場の定例講演会がお茶の水であり、私も参加させていただいておりました。
今回のテーマは4月にアラブ旅行(ドバイからイラン)をされてきた副島先生の情勢解説、そして前座は石井利明氏のフリーメイソン(ユニテリアン)と福沢諭吉の知られざる関係の解説です。

明治維新はイギリスの工作によって成し遂げられた革命であることは言うまでもありません。
イギリスから見れば、シンガポールや中国を支配下に治め、つぎに日本を支配するという大英帝国の覇権の計画に基づいたものです。

19世紀の大英帝国は産業革命による鉄工業、重工業の勃興で、経済力・軍事力も最高レベルでした。
そして宗教面では英国国教会(カトリックに近いプロテスタント派)、経済面では国王の指示で世界征服に邁進していたのです。

日本も徳川の旧体制が終焉し、新たな議会制の政府ができました・・・めでたしめでたし。

なわけがない。

英国の支配を敏感に感じ取った人物が当時の知識人がただひとりいました。それが福沢諭吉です。

英国国教会は高教会(ハイ・チャーチ)という皇族・貴族が対象の宗派と低教会(ロウ・チャーチ)という庶民・貧乏人対象の宗派があります。信仰にも徹底した階級があるのです。そして表向きにはプロテスタントでも、規律がきびしく権力主義で、カトリックに近い体質です。

それを嫌ったキリスト教徒がアメリカに渡っていったという歴史があります。
幕末に勝海舟とともに咸臨丸(かんりんまる)で渡米した福沢諭吉は、当初はキリスト教文化には無関心だったようですが、宗教臭がなく、差別のないリベラルな考えのユニテリアニズムに深く関心を寄せていきます。

福沢の説く啓蒙思想はすべてがヨーロッパ、英国を経て米国で花咲いたユニテリアニズムなのです。

先端科学は宗教思想から離れて、天地創造主の存在だけを信じた科学者(具体的には代表は進化論のダーウィン)が活躍していきます。

諭吉はユニテリアンの総本山であるハーバード大学、MITの協力を得て、日本にもユニテリアニズムに基づいた教育機関を作ることを決めました。これが慶應義塾大学。

なぜ諭吉は明治政府の協力を求めなかったのか?明治政府からの任官を断ったのか?

英国の技術指導や資本により日本も殖産興業(具体的にはロスチャイルド=三井)を成し遂げていきますが、政権においては自由民権運動前の<初期の明治政府は英国の傀儡政府>であったからです。政府内でそれに気づいていたのが伊藤博文初代総理大臣。

だからロシアに接近して勢力均衡を狙ったり、当時は新興国であったアメリカによって英国の勢力と対抗していきます。

アメリカは石油王ロックフェラーの台頭でユニテリアニズムは変質していく



大資本の誕生で、良いユニテリアン(ヒューマン・ライツ主義)と悪いユニテリアン(強者生存説)がアメリカ内部で勢力を争うこととなり、ユニテリアニズムは金の力で変質していったのです。

これが石井研究員のだいたいのあらすじです。

政権中枢で宗教の手先が蠢いて、思想コントロールをしているのは現代日本においても同じです。

安倍内閣には日本会議(統一教会)出身議員が5人もいるゾ〜



表向きはクリスチャンでありながら、アンチキリストの教義でカトリック、プロテスタントにつづく第三勢力となっています。ムーニズトはアメリカ中枢にも旧東ヨーロッパにもいるのです。

岸信介は首相退陣後は文鮮明と頻繁に会談していますし、安倍晋三は統一教会の広報誌「世界新報」にも寄稿しています。「美しい国」はタイトルも中身もパクりです。

このように宗教思想と政治は今でも密接なのです。

副島隆彦先生はアラブ人の民族衣装で、アラビアのローレンスになりきって、英国・フランスの帝国主義の犠牲となったアラブの民の代弁を怒りにまかせてしゃべり倒しています。そしてアラブ民族の統一独立運動を裏切って石油資源を奪い取ったサウジアラビアのサウジ家というヤクザ部族にも激しい怒りをぶつけています。


アラブの統一(団結)気運の盛り上がりに警戒する国々とは


すなわちイスラエル、米国、英独仏ですね。ビン・ラディンのタリバンがCIAがつくった組織であることは知られていますが、ISIL(イスラム国過激派)だってアメリカとイスラエルによって内乱を目的につくられたものです。

トヨタのピックアップや兵器はどこからISILへ供給されているのかというと、アカバ湾というヨルダンの南端、紅海の奥の港に米国の商船で陸揚げされているのだとか。

「分断して統治せよ(devide and rule)」の鉄則はウクライナでも行われているのです。

6時間ぶっ続けの講演会で聞くだけでヘトヘトになったでしょうね。

海の時代から陸の時代へ



中国タクラマカン砂漠からヨーロッパへ通じるシルクロード(ラクダの隊商ルートをNHKが名付けたにすぎない造語)を中国は整備しています。10億人の民を喰わすためにはそれだけの公共工事が必要なわけです。そこで立ち上げられたのがAIIB。

中国を筆頭に、新興国は国内インフラの整備と国民を喰わすための職を求めている人間的には普通の要求にすぎません。
ADB(アジア開発銀行)は将来、先進国(アメリカおよび日本)の市場とならない国にはお金は出しません。
だからこそAIIBへの出資国が予想以上に多かったという現実にすぎないのです。結果的には反米体制となってしまいましたが。

英国の参加は世界的には衝撃的であったかもしれませんが、英国と米国の関係では石井利明氏の講演から納得できます。思想面では英米間には溝があるのです。

中国の南沙諸島の埋め立てや領土拡大といった紛争の火種がありますが、基本的には中国は大陸国家で政治中枢は内陸に目を向いていること。道路や高速鉄道、電力(原発)、住居の整備が中国をはじめ新興国の大部分の政治課題なんです。

かつてはラクダが運んだ荷物、それもせいぜい100km程度の道が連なっていた場所を、集落間をつなげて一気に大量高速に人・物資を行き交いさせて街道に住む場所を作ることが早急の課題なのです。

シルクロードの中継点であるカザフスタン(首都アスタナ)には巨大な金融センターができつつあります。ここがニューヨークやロンドンに代わる世界金融の中心となることは、5年ほど前から副島隆彦先生は指摘しています。

陸路による国際間物流は過去は無かったのです。(NHKがシルクロードというファンタジーを唱えただけ)
これからはアジア地域、ユーラシア大陸でガス、石油パイプラインにつづいて、高速鉄道・高速道路が着々と出来上がっていくということ。

島国日本からは大陸国家の長大な計画とそのメリットが理解できないのです。行ってみて、住んでみないとわからないもんです。

中国にもロシア同様経済制裁をしてやれとネット右翼(ネトウヨ)がわめいているようですが、進出した企業の工場も従業員も経営者も人質ですから、そんな簡単にできるわけがないです。

国家社会主義は国民の幸福度とういう尺度を無視すれば、おっそろしいほど粘り強いのです。日本と同じ程度(一億2千万人)のロシアがいまだに軍事大国であることをみればおわかりになるでしょう。その10倍以上の人口(実際は16億人はいると推測される)の中国とは正面衝突はアメリカでさえできないことは普通に考えればそういう結論にしかなりませんよね。

(6/5追記:学問道場「重たい気持ちで書く掲示板」から転載)
[1792]先の日曜日(5月31日)の私たちの定例会は盛会で終わりました。次の仕事に向かいます。 投稿者:副島隆彦 投稿日:2015-06-03 08:39:12

副島隆彦です。  5月31日(日)の私たち学問道場の定例会(自力での講演会)は無事、終わりました。
正確な人数は分かりませんが、400人の会場が埋まっていました。座れない、という苦情もなくて良かった。

 私は、合計5時間(午後7時15分まで)ずっと、ほとん喚(わめ)いていたので、さすがに、終わったあと、喉(のど)が枯れました。あまりないことだ。私は、立ったまま10時間でもずっと演説できる人間だ。生来の アギタトーレ(アジテーター)だから何ともない。 足腰がしっかりして、日頃の運動不足
を解消できて良かった。

私は、後半で、参加者の要望も会ったので、予定通り、アラビア人の男の服装(ディスダーシャ、にアガール )を着て演説をずっとやりました。 アラビア女性の黒一色の衣装であるアバーヤを、野田さんに着てもらって、披露しました。皆に、喜ばれました。 私は、このあと、アラビア人の勇壮な、軍人の踊りを、披露しようと思ったのですが、なんと、 刀(の代わりのアルミ製の物差し)が、床の舞台の隙間に落ちてしまって、踊れなくなりました。

 初めからの演題であった、「副島隆彦が、思いっきり 現下の問題を洗いざらい話します」の通りにできた。気分は良い。危ないこともたくさん話しました。この講演録は、一ヶ月以内に、DVD2枚組に制作して販売しますから、お待ちください。 

 今のシリア・北イラクの 暴れ者集団の IS(アイエス、イスラム国)の仕組まれた突如の出現、と、丁度今から100年前の ” アラビアのロレンス ” の話しが、見事(みごと)に重なるのである。 

 イギリス人 トーマス・エドワード・ロレンス Thomas Edward Lawrence (1888−1935) が、1914年から22年まで、アラビア人(エジプトからイラクまですべてのアラブ人)の団結と独立のために彼らを助けて闘った。

 イギリスの情報将校(連絡将校、リエゾン・オフィサー)として、「砂漠の叛乱」を起こしたアラブ人の部族長(シャイク)たちの連合体である ハーシム家 を助けて、本気で戦った。 そして、最後は、イギリス政治の残酷さの犠牲になって、消されていった。私、副島隆彦は、アラビアのローレンスの 悲劇の人生に、自分の人生を重ねあわせる。 

 アラビア語を話す考古学者だった、弱冠26歳の若造であった、T.E.ロレンスは、第一次大戦の始まりで召集され、現地に派遣され中佐(カーネル)となって、ハーシム家の フセイン・イブン・アリ−(ヒジャーズ王国、国王。メッカ太守)とその息子 ファイサル(シリア国王、イラク国王になった)、およびアブドッラー(現在のヨルダン国王は、その4世)たちを支援して、懸命に戦った。 そして、最後は、イギリス政府に裏切られて、用済みにされて捨てられていった。

 ロレンス中佐は、ファイサル国王(シリア王、イラク王)の従者、通訳として、1919年1月からのベルサイユ会議(第一次大戦の 敗戦国ドイツを裁くための会議。オスマン・トルコはその同盟国として、解体された )に参加した。 英と 仏は、 ハーシム家と約束していた、「アラビア世界をひとつにまとまって独立させてやる」と約束していたのに、その約束を狡猾(こうかつ)に破った。 それで、両者の板挟みになった ロレンスは、行き場を失った。 あとは、本を書いて、後世(こうせい)に真実を書き残すしかない。 だから、1927,8年に、『知恵の七つの柱』(セブンピラーズ・オブ・ウイズダム)を書いた。その一部が、『砂漠の叛乱』として急いで出版された。大きな評判をとった。

 だが、ロレンスは、自分の悲しい運命を、察知し、知っていた。

 パリ会議(ベルサイユ会議)あと、英と仏 のワルの帝国主義者たちは、いいようにアラブ人たちを騙して、自分たちのいいようにアラブ世界を分割した。シリアはフランスのものになった(1916年のサイクス=ピコ条約の英仏の密約どおり)。 このようにして今のアラブ世界がある。

 それでも、まだアラブ人たちのハーシム家を中心にした団結があったのに、そこへ、今度は、1924年に、横っ腹の リヤドから 暴力団的な 部族である、現サウド家の、アブドルアジズ・イブン・サウド が、メッカ(マッカ)に突撃してきた。そして、立派なアラブ世界の王(シャイク、エミール、さらにはカリフになれた)であるハーシム家の ファイサル・イブン・アリ−(もともとメッカ太守である) のヒジャーズ王国を崩壊させ、サウド家が奪い取った。

 サウド家の アブドルアジズ( この息子たちが今も、順番にサウジの国王である。今年1月からサルマン国王。70歳)の背後に、世界最大のガワール油田(ペルシャ湾岸)の利権を握った、アメリカからの資金援助と軍事援助があった。

 これで 全アラブ人の希望であった、(オスマン・トルコ帝国からの)独立と団結、の 願いは、叩き壊された。 愚か者の英、と仏の アホたちの背後から、抜け目なくアメリカが成長していたのだ。 

 ロックフェラー財閥 の巨大石油資本であうアラムコ=テキサコ=ソーカル=カルテックス(これらが今のシェブロン)が、サウド家のアブドルアジズ(リヤド太守)に、今のサウジアラビア(サウド家のアラビア)を作らせて、それで、アラブ人たちは、大きく分断されて団結を阻まれて、今の惨めなアラビア世界となった。 お調子者の、英と 仏は、自分たちが見下していたアメリカの帝国としての 隆盛にこの時、まだ気づいていない。

 英と仏 が、 惨めにアラブ世界から、撤退していったのは、このあと1956年のスエズ動乱のときだ。英仏軍は共同で、スエズ運河の利権を死守しようとして、落下傘部隊(空挺団)を投下して、スエズを軍事制圧していた。その時のエジプトは、アメリカが背後にいて支援していた(表面は、ソビエトの支援)ナセル大統領(軍事評議会によるクーデター)によるナセル革命の最中だった。

 英と仏は、泣く泣く、惨めにエジプトから撤退していった。スエズ運河はエジプトによって国有化された。この ときに、世界の覇権ははっきりとアメリカに移っていた。 以後、ヨーロッパも名実ともに、アメリカの属国の地域(リージョン)にはいった。

 今のIS(アイエス) が、奇妙なことを、 ヨルダンの アカバ港 (紅海に面している)から石油を密輸出していること。そして、まさしく この アカバ港から、トヨタ製のあのものすごい数のピックアップ・トラック(テキサス州のサンアントニオ工場製) を 陸揚げして、密かに、シリアにまで運んでいること。 IS への 軍事物資 と資金の支援も、今のサウジアラビアと、イスラエルと アメリカの軍事凶暴派であるネオコンとヒラリー派、CIAの特殊軍が、行っていることが分かる。

 そして、まさしく、このアカバ港こそは、あの映画「アラビアのロレンス」(1962年)のハイライトになった、アカバの要塞 への背後の ネジド砂漠からの ラクダ部隊の ベドウィンの奇襲部隊による、T.E.ロレンスたちの舞台だ。

このような真実の アラビア世界、中東、イスラム教徒たちの世界基準の研究を、急いで私たちもやらなければいけない。

 表面だけの IS 研究などで満足してはいけない。 私たち学問道場は、「アジア人どうし、戦わず(戦争だけはしてはいけない)、アジア人よ団結せよ 」 の旗頭(はたがしら)を掲げていることで、 同時に、「アラブ人(アラビア人)よ、団結せよ。真の独立のために闘え 」 と唱えないわけにはゆかない。

 こうなると、当然の帰結として、今の北イラクでの、 ISの集団というのは、同じアラブ人どうし(スンニー派であれシーア派であれ)を、分断して、互いに戦わせようとする、 恐ろしい 政治謀略 によって創作されたものだ、とはっきりと分かる。  アラブ人どうしを争わせ、殺し合いをさせることで、得をするのは、誰か?  このことを、私たち日本人は、本気で自分の頭で考えなければいけない。

 私は、4月に、中東、イラン、アブダビ、ドバイに 調査旅行に行けて本当によかった。 800キロメートル先の、サウジの首都リヤドにまでは、行けなかったのが残念(今は、旅行者は入国禁止)だった。が、多くのサウジ人の姿は見たから、それで我慢する。 そして、こうして 現代のアラブ、中東世界についての、大きな理解を私は作ることが出来た。それを、これからどんどん公表する。
 
 私の講演の前に、まず石井利明(いしいとしあき)君が、『福澤諭吉 とフリーメイソン=ユニテリアン教会(という当時の欧米の優れた最高級知識人たち から学んだ)』という講演をしました。  

 このままでは、日本は、イギリス(大英帝国)によって思うように従属国にされてしまう、と早くも1873年(明治6年)には、鋭く気付いた福澤諭吉(当時、38歳)は、1883年(明治16年)から、息子一太郎(いちたろう)の提言もあって、アメリカの東部ボストンのハーヴァード大学から、優秀な
 4人の ユニテリアン派宣教師でありながらハーヴァード大学の神学者、化学者である学者たちを招聘(しょうへい)する計画を実行した。

 「我が、慶應大学を、東洋のハーヴァード大学にせん(する)」という高い方針を実行した。アーサー・メイ・ナップ教授ら、当時のハーヴァード大学の気鋭の若手学者たちを招いた。そして、学生たちに、当時、世界最先端、最高級の授業をして、世界に追いつこうとした。

 そして、福澤は、なんと腹の底から嫌っていた、当時の日本国の最高権力者であった 伊藤博文(いとうはくぶん、初代、内閣総理大臣)と 組んで、同感しあって、「このままでは日本はイギリスの思うように操られる。それを避けるには、隆盛する新興大国である アメリカこそは、自分たちの手本であり、彼らのユニテリアン(という 近代学問=サイエンス=を教えることを堂々とやった) キリスト教プロテスタントの一派ではありながら合理的精神に満ちた、すぐれた学者たちから、学ぼうとした。  さすがに大きなワルではあるが伊藤博文もタダの馬鹿ではない。

 尊皇攘夷(そんのうじょうい)思想の後(あと)を継いで日本国の反体制運動の火柱となった 自由民権運動の限界を始めの始めから、福澤諭吉は、はっきりと分かっていた。だからずっと冷ややかに見ていた。 だから、ここで当時の日本の最高の頭脳は、福澤と、伊藤博文( 1909年に、ロシアと協調しようとして、ハルビン駅頭で、山県有朋 の陸軍銃殺隊に狙撃され死亡)だった。

 ユニテリアン教会の建物は、全国どこでも、その裏部屋がフリーメイソンの
秘密の会合と儀式をする場所になっている。そのひとつが、長崎のグラバー邸に残っている。軽井沢や 日光中禅寺湖のほとりの外国人館の中にもあった。

 1890年代まで、世界最高の優れた頭脳の欧米白人たちは、ユニテリアン=フリーメイソンの会員だった。ところが、20世紀(1900年代)に入って、勃興したアメリカ石油帝国の財界人達によって、このフリーメイソンは、内部から乗っ取られて、その頂点から、腐り果てていったようだ。

 そして、今、囁(ささや)かれている 世界を背後から人事、人材、資金力、軍事力であやつる 巨大な非公式の 秘密組織になった。 これらの 大きな秘密を、ひとつひとつ、掘り当てながら、 石井利明くんと、私の他の弟子たちの頑張りが今も続いている。

 たとえば、勝海舟(かつかいしゅう、江戸の小者、中間(ちゅうげん)階級の
出で、火消し衆の元締めの家柄)は、 幕府(とりわけ大久保一翁)が、 1830年代の 、優れた蘭学者(洋学者)たちの中に、潜り込ませて、スパイとして働くように用意周到に育てられた 策略の人間だった。だから、江戸幕府が倒れたあと、 没落した旧幕臣たちから、「勝のやつめ。自分だけ良い思いをしやがって」と怨嗟(えんさ)と呪いの声が上がっていた。榎本威陽(えのもとたけあき)は、さらに勝海舟の子分であった。

 だから、幕府海軍の頭(かしら)として、8隻の当時、世界レベルの最新鋭の洋式軍艦を持っていたのに、 薩長(さっちょう)の討伐軍(=官軍)が、箱根山を越えて、東海道を進軍して来たときに、小田原あたりの海から、艦砲射撃をすれば、薩長軍など、崩壊させることが出来たのだ。 ところが榎本は一発も艦砲を発射していない。 

  このことも、石井くん他、私も入って、12人で書いた、『フリーメイソン=ユニテリアン教会 が明治日本を作った』(成甲書房、2014年4月刊) に書いた。 この本は、本当に大事で重要な本です。 みんなに真剣に読んで欲しい。 いろいろ 今からでも暴(えば)き立てるべき歴史の真実が この 本に 山ほど書かれています。

(中略)

副島隆彦です。 私は、このあと、今週末の日曜日(6月7日)に、今も 戦争死んだ者たちの怨霊が、その海に漂っていると私は思った(先週行ったときに)、横須賀市で、「軍港 横須賀 150年の歴史の真実 」 を講演します。 今日のボヤキの方に、案内があります。


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歴史の教科書は嘘だらけ「戦国合戦の虚実」 
Thursday, May 28, 2015, 08:03 PM
古本屋で暇つぶしに買った本が意外とおもしろかったのでメモしておきます。
「戦国合戦の虚実」(鈴木眞哉著 講談社1998)

歴史探訪を趣味とする紀州雑賀衆(さいかしゅう)の末裔の著者が歴史の定説というものが、いかに根拠がないものか、また戦国時代の諜報撹乱工作で残された手紙を真に受ける権威者(主に東大)や嘘っぱちを明治以降の軍隊教育に当てはめた故にそれが定説として一人歩きしていることなど、歴史とは所詮は勝者の物語だということを切々と記したものです。

代表例として織田信長の長篠の戦いで戦法は一転したと、中学・高校では教わりますが後にも先にもそんな結果はないということ(爆)

そもそも戦上手の信長が火縄銃の三段打ちを「発明」したことになっていますが、それ以降もそれ以前にもそれで絶大な効果を上げた実例はないし、先を行くヨーロッパでも統制ができずに理想論に過ぎない空論と笑われているとのこと。

鉄砲を戦力にしたのは信長ではなく、紀州の雑賀衆(さいかしゅう)と呼ばれる一族だというのが著者の発見です。
雑賀衆といっても今でいえば農民ではなく、技巧集団(エンジニア/プロフェッショナル)といった種々雑多な職業の集まりに過ぎず、鍛冶屋だとか土木建築、航海士など土地に縛られない生き方をしていた人々の総称に過ぎないようです。

なぜなら和歌山市から海南市にかけては農耕には不適なところだったから。

このエンジニアリング集団が戦国から江戸時代初期にかけて裏で活躍したのでしょう。

信長は雑賀衆との戦いでは手を焼いた(負け続け)



信長といえば比叡山の焼き討ち(皆殺し)が宗教弾圧のように思われていますが、実情は反信長で繋がっていた本願寺と雑賀衆との長い長い戦いでもあったのです。

誰だって一対一で斬り合いたくない



武田の騎馬兵が長槍を携えて一列に突進してくるなんてのも全くのファンタジーです。実録によると馬は高位の部者の移動手段に過ぎず、戦場では後方に繋ぎ止められて、みんな徒歩で前線に赴いたのです。

そして弓で互いに射掛けて、石礫を投げ合っていたのがほとんどなのだとか。なぜなら武士の報償記録の70%が弓矢や礫の負傷だというのが室町時代から一貫しているわけです。

それじゃあ刀はどう使ったのかというと、報奨のために敵兵の首を取るために用いられたということ。
怪我や動けなくなった敵兵に止めを刺して、首を切り落とすために帯同したのです。

飛び道具こそが戦場の唯一の武器だった


どこが侍スピリッツだ、白兵戦は互いの消耗が激しいのでそんなに頻繁にやってられないのです。

井沢元彦氏も似たようなことを述べています。兵士とは自国の農民であり、重要な生産基盤です。だから稲刈りの時期は戦いはやらないのがどの領主の了解事項なのです。

信長が戦上手であり、家康が謀略が優れていたわけでもないというのが実例として述べられています。

私もそう思います。

歴史は勝者側が改変していきますし、阿る(おもねる)ために書かれたものもあるということをはっきりさせねばなりません。
ましてや戦国時代は裏切りや嘘で諜報工作が盛んでした。だからこそ、古文書の内容を真に受けると真実は見えてこないのです。

江戸時代の歴史書は徳川家へのおべっかへつらいのため



だから話を盛ってみたり、取るに足らない小さな戦(Battle)を大きく騒ぎ立てて、家康の功績を褒め称えることになるのです。
その悪影響は軍隊教育に繋がっていきました。白兵戦で突撃なんて日本ではまずないのです。

茂みから鉄砲を撃って撃退させる待ち伏せが戦国時代の常套だったようですし、秀吉が水攻めを好んだのは人道的な理由ではなく、兵糧攻めが一番安全で「皆殺し」できる手段だからです。

<戦下手>の信長を見限って秀吉は工兵を主力とした



謀略と兵糧攻めが自陣には安全で効果的な戦いであると見抜いたわけです。この基本戦略は現代にも通じていますね。

ところが日本の歴史家は、信長、秀吉、そして家康を神格化した家来や配下のおべっかの記録をあたかも真実のように捉えて、諜報や外部工作といった裏面をないがしろにしてきたわけです。
結局は明治から軍隊の精神論(竹やり精神)、白兵戦志向に繋がっていくわけです。

ほんとばかばかしい。

朝鮮人が慰安婦慰安婦と馬鹿みたいに騒いでいますが、

宗主国が中国になったからには当然のこと



歴史とは「強いものに巻かれろ!」が主眼ですから。

だから冷静に見れば韓国はアメリカの頚木(くびき)を外れたということに過ぎません。
だったら日本政府は人道的に同感して

韓国籍の風俗関係者を強制送還してやれ


ば済むこと。韓国の主力産業は女なのですから。今いる地方都市でも大挙してファミレスにいるのは少なくとも日本人ではないです。
何語でしゃべっているのかわかりません。(体格でなんとなくわかりますけどね)
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まさに「黒い巨塔」・・・最高裁事務総局の黒い支配! 「ニッポンの裁判」瀬木比呂志著 
Sunday, May 24, 2015, 10:27 PM
本日はホテルから更新しています。
今年一月に副島隆彦先生が推薦していた「ニッポンの裁判」(瀬木比呂志 講談社現代新書)を読了しました。


ほぼ4ヶ月枕元に置いていたのですが、ついつい後回しだったものを電車に持ち込んだら、驚天動地な内容で一気にむさぼり読みました。

我々が思い浮かべる裁判所の「正義」からは程遠い、とんだ法律の番犬です。
もちろんガードしているのは権力者側です。

ほとんどの方々の普段の生活において裁判所は馴染みはないでしょう。
また法律の専門家である弁護士に相談するような機会も、それほどあるものでもありません。
それでも

弁護士に相談したり裁判沙汰は人生に一度や二度はある


名誉毀損賠償や刑事事件の被告になることはまずはないでしょうが、たとえば交通事故に遭ったり、離婚や相続のもつれ、損害を賠償しなければならなくなった時、仕事や商売上のトラブルもあるでしょう。

または裁判員に選ばれて裁判に関わることになるかもしれません。
もしくは行政裁判の原告団に将来加わることだってあるかもしれません。

ですから、裁判所とは、判事とは、そして法律(憲法)判断の最後の砦である最高裁とはどのような存在であるのかを知っておいて損はないのです。

冤罪で刑事訴訟されることの恐怖



検事と判事が結託して、人間一人を抹殺することに躊躇をしない恐ろしい人間像があぶりだされてきます。
無罪判決は減点されるのが日本の裁判所であり、2600名もの裁判官を評定し、コントロールしているのが最高裁事務総局という部署です。
この部署は判事の最高点である最高裁長官を排出する部署であり、企業でいえば取締役会みたいなものです。

真の権力者という自惚れで与党ともずぶずぶ



行政訴訟においては、法の解釈はお手盛りで、「違憲状態」であるが合憲などという迷言も平然といえるこの遵法精神のなさはなんだろうかという疑問が、すべて氷解しました。

所詮は権力をもつ特殊な官僚組織であるということ



お笑いなことに平成26年に法曹改革と称して新設された法科大学院の志願者は1/5となっています。行く末はヒラメ判事となるか食えない弁護士ぐらいしか将来が見通せないことがわかったから当然でしょう。

それなら国家公務員試験で法務省のキャリアになるほうがましだと頭が良くて小づるい奴は考えるw

学問道場に掲載されていた副島隆彦先生の推薦文を転載しておきます。
http://www.snsi.jp/bbs/page/1/page:5


[1740]告発の書 「 絶望の裁判所 」 の著者への インタヴュー記事です。 重要です。  投稿者:副島隆彦 投稿日:2015-01-16

11:36:58


副島隆彦です。 以下に転載する 講談社の 「現代ビジネス」というサイト の インタヴュー記事は、『絶望の裁判所』(2014年2月刊、講談社新書 ) を書いた、瀬木比呂志(せぎひろし)氏 の 発言です。

 私は、昨年の春に、この『絶望の裁判所』 を読んで、この本は、大変な本だ、と分かりました。 日本の裁判制度と、最高裁 の 人事行政が、裁判官たちへの 監視と牢獄(ろうごく)状態になっていることを、瀬木氏は、満身の怒りを込めて(しかし淡々と穏やかに)書いています。

 瀬木比呂志氏は、東大の法学部を出て若くして裁判官(25歳で)になった本当の法曹(ほうそう)エリートだ。 現在60歳(1954年生まれ)だ。

瀬木比呂志は、裁判所(および法務省)内のエリート・コースを歩み続けた人だ。この人は、2012年に、明治大学法学部教授になって、追い出された、というか、裁判所という 牢獄の「裁判官という囚人」( 自分でそのように書いている)の身分から脱出して、この本を書いた。

 講談社現代新書 から出した。講談社という出版社は、すばらしい見識を持っていて、マンガと婦人雑誌で食べているように見せているが、本当は、日本国の国益を十分に考えて、控え目にして鈍重(どんじゅう)で慎重な動きだが、ときどき本当によい本を出す。 この本は、日本国民にとって最大級に優れた本だ。

 私は、昨年から、ずっとこの本の重要性 「良心的な裁判官たち自身が、収容所で厳しく監視される 囚人になっているのだ」という告発の内容をどうやって、皆に知らせようかと、考えてきた。 私なりの書評をして、絶賛し援護射撃をすればいいのだ、と考えてきたのだが、自分の仕事に追われて、それも出来なかった。 ずるずると今日まで来てしまった。

 この本は、この国の 法曹関係者と呼ばれる、裁判や法律関係でゴハンを食べている人たちの間でだけ、評判となり、ザワザワと、「最高裁のやっている、裁判官たちへの人事面からの締め付けはすごいよなあ。ヒドい世界だ。実際にそうなんだよ」 と、 裁判所職員とか、弁護士たちや、司法書士や、税理士たちでも、噂(うわさ)しあって、「お前、あの本を読んだか」と、酒の肴にして来たものだ。 こういう事情で一年が過ぎた。

 今からでも、私たち日本国民は、この『絶望の裁判所』という本を皆で、振りかざしてでも、騒がなければいけない。私たちの国の、裁判制度の 残酷なおかしさと、人衆抑圧に、本当の怒りの声を上げなければいけない。

 私は、以下に一枚の写真(画像)を貼り付けるが、この竹崎博允(たけざきひろのぶ)という男に、激しい怒りを感じている。この 愚劣極まりない、男が、最高裁判所長官として(昨年の2014年3月に退官して逃げた)、日本の司法(権力)のトップにいて、小沢一郎を、 検察審査会での強制起訴やら、検察審査会(最高裁の職員たち。だからゴロツキの竹崎の 手下たちだ)やらで、「法律という刃物」で、小沢一郎の 政治生命に致命傷を負わせ、私たち日本国民の 政治改革の大きな希望であった、鳩山・小沢政権を瓦解(がかい)させ、政治謀略で叩き潰した、その公然たる表舞台の 最高責任者だ。


竹崎博允・最高裁判所前長官(左) と 江田五月(右)

 小沢殺しを狙った裏組織の、恐ろしい人殺し部隊まである「三宝会(さんぽうかい。1998年結成)」の話ではない。公然たる表舞台の 三権の長(さんけんのちょう)である最高裁長官が、たくさんの違法行為を重ねて、小沢一郎たちを葬り去ったのだ。 私、副島隆彦の、アメリカの日本あやつり対策班(ジャパン・ハンドラーズ。アーミテージ、M.グリーン、ジョゼフ・ナイら )ゴロツキどもの手先となって蠢(うごめ)いた 竹崎博允(たけざきひろのぶ)への怒りは、今も怒張(どちょう)天(てん)を衝(つ)くほど深い。

 この男は、時代が変わって、少しでもよい時代になったら、絶対に あの2009年、10年、11年の、体制法律家(法律権力を握る者たち)の 悪事=犯罪=違法行為を、告発し起訴して裁判に掛けなければいけない。

 竹崎の犯罪は、あの時の警察庁長官や、最高検検事総長 のような下っ端の罪や、法務省の”赤レンガ組” どものの罪よりも、国家体制上の格が上だからそれだけ重い。こいつを縛り首にしなければいけない。

 この 一枚のパーティ会場での写真に竹崎と一緒に写っている 江田五月(えださつき)も許しがたい日本国民の敵だ、ということは、こいつが参議院議長(民主党の議員だった)の頃から、どんどん馬脚を顕(あらわ)していた。
江田五月の父親は、江田三郎(えださぶろう)で、社会党右派を率いた大物政治家だった。社会党の左派の政治家たちと、何十年もいがみ合っていた。

 やはり、親子2代でアメリカの手先を忠実にやった男だ。江田五月は、1960年安保の時には、安保ブンドの下っ端として国会議事堂を取り囲む運動とかに、東大生の時は参加していた男だ。そのあとすんなりと裁判官になって、そのあとリベラル派の政治家になったと思ったら、やっぱり土壇場で、鳩山由紀夫と小沢一郎を裏切った。やっぱり江田五月は長年かけてアメリカに育てられた男のひとりだった。

 彼の人生の最終段階でそのことが大きく露呈した。 だから、この写真の通り、竹崎博允と若い裁判官時代の同期生なのだろう、談笑している。本当にワルいやつらだ。

 そして瀬木比呂志(今、60歳)は、この竹崎博允(1944年生、今、70歳)が、最高裁の事務総長(2002年から2006年。同時に、この事務総長のまま最高裁判事の末席にいる )が、このようにすべての裁判官の人事権を一手に握っていたときの 上司だ。 彼ら東大法科エリートは、地方の田舎の裁判所の”ドサ回り”はしない。  

 瀬木比呂志は、この竹崎博允(たち)から酷(ひど)い目にあったのだ。だから、明治大学に58歳で逃げて、その時に、自由にものが言える言論の自由を、生まれて初めて手に入れたのだ。 裁判官たちは、裁判官室に居ることは、背後の席にいる部長という上司たちに、ずっと背後から監視されている。裁判の判決の内容まで、チェックされる。 そして、「裁判官としての(優れた知能と)良心に基づいて裁判」をしようとすると、圧力がかかる。

上(うえ)にヘイコラして言いなりの裁判をする裁判官たちのことを、ヒラメ という。ヒラメという魚は、砂地にべったり隠れて上の方ばかり見ている。だから、何百万年の間に、反対側の目玉までが、表面に出てきた。 

 瀬木比呂志は、裁判官時代に、民事訴訟法の大変すぐれた 実務から生まれた論文集を書いたそうだ。法曹界では、瀬木のその民訴の論文と実践的な理論は高く評価され尊敬されている。弁護士たちがそのように言っている。瀬木比呂志は生来の頭脳明晰な人なのだ。
 
 瀬木比呂志は、裁判所の裁判官たちの世界で長年ひどいイジメにあったのだ。体制、権力者側の言うことを聞かないで、自分の良心で裁判をしようとすると、嫌われて爪弾(つまはじ)きにされる。

瀬木比呂志に悪口をいう人たちがいて、「瀬木は、自分が、最高裁の判事になれなかったものだから、ヒガミ根性で、あんな本を書いたのだ」と 言う。生来の体制派の人間たちというのは、こういう言い方をする。 自分はいつでも、勝ち組である。組織、団体の中で 左遷(させん)され冷や飯を食うことだけはしないように、抜け目なく動く。

 いつも力(ちから)のある者のそばに、スリスリと擦り寄って、お追従(ついしょう)を言ってヘイコラして、背骨が曲がったまま、卑屈に振る舞って、生き延びる。 人間は、大きく分ければ、この体制追従型(たいせいついじゅうがた)か、そうでなければ、自分の頭で考えて自力で生きる型の 2種類に分けられる。副島隆彦の本を読んでくれる人は、ほとんどが後者の方だろう。

 だから、瀬木比呂志が、裁判所から離れて私立大学に移って、初めて自由になって、この『絶望の裁判所』を書いて大きな真実を表(おもて)に出すことができた。以下に『絶望の裁判所』(2014年2月刊、講談社新書 )の裏表紙 の 文章を載せる。 ものすごく重要だ。 

 ここには、かつて1970年代に 「青年法律家協会」(略称、青法協=せいほうきょう=)に集まった、優れた優秀な若い裁判官たちを、体制側が、政治弾圧したことの、証拠(証言)が書かれている。歴史の星霜(せいそう)を経て表に出た 驚くべき事実だ。 これが日本の裁判所なのだ。 ”悪の巣窟(あくのそうくつ)”そのものだ。 

『絶望の裁判所』 の 裏表紙 の 文

一人の学者裁判官が目撃した司法荒廃、崩壊の黙示録
最高裁判事と調査官の合同昼食会の席上、ある最高裁判事が、突然大声を上げた。
「実は、俺の家の押入にはブルーパージ(大規模な左派裁判官排除、思想統制工作。
最高裁の歴史における恥部の一つ)関係の資料が山とあるんだ。一つの押入いっぱいさ。
どうやって処分しようかなあ?」
すると、「俺も」、「俺もだ」とほかの二人の最高裁判事からも声が上がり、昼食会の
会場は静まりかえった。こうした半ば公の席上で、六人の裁判官出身判事のうち三人も
が、恥ずかしげもなく、むしろ自慢気に前記のような発言を行ったことに、他のメンバー
はショックを受けていた。 (本書より。内容は一部要約)


 副島隆彦です。これは、真に絶句すべき文だ。 この本の 扉を開いた「はしがき」の冒頭にも、 「この門をくぐる者は、一切の希望を捨てよ」   ダンテ『神曲』(副島隆彦注記。本当は、『神聖を装った、ローマカトリック教会という喜劇の組織』という意味だ ) の 「地獄編第三歌 」とある。 瀬木比呂志にとっては、自分が33年間 務めた 最高裁判所というところは、「裁判所という地獄への門」だったのだ、と 分かったのだ。

 瀬木比呂志は、若い裁判官の時から、最高裁の調査官(ちょうさかん)という、超エリートたちだけがなれる 裁判官になっている。これは、最高裁判事(15人いる)たちの下働きをする 若手のエリートたちで、実質的に、彼ら若手が、最高裁にまで上がってくる 事件の多くの、大量の ”ゴミ扱いの事件”の 判決文とかを書く。 そして、その年の 重要だった判決文を調査して、集めて、 「民集」 と 「刑集」という分厚い本にする。それは、民事裁判、刑事裁判の判決文 とその経緯の判断文とかを 集めたもので、これが、「判例(はんれい)」 =先例拘束(せんれいこうそく) というものになる。

 瀬木比呂志は、だからずっと最高裁内(および法務省)のエリート・コースを歩んでいるので、地方の”ドサ回り”をしていない。だから、人事と能力判定がまっとうであれば、自分が当然に最高裁の判事(=裁判官)になる、なれる、と信じて疑わなかっただろう。 だが、裁判所も、他の公務員たちの役所と同じく、汚れているから、そうはならない。

 だから、瀬木比呂志がこの、組織の内部からの暴露本、告発の書を書いたことを指して、「瀬木は自分が出世できなかったことの妬(ねた)み、ヒガミで、こういうとんでもない本を書いたのだ」と 腐(くさ)して、攻撃する者たちが、当然出てくる。  それは現世のおける、大勢順応(たいせいじゅんのう)、体制追随(たいせいついずい)の歪(ゆが)んだ生き方をする者たちと、 冷や飯食いを覚悟して、それでも清新な立派な人間としての生き方を貫く者たち との 闘い だから、甘んじて引き受けるしかない。

 私、副島隆彦は、当然、この 瀬木比呂志の生き方と、彼が書いた本を全面的に支持し、賞賛し、応援する。これは、裁判所をめぐる日本国民の闘いの場なのだ。 だから、瀬木比呂志の『絶望の裁判所」は、ものすごく重要だ。

 皆、買って読むべし。そして、ザワザワと日本国内に、「裁判所の内側はひどいそうだよ。特に人事面で腐敗しきっているらしい」とうわさ話を広げなければいけない。

 前掲した、この本の裏(うら)表紙の一文を読んで、目くじらを立てないようでは、とても知識人、読書人とは言えない。 

副島隆彦拝




(転載貼り付け始め)
「 日本の裁判は本当に中世並み 『ニッポンの裁判』著者・瀬木比呂志氏インタビュー 」

 『絶望の裁判所』 は序章にすぎなかった
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/41659

 講談社の現代ビジネス という サイト から
2015年01月07日(水) 瀬木比呂志インタヴュー  

瀬木比呂志氏は、最高裁判所中枢を知る元エリート裁判官であるのみならず、民事保全法や民事訴訟法のエキスパートとして法曹界で高い評価を得ている。このような信頼できる専門家による、横断的な判例解説は過去に例がない
 2015年1月16日、講談社現代新書から、日本の裁判のリアルな実態を描いた『ニッポンの裁判』が刊行される。著者の瀬木比呂志氏は、明治大学法科大学院専任教授で元裁判官。 裁判官たちの精神の荒廃と堕落を描いた、前作『絶望の裁判所』は法曹界を騒然とさせたのみならず、司法をテーマとした一般書籍としては異例のベストセラーとなった。

 「『絶望の裁判所』は序章に過ぎなかった・・・・・・」と帯のコピーにあるとおり、『ニッポンの裁判』の衝撃度は前作をはるかに上回る。

冤罪連発の刑事訴訟、人権無視の国策捜査、政治家や権力におもねる名誉毀損訴訟、すべては予定調和の原発訴訟、住民や国民の権利など一顧だにしない住民訴訟、裁判の「表裏」を知り抜いた元エリート裁判官の瀬木氏をも驚愕させた「ニッポンの裁判」は、もはや中世の暗黒裁判並みの「超」絶望的なものだった。


Q: 『絶望の裁判所』刊行から約1年が経過しましたが、あらためて司法批判の第2弾、しかも私のみるところより強力、衝撃的で、分量も大きい書物を刊行されたのは、なぜでしょうか? 

瀬木:『ニッポンの裁判』は、『絶望の裁判所』の姉妹書です。『絶望』が司法制度の構造的批判の書物であったのに対し、『ニッポン』は日本の裁判の総体としての分析、批判を内容としています。

 ですから、内容は関連していますが、相互に独立した書物です。もっとも、双方の書物を読むことでより立体的な理解が可能になることは間違いありません。その意味では、車の両輪のような関係ともいえます。

 裁判所、裁判官が国民、市民と接する場面はまずは各種の訴訟ですよね。そして、その結果は、判決、決定等の裁判、あるいは和解として、人々を、つまりあなたを拘束します。

 つまり、裁判や和解の内容こそ国民、市民にとって最も重要なのであり、制度や裁判官のあり方は、その背景として意味をもつにすぎないともいえるのです。その意味で、『ニッポンの裁判』は、どうしても書いておかなければならない書物だと思っていました。

 裁判というものは、日本人の多数が思っているよりもずっと重要なものです。各種の法規は、個々の裁判、判例によって初めて具体化されるものだからです。

 また、裁判の結論というものは、個々の裁判官の思想、人間性、能力等によっていくらでも変わりうるものであって、その裁量の幅も非常に大きいのですよ。

Q:なるほど。それでは、なぜ、『絶望の裁判所』のほうを『ニッポンの裁判』に先行させることを決められたのしょうか?

『ニッポンの裁判』執筆に当たって、瀬木氏は様々な判例を詳細に分析し、凄まじいまでに劣化した「ニッポンの裁判」の実態に絶句したという

瀬木:それは、裁判の内容を正確に理解するのが、それほどやさしいことではないからです。法学部や法科大学院の学生たちにとってさえ、最初のうちはそうです。

 僕が、裁判の分析に先行して、まずは、誰にとってもその形がみえやすくその意味が理解しやすい制度の分析を行ったのは、そのほうが裁判の内容の理解も容易になるからということが大きかったのです。でも、逆に、『ニッポンの裁判』を先に読んでから『絶望の裁判所』を読むという順序でも、裁判と制度の絡み合いはよくわかると思います。ああいう裁判所、裁判官だから、ああいう判決が出るのだ、ということですね。

『ニッポンの裁判』では、僕のこれまでの裁判官、学者、そしてライターとしての経験とキャリアを総動員して、日本の裁判のあり方とその問題点、その核心を、具体的な例を挙げながら、詳しく、かつ、できる限り興味深く、わかりやすく、論じることに努めました。

 これまで語られることのなかった最高裁暗部を告発し、ジャーナリストの魚住昭氏から「最高裁に投じられた爆弾! 10年に1度の衝撃作」と絶賛された『絶望の裁判所』


Q:確かに、興味深いだけでなく、非常にわかりやすい書物ですね。『絶望の裁判所』の大きな書評(斎藤環氏。2014年5月11日朝日新聞読書欄)にあった、『複雑明快』という言葉が、この本にもぴったり当てはまるような気がします。

 320頁というヴォリュームですが、その内容はそれこそ500頁ほども「濃密」なのではないか。しかも、面白く、また、すごくリアリティーがあって、一気に読ませられてしまいます。

瀬木:ありがとうございます。

僕は、先ほど述べたような3つの仕事で、興味深く、わかりやすく、正確に「伝える」のがいかに難しいかということは肌身にしみて感じてきました。『ニッポンの裁判』では、正確さや的確さは保ちつつ、よくある無味乾燥な法律的記述は絶対に避けるように努力しています。

その成果が実ったとすれば、うれしいですね。

Q:『絶望の裁判所』も衝撃的な作品でしたが、『ニッポンの裁判』の衝撃度はそれをはるかに上回ると感じました。日本の司法は、「絶望」という言葉ですら控えめに思えるほどの「超」絶望状況にある。驚きました。

2012年まで裁判官だった瀬木さんでさえ、あきれ果てられているようですが・・・・・・。

瀬木:そうですね。この本を書くために、日本の裁判の全分野についてかなり掘り下げたリサーチを行ったのですが、それが進むにつれて、分でも驚いてしまったというのが事実です。「ここまでひどいのか、ひどくなっているのか!」ということですね。

僕は、子どものころから一度として左派や急進派の思想に傾倒したことはなく、基本的には、芸術と科学を愛する一自由主義者、一介のボヘミアン学者にすぎないのです。

『絶望』と『ニッポン』では、表現やレトリックについてはかなり鋭利なものを用いていますが、僕の思想や考え方自体は、基本的には、欧米一般標準の自由主義にすぎず、特に先鋭なものではないと思います。

たとえば、僕の筆名の書物や専門書のタイトルや内容をみていただいても、そのことは明らかだと思います。

 しかし、そんな僕でも、あらためて日本の判例群を、虚心に、また、分析的に読み直すと、大きな違和感を感じざるをえませんでした。

それらの判例群から僕が得た率直な印象は、残念ながら、「未だ社会にも政治にも裁判にも前近代的な残滓(ざんし)を色濃く残す国のそれ」というものだったのです。この事実は、僕自身が、この書物を書くために、素材になる裁判、判例を選択してゆく過程で、少しずつ気付き、やがて確信するに至った、大変苦い真実といえます。

Q:とにかく全編次から次へと驚きの連続ですが、特にショッキングだったのが、第3章で詳しく分析、批判されている刑事裁判の腐敗です。

袴田裁判の冤罪、そして恵庭OL殺人事件の「超絶望的」な再審請求棄却決定には震撼させられました。ひとたび刑事事件で訴えられたらも

はや逃れる手はない、という印象を持ちました。

袴田(はかまだ)事件、恵庭OL殺人事件などは、日本の冤罪裁判の「氷山の一角」にすぎないと、瀬木氏は分析する

瀬木:袴田事件再審開始決定は、最重要証拠であったところの、袴田巌さんのものであるとされた、血液の付着した五点の衣類について、捏造(ねつぞう)の疑いがきわめて強いと明言していること、そして、死刑の執行停止のみならず、裁量により、拘置の執行まで停止して袴田さんを釈放したことなど、刑事系にも良識派裁判官は存在することを示した決定でした。

しかし、一方、刑事に詳しい弁護士たちが、「現在は『再審冬の時代』であり、袴田事件のように新たなDNA型鑑定結果が出た、あるいは、真犯人が判明したなどの『誰が考えても無実』という事件以外では再審は開始されなくなっており、次々と棄却決定が出ている」との意見を述べていることにも注意すべきです。

たとえば、先の恵庭(えにわ)OL殺人事件再審請求棄却決定です。全体として、この裁判の証拠評価は本当にほしいままで、本当に呆然とせざるをえません。

簡単にまとめれば、こういう事実認定なのです。

 「片手でどんぶりも持てない小柄で非力な女性が、被害者に怪しまれることなく車の運転席から後部座席にいつの間にか移動し、自分より体格、体力のまさった被害者を、後方から、タオル用のものを用いて、ヘッドレスト等に妨げられることもなく、やすやすと、また、一の痕跡(被害者の指紋、毛髪、失禁の跡等)を残さず絞殺し、自分より重い死体を間髪を容れずに抱えて車両外に下ろし、ごく短時間のうちに、そしてわずか10リットルの灯油で、内臓が炭化するまで焼き尽くし、さらに街路灯もない凍結した夜道を時速100劼覗ってアリバイ作りをした」

 そして、細かな部分をみてゆくと、さらにおかしな点が多々あります。そういう点を数え上げてゆくと、きりがないのです。たとえばアメリカの陪審制でも、この証拠関係で有罪はありえないだろうと思います。あるとすれば、黒人に対する偏見が根強く、その人権がほとん

ど認められていなかった時代の南部における、黒人被告人に対する裁判くらいではないでしょうか。「疑わしきは被告人の利益に」という刑事裁判の鉄則が踏みにじられていて、本当にこわいです。

 国策捜査の標的とされた者の立場から書かれた『国家の罠』(佐藤優、新潮文庫)の中にある「『あがり』は全(すべ)て地獄の双六(すごろく)」という言葉は、日本の刑事裁判においては、決して誇張ではありません。「明日(あした)はあなたも殺人犯」であり、「高裁でも、最高裁でも、再審でさえも救済されない」のです。また、地裁で無罪なのに高裁で有罪とされた冤罪事件(東電OL殺人事件)もあります。実際、日本の裁判では、民事でも刑事でも、地裁が一番よく、高裁や最高裁がおかしいということが多々ありますね。

 昔の映画になりますが、冤罪を扱った『真昼の暗黒』という作品があります。左派良心派として知られた今井正監督によるものです。その映画の中に出てくる「まだ最高裁があるんだ!」というセリフが有名になりました。でも、実際には、「まだ高裁・最高裁があるんだ!」は、日本では、権力側の言葉ですね。

Q:刑事系裁判官はなぜかくも有罪にこだわるのでしょうか? 誰の目からみても無理が大きいことが明らかな判決を重ねて追認するような司法判断が続くことは、素人にはおよそ理解できません。

瀬木:正直にいって、僕にも、全く理解できません。僕には、33年間裁判官を務めてもなお、総体としての裁判官たちの姿勢や考え方に、理解しにくい部分が数多く残っていました。まあ、だからこそ、筆名の本を書き、研究に打ち込み、大学人に転身することにもなったのですが。

でも、民事系の裁判官の場合には、よくない判決でも、まだ理由がわかることが多いのですね。たとえば、「裁判所当局がこわかったのだろうな」とか、「子どもが難しい時期に遠方に左遷されたりしたら困っただろうから」とか、「ともかく出世しかない人だから」とか、あまり立派な理由ではないかもしれませんが、まあ、想像はつく(笑)。

 また、ある意味、人間的な理由という面もないではないですね。ただ判例の大勢、無難で保守的な先例に事大主義的に従っているだけという場合が一番多いですが、それはそれでわかりやすい。

 ところが、刑事のかたよった裁判、たとえば恵庭OL殺人事件再審請求棄却決定などだと、もう、全然理解できない。その裁判長自体はちゃんとした裁判官にみえたのに、という声は弁護士からも出ていて、いよいよわけがわからない。1人の人間の人生が、その裁判の結果にかかっているわけですからね。

 それにもかかわらず、有罪推定どころか、可能性に可能性を重ね、無理に無理を重ね、何としてでも「有罪」という結論に到達しようと、なりふり構わず突き進んでいる印象を受けるのです。

袴田事件の証拠の脆弱性は明らかであり、無罪にしても検察、警察がそれを非難できるわけがない。

 恵庭OL殺人事件についても、再審請求における検察の主張立証は、事実上白旗を掲げているに等しいようなものであったといわれます。

だからこそ、よもやの請求棄却決定に、弁護団にも、報道に携わっていた記者やジャーナリスト、関心を抱いていた学者の間にも、戦慄が走りました。

 なお、今の質問については、第5章の、「刑事・行政・憲法訴訟等における裁判官たちの過剰反応の根拠は?」という項目で、僕に推測できる限りのことはまとめています。

Q:刑事訴訟も悲惨ですが、第5章の行政訴訟も本当にひどいですね。官僚にひたすら甘く、住民にひたすら厳しい。「地方議会の住民訴訟債権放棄議決是認判決」には驚きました。怒りを通り越して、これはブラックジョークですね。


瀬木:住民訴訟で大変な苦労をして住民と弁護士が勝っても、そうして成立した地方自治体の首長等に対する債権を、首長等と結託した地方議会がその議決で放棄してしまう。地方自治法96条1項10号(議会に権利放棄の議決を認めている)に基づく議決なのですが、この条文が放棄を予定しているのは、誰が考えても放棄が相当といった、たとえば形骸化した債権等であって、債権管理の効率化のための規定のはずです。

 先のような議決は、明らかに法の悪用です。それは、首長等の行った違法行為を議会が許すことを意味しますが、議会にそのような権限があるかは、誰が考えても疑問でしょう。


 実際、住民訴訟を規定する地方自治法を所管する総務省の一部局に近いとさえいわれる地方制度調査会(内閣府の審議会等の一つ)でさえも、さすがに、2009年6月の答申で、「このような債権放棄議決は住民訴訟制度の趣旨をそこなうことになりかねないからこれを制限するような措置を講ずるべきである」と述べていました。

 ところが、最高裁は、2012年に、このような議決について原則有効という判断をしてしまいました。「住民が勝っても首長の債務は帳消し。原則それでOKよ」ということです。「唖然、呆然の『債権放棄議決原則有効判決』」であり、弁護士や行政法学者からも猛反発がありました。

 住民訴訟で勝訴しても、地方議会が首長の債務を帳消し。これだけでもあきれ果てるのに、最高裁がこの決定にお墨付きを与える。日本の住民訴訟はもはやブラックジョークの極みに達したと、苦笑する瀬木氏
 ホント、ブラックジョークですよね。『黒イせぇるすまん』(藤子不二雄A)というブラックジョークの漫画がありましたが、あのセールスマンが漫画の「オチ」で下しそうな判決です。「住民が勝っても首長の債務は帳消し! ホーッホッホッホッ・・・・」と、彼の高笑いが聞こえてきそうですね。

 しかも、千葉勝美裁判長(裁判官出身)は、その補足意見で、債権放棄議決について、「住民訴訟がもたらす状況を踏まえた議会なりの対処の仕方なのであろう」と、「深い」理解を示しています。

 さらに、判決の判断枠組みには同調しつつも、「さすがにこの事案では下級審の結論(議決は違法)が支持されるのではないか」と述べた須藤正彦裁判官(弁護士出身)の意見に対し、これを執拗に批判しつつ、須藤意見は「裁判所が議会の裁量権行使に直接介入していると見られるおそれ」があるものだ、と論じているのです。

 すごいですね。ここまでくると、「黒いセールスマン」も恐れ入って退散してしまうのではないでしょうか。「さすがの私も、最高裁判事には負けました。もはやアートの域に達したブラックです」って。

Q:第4章では、政治家の圧力により名誉毀損損害賠償請求訴訟の認容額が一気に高額化したことが明らかにされています。しかもその後の判決はメディアにひたすら厳しい。最近は、質の高い調査報道でさえ訴えられれば名誉毀損訴訟で勝つことは至難といわれています。裁判官の権力追随判決で、私たちジャーナリストも随分と仕事がやりづらくなっています。

瀬木:これも、事実関係を調べているうちに呆然としてしまいました。裁判所当局が、政治家の突き上げに応えて2001年に司法研修所で御用研究会を開催し、御用論文の特集が法律雑誌に掲載され、その後、一気に認容額が跳ね上がっているのです。

さらに問題なのは審理、裁判のあり方です。

 たとえばアメリカでは、この種の訴訟については、表現の自由との関係から原告にきわめて高いレヴェルの立証が要求されており、2000年以前の日本の判例にも、同様の考慮はありました。

 ところが、近年の日本の判例は、被告の、記事の真実性、あるいは真実であると信じるに足りる相当性(たとえ真実ではないとしてもそう信じるに足りる相当な理由があれば免責されるということ)の抗弁を、容易なことでは認めなくなってしまいました。その結果、メディアの敗訴率は非常に高くなり、「訴えられればおおむね敗訴」というに近い状況となっています。

 それが、「最近は、質の高い調査報道でさえ訴えられれば名誉毀損訴訟で勝つことは至難」という状況なのです。これは、認容額の一律高額化以上に大きな問題です。いわば、「知る権利」の基盤が裁判所によって掘り崩されているわけです。

 「日本の裁判所は『憲法・法の番人』ではなく『権力の番人』である」という傾向は昔からあったのですが、それでも、ここまで露骨なことはさすがにかつてはなかったような気がします。

 また、こうした訴訟は、たとえ被告が勝つ場合であっても、莫大な金額の損害賠償請求を起こすことだけで、ライターや出版社を意気阻喪、萎縮させる効果があります。

 第5章で触れているスラップ訴訟、つまり、国や地方公共団体、あるいは大企業等の大きな権力をもった者が、個人の反対運動や告発等に対抗し、それを抑え込むことを目的として提起する民事訴訟、ということですが、弁護士から聞いたところによれば、その疑いのある名誉毀損訴訟もかなりあるということです。

Q:超絶望の判決群に本当にゲンナリしますが、大飯(おおい)原発訴訟など思い切った判決も出ています。特に、原発訴訟は大きく舵を切ったように見えますが?

大飯(おおい)原発訴訟は、司法が原発訴訟に対するスタンスを大きく変えたかのように報じられているが、瀬木氏は、最高裁による司法統制はそう簡単には変わらないと分析する(写真は白煙を上げる福島第一原発3号機)

瀬木:大飯原発訴訟の第一審差止め判決自体は、この裁判長の従来の判決が「大きな正義」を貫く方向のものであったことを考えるなら、一貫しており、基本的には評価すべきであると僕も思います。

ただ、原発訴訟一般についていえば、僕は、やがて原発運転差止めの判決が出ること自体は、ある程度予想していました。

 それは、第一に、福島原発事故後のこの時点では日本の原発がすべて運転停止中であって(もっとも、その中で、大飯原発だけは2012年7月から2013年9月までは稼働していましたが)、その意味では差止め(実質は運転再開禁止)がむしろ世論の動向に沿った判断だったからです。

 第二に、福島原発事故後の2012年1月にやはり司法研修所で全国の地裁裁判官を集めて行われた研究会で、裁判所当局が、原発訴訟について方針転換を行っているからです。

 こうした研究会を裁判官たちが自主的に行うことは120%ありえず、この研究会が、名誉毀損損訴訟に関するそれの場合と同様に、裁判所当局が表に出ない形で裁判官たちをコントロールするために開催されたものであることは、間違いないでしょう。

 最高裁事務総局は、1976年と1988年に最高裁で行った裁判官協議会では露骨に原発訴訟の方向を却下、棄却方向に統制しているのですが、原発訴訟に限らずそうしたやり方が批判されたことから、近年では、司法研修所の研究会で、よりみえにくい形で、同様のことをやっているわけです。

 僕がこの研究会について集めた情報から判断して、この研究会は、裁判所当局、最高裁事務総局が、原発事故を防げなかった裁判所やもんじゅ訴訟最高裁判決等に対して強い批判があったことから、裁判官たちの手綱を多少ゆるめるために開いたものとみてよいと思っています。

「おまえたち、世論がうるさいから、原発については、とりあえず踏み込んだ判断をしてもいいかもよ」というサインを出したということですね。

 もっとも、この研究会の開催意図やそこで示された裁判所当局の意向(研究会の中核発言者である一部裁判官を通じて示唆されたと思われるそれ)は、名誉毀損訴訟の場合のように明確なものではありません。政治と世論の雲行きを見ながら、原発容認の空気が強くなればまた路線を元に戻す可能性は十分にあると思います。

 ただ、もう一度確認すれば、大飯原発訴訟第一審判決自体は、判断の枠組み等には書物でも一定の留保は付けましたが、基本的には評価すべきものと思っています。

Q:そうですか。そうだったんですね・・・・。いや、真相をうかがうと本当に驚くしかありません。原発訴訟についてさえ、「ガス抜き」という権力側の要請が裏面で働いているのですね。最高裁事務総局による裁判官の裁判・思想統制の見事さは、さっきのお言葉にもありましたが、もはや芸術の域に達していますね。

瀬木:権力というのは、本当に強力で、したたかなものですよ。それは、正直にいって、権力の動き方を近くでみたことのある人間にしかわからないかもしれません

半沢直樹シリーズ(池井戸潤)という皆さん御存知の人気小説があって、僕も1冊だけ読んでみましたが、ああいうふうに、権力のほうから、「これからやっつけるよ」と言ってくれれば、反撃もできるでしょう。でも、たとえば裁判所当局は、そんなわかりやすいことはまずしません。

 都合の悪い判決や論文を書いた裁判官に対する報復や締め上げは、時間が経ってから、じわじわと、真綿で首を締め付けるように行われます。

 また、「こんなひどいことをしている」と指摘したところで、半沢シリーズの銀行みたいに簡単に非を認めたりはしません。『絶望の裁判所』に詳しく記し、『ニッポンの裁判』でも第7章、第8章で触れたとおりです。知らぬ存ぜぬで「静寂の嵐」のような沈黙を押し通すだけです。これでは、たとえ半沢氏が裁判官だったとしても、リベンジなどおよそ無理ですね。

 小説の悪口を言うつもりは全くありませんが、半沢直樹の「倍返し」は、とってもわかりやすいが現実にはありえないファンタジーだということです。権力というのは、そんな甘いものではありません。それは、基本的には、どこの国でも、ことに大国ではいえることでしょう。ただ、司法やジャーナリズム、あるいは学者等の知識人がそれを厳しくチェックしている国と、日本のようにそうでない国とはあると思います。

 「あとがき」にも書きましたが、現在の世界でシステムに対する有効、先鋭な批判を行っている人々のかなりの部分が一度はシステムの中枢に近い部分にいた人々であることには、理由があると思います。権力というものが、もはや、古典的な一枚岩の単純な存在ではなくなっているのです。的確な批判は、相当の情報をもっていないと、また、客観的な視点や構造的な理解を対象に対してもっていないと、できにくくなってきている。

「55年体制」を未だに引きずっているような古い現状認識では、現代の権力の問題を解き明かすことはできません。それは、僕の知っているすぐれた学者、法律家、ジャーナリスト等の一致した見解です。日本における左翼の著しい退潮には、そういう背景があると思います。

特に政治、行政や司法に関心のない人々でも、無意識のうちに、そういうことはわかっているのだと思いますよ。

Q:竹前最高裁長官等が敷いたといわれる思想統制と近年の司法の劣化はどの程度リンクしているとお考えですか?

瀬木:これは、『絶望の裁判所』に詳しく書き、『ニッポンの裁判』第7章でも裁判との関連からさらに掘り下げて分析したことですが、竹前長官を含む刑事系トップの裁判官たち(もちろん、これに追随した民事系の人たちも相当いました)が行った思想統制や情実人事の傷跡は深いですね。

 民事系の裁判官だと、たとえば権力志向、官僚的支配で有名な矢口洪一長官のような人でさえ、ある限度はわきまえるということがありました。たとえば、情実人事はまあまあの規模にとどめ、若手については従来どおりの能力主義を変えない、といったことです。

 日本の裁判所は閉じられた絶対主義的ヒエラルキーの、世界に珍しい裁判所組織ですから、そうした部分まで汚してしまうと、あっという間に腐敗してしまいます。ある意味、戦後長い間、裁判所が、保守の砦とはなっても決定的な腐敗まではしなかったということには、評価すべき点もあるのです。また、矢口長官も、彼なりのヴィジョンと実際の行動の乖離という人間的な問題を抱えていたという側面はあるでしょう。

 しかし、2000年代の刑事系トップの人たち、そして、これに追随した民事系の人たちには、もはやそうしたものすらなくて、先のような方針を下まで貫徹してしまった。これは致命的です。僕が、2000年代の半ばすぎには、「もう転身するほかない。現在の状況は全体主義国家からの亡命待ちの知識人と変わらない」と決意したのは、そういう背景があってのことでした。

Q:『ニッポンの裁判』では、判例とともに裁判長の名前が挙げられていますね。判例雑誌ならいざ知らず、一般書ではこれまで例がないことでは? 裁判官たちは戦々恐々の状態になるのではないでしょうか?

『ニッポンの裁判』は、難解な判例を、法律の基礎知識のない一般読者でも理解できるように『複雑明快』に書いた力作。2015年を代表する新書の一冊となるだろう

瀬木:僕が、『ニッポンの裁判』で、具体的な検討を行った裁判および重要と思われる裁判については裁判長の氏名を記すことにしたのは、第3章以下の裁判分野別総合分析に先立って、第1章、第2章で論じたように、「価値」に関わる訴訟の裁判には、裁判官の総合的な人格が深く関係しているのを考慮してのことです。

 それに、裁判官がその良心と憲法を含む法律に従って下すべきものとされ(日本国憲法76条3項)、「公文書中の公文書」ともいわれる裁判については、それらを分析、批判する場合に、その判断につき国民、市民に対して責任を負う者の氏名が記されることが、本来、適切でもあり、必要でもあると思います。

 また、僕は、よい裁判はよいと分析し、まずまずの裁判はまずまずであると分析していて、客観的な評価に努めていますし、論理一貫性や法律の趣旨をも重視しています。また、僕が消極的な評価を行った判決についても、わずかではあるが、良識派として知られる裁判官(元学者を含む)が裁判長となっている例があることも事実です。僕自身、あらためて裁判の難しさを痛感させられました。


 瀬木 比呂志(せぎ・ひろし)  一九五四年名古屋市生まれ。東京大学法学部在学中に司法試験に合格。一九七九年以降裁判官として東京地裁、最高裁等に勤務、アメリカ留学。並行して研究、執筆や学会報告を行う。二〇一二年明治大学法科大学院専任教授に転身。民事訴訟法等の講義と関連の演習を担当。

 著書に、『絶望の裁判所』(講談社現代新書)、『リベラルアーツの学び方』(ディスカヴァー・トゥエンティワン、近刊)、『民事訴訟の本質と諸相』、『民事保全法〔新訂版〕』、『民事訴訟実務・制度要論』(以上、日本評論社、最後のものは近刊)等多数の一般書・専門書のほか、関根牧彦の筆名による『内的転向論』(思想の科学社)、『心を求めて』、『映画館の妖精』(ともに騒人社)、『対話としての読書』(判例タイムズ社)があり、文学、音楽(ロック、クラシック、ジャズ等)、映画、漫画については、専門分野に準じて詳しい。

(転載貼り付け終わり)

副島隆彦

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多忙に付きブログを来月まで更新しません 
Friday, May 22, 2015, 11:26 PM
5/22 晴 22時 浅草の空間放射線量は29ベクレル/m^3

いろいろ書きたいことがあるのですが、今週と来週にかけて多忙でパソコンに向う暇がありません。来月まで更新を止めます。

とは言ってみたものの、更新しているかも・・・

店主
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Yahooに不正アクセス? Googleだって危ない 
Thursday, May 21, 2015, 06:39 AM
5/21 雷雨 6時 浅草での空間線量は28ベクレル/立法メートル

激しい雷雨で目が覚めてしまいました。寒い。
でも天気予報では今日は暑くなるそうです。

パソコンを点けて天気予報を見ようと、YahooにアクセスするとID<停止中>と標示されています。

なんのことかよくわかりませんが、どうやら有料オプションや通販が一切利用できないようです。

ヘルプを読むと、怪しいアクセスがあるために、一旦利用を制限しているということ。

はじめてログイン履歴というものを見てみると、そこには自分のパソコン以外に、スマートフォンやらタブレット、自分のIPアドレス以外からのアクセスが列挙されていました。

Webやメールを装ったログインの試みがなされていたことがわかりました。
Yahooはメールアドレスがそのまま初期設定ではIDとなりますからね。

フリーメールのアドレスはアンケートやメールマガジンで使っています

対策として、IDやパスワードの変更をしておきましたが、停止の解除には時間がかかりそうです。仕事ではYahooのサービスは使わないので実害はありませんけども、やはり不安ですし、信用が堕とされたようで気分が悪い。


みなさまもご注意下さい。
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「それから」に学ぶ「喰うために働くということは悪徳である」ということ 
Tuesday, May 19, 2015, 11:47 PM
5/19 晴 18時 浅草での空間線量は21ベクレル/立法メートル

近所の工事現場で大声でぼやいている年配の職人さんの話が面白いので聞き耳を立てていました。すでに定年で退職をして年金で暮らしているものの、人手不足でかつて働いていた会社でアルバイト(委託社員?)として駆り出されているのだとか。

そのぼやきと若手社員(新入社員?)の掛け合いは以下の通り

老「こうも安く毎日こき使われちゃあやってられねえなあ」
若「僕らも土日もないですよ」

老「よくまあ辞めないもんだなあ」
若「同期は辞めた奴が多いんですけどね。そうそう、この作業は大手の●●さんは機械を導入してやってるじゃないですか」

老「機械でやれば半分の人員で半分の日数で仕上がる仕事なんだけどなあ」
若「だったらウチも機械を導入してくださいヨォ」

老「ダメだ、ウチはぁ。一台いくらするか知ってるか、何百万円もするんだぞ」
若「でも、半分の日数と人足で仕上がるなら、導入したほうがいいんじゃないスか?」

老「おめえさん、この業界は何にもわかっちゃいねえな、食いっぱぐれている奴は一杯いるからさ」
若「手仕事でも熟練と素人じゃあ、仕上がりが違うでしょ」

老「一番安い機械は人手なんだよ、人でなんとかなるならそれで良し、ウチは昔からそういう体質さ」
若「・・・」


私も新入社員で働き始めた頃、先輩社員が終始不機嫌なので、若かったからその不満を訊ねたことがあります。
なんでそんなにつまらない態度なのかと。

「喰うためだよ、『働くことは辛いこと』にきまっておろーが!くだらんことを聞くな!」
その先輩の言葉に絶句しました。

労働=悪と捉えている一貫した態度に驚きました。そこには自己実現だとか、目的達成といった理念は一切ありません。
生活をするためだけに、出社して机に向っているという現実だけ。

上記の老若の職人の会話で25年前のことが思い出されました。

当時はまだパソコンやOA機器が充実していないので、売上を手作業で集計したり、一旦紙で打ち出されたものを再び集計するような二度手間があちこちで行われていました。

熟知していないとできないこともあって、ほとんど属人的な仕事ですが、仕事の意味としては会社の利益には関係ないことです。

上記の職人の仕事は、ボイラーの定期メンテナンスのようです。
高温・高圧になるボイラーは法定点検があり、定期的に検査が必要なので、それに従事している工員の会話です。

大小の違いはあれ、構造は似たり寄ったりで、その中に内視鏡や探査装置を突っ込んで、欠陥がないかを調べているのです。
そこで1人がボイラーの点検孔に貼り付いて、内視鏡や探査装置を指示されるままに差し込むというお仕事。もう一人は別室でモニターを覗いてあれこれ指示をだしています。

ところがリモートコントロール技術やロボット技術を使えば、2人一組ではなく、1人でもできるのです。
若手の不満は、単調な作業は大手は産業用ロボットがやっていて、自社は全く自動化の気運すらないということ。

そこにOB社員の現実的な言葉「この業界は機械よりも人手の方がコストが安いんだよ」

さらに、「喰うための仕事だから文句言わずに手を動かせ」と言われてました。
若者のモチベーションは上がりません。(25年前の若い私と同じ気持ち)

現代でも私の世代(団塊Jr、新人類世代)でも、喰うために働くという感覚よりも、自分のステップアップとして職業を選ぶ人が大半でしょう。

運が良ければ、会社で創意工夫の余地が認められて抜擢されるかもしれません。若いとオレも一目置かれる人物になってやると思うでしょう。

ところが、旧態依然を良しとするという超保守的な業界が日本においては大多数であるということにすぐ気づきます。
元コンピュータ屋であったので、20年前にOA化でお茶くみOLから部長・課長・ヒラすべてに批判されましたから。

便利になるし、すぐに確認できると説得しても、それじゃあ余った人手何をしてればいいのかと。

しったこっちゃねえよ!

要するに批判の理由はただ一つ、コピー以外に使い道のない女の子や算盤(そろばん)で集計する能力だけの営業所長や課長はどうするのかということ。失業したら可哀想だろという批判です。


朝日新聞には夏目漱石の「それから」がちょうど連載されています。

あらすじは主人公の長井大介という帝国大学を出ても就職することなく、実業家の父や兄に養ってもらって、引き籠もっている生活をしている若者の話。今日は同級生の平岡常次郎(失業中)からなぜ働かないのかと酔っぱらって絡まれている下りです。

「君は金(かね)に不自由しないから不可(いけ)ない。生活に困(こま)らないから、働(はた)らく気にならないんだ。要するに坊(ぼつ)ちやんだから、品(ひん)の好(い)い様なこと許(ばつ)かり云つてゐて、――」
 代助は少々平岡が小憎(こにくら)しくなつたので、突然中途で相手を遮(さへ)ぎつた。
「働(はた)らくのも可(い)いが、働(はた)らくなら、生活以上の働(はたらき)でなくつちや名誉にならない。あらゆる神聖な労力は、みんな麺麭(パン)を離れてゐる」
 平岡は不思議に不愉快な眼(め)をして、代助の顔(かほ)を窺(うかゞ)つた。さうして、
「何故(なぜ)」と聞(き)いた。
「何故(なぜ)つて、生活の為(た)めの労力は、労力の為(た)めの労力でないもの」
「そんな論理学の命題(めいだい)見た様なものは分(わか)らないな。もう少し実際的の人間に通じる様な言葉で云つてくれ」
「つまり食(く)ふ為(た)めの職業は、誠実にや出来悪(にく)いと云ふ意味さ」
「僕の考へとは丸で反対だね。食ふ為めだから、猛烈に働らく気になるんだらう」
「猛烈には働(はた)らけるかも知れないが誠実には働(はた)らき悪(にく)いよ。食(く)ふ為(ため)の働(はた)らきと云ふと、つまり食(く)ふのと、働(はた)らくのと何方(どつち)が目的だと思ふ」
「無論食(く)ふ方さ」
「夫れ見給へ。食(く)ふ方が目的で働(はた)らく方が方便なら、食(く)ひ易(やす)い様に、働(はた)らき方(かた)を合(あは)せて行くのが当然だらう。さうすりや、何を働(はた)らいたつて、又どう働(はた)らいたつて、構はない、只麺麭(パン)が得られゝば好(い)いと云ふ事に帰着して仕舞ふぢやないか。労力の内容も方向も乃至順序も悉く他から掣肘される以上は、其労力は堕落の労力だ」
「まだ理論的だね、何(ど)うも。夫で一向差支ないぢやないか」
「では極(ごく)上品な例で説明してやらう。古臭(ふるくさ)い話(はなし)だが、ある本で斯(こ)んな事を読んだ覚えがある。織田信長が、ある有名な料理人を抱へた所が、始めて、其料理人の拵(こしら)へたものを食(く)つて見ると頗(すこぶ)る不味(まづ)かつたんで、大変小言(こごと)を云つたさうだ。料理人の方では最上の料理を食(く)はして、叱(しか)られたものだから、其次(そのつぎ)からは二流もしくは三流の料理を主人(しゆじん)にあてがつて、始終褒(ほ)められたさうだ。此料理人を見給へ。生活の為(ため)に働らく事は抜目(ぬけめ)のない男だらうが、自分の技芸たる料理其物のために働(はた)らく点から云へば、頗る不誠実ぢやないか、堕落料理人ぢやないか」
「だつて左様(さう)しなければ解雇されるんだから仕方があるまい」
「だからさ。衣食に不自由のない人が、云はゞ、物数奇にやる働(はた)らきでなくつちや、真面目(まじめ)な仕事は出来(でき)るものぢやないんだよ」
「さうすると、君の様な身分のものでなくつちや、神聖の労力は出来ない訳だ。ぢや益(ます/\)遣(や)る義務がある。なあ三千代」
「本当ですわ」


夏目漱石の風刺は現代でも鋭いといわざるえをえません。

喰うために働いていては一流の仕事はできない



私も25年前の社会人になりたての頃、普通に安月給でぴーぴーしてましたが、、安月給の会社で幅を効かせていたのは、社会勉強代わりに勤めている、地主の息子やどこぞの中小企業の跡取り達(笑)
同い年でも既に都心にマンション+新車スポーツカーと就職時から恵まれているのです。

仕事は自分のホビー(趣味)の1つと広言してはばかりません。
そりゃ食うに困らないからそりゃそうだ。

会社が購入しない機器を自分で購入して、会社で見せびらかしてました。損得勘定では馬鹿げた話です。

ただ「坊ちゃん社員」は私は嫌いでは無かったです。喰うために働いているのではないから、動機がピュア(純粋)なんですよね。
仕事自体が大好きで、そこから繋がる人脈こそが大事と考えているからです。

今日の職人の会話を聞きながら、同じ業種で同じ規模の会社があっても、中身は全く異なる会社があるということ。
それは入社してみないとわからないのです。

就職した会社の良し悪しなどはくじ引き程度のもの



イノベーションを産み出すことができるかできないかは、トップや経営者の考えです。
そして喰うためだけに存在している会社は社員も不幸です

たった数百万円の投資を若手に任せられないといった

「貧すれば鈍する」という社風の企業は社会悪だ



と思います。夏目漱石は106年前に、資本主義下の労働の問題を洞察していたのです。

だから私はベーシック・インカム制度はあんがい悪くないかもしれないと思っています。
だらしなく生きる奴はほっとけばいい。

改革、変革は食と住が満たされていなければ起こりえない



やる気のある奴の足を引っ張るだけの、若い人材を潰すだけの企業や経営者は退場すべきだと思うのです。


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TaxEaterとTaxPayerという人種が日本にはいるのです 
Monday, May 18, 2015, 10:36 PM
大阪市の解体・存続の住民投票はわずか1万票差で反対が勝ちました。
開票速報を見ていると生活保護+高齢化の区は解体反対、新規流入+若い世代の区は大阪市解体賛成と別れました。

大阪市はこれからもずっと貧乏で汚い街



結果ではこのままで良いという結果になりましたから、すべて存続です。

べつに東京に住んでいるので大阪のローカルな話題などどうでも良いのですが、土地勘があるのものですから興味深く、もっともエンターテイメントとして開票速報を眺めていました。

大阪市は関東で例えれば神奈川県川崎市のようなもの



川崎市は広い市なので、富士通といった大手企業の本社があったり、多摩川にかけてあこがれの高級住宅地もあれば、今朝もドヤが焼けて生活保護者がたくさん焼け出された地区というニュース(はっきり言って誰も気にも留めないけど)が混在する地域です。

マンションに囲まれたドヤ地区だということで、放火の疑いもあるのですが、川崎駅から外れた地区はソープランドの隣にホテルが建っていたり、ビジネスホテルを挟んでヤクザの事務所があるといったカオスな場所です。

地元の人にとっては「あーきれいになった」というぐらいしか思ってないの。(これホントに聞いたこと)

大阪市もまさにそれ。

淀川河口の区だけが大阪市解体反対の票が多く、他の区は均衡もしくは賛成票が多かった。

老齢世代、生活保護世帯が多い区は反対票だったのです。

一説によると、大阪市が解体されるとバスや地下鉄の無料パスの廃止や生活保護費が減額されるという懸念からだとか。

私も大阪出身なので、開票速報の地区が発表される度に、その住民の雰囲気が掴めます。

大阪市に他府県から流入が多い地区では賛成か均衡でしたが、大阪の人間でさえ「住みたくないなあ」という地区は見事に反対が多数でした。正直なところ嫌悪感しか感じませんでした。

大阪市解体反対はタックスイーター、賛成はタックスペイヤー



ようするに「社会のお荷物」だけが反対票を投じたと言うこと。

私は思うのですが、お先もない人たちに、端的に言えば税金を食い潰す人たち(公務員も含む)には、はたして投票権はあるべきなのでしょうか。

自分が生きている数年さえよければいいという結論しかないですから。もちろんこれも個々の合理的な選択です。

否決の速報を見て大阪市民は可哀想だなあ

なぜなら、税金を払う人たち(高所得者や企業法人)のお金が結局は景気対策や活性化に費やされることなく、大阪府と競業する大阪市役所の役人とヤクザな方々、生活保護者への支払いに消えて無くなるのですから。

私の感覚では、大阪市は名古屋はおろか、仙台の賑わいにも負けているような気がします。
もちろん同じ政令指定都市の横浜にも勝ってはいません。
どちらも歴史で出てくる場所もあれば、歓楽街もありますが、観光で訪れるのであれば横浜に軍配が上がります。

大阪市は(ついでに堺市も)面で観光するにはとてもつまらない。汚い景観に点在しているだけで、何度も訪れたいという人はいないでしょう。

なんとなく大阪に近い感覚は「さいたま市(浦和+大宮)」です



だサイタマ〜(さいたま市民のみなさんごめんさない)

東京に住んでいると、大阪市なんて存在は大宮か川崎に近い存在です。

ヤクザと貧乏人、在日外国人ばかりが目立ちます。ここ浅草もそうですけど(爆)

違いは東京の水道水は旨いけど、大阪市の住民はこれからもずっと京都市民の屎尿処理水を飲み続ける事が決まったわけです。

大阪市民の皆さん、お身体をお大事に。
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浅草の三社祭 二日目 
Sunday, May 17, 2015, 01:18 PM
5/17 晴 10時 浅草での空間線量は17ベクレル/立法メートル

昨日は肌寒い曇り空でしたが、今日は暑いぐらいの快晴で、早朝からお囃子が鳴っています。家の前では本社神輿の前に太鼓が鳴り響き、部屋の中でも地響きしてきます。
近くで見ると身体にずんずん響きますよ。


11時に家の前を神輿が通ります。神輿は左右に練り歩くので建物からは出られません。
子供連れでの見物はあぶないので、建物の中や離れたどころからか後から見物することをお勧めします。道路の脇にいると担ぎ手が押し寄せてきますから。

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浅草の三社祭 
Saturday, May 16, 2015, 02:40 PM
5/16 曇 10時 浅草での空間線量は16ベクレル/立法メートル

今日明日と神輿があちこちで練り歩いています。
老若男女、法被にステテコ姿で決まってますね。今日は肌寒い天候なので熱気は今ひとつ。
明日は盛大に盛り上がるでしょう。


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大規模リコールで自動車会社の経営が傾くことはない理由 
Friday, May 15, 2015, 12:29 PM
5/15 晴 10時 浅草での空間線量は12ベクレル/立法メートル

以下、勝手な私の妄想です。自動車業界や市場といったものは全然わかりませんから、数字の意味だけを捉えた思考実験のつもりで読んでください。

ホンダとダイハツが2004〜08年頃に生産販売された車両のリコールを199万台として14日に追加発表しました。これで二社は600万台、これまでの2000年以降の対象車を合わせると1960万台分となるそうです。

トヨタ、日産も2003年〜08タカタ製エアバック装着車合計164万台を13日に国土交通省に届けています。ホンダのように訴訟が起きる前に対象車両を届けておく、いわば予防的措置です。

この年式は国内では3回目の車検を迎える頃ですから、中古で値段がつく間にうっぱらって新車の頭金にしようと考える頃です。10年落ち以降は人気車でもないかぎり、値段は付かず逆に処分料を払うことになりますから。

だいたい一回目(3年落ち)の車検時で購入価格の半額、二回目(5年落ち)で更に半額となりますが、人気の度合いやブランドで多少上下するようです。

7年落ちだと200万の車でも20万円程度です。これが下取り価格となり、ふたたび中古車市場で二、三倍程度の値札が付いて流通していきます。

もっとも私は中古車しか買ったことがないから、下取り価格などは気にしたことがないです(笑)
壊れないこと、維持費が安く修理がしやすいこと、玉が豊富であることという視点しかないです。それよりも東京ではレンタカーで十分です。

昨日、一昨日の自動車メーカーによるリコール台数の発表を読んで、200万台とか2000万台とかいう数字だけの感覚では、自動車メーカーは車を生産するよりも、修理交換で忙殺されるのではないか?という感覚になります。こりゃ経営に大打撃だろうなと普通は思うでしょう。

でも、対象の7年落ちの車が100万台が国内で走っていたとしましょう。そのうちディーラーに出して修理してもらう台数はいくらぐらいあるのでしょうか。
法人の所有車ならば間違いなく買い換えしてしまうでしょう。(新車の法定耐用年数は6年)
つまり5年を過ぎたら、翌年からは減価償却費を計上することができません。それなら買い換えたほうが支払う法人税面でもメリットがあります。

中古車屋では5年落ちあたりのリース切れ(法人所有の車)がよく並んでいるのはそういうことです。
逆に成金が中古のベンツを好むのも、中古車は減価償却期間が短いので節税効果が高いからと、リセールバリューが良いからです。

普通乗用車の平均使用年数は現在では12年程度、これは自動車登録検査協会という外郭団体が国内で新車登録から抹消された期間の平均値で、早い話がお釈迦になって鉄屑になったか海外に輸出されたまでの平均年数です。
参考URL:http://www.airia.or.jp/publish/statistics/trend.html

中古車雑誌のアンケート調査では1人の平均的な所有期間は8年程度という結果となっています。これは下取り価格が付く内に買い換えるという消費傾向があるからです。ですから平均的な自動車の一生は1人のユーザーが6〜7割の期間を乗って、残りの3割〜4割の期間を次のオーナーが使って廃車(屑鉄となるか輸出される)となります。

平均的な使用年数の標準偏差がわからないのでなんともいえませんが、車検期間2年を加えて14年超、16年超の自動車は9割以上は廃車されるでしょう。
なぜなら日本では

13年目以降の所有は自動車税が懲罰的に割増になるから



ですから2002年以前の自動車は国内では個人売買以外は流通もしません。スポーツカー愛好者が趣味で保有しているぐらいでしょう。(ラリーで人気を博したスバルインプレッサ、三菱ランサー、パジェロとかフェアレディーZなど)

2003年〜2005年あたりの自動車は乗り換え(廃車)時期なので、この期間の車はエアバックのリコールを発表したとしても車検前に買い換えか廃車となるでしょう。ディーラーが下取った車は即屑鉄となるでしょう。修理するよりもコストがかからないから。

となると国内で登楼されている2000万台が対象となっていても、実際に工場で修理を受けるのは数割の個人所有者でしょう。
たとえば2000万台中、7割が個人所有として、さらに3割が10年超でも乗り続けるとしたら、2割の400万台です。
オーナーが何人も変わってディーラーが連絡を把握しているのはさらに少ないでしょうし、自分の車がリコール対象として修理にいく人がさてどれくらいの割合でいるでしょうか。

勝手に妄想して、2割(5人に1人)程度とすると80万台でしょう。それでも膨大な数ですが、国内の新車販売台数はざっくり普通車100万台、小型車100万台の計200万台程度ですから、なんとか順繰り修理はこなせるかもしれません。

でも私がセールスマンなら買い換えを勧めますね(笑)



「残価がほとんどない自動車を乗り続けるよりも、ローン利率が低く月々の支払いが少ないときに5年目か8年目に売払えば3割程度のキャッシュが戻ってくるのでトータル金額は変わらないか、逆に儲かっちゃいますよ・・・さらにウン十万値引きますから・・・」なんて囁けば、けっこうな割合で「それじゃあ新車に買い換えるか」となるでしょう。

となると6割ぐらいが買い換えてしまって、4割が修理対象で実際にエアバック交換となったとしたら30万台程度でしょうか。

2000万台中、実際にエアバック交換を受けるのは30万台(1.5%)程度



私が自動車メーカーの経営者なら、買い換え促進のスキームをつくるでしょうね。具体的にはゼロ金利ローン、大幅値引き、下取り価格の割増、一回目の車検代負担といったもの。

ですから200万台とか150万台のリコールといっても8年落ち、10年落ちのリコール対象車で工場に入るのは国内では5000台〜1万台程度に過ぎないと言えます。

「災い転じて福となす」が自動車市場に押し寄せるだろう



今道路を走っている少なくとも80万台が半ば強制的に買い換えの対象となるのですから、経済効果は大きいです。
私が自動車の経営者かセールスマンだったら、千載一遇として買い換えの強化策を全面に押し出して、一気に占有率拡大を目指しますね。

『余剰の時代』において、消費の理由はどうでもでも良いのです。

古いのは危ないよ、怪我するよ、それよりも自動ブレーキ付きの新型車が安全安心ですよ



こう煽って買い換えのお得感を出せない経営者は無能です。
自動車会社、特にホンダの経営動向に注目しておきます。

株取引はやっていませんが、自動車部品メーカーのタカタは私は買いだと思います。
(追記:買残が大きく(売残の1.8倍)この貸借倍率が低くなるまでは買えませんね)

現在において乗用車はコモディティー(消費物)ですから、具合悪けりゃぶっ壊した方が景気対策になります。
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集団的自衛権とは軍事同盟下では当たり前の行動なのに 
Thursday, May 14, 2015, 10:05 AM
5/14 晴 12時 浅草での空間線量は10ベクレル/立法メートル

言葉を翻弄して煙に巻くことは日本の知識層・支配者層の得意芸でして、全く真逆なイメージを愚民に植え付けることに今まで成功しています。

自衛隊という欺瞞の名称を頂点に、日米軍事同盟を日米安全保障条約とソフトイメージにすげ替えたことが、防衛という重要な国家要件を国民、政治家がテンでバラバラに解釈することになったのです。

自衛権は国土・国民が他国より攻撃されたら反撃する権利で、これは国際社会、国連において認められている行為です。軍事同盟締結国間では、どちらかでも攻撃されたら同盟国が反撃するのも国際社会では常識的な行動とされてます。

ですから本来であれば北朝鮮が日本人を日本国内で拉致していったことに対して、日本政府は北朝鮮に対して軍事行動を通告しても国際的には非難される謂われはないにも関わらず、返せ返せと国内で騒ぐことぐらいしかしていなかった。

世論が騒ぐと、万景峰(マンギョンボン)号の寄航禁止、経済制裁と称して高級品の輸出禁止(誰が買うのか)と国内向けポーズに過ぎない態度でしか示さなかった。横田めぐみさんのご両親は切歯扼腕(せっしやくわん)の思いでしょう。

海外から見れば日本は自衛権の放棄までしてしまったのかと見られたとしても不思議ではない。

それが結果的に良かったのか悪かったことなのかは私にはわかりません。国家問題は個人の問題ではないからです。

弱虫・腰抜けを装うのも戦略上は大切なことだからです。

そして日本はアメリカの属国として国家意志を持たされることなく、存続してきたという現実があります。

在日米軍基地、とくに沖縄の米軍基地の撤退を求めるからには沖縄県知事はその後のロードマップを示さねばなりません。

軍事バランスの要である沖縄が独立してキューバのようにアメリカに刃を突きつける存在のように、中国をバックに日本と米国への攻撃拠点となりたいのでしょうか。

沖縄県民が米国に蹂躙されてきた怒りは私も理解します。が、その怒りの矛先は日本政府なのか?というと、それは違うでしょ。占領している米軍基地そのものに向けるしかない。
となると、軍事指導者を招いて

反対住民は武装蜂起して内戦で決着するしかない


結局は中国と米国の代理戦争が沖縄で起こることになるのです。

米軍基地の撤退を要求したら、そこが戦場となってしまうということ。最近ではフィリピン駐在の米軍撤退で南沙諸島に中国軍事基地ができてしまいました。紛争地域のリスクが高まりました。

沖縄だけではなく台湾だって軍事危機が高まりますし、臨戦態勢となるでしょう。

これが昨日の「合成の誤謬(ごうせいのごびゅう)」という悲劇です。軍隊のない世界は良い世界と思っていたら、凄惨な世界になってしまうといった真逆の結果になるのです。

発電所や火葬場、ゴミ焼却場といったいわゆる迷惑施設全般でも言えることです。反対運動の結果、離散していっそう荒れた僻地に戻ってしまうだけ。成田空港なんて世界一不便で高い空港もそのようにして出来上がりました。

日米軍事同盟下での具体的な行動を明記した安全保障法制(安保法制)が本日成立します。

軍事同盟下において双方が契約内容を明確にするのは当然のこと



欧米は契約社会だと呆れる態度をとる日本人がいますが、いまでも法治国家における契約の概念が新聞の論調にさえ稀薄です。

昨日の小室直樹の数学講義の話のつづきですが、契約とは同意事項とそれ以外の集合概念しかないのです。

よく言われるようにプロスポーツやエンターテイメントビジネスでの契約条項は微に入り細に入りと、怪我から死亡の場合、移籍条件からスポンサーにまつわること、日常生活や家族のことまで記されているそうです。

だから代理人や弁護士を専属に雇ってチームと選手互いに守られているかを見届けなければならないのです。

逆に契約に明記されていなければ、何をしても問題はない。

松井秀喜選手がNYメッツのときには僚友のジータ選手の車に同乗させてもらっていたそうです。契約では球場までの移動は自動車を利用することと明記されており、たいていの選手は自家用車で球場に行っていたそうです。これは球団の危機管理の一環なのでしょう。

ところが松井選手は誰の車とは示されていないからよく相乗りさせてもらっていたのだとか。
高額年棒選手の二人が一台の車に乗ることは本来ならば条件の趣旨に外れているのですが、契約ではなんの問題もないとテレビで松井自身が語っていました。

安保法でリスクが高まる危惧は契約概念から逸脱した珍説



卵が先か鶏が先かという論争と同じ構図が、アカヒ新聞から漂っています。
軍事行動を明記したら、その未来が見えるとばかりに識者と呼ばれる人々が掻き立てて煽っています。

「戦争」という言葉があるから戦争になると頭から信じている「言霊信仰」そのものです。

松井やイチローといった大リーガーの契約書には故障や不振といった忌み嫌われる言葉までが列挙されているのが普通です。
移籍条件まであらかじめ示されているのも、あとで揉めないための布石です。

互いに起こりえる問題をあらかじめ想定しておくことは集合論に基づく契約では当然の行為。

それがなぜオカルト的な呪詛の文句のように捉えてしまうのか私には理解できません。

言霊信仰は土人の思考そのもの



リベラルな思想に感情論をまじえた言霊信仰の組合せは最低最悪な思考しか導き出されないと強く思います。

過去ログ:各国の我慢比べの様相がはっきりしたということ(衆院選総括)
争点にはならない原発問題 野党の多くは原発再稼働反対の実状
CSIS(戦略国際問題研究所)の設立母体はイエズス会であった
第一次世界大戦はなぜ起こったのか
リバータリアンはナショナリズム(民族主義)ではない!むしろ究極のリベラルである
韓国を捨てて北朝鮮を自営に引き入れることは理にかなう
中露「薩長同盟」VSアメリカ「幕府」という見方
政治中枢の怨霊信仰を知らなくては歴史はわからない
アメリカ国防総省の意見はこれ (食い違う国務省)
日本を動かす黒幕マイケル・J・グリーン 集団的自衛権とはずばり”日米軍事同盟”のことである
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数量化という概念が理解できていない人物の戯言は日本に悲劇的な結末を招く 
Wednesday, May 13, 2015, 06:24 PM
5/13 晴 12時 浅草での空間線量は9ベクレル/立法メートル

久しぶりに朝から通勤電車に乗りました。
上野駅が高崎線(東北本線)の途中駅になったので、横浜方面に行くのは乗り換えなくていいのはいいですね。
上野からは30分ちょっとで横浜にいくことができます。

電車もビルもクーラーが動いていて涼しくてついつい眠くなります。

電車の中で小室直樹「数学を使わない数学の講義」(ワック 2005年 1982年「超常識の方法」の再販)を読み終えました。
最終章が「数量化の意義」というタイトルの内容で、ある対象を数字を使って表わすことを考えついたことがどれだけ影響を及ぼし、また逆に判断の阻害になってきたのかが説明されています。

数量化とは、たとえば温度計や気圧計の目盛りであり、デカルトが位置を座標で表わす手段を発明したことで、ニュートンやライプニッツが微分積分を、さらには速度・加速度といった概念が生まれました。

そこから物理学の運動量やエネルギー、角速度、エントロピーといった概念が産み出されていきました。

普段の生活では温度は暑い、快適、寒い、すごく寒いと感覚的に表わしても支障はないはずです。
今日みたいな30℃の真夏日は誰もが暑いわけで、夏と同じぐらい暑いと言えば誰もが理解できます。

昨日の台風でも980ヘクトパスカルと言われるよりも、傘がさせないぐらいの風雨が夜半までつづきますと言われた方が実感が湧きます。

なのになんで身の回りの事象をわざわざ数量化するのでしょうか。

・・・学者が研究しやすいから・・・

それだけ(笑)小室直樹によれば

数量化は学者のための「作為の産物」です



社会科学においても同様に、国民所得などは経済学者が統計を駆使して産み出したものですし、知能指数は心理学者の発明品、偏差値なんてのも受験産業の発明品です。

数量化の意義とは
A,B,Cの値を比較し序列(例:A>B>C)にすることができる(推移律が成り立つ)
足したり引いたり割ったり掛けたりできる(四則演算)
E喟擇譴襪海箸覆つづいている(連続性)

上記の3つの条件が揃って初めて「数量化できた」と言えるのです。

※知能指数100の人間が3人集まっても知能指数300になるわけではないので、知能指数は数量ではありません。また偏差値で受験生の序列ができないので数学的な意義はないのです。

小室直樹は数量化できない例として「美人度数」や「男性の精力指数」さらには「武道の段位」と「囲碁将棋の段位」といったものを挙げています。

数学的な解釈とは厳密に数量化されていなくてはならない


3条件を公理と言いますが、この3つの公理で19世紀末から解析学(微分積分)から物理学、統計学と裾野が広がっていったのだということです。

ところが、日本においては数学的な解釈を放棄した”日本独特の数量化”がまかり通っています。

代表的なものは入学試験であり、数学や英語などの合計点数で合格者数を選ぶというやり方は、きわめて数学的発想からは遠いものと指摘しています。

柔道5段+空手3段+将棋2段=合計10段と言っているような物

英語の点数と数学の点数と歴史の点数を合計しても、そこに何の意味もないということ。


物価指数やGNPははたして数学的な数値なのか?



社会学者でもある小室直樹は、国民生活の指標である物価指数やGNPにも懐疑的です。経済指標は数量化の定義に当てはまるかの検証が無い限り、眉唾であると指摘しています。

たとえば物価指数はいくつかの商品の市場価格の平均値を指しますが、ダイヤの値段と野菜の値段の合計平均としたら、
ダイヤ99円、野菜1円で物価指数50の場合とダイヤ50円、野菜50円で物価指数50の場合とでは、国民の生活感覚ではものすごい物価高に感じるでしょう。

GNPの国際比較においても、生活必需品は安いが工業製品が高い農業国と、家電や自動車といった工業製品は安いが食料品が高い工業国と単純にGNPの大小を比較しても、それはその国民の生活水準を示すものではないのです。

数量化における基準や座標軸が曖昧だからです。

もっと困ったことに、曖昧模糊な”日本独特の数量化”は数学的な基礎ともいえる集合論の理解を阻害していると小室直樹は指摘しているのです。

さきほどのGNPを例に取ると、「中国が日本のGNPを抜いて世界二位になった」という命題が掲げられたら、はたして

「中国人の生活水準が日本人を抜いた」「中国の全企業が日本の全企業の売上高を上回った」と言えるのでしょうか?

成り立つわけがないのは自明です。集合の全体と個々の要素(上記の例ならば生活水準や企業活動)にわたって成り立つ命題ではないということ。

国家という括りなのか、国民という括りなのかを集合概念で明確に区別しておかないと、理解や判断を誤ってしまう危険性があるということです。

これは社会科学で言う「合成の誤謬(ごうせいのごびゅう)」(fallacy of composition)というジレンマが生じてしまうのです。

「合成の誤謬」とは個人個人が合理的な選択をしても、社会全体では合理的選択となるとは限らないということです。

たとえば、BよりAを好む、CよりBを好むという条件が成り立てば、A>B>Cとなり必ずCよりもAを好むことが成り立ちます。
ところがBよりAを好み、AよりもCを好み、CよりもBを好むといった三竦みの状態(A>B、C>A、B>C)では推移律が成り立たないので、合理的な選択をしたところで、結果は不合理なものに落ち着いてしまうことがあるということ。

選挙の比例代表制などはその良い例です。自民党は嫌いだけど、共産党と自民党を比べたら自民にするとかいった投票行動です。

社会学者の小室直樹らしい説明ですが、もっと簡単に言うと

投票行為とは『こっくりさん』遊びと一緒ということ



10年玉で三人が人差し指を押しつけると3人の意志とは全く関係ない方向へ動いてしまうというあの遊びです。
これが合成の誤謬。物理的に言えば「三方向のベクトル合成」ということ。

国民でも考え方や立場はそれぞれ違うし、政治家(政党)でも立ち位置はそれぞれです。ですからそれぞれが「合理的な選択」(rational choice)をしたところで、社会全体では不合理な社会となっても不思議ではないということ。

これをアローズ・ジレンマ(社会学者ケネス・ヨハネス・アロー:1972年ノーベル経済学賞)といいます。


社会科学者には、数学を知らない人たちが多いために、社会的要求とか社会的要請とかいう言葉を口にする際に、それが社会全体の要求、要請なのか、社会の個々の人間の要求、要請なのかということを明確に区別することがないと言ってよい。したがって、いつも何を言っているのか、その論旨がまるではっきりしない。

 もっともわかりやすい具体例としては、戦争のことが挙げられよう。この問題については、拙著『新戦争論』(光文社刊)で詳述したが、戦争とは、いうまでもなく国家間における戦いである。したがって、各個人がどうこうできるという性質のものではない。だから国民の一人ひとりはことごとく戦争を望んでいないとしても、国家自身が戦争を欲することはあり得る。

 つまり、「戦争をする」という行為は、国家の命題であって、個々人の命題ではない。日本には、それをまったく理解せず、一人ひとりが「平和、平和」と念仏のごとく唱え、祈っていれば、平和がくると信じ込んでいる、いわば平和念力主義者たちがあまりにも多い。

 私は、「戦争が国家の命題である」ということをわかっていないそうした人たちことが、偽りの平和論を煽り、国民に真に有効な安全保障の対策を立てさせない、まことに危険な存在だという立場から、あえて『新戦争論』の副題を「”平和主義者”が戦争を起こす」としたのである。

常識的な考え方では、皆がいい人になれば、社会全体がよくなり、また、すべての人が平和を欲すれば戦争は起こらない、という意見が正しく見えても不思議ではない。しかし、数学的論理に従ってきちんと検証してみれば、今述べたとおり、そんなものは嘘っぱちだということが、すぐにわかる。その意味でも、数学の論理というのはきわめて貴重なものなのである。また、さまざまなオピニオン・リーダーたちの一見まともに見える見解に惑わされることなく、社会現象の真の姿をとらえ、自分自身の判断をもちたいと思う人には、なくてはならない武器だといえよう。
(小室直樹「数学を使わない数学の講義」巻末から抜粋)


沖縄基地反対者の抗議活動、原発稼動反対論者、集団的自衛論、オスプレイ配備で騒ぎ・・・新聞やNHKが扇動的に報道するものほど、我々の個々の問題ではありません。

国家命題を個人で解決できると思うことは愚の骨頂



個人でできることは、米軍基地が嫌なら引っ越すとか、原発が嫌いなら自家発電で賄うといったことぐらいしかできませんし、そのような啓蒙運動をすることが独立した大人の思考です。

たんなるわがままを言い合っているだけならまだ許せますが、補償金のつり上げや騒乱で利を得る国家のエージェント、政治的な駆け引きとなどなど、

国家命題に喰い付く輩など碌な奴ではない



テレビで反対反対と騒動を起こしている人には同情もしなければ、近づきたくもありません。問題を大きくしているだけの張本人たちですから。

過去ログ:数学的思考の根源は「集合論」つまり仲間か仲間ではないかということ
近代思想は数学知識前提である「数学を使わない数学の講義」(小室直樹)
3分で読む小室直樹「新戦争論」(学問道場版)
小室直樹「新戦争論」を今こそ読む(5)  国際社会と国家を理解することが真の平和主義
小室直樹「新戦争論」を今こそ読む(4)  国連を国際社会と混同する文化的原因
小室直樹「新戦争論」を今こそ読む(3) 国連の幻想と国境の思想
小室直樹「新戦争論」を今こそ読む(2) 言葉を翻弄したことで文明史を曇らせた
小室直樹「新戦争論」を今こそ読む(1) 平和主義者が戦争を引き起こす
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