新天皇を名乗った平将門、カリフを名乗るイスラム国指導者との相似 
Monday, February 9, 2015, 03:59 PM
2/9 曇 10時 浅草での空間線量は9ベクレル/立法メートル

昨日は大手町の三井物産本社の脇を通りました。
私にとっては珍しくないのですが、同行者が一度も立ち寄ったことがないというので、将門(まさかど)の首塚に久しぶりに訪れました。

平将門(900年頃〜940年)は平安時代に関東一帯の武士(東武士)たちを束ねて朝廷に自らが天皇の正統な後継者であると名乗り反乱を起こしました。平安時代は藤原氏が権力を握っており、天皇家の血筋である平氏であっても職にあぶれて冷遇されているわけです。
関東でくすぶっている反対勢力を束ねて藤原氏への反逆を試みますが、討ち取られてしまいます。

反逆者として京都で晒された首が、怨念で下総(しもうさ:現在の千葉県北部から茨城県あたり)に飛び去ったのですが、途中で力尽きて、神田に落ちたという伝説です。
そこで神田明神が建立され、また落ちたところが将門の首塚として現在も祀られています。

そこで銘文を読んでいて、新たに気付いたことを書きます。

天皇と将軍の藤原一門の統治体制から根こそぎ関東に統治機能を奪うために、将門は「新天皇」であると宣言したわけです。天皇であるから東武士は自分に味方せよと村々を触れ回って、反乱軍を組織したわけです。

イスラム国(ISIL)の指導者とまったく同じ行動だ



日本人には一神教というものがなかなか理解できないかと思います。
ついついゴッド(GOD)を神と訳してしまいますが、日本語の本来の神とは呪い師、占い師のことです。古代では卑弥呼が神ですね。素戔嗚尊(すさのおのみこと)や天照大神(あまてらすおおみかみ)も日本書紀では神のひとり。

日本の神話に対して、あちらのGodは代替わりなんかしません。そもそも生命体ではないから。唯一神として絶対視するのが一神教です。

日本では神さんの正統者として天皇家が存続しています。天皇家というのは海外から観れば、国王なのです。
国王を戴く統治形態を王国・公国・首相国(たぶんひっくるめてKingdom)と言いますが、国王が居ない国は共和国(repubulic)となります。

フランスとドイツ以外のヨーロッパ諸国では政治的実権がなくても形式的に国家の顔として王族が存続しています。
なぜかというと、建国者の血筋ということで国民の理解が得られるかけがえのない存在だからです。

中東シリア・イラクに跨るイスラム過激派組織イスラム国(ISIL)はバグダティという人物がカリフであると宣言し、設立したと言うことになっています。カリフとは預言者ムハンマドの後継者という意味です。

預言者というのは神の言葉を授けられた者という意味。
キリスト教での預言者はもちろんイエスですし、ユダヤ教において世紀末(世界の終り)に新たな預言者が現れるという信仰がキリスト教です。

かつての日本では神道において天皇がカリフ、つまり預言者の地位です。天皇ご自身から宗教的な発言がなくても、期待されている役目的なものは同じです。

平将門(たいらのまさかど)に話を戻すと、京都から目の届かない北関東で「ワレこそが正統な天皇ナリ」と名乗りを上げたのが将門なのです。そして建国者(神)の末裔として信奉を集めたのです。

時代は下って現代に於いても、構図は全くおなじこと。

織田信長が天下統一の前に、ポルトガル宣教師達に宣言したことは、自分こそがデウスであるということ。安土桃山城の一番高い櫓に「天守閣」と名付けたのは、天主=デウス=信長を知らしめるためです。

地名の「安土(あづち)」も隣の京都を「平安」に対して付けられたという説があります。
平安は平安楽土(へいあんらくど:いわゆる天国の地の意味)から採られているので、信長は平安楽土を胆略して「安土」を地名に採用したのではないかということです。(井沢元彦「逆説の日本史」、元は安土城の研究者である内藤昌の説らしい)

じゃあなんで信長は「平楽」としなかったのかというと、地名に「平」を持ってくるだけでも朝廷への不遜にあたるからでしょう。
国家統一の前に朝廷が敵対心を持つようなことを避けたと言うこと。

それでも天下統一の暁には天皇の座を乗っ取ってしまおうと考えたわけです。
神の座の方が絶対的ですから。

将門と信長ぐらいしか天皇の座を狙った者は過去いなかった



それほど神(預言者)というのは畏れ多い存在だったのです。イスラム諸国の宗派、民族においても近代において「我こそはカリフなり」と宣言した人物はいなかったのです。

もし居たとしても即刻抹殺されてでしょう、気違いとして。しかし一旦カリフとしての名声が生まれたらさあ大変です。

預言者が現れるとオセロゲームのように一気に形勢が変わってしまう


キリストだってユダヤ教の中で預言者を宣言したのですから。

これは支配者層、宗教指導者層にとっては恐怖でしょうね。

そしてその影響は末代まで続くのです。

なぜそんなことが言えるのか?それは昨日訪問した将門の首塚です。あそこを移転したり壊すことは祟られると恐れられているからです。そして隣の三井物産の社員は首塚に対して配慮している旨が説明版にありました。

向かいの皇居に対して失礼がないように心構えるのは日本人として当然であっても、となりの祠に対しても同じ心構えであるのです。

1000年の時が経っても、将門を神格化した言い伝えが日本全国あちこちにあります。

なぜならば、天皇の正統は我だと言いふらして回ったからです。その痕跡がまだ残っているということ。

だからイスラム国(ISIL)の殲滅はものすごく困難ですし、勢力をくい止めるだけでも相当の犠牲を覚悟しなくてはならないということ。

そんな総力戦、体力戦に日本が加わることはありません。イスラムとユダヤ/キリストの勢力争いなんですから。

日本人は天皇家を大切思えば良いのです。
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自己主張の弱い日本人が苦手な言葉は「思う」である 
Saturday, February 7, 2015, 12:41 PM
2/7 晴 10時 浅草での空間線量は13ベクレル/立法メートル

先週の朝日新聞日曜版に「思うと考える」の違いについてのコラムが載っていました。
なるほど無意識に使い分けていましたが、そりゃそうだ。

ふり返れば、私は「思う」恐怖症です



副島隆彦先生が言うには
「思う」「思った」という言葉は有名で権威のある人物が使うならば、それなりに他人は重く受け止めるであろうが、凡人が使ったところで、軽く受け流されるだけであると言います。
また、「私は〜と思う」と行った意味の底には「お前がどう思っていようと勝手だ」という突き放すように受け取られがちになるのだと。

これは読者にとって不親切で不愉快な気分にさせます。

では「考える」となると、それなりの理由を述べてからの自分の結論であるから、この思考に対しては誰も不満に感じることはないのです。そしてその思考(結論)はその人の所有となります。

他人の持ち物に文句をいう筋合いはない。
思考(結論)に異議があり、また違う思考に辿り着いたのであれば、それはその人の持ち物となります。
このように「考える」「考えた」という言葉はキャッチボールのボールのようなものです。

笑い話なのですが、副島隆彦先生に添削をお願いした弟子のひとりに、<説得する文章>は断定口調であるべしとの指導を受けて、「思う」で終わる文末をすべて「だ。である。」に変換してしまいました。
パソコンですから、ほんの数秒の作業ですよね。

これで副島流の文章になったとほくそ笑んでいました。
これには周囲が大笑い。

単に文章が紋切り型の乱暴な文章になっただけ。ネットスラングでいうところの厨二(ちゅうに)病というやつです。厨二(ちゅうに)病とは中学二年生あたりの子供はいっとき無敵感・万能感にひたり、大人を見下したり破天荒な目標を掲げるといった思春期入口の心理を指すそうです。

三〇半ばの中年がこんな文章を世に出したら笑われるだけ。
「だ、である」は「考える」よりもさらに強い論理的な裏付けが必要な切腹覚悟の言葉です。熟考を重ねたうえでの言葉です。

こいつあほすぎる・・・。

私は「思う」という言葉は文章中のスパイスのひとつだと思っています。もしくはリズムを一旦取り戻すための小休符みたいなもの。

感想文は感じたことを書けばいいと勘違いして、「〜と思う〜思った〜思う」とすべて文末は「思う」で書いたらどうなるでしょう。

他人からは「頭の悪い奴だな」ぐらいにしか思われないでしょう。
思うという言葉で終われば、そこでその人の思考は止まってしまうからです。

行き止まりばかりの道路を走らされているようなもの、もしくは長休符ばかりの楽譜の演奏を聴いているようなものです。

だから日記やこの日記替わりのブログは例外ですけれども、私は「思う」という言葉にはとても神経質になります。

ある有名企業に勤める友人が新商品の企画書らしきものをちらっと見せてくれたことがあります。
販売目標や需要予測に関して、「思う」が連発されていたので、おもわず大丈夫か?と思いましたし、尻ぬぐいする上司も大変だろうなあと感じました。

客観性が求められる部分で主観を表わすことばで終えると、その文章は死にます。平社員の妄想にしか過ぎないのです。

逆に軽い意見を求められているのに、気軽に「思う」を使えない人も多いですね。これは日本人の特徴でしょうか。

たとえばある団体の新入りさんに感想を年長者が聞いたとしましょう。

だいたい遠慮して「・・・いえ、べつに・・・」とか「・・・みなさんの仰るとおり・・・」といった具合にはぐらかして、自分をひたすら隠そうとしますよね。

そんなこと聞いてネエよ!自分の意見を言えよ!と割り込みたい気分になります。

でも、これが日本ムラ社会の処世術なんですよね。

高校生一年生のときに、ジェームスディーンの理由無き反抗を観て、国語の時間に感想文を書かされました。

クラスメートは主人公の心情がどうじゃらこうじゃら、無理解の両親の心情がどうやらこうやらと、必死に場面を思い出して書きつづっています。

私は最初の場面ぐらいしか覚えて無くて(たぶん寝ていたのでしょう)、仕方なく「切なく感じた」とだけ書いて提出したところ、「なぜ切なく感じたのだろう?その切なさはどこから来る感情だろうか?」と添削されて返されました。

ああ、感想文とは湧き上がる自分の感情を掘り下げる作業なのだなと納得したことを覚えています。

その感情の源泉を見つめ直すことで、主義主張が生まれるのですが、なぜかこのプロセスを日本では教育では一切無視しがち。

利己的(egoism:エゴイズム)は日本では悪い意味ですが、egoismは明治においては進歩的思想として捉えられていました。個人主義とも言われています。

これが近代思想の根源でもありますし、近代とは宗教規律の束縛から離れて、個々の信仰に基づいた自己主張が許される社会のこと。

プロテスタントからさらにユニテリアニズムという宗派をへてリバータリズムという思想がアメリカの建国の基盤となったわけです。代表は小説家アイン・ランドです。

同調ではなく孤高こそが崇高なのだ



ところが日本では大なり小なり組織や団体というものは、「個人の感想」を極端に避ける傾向があります。

「幼稚さ」さえ放棄したつまらん奴らばっかりだ。官僚や小役人がその代表でしょう。
副島隆彦先生は「顔無しクン」と評しています。
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ギフトショーに行ってみました 
Friday, February 6, 2015, 07:21 PM
2/6 晴 10時 浅草での空間線量は14ベクレル/立法メートル


昼前から東京国際展示場で行われている2015ギフトショーに行ってみました。3日間の今日は最終日です。
このギフトショーはありとあらゆる雑貨が一堂に集まっていて会場が広いので、一通りあるくだけでも疲れます。
会場内では写真撮影が厳禁なので、外観だけです。

会場をぶらぶら歩いていると、コンサート用ペンライトの製造販売をしている会社の社長とばったり。5年ぶりぐらいかな。海外と行ったり来たりの人で会うことは滅多にないので、向こうもびっくりしてました。

毎年出展しているからわかるそうですが、今年は客足が減った感があるとのこと。昨日は雪だったけども、好天の本日の方がもっと少ないのだとか。

羨ましいことにペンライトの販売は好調で注文をなんとかさばいているような状況だとか。

また取引のあったいくつかの企業のブースも訊ねました。また来年も招待状を送って下さいね。

とにかく歩いた歩いた。へとへとです。

このギフトショーはどちらかというと女性の方が愉しめると思います。

このような展示会の最終日は、価格交渉で値切ると、意外とすんなりまけてくれます。出展企業は少しでも帰りの荷物を減らしたいものですから。



帰りは豊洲経由で浅草に向いました。これは新しい築地の魚市場です。いつのまにか鉄骨の構造物が建ってます。もともとは東京ガスと火力発電所があった地域ですが、橋や道路があらたに出来ていて昨年から一変してます。
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わかりやすく理解してもらうことは大変困難であり、一番知的な作業である 
Thursday, February 5, 2015, 01:13 PM
2/4 雪 10時 浅草での空間線量は13ベクレル/立法メートル

「体感する数学」(竹内薫 エンターブレイン)という本を寝床で読みました。
数学といっても数式は全く出てきません。
竹内薫が身近なたとえで、数学が身の回りに普通にあるということを知ってもらいたいという趣旨で書かれた物です。

目次では以下の用語が解説されています。

素数、無理数、乱数、四次元数、キス数、微分積分、二次方程式、三角関数、対数関数、デルタ関数、ベータ関数、テイラー展開、フィボナッチ数列、固有値、極座標、ラグランジアン、群論、トロポジー、ラジアン、因数分解、階乗、
行列、無限、力学的相似、数学的帰納法、一次変換、虚数、陰関数、波動関数、ガウス分布

たとえば素数とは「自分自身と1でしか割りきれない数」と言われても果たしてそれが何に役立つのかはピンと来ない。そこで本書ではずばりコンピュータ通信のセキュリティー(暗号文)と解説しています。
素数の発生には規則性がないので桁数が大きくなると約数かどうかの判断が格段に難しくなるという性質を利用しています。

微分積分とはと訊ねられたら、それは「限定品を買うために貯金して、期日までに目標額を貯めること」と答えています。
毎日一定額を貯金できればいいのでしょうが、その日その日で貯金できる額が違ったり不定期に貯めることしかできなければ、はたして目標額にはいつに達するのか、またどれくらい貯まったのかを知りたいでしょう。その結果ではもう少し一回当たりの貯蓄額を増やさなければといった判断をしなくてはなりません。

テイラー展開なんかは「呑み会でのワリカン計算」であると一刀両断です。
sinやcosといった三角関数も、虫眼鏡で一部だけを見れば直線だろと、範囲を限定して直線で大まかに計算してしまえという考え方。この考えが工学的な考え方で、建築や土木の実務では重宝されているわけです。大きな円形プールなどもコンクリの型枠はまっすぐな板ですからね。

なるほどなるほど、そういう例えがあるのかと読み続けました。

たとえ話こそ最大の知的な訓練だとあらためて思います



副島隆彦先生の著書がわかりやすいと評判なのは、世界の政治対立(つまり思想対立)をどんどん掘り下げてなるべく身近な比喩で表現しようとされているからです。

一番有名なのは「日米関係とは」という問いに「宗主国と属国」というえげつない言葉で表現したことです。(または親分・子分の関係性ともいう)

本書に話を戻して

三角関数とは「衝動買いして『買わなきゃ良かった』『買って良かった』と揺れ動く気持ちである」という例えは最高ですね。
同じ行動でも、見方(数学的には90度)が違うと相反する評価となることです。
こりゃまいったねえ。三角形も円も全く出てこないが、本質は正しいです。

さらに複素数(complex number)という実数と虚数(imaginary number)の二つで表わすと、三角関数は円になってしまうというし、メリーゴーランドで例えると、観測する場所によっては波のように見えます。

ちなみに虚数は「やりにくい相手だなと互いに思っている二人」です。だから近づかないけども意識はしているという関係。

この二乗すると「−1」になるという概念を取り入れるだけで、この世の動きは円運動の式でグラフであらわせられるということ。数学は見方次第でどうにでもなるということ。

だからこそ、数字の見方って大切なんですね。
数学は幅が広く、奥行きの深い世界なのです。だからこそとっかかりの教育はもっとわかりやすくなって欲しいと思います。

デルタ関数は「昔のブラウン管テレビのスイッチを入れた瞬間や切った瞬間の状況」といわれると、たしかに昔のテレビは中心に白点がでて、それが瞬時に広がって画像がでてきました。スイッチを切った瞬間はその逆で、中心にすべてが収束していくかのようです。

ああデルタ関数っぽいなと感じたら、それが量子力学の入口なのです。

この本をきっかけに自分でもわかりやすい例えはないかと探すのもさらに理解を深めることになるでしょう。

過去ログ:素数って素っ気ない数という意味ではありません
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本当の節分は3月22日(春分の日の翌日)です 
Wednesday, February 4, 2015, 01:40 PM
2/3 晴 10時 浅草での空間線量は13ベクレル/立法メートル

昨日は節分でラジオでも節分の由来や、ご当地での節分行事、ご家庭での節分の楽しみ方がいろいろ紹介されていました。

京都では江戸時代までは節分は仮装して鬼の目を騙すという風習があったそうです。一年のこの日だけは銘々が着飾り仮装して街を闊歩した、元祖コスプレショーだったのだとか。

節分とは冬と春の区切りということで、暖かくなる季候を愛で、またこのような季節替わりの境目は体調を崩すことが多く、それが鬼の仕業と言い伝えられてきたからでしょう。

節分を盛り上げるには、巻き寿司を囓るようなあほくさい一部地域(花街の芸者遊びが由来)よりも、仮装行列の方がよっぽど良いのではないでしょうか。

ちなみに恵方巻という巻き寿司の風習は関西が発祥と言われていますが、関西でも知らない人が多かったと思います。

寿司チェーン店が流行らせようとしたことがあったそうですけども、30年近く前にコンビニストアのセブンイレブンがプロモーションをしたことで、全国で知られるようになったのだとか。
これに便乗してローソンや他のコンビニストアでも恵方巻という名称で乗っかったのだとか。

実に下らないよね。

巻き寿司は嫌いではありませんが、遠足や運動会といったハレの日の食事だったような気がします。
子供が好きな具が片手で食べられるからなのでしょうが、大人はせいぜいビールを飲んでから一つまみぐらいでしょう。お酒のつまみにはなりませんし。

豆を蒔くという風習もどうやら一部地域での冬の遊びだったようです。もう備蓄していた大豆を春が来たので不要となったから遊びに使ったのでしょう。

満腹になるまで喰わせて競わせるなど、昔から食べ物で遊ぶ風習は冬が長くて娯楽のない時代の名残です。

ラジオ番組では、家庭や会社でそれぞれが手作りのお菓子や駄菓子を撒いたり、宝物探しをしたらもっと楽しいのではないかと提案していました。

ハローウィンと節分を合体させたら、日本独特のあたらしい風習として盛り上がるのではないかということ。

バレンタインデーもチョコレート業界が閑散期の需要を立ち上げるためにおこなったプロモーションですから、豆菓子、米菓子、駄菓子、洋菓子各業界が節分用小分けセットを創り出せばいいのではないかな。
あっチョコレート業界は外してください、儲けすぎや。

自分のような辛党にはスルメや佃煮などの珍味が降ってくる方が良いですね。

過去ログ:恵方巻(吉方巻)とは江戸末期の下賤な遊びです


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都会のキャンプは過酷です(大田区キャンプセミナー) 
Sunday, February 1, 2015, 08:00 PM
大田区教育委員会が毎年実施しているキャンプセミナー(旧リーダーキャンプ)に誘われて参加してみました。気軽にOKと言ってはみたものの、前日は積雪があり、西高東低の完全冬型季候です。
当日はちょっと迷いました。

それよりも参加案内で、持ち物リストに「家にある余った食材」「空き缶」「牛乳紙パック」「ペットボトル」「スマートホン」などとあります。
キャンプ会場は大田区の平和島という湾岸倉庫街で太い産業道路でトラックがばんばん走っている殺風景な場所です。
近くには大井競馬場、平和島競艇とギャンブラーの街でもあります。そんなところに青少年の運動施設・平和島ユースセンターという施設があります。そこにキャンプ場があります。簡単な指導をうけてまずは自分たちでブルーシートで屋根、風除けの設営です。
なんかだんだんこの時期に大田区教育委員会がキャンプを実施する意味がなんとなくわかってきました。子供たちが参加するキャンプなのかなと思っていたら、指導者も含め40代50代ばかりです。
災害時の訓練だったのです。

ですから、キャンプ道具といった楽なものを使わず、身の回りの物でなんとかするという趣旨です。いや知らなかった(あえてぼやかして募集していたそうです)
ですから空き缶で調理をなんとかします。初日はお米はなく、小麦粉のみ。当方のチームは「すいとん」です。となりのチームは「ほうとう」でした。
年の功でありあわせの食材でもちゃんとした料理ができあがり。どちらも美味しかった。
薪で調理しているように見えますが、これは廃材です。杉だと思うのですが、煙がすごくて煤で真っ黒になりました。なんたって緊急時の対応訓練ですからね。
調理器具は空き缶なのですが、一斗缶をオーブンにしてパンを焼いてみました。
この厳冬下でパンが発酵できるか不安でしたが、焚火の近くに置いていたらなんとか膨らんでいました。
翌日の朝には焼きたてのパン。なかなか贅沢でしょ。
参加してわかったのですが、もしこれがなんらかの災害で、見ず知らずの人たちと一緒に、テント設営や調理ができるかということです。

今回も初めて会う方々と団体で行動しなければなりません。経験も年齢もバラバラです。

率先して行動することも大切なのですが、烏合の衆ですからちぐはぐで統一されないのです。だから調停役が必要ですね。強力なリーダーなどは必要ではないのです。
適材適所に人を配置できれば、あとはなんなりとなりますね。

キャンプの達人・NPO法人東京都キャンプ協会の指導者二人がいちおう付き添ってくれるのですが、あえて何もしない。
道具のありかや、食材の有無も事前にあえて言わなかったそうです。

だから参加者は、あちこちの段ボール箱を探ったり、参加者同士で聞き回らなければなりません。

なぜそのようなことをしたのかというと、災害時には誰も物のありかを知らないからということと、雑多に積み上げられた状況だからだそうです。

本当はブルーシート一枚をテントにして、実際に寝てみるという体験会であったのですが、風が強く、気温が低いので、テント泊となりました。
ペットボトルにお湯を詰めて貰い、湯たんぽにして就寝しました。あったかくてよく眠れました。

翌日は大田区が備蓄している食糧(α化米や缶詰)をビニール袋や使い捨てマスクで調理する方法を習いました。使い捨てマスクに入れたα米をお湯で戻してみましたが、美味しかったです。
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人間だって家畜なんだから (下水エネルギーを掘り起こせ!) 
Thursday, January 29, 2015, 12:55 PM
1/29 晴 10時 浅草での空間線量は13ベクレル/立法メートル

人間の生活環境で大切なことは、まっさきに上下水道が挙げられます。
ここ浅草は江戸時代の初期に町作りが行われた当初から、下水道が整備されていました。

現在のかっぱ橋道具屋筋の下に眠る下水道は、古いところでは江戸時代の石造りや明治初期の煉瓦造りです。

えっ?なんで知っているかって?
マンホールから覗いたことがあるからです。中にはいることは硫化ガスが充満しているので大変危険です。水道局の人が説明してくれました。

となりの古いトタン屋根木造の家が壊されて、更地にするためにユンボが敷地を掘り返していましたが、下水の枡も煉瓦でした。たぶん明治か大正のころのインフラなんだろうなあ。

下水管がコンクリート製(いわゆるニューム管)になったのは戦後からだと思います。
上水は圧力が高いので鋳鉄のパイプですが、下水はコンクリートで十分なのです。

子供のころ道ばたには埋設予定の下水管があちこちに置いてあって、遊び場でもあり、夏場はひんやりとして心地よい休憩場所でした。

幹線という太いところは人が中で歩けるような通路があります。電話や電線も通っているので電話会社や電力会社の方でも入る機会はあるでしょう。

下水管の共用化はガス会社も計画中なのだそうです。そうすれば水道とガスが別々に道路を掘り返すことがなくなりますし、点検も容易になります。

下水道というのは高いところから低いところへ流れていきます。上水道はポンプで圧力をかけるので高低差はあまり考慮しなくてもいいのですが、下水道は自然に流れていくだけですから、平野部は緩い勾配で何劼皺申臭卆茲僚萢場まで送らなければならないのです。

そこで東京や千葉といった平野部の多い県は、途中途中に下水ポンプ場という施設があります。
ここ浅草にもあります。

地下深くまで流れてきた下水を、ポンプで地上近くまでくみ上げて、ふたたび流す。
こういう作業を何カ所かで繰り返して湾岸の処理場までやっと辿り着くのです。

ポンプの監視員がいるぐらいで、通常はほとんど無人か遠隔操作のようです。

臭気対策がしっかりしているので下水ポンプ場の脇でも臭いはありません。何重のドアで完全に密閉されています。

私は何度か中へ入ったことがあります。
職員さんや専門の業者の方は慣れているので、さっさと階段を下りていくのですけども、地下へ降りるにつれて、空気が重い・・・下水の湿気のある臭気がドアを開ける度に強くなっていきます。
(建物内はなんの変哲もないコンクリですし、汚水が漏れているというわけでもありません)
地下へ降りるときは深呼吸しておきましょう。

東京には下水道博物館がお台場と小平(こだいら)市にあります。
お台場の下水道博物館は、設備紹介で学校の教育用といった感がありますが、

リアルな下水道を見たければ小平市下水道博物館へ行け


と私は断言します。
小平市ふれあい下水館
http://www.city.kodaira.tokyo.jp/static/gesui_fureai/gesui_index.html

ここは実際の下水管にまで降りることができるのです。小平市民や近隣で知らぬ人はいない名物施設で、学校の校外学習で行った人も多いようです。

一度自分が流したブツがどうやって流れていくかを知っておくと、普段の生活がかわりますよ。

東京都水道局では施設の公開、見学を積極的に行っています。
http://www.gesui.metro.tokyo.jp/odekake/odekake.htm

をっ、蔵前でも下水幹線の中にまで降りることができるのか・・・行ってみようかな(一週間前までに要予約、土日休館)

をっ、三河島の旧汚水喞筒(ポンプ)場施設の紹介がいつのまにか公開されているのか、そりゃ行かねばっ!

下水管の中って、すごく暖かいのです。そりゃ人間が温水を垂れ流すから。

そのエネルギーを取り出して、ふたたび暖房に使い、汚泥からもガスや熱エネルギーを取り出す実証が行われているという記事です。

古くから都市部の糞尿は金肥(きんぴ)と呼ばれ、荒川には肥桶を積んだ船が上流の農産地帯に運んでいました。
その船は河川博物館などで展示されています。
また西武線や東武線は貨物として肥を運んでいました。通ると臭かったなあと当時を知る老人達は笑いますけども、なんでそういうシステムをなくしちゃったのかねえ。うんこを肥料にしてこそリサイクル社会なのに。

火葬場やゴミ焼却施設、糞尿施設は迷惑施設といわれて、新たに建設することはどこの自治体でも悩みの種ですが、生きていく上で必要不可欠の設備を忌み嫌う人たちはどういう神経なんだろうと思っています。

人間だって所詮は家畜である



人間は崇高なもので、死んだ後の身体、自分の垂れ流す汚いモノから隔絶して生きることこそが理想の生活だなんて思っている人たちを私は強く軽蔑します。

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天文学とは数学のことであり、それはπの追求のこと 
Wednesday, January 28, 2015, 02:54 PM
1/28 晴 10時 浅草での空間線量は14ベクレル/立法メートル

私は40代のこの歳まで誤解していました。

天文学とは望遠鏡で星を観ることが仕事なのだと。(下の写真は三鷹の東京国立天文台です)


まあ星座占いやギリシャ神話で、星々にロマンを感じさせるお仕事・・・だとは思ってはいませんが。

上の写真のような望遠鏡で惑星や彗星、星団は少しは形や色が見えるから面白いですけど、実際にはほとんどの星々(恒星)を覗いたところで、光の点にすぎません。

よくみる星雲や銀河のカラー写真は冷却して超高感度にした赤外線フィルムで写した物で、肉眼ではあのようには見えないのです。

それでは昔からなぜ数学者は天空を眺めていたのか?
16世紀頃も、なんのためにガリレオは星を観察していたのか?
他にもチコ・ブラーエ、ヨハネス・ケプラーケプラー、そして17世紀のニュートンらは日夜星々を眺めていたのか?

星の動きを観察していたという答えは不正解ですね。(学校の理科では丸でしょうけども)

では、なぜ星の動きを観察していたのでしょう。

紀元前のアリストテレスの頃からつい最近150年ほど前までは、天文学者というのは円運動を理解しようと星空を眺めていたのです。

いちばんわかりやすいのが月と太陽です。

その次ぎに木星や土星、金星といった明るい惑星。

あとは恒星という天球では動かない星々。

たまに彗星が現れて、消えていきます。

この世はすべて円運動(どっかを中心にぐるぐる回っている)だと考えたのです。

さあこの円運動というのは現代の我々が考えているほど簡単ではなくて、どうしても必要な定数がでてくるのです。

おなじみのπ(3.14・・)、すなわち円周率というやつ。
円周は直径の何倍か?という値に過ぎません。

今ではコンピュータで1兆桁あたりまで計算されているようですが、江戸時代の頃は有理数(すなわち分数で表せる数か、小数が有限の数)だと思われていました。

数学者の挑戦は円周率をどこまで正確に計算できるかでもあり、天文学者はその数値の精度がそのまま日蝕や月蝕の精度となったのです。

πという概念は測量、航海術、そのた工学にも必要不可欠の数値であるのですが、そのπを求める研究者こそが、天文学者でした。

角度をラジアン(πを使った角度表記法)で表わすことで天体運動はわかりやすくなった。

チコ・ブラーエやケプラーは円周率を用いる角速度という概念を導きました。これが地球を含めた惑星の動き、彗星の運動の解明に役立ったのです。

一方ではπはいったいどれだけ小数が続くのだろうという数学的な興味もあったはずです。
過去からずっとπの探求だったのです。


・ギリシャの数学者アルキメデスは円周率は22/7
・中国の祖沖之(そちゅうし:480年)は355/113
・スイスのオイラー(:1748年)は103993/33102

江戸時代では円周率は3.141592あたりだったのです。祖沖之の値が分数のまま使われていたのでしょう。

円周率の小数点以下はきりがない(無理数)と証明されたのは1761年だということです。

天文学者はより精度をたかめるために、円周率求め続けました。
円周率こそが、天文学者にとっては一番大事な数であり、測量や観測に欠かすことが出来ない数だからです。

微分積分(解析学)において自然定数e(オイラー数、ネイピア数)という数がすごく重要であることと同じように、幾何学(天文学)においては円周率πはすべてにおいて必要な数です。

ニュートンら数学者はπ、eの研究をしていたのです。江戸時代の日本でも関孝和(せきたかかず:1642-1708)の弟子、建部賢弘(たけべ かたひろ、1664-1739)が円周率を計算して、当時の世界一の桁まで計算しました。八代将軍吉宗の頃です。

この自分で計算した円周率で地図をつくっています。地図をつくるということは「天地明察」でわかるように、天体(北極星)を観測して緯度経度を割り出す作業なのです。

暦も地図もπがなければ正確に出来なかったのですね。
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日本人が数学嫌いになる理由は教育現場の手前勝手な読みに困惑するから 
Tuesday, January 27, 2015, 12:50 PM
1/27 晴 10時 浅草での空間線量は14ベクレル/立法メートル

桜井進「面白くて眠れなくなる数学」(PHP 2010)を読んでいます。
数学で使われている言葉や定数の由来を簡潔におもしろく紹介しています。知らなかったことばっかりです。

この本はなぜ数学嫌いになったのかという示唆も与えてくれます。まず最初に

学年が上がるにつれて読めない文字がやたら増える



中学生あたりでは円周率πが出てくるでしょう。また角度はθと表示されます。
パイとシータあたりならまだ許せるとしても、高校生でΣがでてきてμ(ミュー)ρ(ロー)σ(シグマ)といったギリシャ語がたくさん出てきます。これらを見て瞬時に摩擦係数だとか、密度だとか、標準偏差だと脳内変換しなければならないのです。
ちなみに総和を表わすΣは英語ではsum of〜(サムオブ)と読みます。なぜか日本ではそのままシグマと呼ぶので、統計のシグマと混乱します。

大学生ではさらにギリシャ語のオンパレードとなります。
ω(オメガ)とε(イプシロン)はまあわかりやすいけども、頭を悩ましたのが、ζ(ぜーた)とξ(クシィ)の違い。φ(ファイ)とψ(プサイ)はなんで使われるのかがわからない。

黒板にこのような文字が積分記号や微分記号で埋ると、ノートに写す気も失せます。なんとか写したとしてもζとξの違いが自分の文字であってもわからない。だから黒板の気味の悪い文字を眺めているだけ。

例えるならアラビア語の新聞、アルジャジーラをいきなり読めと言っているようなもの。
黒板の前で淡々と書き続ける講師に腹の中煮えくりかえっていました。

同い年の桜井進氏も東京工業大学数学科で同じ頃に同じ思いをしていたようです。
そして教科書や教師が替わると、読み方も書き方も変わるのでさらに混乱は拍車をかけます。

日本の数学の授業は筆談でしか意思疎通ができない



この本で桜井進氏はすごいことを書いています。
なんと日本の数学教師は数式をまともに読めない。それどころか間違って教えているという指摘です。

y’=dy/dx
日本の一般的な読み方「ワイダッシュ イコール ディエックス分のディワイ」
英語の一般的な読み方「y prime equals dy dx」

日本の読み方は、イコールの発音以外に間違いがあります。「’」を「ダッシュ」と読むのは適切ではありません。多くの国々では「prime(プライム)」と読まれます。ダッシュは日本でもそう読まれるように、国際的には記号「−」が常識です。
「”」は「ツーダッシュ」ではなく「double prime(ダブル プライム)」です。
日本では、微分の数式を「分数の読み方」にするから混乱が起きてしまいます。

これは日本の理工系大学で生徒が大混乱する最大の要因です。
たとえば視力が悪くて、隣の人になんて書いてあるかを聞いたとしましょう。
「ディエックス分のディワイ」と言われたら、分数だと思ってしまいますね。しかも幾何学ではdは円の直径を表わすことが多いです。(ところが工学系の授業では円の直径はΦ(ファイ)です)

結局口で式を言われても、何を意味しているのかさっぱりわからない。特に微分積分が多用される工学系では。

なぜか「’」をダッシュと呼ぶのは日本独特のお約束です。

コンピュータ実習なんて時間ではコーテーションと呼ばれます。(本職プログラマーは面倒なので「チョビ」「チョビン」と言います。「”」はチョビチョビです)
ダッシュはコンピュータプログラミングにおいては「−」です。
だから紛らわしいので、「−」を「横棒」と言ってみたり、「バー(棒)」「スコア(線)」とローカルルールで言い換えるはめになります。(マイナスや引くと発音すると、引き算せよという命令になるので言いません)

このような日本独特の特殊で劣悪最低な指導をくぐり抜けて数学ができる奴らは

先天的に唖(おし)の気があるやつなんです



発音はできないけど、書かれた数式だけは頭にすんなり入るという気質をもった人たちなんです。
外国語でも国語でも、まずは発音(黙読)することで理解が進むのに、日本の数学教育はいきなり発音することをやめさせるわけです。明治から場当たりに接ぎ木されてきた結果です。

英語でちゃんと読めばちゃんと理解できる



数学や物理がだんだんわからなくなる理由の一つに、「e」がのべつ区別なく使われて、発音も「イー」としか読まれないからだと思っています。
えっ?イーでいいじゃんと思われるでしょう。

ひとつは自然定数(オイラー数・ネイピア数)定数のe
もうひとつは指数計算で使われる演算子exp【exponential(エクスポネンシャル:累乗)】
(e^xはexp(x)とも表記されます)
物理ではエネルギーを表わしますし、電子工学では物理定数eは電子一つの電荷を示します。

あーやだやだ。
留学経験のある人は授業で講師が「イーイーイーイー」言うものだから、途中で立腹してちゃんと略さず発音してくれと文句を言ってましたっけ。


f(x)
日本の一般的な読み方「エフエックス」
英語の一般的な読み方「a function f of x 」簡単には「f of x」

エフエックスといわれると、Fかけるxとも意味が取れるのです。四則演算の×は数式では使わないお約束がありますから。
物理ではfはforce(力)の意味ですし・・・
こうやってどんどんどんどんどんどん混乱させていくのが日本の数学教育の実状なのです。

「面白くて眠れなくなる数学」から抜粋

声を出して読みたい数式



いかがでしょうか、例を挙げればきりがありません。いまこそ、正確さを欠いた「日本語による数式の読み方」を改めて、思い切って数学の中に英語を取り入れるべきです。
・・・
中途半端な日本語発音をするよりは、中学生から数式を英語発音すべきではないでしょうか。けっして誤解してほしくないのですが、「英語学習のために数学を使う」ことが目的ではありません。あくまでも数学の理解を深めるために英語読みを徹底すべきというのが、私の主張です。
 現在、教科書の数式は「絵」として扱われています。それが、「絵だから読めなくてもいい」という発想につながっていると思われます。そうではなくて、数式を文章として、読み物として扱うという視点の転換が必要だということです。
「読めること」は「わかること」につながっていきます。
 難しい日本語でも、幼いときに声を出して読んだように、数式も、数学読本のようなものをつくって大きな声で読ませるのです。なかみはわからなくてもいい。スラスラ読めるまで練習するのです。

スラスラ読めるようになると、「数学は言葉」であることがわかり、苦手意識がなくなります。また、その達成感が、数学を好きになるステップとなります。
(転載おわり)


過去ログ:計算の「+」「−」「×」「÷」は誰が決めたの?
なぜ億という単位があるの?「超面白くて眠れなくなる数学」(桜井進)
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レバーの簡単おいしい料理を公開します(電子レンジでチン!) 
Monday, January 26, 2015, 11:31 PM
スーパーで夕食の食材を見ていたら、今日は鶏のレバーが特売品でした。
いきつけのスーパーは鶏肉が安くて気に入っています。
そこで一つトレーを手に取ると、隣のお婆さんも同じく手を伸ばしました。
そして声をかけられました。

「このレバーはどうやって食べてるの?」



「おばあさんはいつもどうやって食べてるの」と逆に聞いてみると、フライパンで焼いているのだとか。でもあんまり美味しくない・・・と困った顔。(たぶんパサパサなんでしょう)

どうやらレバーをよく食べるようにお医者さんから指導されたのではないでしょうか。
そこで意を決して手を伸ばしたものの、さてどうしたもんかと思案していた横に、私がうひょー安いと満足げな顔をしていたので、声をかけて下さったのでしょう。

豚でも鶏でもレバーほど美味い物はないよ


私は新橋あたりの焼鳥屋でも必ず砂肝とレバーは定番で頼みます。これに焼酎か日本酒で最高じゃないですか。

おばあさんがせっかくお訊ね下さったので、それでは当家秘伝の簡単おいしいレバー料理をご披露しましょう・・・

なんてもったいつけましたが、親父から晩酌のつまみとして教えてもらったのです。

■簡単!美味い4分チンするだけのレバー料理



‥当につまみやすいように切って、耐熱皿に載せます。私はクッキングペーパーで包み焼きしてしまいます。後片付けが楽ですから。
塩胡椒を適当に振ります。塩分が気になる方は別に必要ないです。


⊇み消しで柚子を適当にかけます。私は柚子は冷凍してあるので、おろし金を使います。
レモンを柚子のように刷ってもいいです。輪切りレモンでもいいでしょうね。そこは好きずきです。


ここで登場ウースターソース。これを適当にジャバジャバかけます。塩味が好きならばかけなくても良いのですが、ウースターソースだとレバー臭さがなくて一層美味しく感じます。

い海海泙芭簑庫から取り出して、せいぜい1〜2分の作業じゃないですかね。

イ△箸魯ッキングペーパーで包むか、飛び散らないようにラップなどをして電子レンジ(600wWで4分)でチンするだけ。

このままお酒のつまみに、食卓の一品です。臭いが気にならなければ薄切りニンニクなどを入れてもいいし、辛党は七味唐辛子をかけてもいいですね。

とにかくウースターソースがこの料理の鍵です

あのおばあちゃん、ちゃんと料理できたかなあ。まあ電子レンジがあって、ウースターソースもあると言っていたので、絶対失敗のない料理法ですから、大丈夫でしょう。
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死刑制度がない国では犯人は皆殺しが基本です 
Monday, January 26, 2015, 01:30 PM
1/26 晴 10時 浅草での空間線量は14ベクレル/立法メートル

今週号の週刊プレイボーイでイスラム国(ISIS)の人質事件を自己顕示型テロと評して解説していたので、ついつい読んでしまいました。

アルカイダとイスラム国の主導権争いがテロの発端



アラブ事情通によると、アルカイダはイスラム国と敵対関係にあるから、互いに、俺様が上だといって配下にテロを煽っているそうです。
一層の理想主義を掲げるイスラム国にヨーロッパからの志願兵が集まる状況にアルカイダも危機感を抱いているからです。

フランスでのシャルリ・エブド社の襲撃はアルカイダが主犯
誘拐殺害事件はイスラム国(ISIS)が主犯
ベルギーのユダヤ人商店襲撃事件はアルカイダに感化された国内狂信派の犯行

このように、それぞれの過激派がヨーロッパへの示威行為としてテロ活動をやっているということなんでしょう。

とくにアルカイダとイスラム国(ISIS)はシリアでのシノギ争いで仲違いして、やがて勢力拡大のために大暴れしていく・・・

ヤクザ映画の抗争そのまんま



日本も革マルと中核が殺し合っていた時代があったなあ。

現在フランス軍はアラブ首長国連邦(UAE)やヨルダンに駐在している10機ていどの爆撃機で空爆しているそうです。

数日に一回程度ですが、唯一の空母を派遣して30機すべてを出したとしても一日に一回の爆撃がせいぜい。

この頻度の空爆で20万人が散らばるアルカイダやイスラム国を殲滅することはまず不可能です。

しかも地上戦で掃討するために派兵できる兵士は1万人、傭兵を加えても1万五千しかいないのだとか。大部分の兵士は国内警護に貼り付くしかないです。
だから内と外で敵を抱えて、少数で市街戦を行うことなどどだい無理で、フランスが圧倒的に不利な状況です。ゲリラ戦ではほぼ勝ち目はない。

さらに後門の虎として観光業に対する打撃と、経済面でも若者の失業者があふれ過激思想に染まる若者が後を絶たないという状況。

死刑制度のない国では即射殺が基本姿勢



佐藤優氏がコメントしていますが、死刑廃止国ではテロや立て籠もり事件の犯人は射殺が当然なのだとか。
下手に犯人を刑務所に入れておくと、新たなテロの誘発や、仲間が誘拐におよび犯人釈放要求がでるからという説明でした。

なるほど。

テロリストとジャンキーは即射殺が私も一番良いと思います。

フランスの原発などテロ標的になりやすい施設はバルカン砲まで据えられているそうです。
現在フランス国内では兵士が至るところで警備についています。また警官のパトカーには小火器(ショットガンや自動小銃)が必ずあるそうです。

日本では6発しか撃てない回転式短銃しか携帯していないというのは良い国だなと思います。
さらに原発の警備はセコムしてますか?におまかせです。ああ日本はよい国だ。

そんな誰もが安眠できる国家でありながら、安倍晋三の下手な外交でぶちこわされつつあります。
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やっと国道6号線をJR常磐線代替(だいたい)バスが通りますよ 
Sunday, January 25, 2015, 12:32 PM
JR常磐線で上野から仙台まで行くのは鉄道オタクしかいないとは思います。

青春18切符(普通列車のみ乗り放題の切符)では常磐線は手強い路線です。
なんたって

常磐線の普通列車は停車時間が糞長い



乗車時間よりも停車時間の方が長いような気がしてくるほど。何本も後続の特急をやり過ごすからです。もう少しダイヤをなんとかしろと思ってしまいますね。

まあ特急料金を払えば快適なのですけども。

常磐線の想い出は、東海村の原子力機関へ会社員の頃何度か通ったことがあるのです。
会社がドケチで特急料金を払ってくれないの。社員規定で平社員は使えないという超絶ブラック企業でした。

なによりも無愛想で無口な上司と3時間も一緒にいなければならないという苦行の場でした。車窓をひたすら眺めて、ああ田舎だと悪態をつくぐらいしかやることがない。

常磐線はまだ磐城ぐらいまでしか乗ったことがないのですけども、そこから以遠は未知の世界。

乗車経験はありませんが、避難区域で立入禁止になるまでは常磐線沿いによく車を走らせて津波被害を目に留めています。

線路も駅舎もぐっちゃぐちゃ、特に富岡駅は。
高架線も倒れているところが多いですから、路線復旧はそう簡単ではないでしょう。

それでも代替(だいたい)バスが走って、やっと常磐線が全線通じたということは良いニュースです。

鉄板に覆われている列車に微量な放射線なんてかんけーねえから早いとこ、常磐線全線復旧してほしいものです。

そして竜田ー原ノ町間がどれほどの田舎かを知ってもらいたいものです。
なんたってダッシュ村があるようなとこですから。
(1/28追記)
現在富岡駅の写真が朝日新聞に掲載されていました。倒れた架線は撤去されて、とうとう階段も解体されるようです。半壊した駅舎もなくなってますね。
のっぺらぼうのホームだけになるようです。

津波が流し去ったあとは荒涼としていましたけども、2年前に訪れたときは一面草生してました。不謹慎ですが、草むらの中の崩れた駅という構図はなかなか絵になります。

証拠に、何台もの観光バスが来てましたから。それも大阪から。

目の前はきれいな海水浴場で、土産物屋はおろかコンビニさえない海水浴場です。
そのまま残せば観光資源になったのになあと思います。

すぐ脇に新しい駅舎をつくればよかったのに。なんたって周囲は何もないのだから。
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放射線防御の機構は生命には備わっているということ 
Sunday, January 25, 2015, 11:58 AM
1/25 晴 10時 浅草での空間線量は14ベクレル/立法メートル

動物実験でマウスに10分で8.5Sv(一時間当たり換算では51Sv/h)という致死レベルを照射しても15匹中13,14匹が生存したという記事です。

8.5Svという数値は東海村原子力事故(バケツ臨界事故)の数倍というレベルです。

細胞の再生を促進する特定蛋白質を活性化する化合物を与えた結果であると結論づけています。

まあ普通の人が絶対にこのような強度の放射線を浴びることはまずないでしょう。
濃縮ウランをバケツで移すような作業をしている人以外は。

だからもし薬ができたとしても、販売先は限られています。

和歌山カレー事件で砒素の中和薬が被害者に使われましたが、あの薬は全国の自衛隊にわずかしか常備されておらず、薬の卸問屋が全国の倉庫や納品先の自衛隊基地をかけずり回って、やっと少量現地に届けたという話です。

農薬の誤飲とかで10年に引き合いが1件あるかないかというレベルですから、問屋でさえ冷蔵庫の奥底に一本あるかどうかというほどのもの。だから儲からないし問屋が置きたがらない。自衛隊や防衛医大と取引のある業者が、依頼されて保管しているものです。

もし放射線による細胞の壊死をくい止める薬ができたら、少量一定数は備蓄されるでしょう。使われることはなくても。

それよりも、記事中の

DNA修復の機構は元々生物に備わっているということ


に着目します。もともと生命はそうやって進化してきたのだから。

DNAの修復能力は個人差があるかもしれませんね。DNAの修復能力がなくなれば、それは寿命ってやつでしょう。

過去ログ:
植物に突然変異を起こさせるための線量は160μSv/h〜24mSv/hあたりなのかな
宇宙アサガオ、異常早咲き 20倍の花の個数(メモ)
トーマス・ラッキー(ミズーリ大学名誉教授)2008年の論文より
(ほらね)宇宙桜はなぜか急成長−読売新聞

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受験小論文は型(フォーマット:format)がある NHK教育 テストの花道 
Saturday, January 24, 2015, 12:59 PM
1/24 曇 10時 浅草での空間線量は14ベクレル/立法メートル

NHK教育で小論文の書き方を再放送していました。過去にここでも書いた覚えがあるのですが、また観てしまったので再度書き直します。

■学校で習う作文には3つ種類があり、明確に区別する


感想文:<感じたこと>を書く
報告文:<事実>を書く
小論文:<自分の考えたこと>を書く

■小論文はYes/Noを提示するのが主論


駄目な例)制服について書きなさいという設問に・・・
|瞥遒諒庫が「〜と感じる」「〜と思う」で終わっている
 ←小論文は「〜と考える」という自身の主張が求められる
∨粗から「〜であるならば」と仮定で始める
 ←問題に対しての認識不足
7誅世ない
 ←掘り下げが足りない

■問題提起にもコツがある


・賛否両論が均等にあること
・社会性があること
・自分の手に負えること

■小論文の型(format)をしっかり意識する


キーワードは「だろうか、た・し・な・よ」



〔簑蠶鶺 「〜だろうか」例)学校に制服は必要だろうか?

意見提示(まず肯定して否定する)
「たしかに〜である。しかし〜でもある」例)多くの学校でも制服はあるが、ない学校もある。

E験 「なぜなら」
例)なぜなら制服には〜という生徒にも学校にも利点がある。しかし海外では珍しい。

し誅澄 屬茲辰董∋笋蓮舛塙佑┐襦


■小論文の重要な箇所はE験


問題を掘り下げるには「3W1H」を使えば簡単。ゲームのつもりで常に3つ以上の理由をあげる練習が有効。
例)「海外旅行へ行くべきである」なぜなら「経験が積める」「親睦を図れる」「知らない面を互いに知れる」等

WHY:意見の根拠、理由
WHERE:どこで、他の場所では
WHEN:いつから
HOW:どうやって

以上がテレビ番組の内容で、あとは日頃からニュースや身近なことを題材にして、この小論型にあわせて訓練をすればいいという結論です。一般論でありきたりな結論ではなく、意表をつく結論が高得点の鍵です。ただし暴論や極端な意見は結論とは言えません。
自分の体験や経験したことを入れることも必要です。

■破綻した文章を書く人の特徴


私は他人の文章を読む機会が多く、校正や感想を求められることがよくあります。

感想文というのに、実験レポートのような記録しかない文章。
報告文というのに、自分の感想や主張しかない文章。
小論文というのに、結論がなく、他の意見を考慮しない一方的な暴論。

もう、投げ出したくなります。大学入試の小論採点者は大変な役目です。読んでもらおうという気持ちがない文は頭痛がしてきます。

たとえば、宗教勢力が日本を牛耳っているとか、在日朝鮮人が闇勢力と結託しているとか、ユダヤ人が政治勢力を操っているといった都市伝説まがいのもの。妄想(〜と思う)や断定(〜だ)ばかりが目立つ文です。

一例として創価学会の支持層が増えていることを根拠にすれば、少しは説得力が増しますが、実態は減少傾向にありますし、だいたい数十万人レベルです。投票者の大きな割合があるとはいえ、日本を牛耳るほどの勢力ではないことは小学生でもわかります。

■読書感想文は書籍からの引用7割、感想・意見・反論3割


「引用7割、自分の意見3割」は中田安彦氏が読書感想文の鉄則としてあげていることです。
もっとも引用は8割でもいいそうです。

その本を読み手が理解できて、かつ要所要所にコメントが入ると、誰もが納得できる文章になるのだとか。

読書感想文って学校の宿題でやらされたと思います。そして大多数が大嫌いです。

読書感想文も簡単に書くことが出来るコツがある



ええ、機械的にやれば、いっぱしの文になる型(Format)があるのですよね。

中田さんや副島隆彦先生の所有されていた本を見てみると、鉛筆やボールペンの殴り書きがたくさんあります。
あとはこれを見直して、書き連ねればよい。

そんなに殴り書きできないよと誰もが思うでしょう。

「へぇ〜」「そんな馬鹿な」「これは重要」「違う」・・・たとえば電車の中で読んでいて、余白にこのような文字だけでも入れておくと、あとでどのような感想を持っていたのかが一目瞭然です。

だから書き込みのあるページを拾ってやれば、読書感想文はいっちょあがり。自分の意見は全文量の3割以下が目標ですから、なんたって楽ちんです。


■インターネット、商業文章(雑誌や実用書)、科学論文では書き順が大きく違う


小論文の型は「だろうか、た・し・な・よ」と申しましたが、副島隆彦先生は、この順番では商業文章(人に買ってもらって読んでもらう文章)にはならないのだとよく言われています。

インターネット、商業文章、科学論文では冒頭に結論を書く



し誅澄 屬茲辰董∋笋蓮舛塙佑┐襦
例:私は学校には必ず制服が必要と考えている

〔簑蠶鶺 「〜だろうか」
例:はたして高校生で制服は必要であろうか?

意見提示(まず肯定して否定する)
例:制服には学生にも学校にも利点がある。しかし自主性が損なわれる。

E験 「なぜなら」
例:海外では制服を着る風習は一部の伝統校のみである。

結論・主張を先に述べることが欧米式論文の作法(manners)なのだそうです。

たしかに、冒頭で作者の立ち位置(主義思想)がしっかりしていると、あとの文章を読み手は理解しやすくなります。
読み手に配慮すると自然と、結論や概要を前にしっかり提示しておかねばならないのです。

副島隆彦先生は「トップヘビー(Top Heavy)」で書かねば、誰も注目してくれないのだと文書指導をよくされています。

トップヘビーは文字数が限られている場合こそ有効な手段


受験の小論文は必ず文字数の指定があることがほとんどでしょう。その場合先に結論を書いておかないと、スペースが足らなくて結論無しになってしまうことは経験がある方も多いのではないでしょうか。私の場合もそうでした。

最初に結論を書いてしまえば、問題提起のあとは肉付け作業ですから、内容を取捨選択していけば、だいたいきっちり収まるのです。

過去ログ:文章力アップするネタの見つけ方を伝授 NHK教育 テストの花道
ドラマ「半沢直樹」は隠謀(Conspiracy)というものは何かを教えてくれる
擬音擬声語は読みやすくするための必須テクニックである
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神から離れることで自由になれる国と共にあることで自由になれる国 
Friday, January 23, 2015, 04:01 PM
1/23 晴 10時 浅草での空間線量は16ベクレル/立法メートル

昨日まで新聞をじっくり読む時間がありませんでした。今朝になってやっと溜っていた新聞を開いています。

イスラム教徒との対立問題はフランス風刺週刊新聞シャルリー・エブドで一気に顕在化してしまいました。新聞社襲撃に対するフランス政府の対応は全く迷いがありませんし、イスラム過激派との徹底対決を八割以上が賛同しています。

なぜか?

いまさらですが、西欧国とイスラム国家の成立の過程が全く異なることから起きている問題です。
厳格に個人主義を守り、宗教への批判さえも国民の権利として規定する共和国制の国々と、宗教規律を絶対視する国とではいつかはこのような事態になることは明白でした。

日本でも明治に入った啓蒙主義により、当時の知識人らが染みついた封建社会との乖離(かいり)や齟齬(そご)に悩んだのでしょう。

神から離れることで自由になれる



フランスでも18世紀は市民革命運動が盛んでしたが、日本でも幕末から明治にかけて廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)が盛んでした。

特権階級にある僧を追い払い、寺社寺院を破壊していきました。

よく誤解されているのですが明治政府が寺を壊したのではなく、くすぶっていた寺社への民衆の怒りが爆発したのです。
多くの寺が、檀家となることを強制されていた地域の人々の手で壊され、燃やされていったのが真実なのです。


恨まれて当然で、当時のお寺はとても強い支配力をもち、檀家から金品や労働力の収奪はおろか、地域の商業権、街道の通行料といった生活にかかわる利権を持っていたのです。つまり生まれたときから墓に眠るまでそこの寺の支配に置かれていたのですから。

フランスでもカトリックへの反発が強まり、やがて民衆蜂起へとつながっていきます。
規律(法律)は自分たちで決めるという考えが300年前からのフランスを始め普通の西欧人の感覚でしょう。

これがルネッサンスという運動であり、近代思想なのです。

だから信仰する宗教は尊重しても、こと宗教に対して批判することは知識人には当然として受け止められる。だから日本人の感覚では侮辱とさえ思える発言や表現に対しても、けっして謝ることはありませんね。

批判精神を持つこと、すわなち近代人(modern-man)としての気概です。

このような大騒動となってもオランド・フランス大統領の厳格な態度とそれを国民の大部分が支持していることに、私は大したものだと感心しました。

一方、報道ではイスラム国(ISIS)に監禁されている日本人ジャーナリストとわけのわからない気違いの対応に右往左往しているかのように見える日本政府。

かつて1977年ダッカの日本航空機ハイジャック事件で、当時の福田赳夫首相が「ひとりの命は地球より重い」なんていう戯れ言で、犯人の要求(身代金支払いと赤軍派の解放)を受け入れてしまいました。

フランス政府だったら絶対やらないでしょう。思想が対立する相手に阿(おも)ねる態度は政府も政治家もぜったいにとらない。

西洋もアメリカも思想を柱に成り立ってきた国だから



もし人質に危害を加えたら頭の上に、いくら戦力を使おうと、金がかかろうと、爆弾の雨を降らしてやるとすごむでしょうし、実際にフランス大統領ならば、それぐらいの発言をするでしょう。

「国民ひとりの命は地球よりも重い」なんてアホな発言は絶対しない



フランスの空母から爆撃機が飛んでいくだけです。相手の要求を受け入れることはフランス国の根源である民主主義(反宗教権力)姿勢の敗北を意味することですから。

日本は幸か不幸か、思想の背骨を抜き取られてふにゃふにゃコンニャク状態ですから、えへらえへらぺこぺこという態度に終始していくしかない。態度や主義がはっきりしないというのは先進国としては情けなく、信頼も損なう結果しか生まないでしょう。

頑なな態度で人質が殺害される結果となれば、それは政治生命が終わってしまうからです。
閣僚らは人の命うんぬんよりも、保身で動かざろう得ません。

だから日本は宗教対立がない珍しい国とも言えます。

なんで自ら戦場へ行った人の責任を政治家に問われる必要があるのか?

そんなことを考えることもできない日本人の大部分と、オランド大統領の支持率が八割を越えるフランス人との民主主義・近代思想の理解の差を感じるのです。
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地方再生へのブループリント 
Wednesday, January 21, 2015, 11:40 PM
評論家・宇野常寛(うのつねひろ)という人物による大学生を対象としていた講義を「未来授業」というラジオ番組でやっていました。なるほどと思いながら聴きました。
過去の授業は以下のURLで聴けます。Podcast/iTunesでもビデオや音声で聴けるようです。
http://www.tfm.co.jp/podcasts/future/

「地方はもうだめだ」が八割を占めるが本当か?



人口も減少しているのに観光産業や産業育成は無理ではないか?革新的なことは田舎では無理だという意見が普通でしょう。

ところがインターネットは今では都市部限定の道具に過ぎない、そこに盲点があるのではないかという若者への問いかけです。

例)「食べログ」というものは大都市でしか使えない(選択肢が多くて迷うという状況下でしか使えない)

本来は遠方の人の間の距離をキャンセルできる(同好の士を広く集められる)というツールであるのに、それが単なる都市圏内のふれあいツールになっている面があります。田舎はインターネットがなくても人のつながりはあるので必要性が薄いのだとか。

田舎の人がインターネットを活用する仕組みが今はない



ここに地方活性の鍵がありそうです。

東京オリンピックは何のためにあるのか?

前回1964年のオリンピックでは東海道新幹線が整備されて、東海道太平洋ベルト地帯を工業化していくという世界への宣言であったと指摘しています。東京オリンピックを境に東京への集中が進みだし、ロンドンやニューヨークも同様に現在では膨れすぎてしまったのです。
たとえば渋谷のような東京都の一地区でさえも東京とそれ以外(例として立川とか町田といった郊外都市でさえ)に二分割されてしまった。

結局日本国内の誰もが自分の住む地域に愛着を持つことが困難になっている。
またそれを逆手にとったご当地チームやご当地選手を応援する仕組みを2020年の東京オリンピックでも国民総参加でやれば良いのではないかという案もだしています。

スポーツで郷土愛を育むというのはJリーグが熱心ですね。でも私のような故郷を持っていない輩はしらけちゃいますけどね。

そもそも郷土愛を煽って、70年代に日本改造論という土木工事誘致策で名を馳せたのが、田名角栄です。
田中角栄が地方の東京化を煽り、そして権力を握った。

それはその時代が求めていた「地方の気分」ですから、それは仕方がない。それから半世紀・・・

でも地方の東京化は今や誰も望んでいない



私は国内旅行をけっこうするのですが、何もない田舎の方がずっと好きです。
でもそんな理想の田舎風景はいまではどこにもないのです。

宇野常寛氏が大学生に問いかけます。

地方が栄える(生き残る)とはどういう事か



特産品や観光資源で賑わうことだと誰もが思いがちです。

その土地(風情)と文化がそのままであることが最重要



駅前商店街や工場誘致ばかりに目が行って役所の人間は頭が回らないのです。

例)宮崎の高千穂は神話の舞台そのままで人も少ない過疎地ですが、変わらない風情が魅力となっています。

私も同感です。

ただし便利な生活を当たり前に感じている多くの日本人が逆行することは不可能です。

私なりの結論は交通や医療、住居を集約化したコンパクト化(コンパクトシティー)を進めるしかないのでしょう。

それは東京を倣うものではなく、独自な視点で行われるべき。

イノベーションを起すのに必要な人員は1000人も居れば十分なのだとか。

それがインターネット時代の地方再生なのだと力説しています。

田中角栄式の公共事業誘致の自然破壊で町おこしは時代遅れ



それでも東京の金を地方に落とさせる代議士ばかりが選ばれるという選挙制度が存続する限りは、ずっと変わらないでしょう。

(22日追記)講演の続きで

いままでのメディアは東京の情報を地方へ波及させるのが役目であると宇野常寛氏が指摘しています。だから地方はダメだ、という見方ばかりが地方の新聞読者やテレビ視聴者に浸透してしまうのです。

インターネットをしっかりとメディアとして育てる



情報社会では地方は下流に甘んじているのではなく、積極的に上流へ、発信側としての立ち位置を構築すべきという提言で終わっています。それも3年程度もあれば可能だというのです、インターネットでは。

いかがでしょうか? 

自ら発信しないということは、存在しないものと同義



注目してもらうという熱意と戦略が地方には求められているのです。
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ネットに貼り付いている人は是非読んでください。 
Monday, January 19, 2015, 10:15 PM
1/19 晴 18時 浅草での空間線量は17ベクレル/立法メートル

「ネット世論が日本を滅ぼす」(中田安彦 KKベスト新書)
10数年来の知人である中田安彦(なかた やすひこ)氏の新刊が出ていたので、早速浅草の書店で求めました。

処女作「ジャパンハンドラーズ」を始め、著作でアメリカの日本支配の実例を米国側ハンドラー(日本操り班)と日本側カウンターパート(実行者)の分析を行っている有能な人です。

「ネット世論が日本を滅ぼす」は今までの中田氏の著作のダイジェストとも言えます。

新書版ですから頁数も少なくてすぐに読み終わります、それに簡潔でわかりやすい内容です。

自分自身も中田氏や師匠の副島隆彦先生により成長させてもらったなと、感慨深く読みました。

中田氏が冒頭で告白しているように、偏った保守思想(いわゆるGHQによる大衆洗脳への反発)でした。私もそうでした。

中田氏は覇権国による属国支配の手法を研究していくうちに、大衆操作は今も昔も変わっていないことに気付きます。

左翼も右翼も権力者にとっては掌(たなごころ)の孫悟空にすぎない



ネットで正論という暴論をいくら煽ったところで、結局それは「建設的な議論」を遠ざける結果にしかならないという指摘です。

なぜならこの世は利害関係で生きているのだから



この関係を考慮しなければ、国と国、地方と中央、企業と企業、人と人・・・の実態がわからないからです。

あったりまえのことを、中田氏は冴える筆力ですっきりさせてくれます。

煽られて騒ぐ奴は日本を危うくしている存在



けっきょくは人気商売の政治家に利用され、役人の焼け太りになるだけなのです。

そしてそれは我々に決して利益になることではないのです。
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寒いときは中華まんにかぎる 
Sunday, January 18, 2015, 09:37 PM
今日は小春日和でした。

それでも明後日には大寒です。寒さの峠はあと少し。そこであんまん肉まん中華まん

をつくってみます。

薄力粉200gに砂糖とイースト、そしてわずかに重曹(ベーキングパウダー)

一次発酵させて、膨らんだら5等分か6等分にわけて、

あとは何でも詰め込んで丸めておきます。

今回は正月のあんことチーズを入れておきました。

フライパンを蒸し器代わりにして、一時間ほどおいて

火を付けます。10〜15分ほど蒸したらできあがり。

簡単中華まんです。トータル3時間程度でしょうか。

ふかふかでおいしいですよ。

過去ログ:まだまだ寒いのでホカホカあんまん
寒い日はあんまん・豚まんをつくってみる

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センター試験に渋川春海が出題されたけど・・・ 
Sunday, January 18, 2015, 08:04 AM


さっそく目を通してみました。さっぱりわかりません。
答えは34(2)、35(2又は4)、36(3)なんだそうです。

受験生は大変だなあという感想しかないです。私の年齢でセンター試験をやり遂げる気力はありませんね、

馬鹿馬鹿しくて


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映画「天地明察」を改めて観てみました〜江戸時代の数学の黎明〜 
Friday, January 16, 2015, 12:04 PM
1/16 晴 10時 浅草での空間線量は8ベクレル/立法メートル

私は数学が苦手です。ひととおり勉強したふりをしていますが、苦手意識は払拭されません。さらに畏怖の念が強くなっています。

そんな私に数学嫌いのために「天地明察」の感想を書けという依頼があったので、ビデオ屋に早速走りました。原作の小説は二年前に読んでおります。


あらためて感想を書くために小説を読みながら映画を観ると、当初とは違う感想を抱きました。

映画自体は小説よりもディテールはだいぶ省略されており、ストーリーも単純になっています。小説よりも深みはないですが、江戸時代の数学者=天文学者達を知るきっかけにはなるでしょう。

学問道場のWebで掲載されたら、こちらでも公開します。

数学(天文学)とは神学の一つです。

天球の動きを数式で表記できるかという人間の挑戦です。

ふと、私の大学時代の想い出がよみがえりました。

大学1年生か2年生あたりで応用数学の試験がありました。

1枚ペラの問題が配られて、目を落とすと・・・何が書いてあるのかさっぱりわからない(爆笑)

唯一わかる日本語が、設問の最後に「〜であることを証明せよ」という言葉です。

うっげ〜(@_@;)

電卓を適当に打ち込んで適当な数字を出しておけば「可」ぐらいはくれるだろうと思っていたら、長文の論述問題です。

結局、問題文の意味さえわからず、90分どうしたらよいのでしょうか?

そういう場合は、古今東西、ダメ学生はどのような行動をとるでしょうか?(スマートホンはおろかインターネットも無い頃です)

100%とる手段はこれしかない!

・・・前後左右の人の答案用紙を盗み見る!(笑)

さっそく首をひねったり、考えているフリをして隣の奴の紙を覗きます。

なんたって答案用紙が配られるやいなや、猛烈に書き込んでますから、これは期待できる!と覗いてみると

・・・一心不乱に般若心経をびっちりと書き込んでいました!(爆)

こいつは俺よりもアホだ・・・と変な安堵感を感じましたが、私も真似て般若心経を写すわけにはいきません。

結局90分間消しゴムを落としたり、無意味な首の体操をやりつづけて、解答欄に書いた文字はたった一行・・・

「教科書の16ページあたりに載っている」

です。般若心経よりはマシだろうという諦めの心境です。

般若心経のアホと私は落第決定です。こりゃ単位は無理だとお互い諦めていたのですが、予想に反して単位はもらえました。

いま何であの教授は私たちの答案にマルをつけてくれたかと思い直しています。

■ 「教科書にある」という回答でも実は十分条件

設問は何一つ覚えていません。おそらく何かの定理を証明せよという問題だったのだろうと思います。

証明せよという問に対して「教科書で証明は既になされている」というシンプルな返答は、数学的には正しい。

必要条件、十分条件、必要十分条件という集合論においては十分条件なのです。

ひょっとしたら教科書にない他の方法もあるのかもしれないし、その証明は誤りという可能性はあります。だから必要十分ではない。

しかし私の回答をバツにするには「教科書には記載されていない」ことを示さなければなければならないのです。

では般若心経もなぜマルだったのでしょう。

仏教極意は死んだらどうなる、空っぽ(宙)とはどういうことか、とてつもない広さ(宇)とはどういうことかをダラダラ綴ったものでしょう。念仏はいわゆる空間概念、存在概念の集大成です。(誰も理解できないけど)

森羅万象の理(ことわり)はお経で示されているから、その中で、設問の定理も含まれていると最後に一言加えれば回答の十分条件に成り得るのです。

数学の根本は人間の智恵でひねり出した「仮定」があるかどうかの「存在問題」です。(小室直樹の解説)

「ある」という証明は別に私でなくてもよいのです。
別に「ニュートンやライプニッツが過去に証明した」でも集合論では正しいのです。

今思えば、あの数学の教授はおこぼれで単位をくれたわけではなく、純粋な数学的な思考だったのだなあと思い直しています。

過去ログ:数学は神を知るための手段であるという西欧の常識
伊能忠敬と高橋至時(たかはしよしとき)の墓はご近所にあった
カレンダー(暦)にはこれほど面白いドラマがあったのか

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