レバーの簡単おいしい料理を公開します(電子レンジでチン!) 
Monday, January 26, 2015, 11:31 PM
スーパーで夕食の食材を見ていたら、今日は鶏のレバーが特売品でした。
いきつけのスーパーは鶏肉が安くて気に入っています。
そこで一つトレーを手に取ると、隣のお婆さんも同じく手を伸ばしました。
そして声をかけられました。

「このレバーはどうやって食べてるの?」



「おばあさんはいつもどうやって食べてるの」と逆に聞いてみると、フライパンで焼いているのだとか。でもあんまり美味しくない・・・と困った顔。(たぶんパサパサなんでしょう)

どうやらレバーをよく食べるようにお医者さんから指導されたのではないでしょうか。
そこで意を決して手を伸ばしたものの、さてどうしたもんかと思案していた横に、私がうひょー安いと満足げな顔をしていたので、声をかけて下さったのでしょう。

豚でも鶏でもレバーほど美味い物はないよ


私は新橋あたりの焼鳥屋でも必ず砂肝とレバーは定番で頼みます。これに焼酎か日本酒で最高じゃないですか。

おばあさんがせっかくお訊ね下さったので、それでは当家秘伝の簡単おいしいレバー料理をご披露しましょう・・・

なんてもったいつけましたが、親父から晩酌のつまみとして教えてもらったのです。

■簡単!美味い4分チンするだけのレバー料理



‥当につまみやすいように切って、耐熱皿に載せます。私はクッキングペーパーで包み焼きしてしまいます。後片付けが楽ですから。
塩胡椒を適当に振ります。塩分が気になる方は別に必要ないです。


⊇み消しで柚子を適当にかけます。私は柚子は冷凍してあるので、おろし金を使います。
レモンを柚子のように刷ってもいいです。輪切りレモンでもいいでしょうね。そこは好きずきです。


ここで登場ウースターソース。これを適当にジャバジャバかけます。塩味が好きならばかけなくても良いのですが、ウースターソースだとレバー臭さがなくて一層美味しく感じます。

い海海泙芭簑庫から取り出して、せいぜい1〜2分の作業じゃないですかね。

イ△箸魯ッキングペーパーで包むか、飛び散らないようにラップなどをして電子レンジ(600wWで4分)でチンするだけ。

このままお酒のつまみに、食卓の一品です。臭いが気にならなければ薄切りニンニクなどを入れてもいいし、辛党は七味唐辛子をかけてもいいですね。

とにかくウースターソースがこの料理の鍵です

あのおばあちゃん、ちゃんと料理できたかなあ。まあ電子レンジがあって、ウースターソースもあると言っていたので、絶対失敗のない料理法ですから、大丈夫でしょう。
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死刑制度がない国では犯人は皆殺しが基本です 
Monday, January 26, 2015, 01:30 PM
1/26 晴 10時 浅草での空間線量は14ベクレル/立法メートル

今週号の週刊プレイボーイでイスラム国(ISIS)の人質事件を自己顕示型テロと評して解説していたので、ついつい読んでしまいました。

アルカイダとイスラム国の主導権争いがテロの発端



アラブ事情通によると、アルカイダはイスラム国と敵対関係にあるから、互いに、俺様が上だといって配下にテロを煽っているそうです。
一層の理想主義を掲げるイスラム国にヨーロッパからの志願兵が集まる状況にアルカイダも危機感を抱いているからです。

フランスでのシャルリ・エブド社の襲撃はアルカイダが主犯
誘拐殺害事件はイスラム国(ISIS)が主犯
ベルギーのユダヤ人商店襲撃事件はアルカイダに感化された国内狂信派の犯行

このように、それぞれの過激派がヨーロッパへの示威行為としてテロ活動をやっているということなんでしょう。

とくにアルカイダとイスラム国(ISIS)はシリアでのシノギ争いで仲違いして、やがて勢力拡大のために大暴れしていく・・・

ヤクザ映画の抗争そのまんま



日本も革マルと中核が殺し合っていた時代があったなあ。

現在フランス軍はアラブ首長国連邦(UAE)やヨルダンに駐在している10機ていどの爆撃機で空爆しているそうです。

数日に一回程度ですが、唯一の空母を派遣して30機すべてを出したとしても一日に一回の爆撃がせいぜい。

この頻度の空爆で20万人が散らばるアルカイダやイスラム国を殲滅することはまず不可能です。

しかも地上戦で掃討するために派兵できる兵士は1万人、傭兵を加えても1万五千しかいないのだとか。大部分の兵士は国内警護に貼り付くしかないです。
だから内と外で敵を抱えて、少数で市街戦を行うことなどどだい無理で、フランスが圧倒的に不利な状況です。ゲリラ戦ではほぼ勝ち目はない。

さらに後門の虎として観光業に対する打撃と、経済面でも若者の失業者があふれ過激思想に染まる若者が後を絶たないという状況。

死刑制度のない国では即射殺が基本姿勢



佐藤優氏がコメントしていますが、死刑廃止国ではテロや立て籠もり事件の犯人は射殺が当然なのだとか。
下手に犯人を刑務所に入れておくと、新たなテロの誘発や、仲間が誘拐におよび犯人釈放要求がでるからという説明でした。

なるほど。

テロリストとジャンキーは即射殺が私も一番良いと思います。

フランスの原発などテロ標的になりやすい施設はバルカン砲まで据えられているそうです。
現在フランス国内では兵士が至るところで警備についています。また警官のパトカーには小火器(ショットガンや自動小銃)が必ずあるそうです。

日本では6発しか撃てない回転式短銃しか携帯していないというのは良い国だなと思います。
さらに原発の警備はセコムしてますか?におまかせです。ああ日本はよい国だ。

そんな誰もが安眠できる国家でありながら、安倍晋三の下手な外交でぶちこわされつつあります。
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やっと国道6号線をJR常磐線代替(だいたい)バスが通りますよ 
Sunday, January 25, 2015, 12:32 PM
JR常磐線で上野から仙台まで行くのは鉄道オタクしかいないとは思います。

青春18切符(普通列車のみ乗り放題の切符)では常磐線は手強い路線です。
なんたって

常磐線の普通列車は停車時間が糞長い



乗車時間よりも停車時間の方が長いような気がしてくるほど。何本も後続の特急をやり過ごすからです。もう少しダイヤをなんとかしろと思ってしまいますね。

まあ特急料金を払えば快適なのですけども。

常磐線の想い出は、東海村の原子力機関へ会社員の頃何度か通ったことがあるのです。
会社がドケチで特急料金を払ってくれないの。社員規定で平社員は使えないという超絶ブラック企業でした。

なによりも無愛想で無口な上司と3時間も一緒にいなければならないという苦行の場でした。車窓をひたすら眺めて、ああ田舎だと悪態をつくぐらいしかやることがない。

常磐線はまだ磐城ぐらいまでしか乗ったことがないのですけども、そこから以遠は未知の世界。

乗車経験はありませんが、避難区域で立入禁止になるまでは常磐線沿いによく車を走らせて津波被害を目に留めています。

線路も駅舎もぐっちゃぐちゃ、特に富岡駅は。
高架線も倒れているところが多いですから、路線復旧はそう簡単ではないでしょう。

それでも代替(だいたい)バスが走って、やっと常磐線が全線通じたということは良いニュースです。

鉄板に覆われている列車に微量な放射線なんてかんけーねえから早いとこ、常磐線全線復旧してほしいものです。

そして竜田ー原ノ町間がどれほどの田舎かを知ってもらいたいものです。
なんたってダッシュ村があるようなとこですから。
(1/28追記)
現在富岡駅の写真が朝日新聞に掲載されていました。倒れた架線は撤去されて、とうとう階段も解体されるようです。半壊した駅舎もなくなってますね。
のっぺらぼうのホームだけになるようです。

津波が流し去ったあとは荒涼としていましたけども、2年前に訪れたときは一面草生してました。不謹慎ですが、草むらの中の崩れた駅という構図はなかなか絵になります。

証拠に、何台もの観光バスが来てましたから。それも大阪から。

目の前はきれいな海水浴場で、土産物屋はおろかコンビニさえない海水浴場です。
そのまま残せば観光資源になったのになあと思います。

すぐ脇に新しい駅舎をつくればよかったのに。なんたって周囲は何もないのだから。
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放射線防御の機構は生命には備わっているということ 
Sunday, January 25, 2015, 11:58 AM
1/25 晴 10時 浅草での空間線量は14ベクレル/立法メートル

動物実験でマウスに10分で8.5Sv(一時間当たり換算では51Sv/h)という致死レベルを照射しても15匹中13,14匹が生存したという記事です。

8.5Svという数値は東海村原子力事故(バケツ臨界事故)の数倍というレベルです。

細胞の再生を促進する特定蛋白質を活性化する化合物を与えた結果であると結論づけています。

まあ普通の人が絶対にこのような強度の放射線を浴びることはまずないでしょう。
濃縮ウランをバケツで移すような作業をしている人以外は。

だからもし薬ができたとしても、販売先は限られています。

和歌山カレー事件で砒素の中和薬が被害者に使われましたが、あの薬は全国の自衛隊にわずかしか常備されておらず、薬の卸問屋が全国の倉庫や納品先の自衛隊基地をかけずり回って、やっと少量現地に届けたという話です。

農薬の誤飲とかで10年に引き合いが1件あるかないかというレベルですから、問屋でさえ冷蔵庫の奥底に一本あるかどうかというほどのもの。だから儲からないし問屋が置きたがらない。自衛隊や防衛医大と取引のある業者が、依頼されて保管しているものです。

もし放射線による細胞の壊死をくい止める薬ができたら、少量一定数は備蓄されるでしょう。使われることはなくても。

それよりも、記事中の

DNA修復の機構は元々生物に備わっているということ


に着目します。もともと生命はそうやって進化してきたのだから。

DNAの修復能力は個人差があるかもしれませんね。DNAの修復能力がなくなれば、それは寿命ってやつでしょう。

過去ログ:
植物に突然変異を起こさせるための線量は160μSv/h〜24mSv/hあたりなのかな
宇宙アサガオ、異常早咲き 20倍の花の個数(メモ)
トーマス・ラッキー(ミズーリ大学名誉教授)2008年の論文より
(ほらね)宇宙桜はなぜか急成長−読売新聞

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受験小論文は型(フォーマット:format)がある NHK教育 テストの花道 
Saturday, January 24, 2015, 12:59 PM
1/24 曇 10時 浅草での空間線量は14ベクレル/立法メートル

NHK教育で小論文の書き方を再放送していました。過去にここでも書いた覚えがあるのですが、また観てしまったので再度書き直します。

■学校で習う作文には3つ種類があり、明確に区別する


感想文:<感じたこと>を書く
報告文:<事実>を書く
小論文:<自分の考えたこと>を書く

■小論文はYes/Noを提示するのが主論


駄目な例)制服について書きなさいという設問に・・・
|瞥遒諒庫が「〜と感じる」「〜と思う」で終わっている
 ←小論文は「〜と考える」という自身の主張が求められる
∨粗から「〜であるならば」と仮定で始める
 ←問題に対しての認識不足
7誅世ない
 ←掘り下げが足りない

■問題提起にもコツがある


・賛否両論が均等にあること
・社会性があること
・自分の手に負えること

■小論文の型(format)をしっかり意識する


キーワードは「だろうか、た・し・な・よ」



〔簑蠶鶺 「〜だろうか」例)学校に制服は必要だろうか?

意見提示(まず肯定して否定する)
「たしかに〜である。しかし〜でもある」例)多くの学校でも制服はあるが、ない学校もある。

E験 「なぜなら」
例)なぜなら制服には〜という生徒にも学校にも利点がある。しかし海外では珍しい。

し誅澄 屬茲辰董∋笋蓮舛塙佑┐襦


■小論文の重要な箇所はE験


問題を掘り下げるには「3W1H」を使えば簡単。ゲームのつもりで常に3つ以上の理由をあげる練習が有効。
例)「海外旅行へ行くべきである」なぜなら「経験が積める」「親睦を図れる」「知らない面を互いに知れる」等

WHY:意見の根拠、理由
WHERE:どこで、他の場所では
WHEN:いつから
HOW:どうやって

以上がテレビ番組の内容で、あとは日頃からニュースや身近なことを題材にして、この小論型にあわせて訓練をすればいいという結論です。一般論でありきたりな結論ではなく、意表をつく結論が高得点の鍵です。ただし暴論や極端な意見は結論とは言えません。
自分の体験や経験したことを入れることも必要です。

■破綻した文章を書く人の特徴


私は他人の文章を読む機会が多く、校正や感想を求められることがよくあります。

感想文というのに、実験レポートのような記録しかない文章。
報告文というのに、自分の感想や主張しかない文章。
小論文というのに、結論がなく、他の意見を考慮しない一方的な暴論。

もう、投げ出したくなります。大学入試の小論採点者は大変な役目です。読んでもらおうという気持ちがない文は頭痛がしてきます。

たとえば、宗教勢力が日本を牛耳っているとか、在日朝鮮人が闇勢力と結託しているとか、ユダヤ人が政治勢力を操っているといった都市伝説まがいのもの。妄想(〜と思う)や断定(〜だ)ばかりが目立つ文です。

一例として創価学会の支持層が増えていることを根拠にすれば、少しは説得力が増しますが、実態は減少傾向にありますし、だいたい数十万人レベルです。投票者の大きな割合があるとはいえ、日本を牛耳るほどの勢力ではないことは小学生でもわかります。

■読書感想文は書籍からの引用7割、感想・意見・反論3割


「引用7割、自分の意見3割」は中田安彦氏が読書感想文の鉄則としてあげていることです。
もっとも引用は8割でもいいそうです。

その本を読み手が理解できて、かつ要所要所にコメントが入ると、誰もが納得できる文章になるのだとか。

読書感想文って学校の宿題でやらされたと思います。そして大多数が大嫌いです。

読書感想文も簡単に書くことが出来るコツがある



ええ、機械的にやれば、いっぱしの文になる型(Format)があるのですよね。

中田さんや副島隆彦先生の所有されていた本を見てみると、鉛筆やボールペンの殴り書きがたくさんあります。
あとはこれを見直して、書き連ねればよい。

そんなに殴り書きできないよと誰もが思うでしょう。

「へぇ〜」「そんな馬鹿な」「これは重要」「違う」・・・たとえば電車の中で読んでいて、余白にこのような文字だけでも入れておくと、あとでどのような感想を持っていたのかが一目瞭然です。

だから書き込みのあるページを拾ってやれば、読書感想文はいっちょあがり。自分の意見は全文量の3割以下が目標ですから、なんたって楽ちんです。


■インターネット、商業文章(雑誌や実用書)、科学論文では書き順が大きく違う


小論文の型は「だろうか、た・し・な・よ」と申しましたが、副島隆彦先生は、この順番では商業文章(人に買ってもらって読んでもらう文章)にはならないのだとよく言われています。

インターネット、商業文章、科学論文では冒頭に結論を書く



し誅澄 屬茲辰董∋笋蓮舛塙佑┐襦
例:私は学校には必ず制服が必要と考えている

〔簑蠶鶺 「〜だろうか」
例:はたして高校生で制服は必要であろうか?

意見提示(まず肯定して否定する)
例:制服には学生にも学校にも利点がある。しかし自主性が損なわれる。

E験 「なぜなら」
例:海外では制服を着る風習は一部の伝統校のみである。

結論・主張を先に述べることが欧米式論文の作法(manners)なのだそうです。

たしかに、冒頭で作者の立ち位置(主義思想)がしっかりしていると、あとの文章を読み手は理解しやすくなります。
読み手に配慮すると自然と、結論や概要を前にしっかり提示しておかねばならないのです。

副島隆彦先生は「トップヘビー(Top Heavy)」で書かねば、誰も注目してくれないのだと文書指導をよくされています。

トップヘビーは文字数が限られている場合こそ有効な手段


受験の小論文は必ず文字数の指定があることがほとんどでしょう。その場合先に結論を書いておかないと、スペースが足らなくて結論無しになってしまうことは経験がある方も多いのではないでしょうか。私の場合もそうでした。

最初に結論を書いてしまえば、問題提起のあとは肉付け作業ですから、内容を取捨選択していけば、だいたいきっちり収まるのです。

過去ログ:文章力アップするネタの見つけ方を伝授 NHK教育 テストの花道
ドラマ「半沢直樹」は隠謀(Conspiracy)というものは何かを教えてくれる
擬音擬声語は読みやすくするための必須テクニックである
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神から離れることで自由になれる国と共にあることで自由になれる国 
Friday, January 23, 2015, 04:01 PM
1/23 晴 10時 浅草での空間線量は16ベクレル/立法メートル

昨日まで新聞をじっくり読む時間がありませんでした。今朝になってやっと溜っていた新聞を開いています。

イスラム教徒との対立問題はフランス風刺週刊新聞シャルリー・エブドで一気に顕在化してしまいました。新聞社襲撃に対するフランス政府の対応は全く迷いがありませんし、イスラム過激派との徹底対決を八割以上が賛同しています。

なぜか?

いまさらですが、西欧国とイスラム国家の成立の過程が全く異なることから起きている問題です。
厳格に個人主義を守り、宗教への批判さえも国民の権利として規定する共和国制の国々と、宗教規律を絶対視する国とではいつかはこのような事態になることは明白でした。

日本でも明治に入った啓蒙主義により、当時の知識人らが染みついた封建社会との乖離(かいり)や齟齬(そご)に悩んだのでしょう。

神から離れることで自由になれる



フランスでも18世紀は市民革命運動が盛んでしたが、日本でも幕末から明治にかけて廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)が盛んでした。

特権階級にある僧を追い払い、寺社寺院を破壊していきました。

よく誤解されているのですが明治政府が寺を壊したのではなく、くすぶっていた寺社への民衆の怒りが爆発したのです。
多くの寺が、檀家となることを強制されていた地域の人々の手で壊され、燃やされていったのが真実なのです。


恨まれて当然で、当時のお寺はとても強い支配力をもち、檀家から金品や労働力の収奪はおろか、地域の商業権、街道の通行料といった生活にかかわる利権を持っていたのです。つまり生まれたときから墓に眠るまでそこの寺の支配に置かれていたのですから。

フランスでもカトリックへの反発が強まり、やがて民衆蜂起へとつながっていきます。
規律(法律)は自分たちで決めるという考えが300年前からのフランスを始め普通の西欧人の感覚でしょう。

これがルネッサンスという運動であり、近代思想なのです。

だから信仰する宗教は尊重しても、こと宗教に対して批判することは知識人には当然として受け止められる。だから日本人の感覚では侮辱とさえ思える発言や表現に対しても、けっして謝ることはありませんね。

批判精神を持つこと、すわなち近代人(modern-man)としての気概です。

このような大騒動となってもオランド・フランス大統領の厳格な態度とそれを国民の大部分が支持していることに、私は大したものだと感心しました。

一方、報道ではイスラム国(ISIS)に監禁されている日本人ジャーナリストとわけのわからない気違いの対応に右往左往しているかのように見える日本政府。

かつて1977年ダッカの日本航空機ハイジャック事件で、当時の福田赳夫首相が「ひとりの命は地球より重い」なんていう戯れ言で、犯人の要求(身代金支払いと赤軍派の解放)を受け入れてしまいました。

フランス政府だったら絶対やらないでしょう。思想が対立する相手に阿(おも)ねる態度は政府も政治家もぜったいにとらない。

西洋もアメリカも思想を柱に成り立ってきた国だから



もし人質に危害を加えたら頭の上に、いくら戦力を使おうと、金がかかろうと、爆弾の雨を降らしてやるとすごむでしょうし、実際にフランス大統領ならば、それぐらいの発言をするでしょう。

「国民ひとりの命は地球よりも重い」なんてアホな発言は絶対しない



フランスの空母から爆撃機が飛んでいくだけです。相手の要求を受け入れることはフランス国の根源である民主主義(反宗教権力)姿勢の敗北を意味することですから。

日本は幸か不幸か、思想の背骨を抜き取られてふにゃふにゃコンニャク状態ですから、えへらえへらぺこぺこという態度に終始していくしかない。態度や主義がはっきりしないというのは先進国としては情けなく、信頼も損なう結果しか生まないでしょう。

頑なな態度で人質が殺害される結果となれば、それは政治生命が終わってしまうからです。
閣僚らは人の命うんぬんよりも、保身で動かざろう得ません。

だから日本は宗教対立がない珍しい国とも言えます。

なんで自ら戦場へ行った人の責任を政治家に問われる必要があるのか?

そんなことを考えることもできない日本人の大部分と、オランド大統領の支持率が八割を越えるフランス人との民主主義・近代思想の理解の差を感じるのです。
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地方再生へのブループリント 
Wednesday, January 21, 2015, 11:40 PM
評論家・宇野常寛(うのつねひろ)という人物による大学生を対象としていた講義を「未来授業」というラジオ番組でやっていました。なるほどと思いながら聴きました。
過去の授業は以下のURLで聴けます。Podcast/iTunesでもビデオや音声で聴けるようです。
http://www.tfm.co.jp/podcasts/future/

「地方はもうだめだ」が八割を占めるが本当か?



人口も減少しているのに観光産業や産業育成は無理ではないか?革新的なことは田舎では無理だという意見が普通でしょう。

ところがインターネットは今では都市部限定の道具に過ぎない、そこに盲点があるのではないかという若者への問いかけです。

例)「食べログ」というものは大都市でしか使えない(選択肢が多くて迷うという状況下でしか使えない)

本来は遠方の人の間の距離をキャンセルできる(同好の士を広く集められる)というツールであるのに、それが単なる都市圏内のふれあいツールになっている面があります。田舎はインターネットがなくても人のつながりはあるので必要性が薄いのだとか。

田舎の人がインターネットを活用する仕組みが今はない



ここに地方活性の鍵がありそうです。

東京オリンピックは何のためにあるのか?

前回1964年のオリンピックでは東海道新幹線が整備されて、東海道太平洋ベルト地帯を工業化していくという世界への宣言であったと指摘しています。東京オリンピックを境に東京への集中が進みだし、ロンドンやニューヨークも同様に現在では膨れすぎてしまったのです。
たとえば渋谷のような東京都の一地区でさえも東京とそれ以外(例として立川とか町田といった郊外都市でさえ)に二分割されてしまった。

結局日本国内の誰もが自分の住む地域に愛着を持つことが困難になっている。
またそれを逆手にとったご当地チームやご当地選手を応援する仕組みを2020年の東京オリンピックでも国民総参加でやれば良いのではないかという案もだしています。

スポーツで郷土愛を育むというのはJリーグが熱心ですね。でも私のような故郷を持っていない輩はしらけちゃいますけどね。

そもそも郷土愛を煽って、70年代に日本改造論という土木工事誘致策で名を馳せたのが、田名角栄です。
田中角栄が地方の東京化を煽り、そして権力を握った。

それはその時代が求めていた「地方の気分」ですから、それは仕方がない。それから半世紀・・・

でも地方の東京化は今や誰も望んでいない



私は国内旅行をけっこうするのですが、何もない田舎の方がずっと好きです。
でもそんな理想の田舎風景はいまではどこにもないのです。

宇野常寛氏が大学生に問いかけます。

地方が栄える(生き残る)とはどういう事か



特産品や観光資源で賑わうことだと誰もが思いがちです。

その土地(風情)と文化がそのままであることが最重要



駅前商店街や工場誘致ばかりに目が行って役所の人間は頭が回らないのです。

例)宮崎の高千穂は神話の舞台そのままで人も少ない過疎地ですが、変わらない風情が魅力となっています。

私も同感です。

ただし便利な生活を当たり前に感じている多くの日本人が逆行することは不可能です。

私なりの結論は交通や医療、住居を集約化したコンパクト化(コンパクトシティー)を進めるしかないのでしょう。

それは東京を倣うものではなく、独自な視点で行われるべき。

イノベーションを起すのに必要な人員は1000人も居れば十分なのだとか。

それがインターネット時代の地方再生なのだと力説しています。

田中角栄式の公共事業誘致の自然破壊で町おこしは時代遅れ



それでも東京の金を地方に落とさせる代議士ばかりが選ばれるという選挙制度が存続する限りは、ずっと変わらないでしょう。

(22日追記)講演の続きで

いままでのメディアは東京の情報を地方へ波及させるのが役目であると宇野常寛氏が指摘しています。だから地方はダメだ、という見方ばかりが地方の新聞読者やテレビ視聴者に浸透してしまうのです。

インターネットをしっかりとメディアとして育てる



情報社会では地方は下流に甘んじているのではなく、積極的に上流へ、発信側としての立ち位置を構築すべきという提言で終わっています。それも3年程度もあれば可能だというのです、インターネットでは。

いかがでしょうか? 

自ら発信しないということは、存在しないものと同義



注目してもらうという熱意と戦略が地方には求められているのです。
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ネットに貼り付いている人は是非読んでください。 
Monday, January 19, 2015, 10:15 PM
1/19 晴 18時 浅草での空間線量は17ベクレル/立法メートル

「ネット世論が日本を滅ぼす」(中田安彦 KKベスト新書)
10数年来の知人である中田安彦(なかた やすひこ)氏の新刊が出ていたので、早速浅草の書店で求めました。

処女作「ジャパンハンドラーズ」を始め、著作でアメリカの日本支配の実例を米国側ハンドラー(日本操り班)と日本側カウンターパート(実行者)の分析を行っている有能な人です。

「ネット世論が日本を滅ぼす」は今までの中田氏の著作のダイジェストとも言えます。

新書版ですから頁数も少なくてすぐに読み終わります、それに簡潔でわかりやすい内容です。

自分自身も中田氏や師匠の副島隆彦先生により成長させてもらったなと、感慨深く読みました。

中田氏が冒頭で告白しているように、偏った保守思想(いわゆるGHQによる大衆洗脳への反発)でした。私もそうでした。

中田氏は覇権国による属国支配の手法を研究していくうちに、大衆操作は今も昔も変わっていないことに気付きます。

左翼も右翼も権力者にとっては掌(たなごころ)の孫悟空にすぎない



ネットで正論という暴論をいくら煽ったところで、結局それは「建設的な議論」を遠ざける結果にしかならないという指摘です。

なぜならこの世は利害関係で生きているのだから



この関係を考慮しなければ、国と国、地方と中央、企業と企業、人と人・・・の実態がわからないからです。

あったりまえのことを、中田氏は冴える筆力ですっきりさせてくれます。

煽られて騒ぐ奴は日本を危うくしている存在



けっきょくは人気商売の政治家に利用され、役人の焼け太りになるだけなのです。

そしてそれは我々に決して利益になることではないのです。
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寒いときは中華まんにかぎる 
Sunday, January 18, 2015, 09:37 PM
今日は小春日和でした。

それでも明後日には大寒です。寒さの峠はあと少し。そこであんまん肉まん中華まん

をつくってみます。

薄力粉200gに砂糖とイースト、そしてわずかに重曹(ベーキングパウダー)

一次発酵させて、膨らんだら5等分か6等分にわけて、

あとは何でも詰め込んで丸めておきます。

今回は正月のあんことチーズを入れておきました。

フライパンを蒸し器代わりにして、一時間ほどおいて

火を付けます。10〜15分ほど蒸したらできあがり。

簡単中華まんです。トータル3時間程度でしょうか。

ふかふかでおいしいですよ。

過去ログ:まだまだ寒いのでホカホカあんまん
寒い日はあんまん・豚まんをつくってみる

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センター試験に渋川春海が出題されたけど・・・ 
Sunday, January 18, 2015, 08:04 AM


さっそく目を通してみました。さっぱりわかりません。
答えは34(2)、35(2又は4)、36(3)なんだそうです。

受験生は大変だなあという感想しかないです。私の年齢でセンター試験をやり遂げる気力はありませんね、

馬鹿馬鹿しくて


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映画「天地明察」を改めて観てみました〜江戸時代の数学の黎明〜 
Friday, January 16, 2015, 12:04 PM
1/16 晴 10時 浅草での空間線量は8ベクレル/立法メートル

私は数学が苦手です。ひととおり勉強したふりをしていますが、苦手意識は払拭されません。さらに畏怖の念が強くなっています。

そんな私に数学嫌いのために「天地明察」の感想を書けという依頼があったので、ビデオ屋に早速走りました。原作の小説は二年前に読んでおります。


あらためて感想を書くために小説を読みながら映画を観ると、当初とは違う感想を抱きました。

映画自体は小説よりもディテールはだいぶ省略されており、ストーリーも単純になっています。小説よりも深みはないですが、江戸時代の数学者=天文学者達を知るきっかけにはなるでしょう。

学問道場のWebで掲載されたら、こちらでも公開します。

数学(天文学)とは神学の一つです。

天球の動きを数式で表記できるかという人間の挑戦です。

ふと、私の大学時代の想い出がよみがえりました。

大学1年生か2年生あたりで応用数学の試験がありました。

1枚ペラの問題が配られて、目を落とすと・・・何が書いてあるのかさっぱりわからない(爆笑)

唯一わかる日本語が、設問の最後に「〜であることを証明せよ」という言葉です。

うっげ〜(@_@;)

電卓を適当に打ち込んで適当な数字を出しておけば「可」ぐらいはくれるだろうと思っていたら、長文の論述問題です。

結局、問題文の意味さえわからず、90分どうしたらよいのでしょうか?

そういう場合は、古今東西、ダメ学生はどのような行動をとるでしょうか?(スマートホンはおろかインターネットも無い頃です)

100%とる手段はこれしかない!

・・・前後左右の人の答案用紙を盗み見る!(笑)

さっそく首をひねったり、考えているフリをして隣の奴の紙を覗きます。

なんたって答案用紙が配られるやいなや、猛烈に書き込んでますから、これは期待できる!と覗いてみると

・・・一心不乱に般若心経をびっちりと書き込んでいました!(爆)

こいつは俺よりもアホだ・・・と変な安堵感を感じましたが、私も真似て般若心経を写すわけにはいきません。

結局90分間消しゴムを落としたり、無意味な首の体操をやりつづけて、解答欄に書いた文字はたった一行・・・

「教科書の16ページあたりに載っている」

です。般若心経よりはマシだろうという諦めの心境です。

般若心経のアホと私は落第決定です。こりゃ単位は無理だとお互い諦めていたのですが、予想に反して単位はもらえました。

いま何であの教授は私たちの答案にマルをつけてくれたかと思い直しています。

■ 「教科書にある」という回答でも実は十分条件

設問は何一つ覚えていません。おそらく何かの定理を証明せよという問題だったのだろうと思います。

証明せよという問に対して「教科書で証明は既になされている」というシンプルな返答は、数学的には正しい。

必要条件、十分条件、必要十分条件という集合論においては十分条件なのです。

ひょっとしたら教科書にない他の方法もあるのかもしれないし、その証明は誤りという可能性はあります。だから必要十分ではない。

しかし私の回答をバツにするには「教科書には記載されていない」ことを示さなければなければならないのです。

では般若心経もなぜマルだったのでしょう。

仏教極意は死んだらどうなる、空っぽ(宙)とはどういうことか、とてつもない広さ(宇)とはどういうことかをダラダラ綴ったものでしょう。念仏はいわゆる空間概念、存在概念の集大成です。(誰も理解できないけど)

森羅万象の理(ことわり)はお経で示されているから、その中で、設問の定理も含まれていると最後に一言加えれば回答の十分条件に成り得るのです。

数学の根本は人間の智恵でひねり出した「仮定」があるかどうかの「存在問題」です。(小室直樹の解説)

「ある」という証明は別に私でなくてもよいのです。
別に「ニュートンやライプニッツが過去に証明した」でも集合論では正しいのです。

今思えば、あの数学の教授はおこぼれで単位をくれたわけではなく、純粋な数学的な思考だったのだなあと思い直しています。

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計算の「+」「−」「×」「÷」は誰が決めたの? 
Wednesday, January 14, 2015, 05:08 PM
1/14 晴 10時 浅草での空間線量は5ベクレル/立法メートル

「超面白くて眠れなくなる数学」(桜井進著 PHP)から続けてネタを引用します。

小学校からあたりまえのように四則演算の記号を使っています。
なんで足すのが「+」なのか、そんなこと考えたことはないでしょうし、
たぶん聞いたところで誰もが「それは昔からの約束事だから・・・」と言葉を濁すでしょう。

数学がいやらしくて嫌いにさせる要素は、この約束事が突然前提も説明も無しに現れることです。

たとえば中学では一次関数 Y=aX+bと書いていたのに
高校では f(x)=aX+bと白板に書かれる。

「おい、Yはどこに行った?」



こんな事を誰もが授業で感じたことはないでしょうか。Y=と書くよりも、なんとなくf(x)と書く方が高級で格好良く感じるからでしょうか。

こんな事で挫折していく人も多いのかもしれません。

高校では数学という科目から、統計・確率、数列、代数、微分積分、幾何と分化していきます。

数字を扱う授業であっても、流派(宗派)が異なると式の書き方が違ってくるし、Σとかσとか記号ばっかり。

私が一番悩んだのは、教師や教科によって微分の書き方が異なることです。

一回微分した式をf'(x)と「’」をつけていたのに、ある時にはdy/dxと書かれ、またある時にはd/dxと書かれる・・・

「おい、f(x)はどこに行った?」



こんな誰も教えてくれない悩みを抱えていくのです。聞いたところで「昔からの約束事だから・・・」とかわされます。

ちなみにf'(x)という表記は数学者ラグランジェの書き方で、dy/dx(d/dx)という表記は数学者ライプニッツの書き方です。
工学系(応用数学系:すなわち微分積分が主体の学問)では後者が使われることが多いと思います。
幾何では微分を逆三角形(ナブラ記号)で表記されます。

ですから同じ数学のグループであっても微分積分と幾何や代数とでは同じ意味の式でも書き方が違う。
これぐらいならまだ許せますが、さらに高等数学へ進むと、偏微分というものに出会います。
そこでは微分の書き方はギリシャ文字(∂:ディー)が使われます。一番面食らったのは∂x∂yという表記を黒板で見たことです。

「yがいきなり復活して目の前にある!」



このように流派や教える側の都合でコロコロ場当たり的に変わります。1回微分2回微分3回微分と微分を重ねる表記は∂^n(ディーのn乗)と書きます。

これも数学でいうべき乗(同じ数を指定回数かける)と表記は同じですが、意味は全然違います。これもいちいち頭を切り換えなければなりませんね。

数式の書き方はそのまま数学の歴史であり、やっつけ的な妥協案に過ぎない



あたらしい概念が生まれても、それを紙に書いて示すことが難しいので、数学者は自分でわかるような表記をしていたのです。
それがそのまま後世にも残ったということ。まったく困ったもんです。

「+」「−」「×」「÷」はいつ頃から使われ始めたのか?



話を戻して、本から引用すると
「+」は1514年オランダのファンダル・フォッケの算術の本で初めて使われたそうです。
ラテン語の「et(英語のand)」の筆記体が崩れて+になったということ。

「−」もファンダル・フォッケの算術の本で初めて使われたそうです。
元々はラテン語の「de(demptusの頭文字)」だったそうですが、西欧では演算子に〜を頭につけていた習慣が−だけに残ったという説です。

「×」は1631年にイギリスのウィリアム・オートレッドが数学の教科書で初めて使いました。
×は元々はX(エックス)です。
Xというのはかけ算はたすき掛で計算しろという意味でした。(たすき掛の計算例は割愛します)
しかし分数の計算では逆にたすき掛してはならないという不具合があります。

そのため×はあまり浸透せず、x・yというように点で表わす方法やxyというように連ねて書くこともあります。
現在でも×という記号の使用率は低いですね。

「÷」は1522年にドイツのアダム・リースと1659年にスイスのハイリッヒ・ラーンの著作で使われたというぐらいです。
17世紀から18世紀にイギリスのジョン・ウォリスやアイザック・ニュートンが「÷」を多用したのでイギリスでは広く浸透したのだそうです。

そのころのドイツではライプニッツという大数学者がかけ算には「・」割り算には「・・」と表記していたので、ドイツの数学界では「÷」は使われていません。ニュートンもライプニッツも微分積分の偉大な数学者で、それぞれ多くの人に支持されていました。
だから表記法を巡って「÷」「・・」と英独に別れて統一されなかったのです。
日本では点が二つ「:」は比を表わすので、まぎらわしいので割り算の意味はありません。

「×」や「÷」という記号を知らない外人だっているってこと。ちなみに工学系や応用数学では「×」や「÷」はほとんど観たことがありません。かけ算は続けて書くし、割り算は分数です。

小学校から高校、大学の初等あたりの数学はこのように数学史というべきものなのです。

我々が授業で習うのはさながら古事記、万葉集、徒然草といった古典の名著なのです。
だから時代時代で表記表現が違うということ。


そんなことがわかれば、ちょっとは数学が好きになれそうです。
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なぜ億という単位があるの?「超面白くて眠れなくなる数学」(桜井進) 
Tuesday, January 13, 2015, 12:26 PM
1/13 晴 10時 浅草での空間線量は4ベクレル/立法メートル

サイエンスナビゲーターと称する桜井進の本を就寝時に読んでいます。
同じ内容が朝日新聞に連載されていたのでおさらいです。

数学がなぜ面白くないのか、縁遠く感じるのかは誰もが感じているのでしょうけども

教える側が身近に感じさせないからです。

ナヴィゲーター(navigator)とは本来の古い意味は航海士(こうかいし)のことです。
船を動かすのは船長(キャプテン:captain)ではなく、航海士の指示で動きます。

地図や海図、そして自船の位置を地形や太陽・星の角度で割り出して進路を決定する一番重要な役目です。また積荷の重量バランスなども出港前には計算しなければなりません。

ナヴィゲーターとは幾何学の専門家でもあるのです。
そして安全に目的地まで誘導する役割を担っているのです。

サイエンスナビゲーターという造語はなかなか(センスの)良い言葉だなと思います。

ひるがえって、我々が綿々と受けてきた学校の授業でしっかり「誘導」されたかというと・・・文部省や自治体の教育委員会、現場教師に対しては恨み辛みの一言でも返したいもんです。つまらない授業ばっかり。

私の場合、文学や古典が面白いと感じたのは予備校の授業です。また英語がシンプルな規則で成り立っているという副島隆彦先生(当時は予備校講師)の参考書「道具としての英語」シリーズを読んで、なんとなく英語が身近に感じました。

教師はすべてナビゲーターであってほしいものです。
副島隆彦は言ってみれば「思想ナビゲーター」でしょう。ついでに小室直樹は哲学ナビゲーターといったところでしょう。

桜井進という著者は学校教育で抜けている視点を上手く逆手にとっていますね。

たとえば数字の単位(数詞)の由来について

一、十、百、千、万、億、兆、京・・・どうしてこの数詞が使われるようになったのか?こんなことを数学の授業で習った人はいません。

昔の庶民は数の概念はそれほどはっきりしていませんでした。
一(ひい)、二(ふう)、三(み)、たくさん!

三を「み」と呼ぶのは「満つ」が語源だからです。
嘘だろと思われるかもしれませんが、二人の侍が道中暇つぶしに大きな数字をどちらが言えるかと張り合い、まず「三(み)」と言ったところ、一方が「降参!」と叫んだという小咄があるぐらいですから。

三以降の四、八、千、万はすべてたくさんを表わす接頭語に過ぎなかった



四海(世の中・世界中)、四方(いたるところ)
八面六臂(あらゆる方面での目覚ましい働き)
八面玲瓏(はちめんれいろう:どの方面からみても曇無く明るい様)
八方美人(はっぽうびじん:誰からも好かれる様)
八紘一宇(はっこういちう:全世界を一つにまとめること)
八百八町(はっぴゃくやちょう:江戸の町々がたくさんある様)
百科事典
百も承知
百貨店
千里眼
千客万来(せんきゃくばんらい:たくさんの客が絶え間なく来ること)
千言万語(句)(せんげんばんご:非常にたくさんの言葉)
千変万化(せんぺんばんか:局面や場面がころころよく変わる様)
千思万考(せんしばんこう:何度も考え直すこと)
万葉集
万年筆
・・・


このようにたくさんの数を表わす表現に使われています。中国の「白髪三千丈」(長年の憂いで白髪が9km?にもなった)と同様です。

何を言いたいのかというとずばり

江戸時代初期の頃まで大きく正確な数という概念がなかった!


ということ。

歴史学者の多くはここを見落としています。

武田信玄や織田信長の伝記では敵方一千騎とか味方は千人といった具合に、千という単位がよく使われています。
これを言葉通りに一,〇〇〇人とか一、〇〇〇丁と受け取るとおかしくなります。

たとえば自分の功績を強調する場合、打ち破った相手を多く言います。「数千の敵を手勢の数百で打ち破ったり」と言ってみたり、だいたい斥候の報告もだいたい敵勢千人といった大雑把なもの。

戦国時代では集められる兵隊は一〇〇〇人が一武将の限界です。戦では喰わせなきゃならないし、そもそも領地の男を大量に駆り出すと、その年の米の収穫に影響してしまいます。だから実際はもっと少ないのです。

信長が桶狭間で今川義元を三千丁の鉄砲で迎え撃ったなんて話は後世の作り話



三千という数字が嘘くさい。単純にたくさんのという意味でしかないのです。実際は数百丁からせいぜい五,六百丁だったというのが当時の実態です。また火縄銃の命中精度は低いので突進してくる騎馬を大音響で怯(ひる)ませる役目しかなかったと考えるのが妥当です。
話を元に戻して

「億」という単位は江戸時代になってやっと日本に入ってきたのです。それまでは千、万が考えつくだけの大きな数だったのです。

江戸時代初期に『塵劫記』(じんこうき :元ネタは中国の明の程大位の算法統宗)という算学の本が大流行しました。今で言う数学パズル(ナンプレ)のようなもので、猫も杓子も数字遊びに興じていたのです。

塵劫記では数の単位(数詞)が載っていました。

一、十、百、千、万、億、兆、京・・・
一、分、厘、毛、糸、忽(こつ)、微、繊、紗、塵・・・・

大きい数字も小さい数字もあり、江戸の庶民は中国古典の壮大さに度肝を抜いたでしょう。

江戸時代の総人口は今の1/10の一二〇〇万人ぐらいですから、億という単位は想像できないとんでもなく大きな数です。
明治の時代でも三四〇〇万人ぐらいです。

昭和四三年に三億円事件がありましたが、偽警官にだまし取られた三億円という金額が庶民にとっては想像も付かないために随分長くテレビや小説、ドラマの題材に取り上げられました。

いまでは三億円という数字は不動産屋などでよく見かけるような金額です。小さな雑居ビル一つがかろうじて買えるかといった程度。
インフレ率を換算すると四七年前には五〇〜六〇億円ぐらいの感覚だったのかもしれません。つまり一般的には想像できない数ということです。

数学的センスは昔も今も我々には備わっていないということです。
大根やキャベツ、魚や肉の値段といった身近な数には敏感ですが、大きな数(億兆京・・・)は想像も出来ません。

今でも公共事業の見積もりって、たとえば道路や橋といったものはめちゃくちゃざっくりです。
道路などは一億円/劼箸坪2000万円といった概算です。ちゃんとした積算屋というのがいるのですけども、これは作り手側が工費を産出するため。提示額は億でまるめちゃうと100万円とか1000万円ははした金に見えてしまうから不思議なもんです。

このように数字に弱いと騙される(損をする)ばかりです



過去ログ:円周率π(3.14・・・)の計算公式を知っていますか? (その2)
円周率π(3.14・・・)の計算公式を知っていますか?(その1)

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数学的思考の根源は「集合論」つまり仲間か仲間ではないかということ 
Monday, January 12, 2015, 12:27 PM
1/12 晴 10時 浅草での空間線量は4ベクレル/立法メートル

小室直樹著「数学を使わない数学の講義」(ワック出版 2005年)をむさぼるように読んでいます。

小室直樹は数学とは「存在問題」であると説明し、解(こたえ)があるかどうかが最大の関心で、解は誰かがやってくれればいいのだそうです。

小中高で習う数学は過去から手垢が付きまくった解がある前提の問題に過ぎず、解がない方が実社会では多いのです。

その解があるかどうかを調べることが数学者の基本姿勢です。

その思考手段は集合論を根拠であるのです。集合というと、円を描いて仲間か仲間じゃないかと選り分ける作業で小学校あたりでやるものと思われるでしょう。

ユダヤ教、キリスト教、イスラム教すべて戒律は集合論によるもの



たとえば蹄の割れていない動物は食べてはならない、鱗のない魚は食べてはならないといったことから、ユダヤ人とはユダヤ教を信じる物であり国籍人種は問いません。キリスト教、イスラム教もそれに倣っています。

法律もそうで、これからここまでは良し、それ以外はダメとはっきりしています。例外とか玉虫色の判断はありません。

なぜこのような区切りを明確につけるのかというと、すべては神との「契約」に基づくという意識があるから。

男でありながら女の心、女の身体でありながら男の心をもつゲイやレズビアンを認めろと欧米で社会運動になっています。そして婚姻制度を変更しろと迫っています。

なんでこんなことが大問題になるのかというと「(神との)契約条件の変更」であるから。

一方日本では「そんな不幸な人がいるのであればよしなに対処してあげればいいんじゃない」といった程度で、大方の人々には感心がありません。内心そんな議論もあほくさく感じているはず。

法律が変わるということに鈍感というか関心がない。

それは思考の根底に集合論がないからだと小室先生は指摘しています。

「何も言うな黙って俺の目を見ろ」といった阿吽こそ至上の人間関係だと信じている島国日本と、国境があり多民族の国家では区別・区分をはっきりさせておかないとあとで禍根を残すからでしょう。

裁判を経験されるか地裁を傍聴すればわかりますが、原告と被告が丸テーブルに座り、一通り訴訟を確認すれば、あとは司法書士同席で別室で話し合えとなります。

日本の裁判では判決が建前と本音が入り交じった裁判官の恣意的な妥協ばかり。たとえば一票の格差の違憲判決です。1.4倍なら甘受しろとか、違憲とはいえ実状を鑑みれば将来の努力目標に留めろといったもの。つまり白黒と区切りをつけないのが日本の裁判の実状。

都合の良いように財閥や政治権力者(大統領)によって判決がねじ曲げられるお隣の韓国を笑えません。

幕末の将軍継嗣問題も13代家定死後、家茂(いえもち)にするか慶喜(よしのぶ、けいき)にするかで大名間で紛争が起きています。
井沢元彦は日本の太古からつづく「言霊怨霊」がおよぼしているからと指摘しています。

つまり、将軍が生きているのに後継者の順列を用意しておくことは、不幸を招き寄せるという心理が脈々と日本にはあるのだという指摘です。不吉な言葉を吐くなと小さいときに誰もが言われた経験があるでしょう。

不吉なことや将来の問題は穢らわしいことで、そのような事は考えない(存在しない)とすることが大事であると考えるのです。

存在するかしないかを考えることが数学(論理)的思考なのに



つまりは日本人は一部のエリートを除いて、存在問題と集合論の去勢をずっとされているのです。

外国との交渉や契約に驚くという話がよくあります。たとえば結婚誓約書であっても、離婚の際の条件が明記されています。野球選手が大リーグに移籍すると、ぶ厚い契約書に驚き、移動などから怪我の場合にまで言及されているのです。

なぜなら集合論では、ある集合とそれ以外(補集合)があれば、集合の定義が大事で、もし集合の定義から外れていれば、つまり「何をしても良い」とい解釈になるからです。

夫婦や雇用関係もすべて集合論で解釈されるわけです。余談ですが妾や愛人といった関係もそうで、ちゃんと他人と区別がある。

日本と外国の住みやすさとか暮らしがどちらが理想的かという話ではなく、150年ほど前に「法律」とは何なのだということが開国と共にわかってきたのです。

最初に海外の法律とは神との契約であり、米国大統領でさえもそれに従っているという驚きは横井小楠(よこいしょうなん)をもって幕府知識層に広められました。

そして蛮書調所で数学論、法律、その根本となる哲学が研究されたのです。
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近代思想は数学知識前提である「数学を使わない数学の講義」(小室直樹) 
Sunday, January 11, 2015, 02:51 PM
1/11 晴 10時 浅草での空間線量は6ベクレル/立法メートル

お正月に数学入門の類の本を何冊か斜め読みしました。

数学入門という本を読み進めるほどうんざりした



高校あたりで読んだ本となんら変わりがない。サイコロの目やトランプの出る確率やら、図形の問題、魔法陣などです。あと数列ね。

もうこの手の物は十分です。

もっと根本的に数学がなぜ必要なのか、成り立ちなど歴史や思考に立ち戻った本はないのかと探したところ、ありましたよ。灯台もと暗し!

「数学を使わない数学の講義」(小室直樹 ワック出版 2005刊)



まだ1/3も読んでいませんが、さすが小室先生!といわずには居られません。毎年増刷されているようです。

数学の根本には、解を求めるのではなく、解があるかどうかの「存在問題」が大事なのであるという定義から始まります。

(解)が存在しないのであれば、何をやっても無駄ですし、逆に何を言っても良い。
ところが解があるのであれば、あとはこれをどうにか解く手段だけの問題で、技術の進歩や天才の出現を待てばよいとのこと。

マゼランが世界一周をしましたが、最大の問題は、大西洋から太平洋へは抜けることが出来るのかということでした。南米大陸をずっと南下し、やっと海峡に辿り着くまでは、海峡の存在を知らないのです。

海峡がいちど見つかり、太平洋へ抜けられると知れ渡ると、あとは大挙して太平洋へ帆船が行き交うことになります。

数学的思考とはどのようなものか?

それはアリストテレスのギリシャ時代からサイン、コサインといった三角関数から始り、微分積分が進んだ中世、応用数学が進み、いまではコンピュータ計算という力業になっています。

つまり時と共に先端数学は進んでいきます。三角関数・微分積分はいまでは高校生の必修科目ですが500〜1000年前なら一部の学者(修道士)が特権として握っていた秘術です。

論理的思考の論理とは集合論のことだと、わかりやすく説明してくれる小室先生に大感謝です。

これは1982年(昭和57年)に発行された「超常識の方法」というビジネス書の再版です。

副島隆彦先生(小室直樹の弟子)が法学部出であっても数学の話をされるのは、小室先生からの影響が大きいのです。

これはしょっぱなから良書に巡り会えた。 これの感想は続けます。
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吉本隆明が単純馬鹿な「反原発論」者を切り捨てているぞ 
Friday, January 9, 2015, 12:18 PM
1/9 晴 10時 浅草での空間線量は9ベクレル/立法メートル

1960年代学生運動のカリスマ吉本隆明の『「反原発」異論』(論創社刊)の広告記事が目に留まりました。32年前の1982年初版の復刻版です。

ざっくり一言で言ってしまえば、原子力という科学の力を得たのであるから、その諸問題(廃棄物問題、防御方、安全対策)も叡智で乗り越えよ、科学は退歩してはならないのだという吉本隆明の叫びです。

吉本隆明の原発に対する姿勢はブログ 「読書日記と着物あれこれ」 さんが各紙インタビューをみごとにまとめられています。http://nikkidoku.exblog.jp/17206861/

さあさあどうする、インテリになり損ねた左翼の方々よ。

労働者理想主義の巨匠が原発ではリアリズムに転向したと、32年前の当時はきっと左翼層に憎しみと嘲笑を込めて無視されたのでしょう。だからこんな小さな出版社からしか出せなかった。

それでも、うすっぺらな反原発論者に対する吉本隆明からの問いがふたたび出てきたことは喜ばしいです。

吉本隆明べったりだった言論人は『「反原発」異論』では黙りこくっている



いままで散々吉本隆明の後追いとして喰っておきながら、反・反原発ではメシが喰えないからと多くの言論人や知識人という人たちは裏切ったんです。

日和る言論人ほど信じられない者はいない。こんなやつらばっかりです、左翼も保守も(溜息)

ブログ「読書日記と着物あれこれ」で細かく書かれているので、私が書くことは何もないので、2012年3月18日に副島隆彦先生と弔問に訪ねたときの写真を再掲しておきます。

[917]革命思想家 吉本隆明(よしもとりゅうめい)の死 に 際して 投稿者:副島隆彦

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植物に突然変異を起こさせるための線量は160μSv/h〜24mSv/hあたりなのかな 
Thursday, January 8, 2015, 11:46 AM
1/8 晴 10時 浅草での空間線量は10ベクレル/立法メートル

お正月の新聞から「放射線育種」という品種改良の解説があったので掲載しておきます。

放射線は農業や工業で広く活用されています。ジャガイモの発芽防止や自動車タイヤのような高分子材料の品質改善などには古くから用いられています。

放射線による品種改良技術も昔から行われています。

DNAを直接いじって害虫や気候、土壌に強い農産物の改良は最近注目されており、穀物メジャーによる供給の寡占化や既存生態系への影響といった物議を醸しています。

人間如きが新しい生物・植物を人為的に創り出して良いのかという道義的な反応もあります。
私も市場占有という営利目的の遺伝子操作には良い感情はありません。

放射線育種は偶然を祈るという気の長い技術で、突然変異の確率をわずかに高めるために放射線がとりあえず手頃だから使われているに過ぎません。

太古の地球には強い放射線が降り注いでいた


生物の進化に(地殻や宇宙からの)放射線がきっかけとなっていたことは疑いのないこと。

生物・植物の進化は環境の適者生存によるものというダーウィン理論が正しいのであれば、地球上の生物は多少の放射線には耐性があるはずです。

実際にあるのですけども。

もし現在、突然変異を100%起こさせる技術が発見されれば、そっちが使われるだけです。

記事中にあるコバルト60という放射性同位体物質は昭和40年頃までは、病院の放射線治療で使われていました。現在では使われていません。性質上、照射範囲が絞れないために患部以外にも悪影響を与えるので、もっと焦点を絞れる波長の短いγ(ガンマ)ナイフという機器に取って代わられています。

工業分野でもレントゲン写真で用いられていた時期があるようですが、不鮮明な(ぼや〜っとした)写真しか撮れないので、もっとエネルギーの高いイリジウムが使われています。それでもぼや〜っとした写真ですけどまだマシかというレベル。

キューリー夫人が発見したラジウムが大正時代(1910年頃)に世界でフィーバー(熱狂)しました。昭和30年(1930年頃)には核燃料のウラン精製で生じる副産物のコバルト60がおまじないのように導入されました。

コバルト60は米ソ核ミサイル配備競争におけるやっかいな産業廃棄物でもあったのです。(現在の工業用/医療用線源は原子炉内で中性子を当てて作っています)

それじゃあ、放射線源を含んだ医療機器の廃棄物はどこいったのでしょう?たぶん東京湾か日本海にでも沈められたのでしょう(笑)
もしくは後進国へ屑鉄と一緒に運ばれて鉄筋などの建築鋼材にでも混ざっているのでしょう。
20年ほど前には解体屋やクズ拾いの子供たちが放射線源で遊んでいたというニュースがよく載っていましたからね。

話は戻りますが、放射線が植物の品質改良には今でも使われており、その恩恵に我々は浴しているというお話です。

コバルト60を人智を越えた力として祭殿のように崇める



これってとても人間的な行為だと思いませんか?
あ〜あ、こういう研究に進めば良かった。


過去ログ:がんのウイルス治療が始まる・・・遺伝子操作はマッドサイエンスである
森鴎外とラジウム治療(メモ)
放射能は影響するのか?
ハイルシュトレンストーンをご愛用の皆様へ(Vol.010)


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フランス文学(という政治批評)が幕末・明治の知識層に多大な影響を与えた 
Wednesday, January 7, 2015, 05:07 PM
1/7 曇 10時 浅草での空間線量は13ベクレル/立法メートル

和歌山城を訪れて江戸時代の藩主には武芸よりも芸術(詩作や絵画)に秀でていたか、また精通していたかがわかります。
このように平和が続いた幕末期には他藩のお殿様も海外の文芸も含めて文化に興味を持っていました。

たとえば福沢諭吉が出た中津藩(大分)の殿様代々「蘭癖大名」と呼ばれるほど洋学を学び、藩校にも取り入れさせました。大分藩の出身者が教師でも生徒でも慶應義塾に多いのはそういうわけです。
http://wolfgangmichel.web.fc2.com/publ/books/27/27.htm#_edn1

去年の夏に副島隆彦先生が書かれた文学論をいまごろ読み直してみます。
関連リンク:「1470
」 夏休み特集。アルチュール・ランボー論。パリ・コミューンという政治的事件を書き残そうとした文学について。2014.8.16



この文学論は江戸時代後期(1850年頃以降)でフランスの文学とはどういうものであったかという解説です。当時の代表的な作家は

ヴィクトル・ユーゴー(Victor, Marie Hugo、1802年〜1885年)
アルチュール・ランボー(Jean Nicolas Arthur Rimbaud、1854年〜1891年)
(シャルル・)ボードレール(Charles-Pierre Baudelaire、1821年〜1867年)
(ポール・)ヴェルレーヌ(Paul Marie Verlaine、1844年〜1896年)
などです。

普仏戦争(ふふつせんそう、1870年〜1871年)でボロ負けしたフランスではパリは暴動で大荒れしていた時期です。パリ・コミューンという労働階級の革命主義者がパリでは跋扈していました。

副島先生の解説ではヴィクトル・ユゴーとカール・マルクス(Karl Heinrich Marx、1818年〜1883年)は交流があり、ヴィクトル・ユゴーの小説に影響を与えたであろうとのこと。

日本では黒岩涙香(くろいわるいこう)が『萬朝報』(よろずちょうほう)で「レ・ミゼラブル」や「噫(ああ)無情」を翻訳して評判を得ていました。黒岩は自由民権運動の手段として明治30年(1900年)〜大正にかけて日本に海外文芸作品をどしどし入れたわけです。

鴎外も黒岩と同時期に軍医のかたわらドイツオランダ文学を翻訳しています。
現在朝日新聞で連載している「三四郎」を夏目漱石が執筆した頃(明治41年)には、ユーゴーらフランス文学は萬朝報で日本人にもすでに読まれているのです。漱石の文中にも赤新聞と出てきていますしね。


重要なことはパリの二月革命(1848年:江戸時代後半)によるヨーロッパ共和主義(無能な王様を取替えてしまえ)という平民の怒りがこの時代のフランス文学の真髄です。

それが後年では民主主義活動や共産主義活動へとつながっていったと言うこと。

ドイツのフリードリヒ・エンゲルス(マルクスとならぶ共産主義指導者)を森鴎外は知っていただろうし、当然読んで共産主義にいくらかは共感していたでしょう。

フランスはそのまんま普仏戦争以降の緩い共和制度を維持して、現在でもその体制は見えない形で残っているということが副島隆彦先生のフランス文学論の概要です。

なぜ徳川家がフランス好きで、幕末には頼ったのかがわかります



江戸中期から幕末ごろ革命続きであっても共和国制という王様と貴族身分を維持しているフランスは、徳川幕府以降の国家体制のちょうどよい見本であったわけです。

皇室はイギリスを、徳川家はフランスを、知識層はアメリカを民権主義の手本としたのでしょう。

このように文学論は当時の政治状況を下敷きにしないと理解できないというお話です。
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年末の福島県内の放射線量です 
Tuesday, January 6, 2015, 09:06 PM


もう原発敷地内でもたいした線量じゃないだろうなあ。
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紀州(和歌山)徳川家は明治以降どうなった?(2)  
Tuesday, January 6, 2015, 03:33 PM
1/6 曇 10時 浅草での空間線量は14ベクレル/立法メートル

昨日の続きです。帰省中に溜っていた新聞記事をめくっていると、週刊朝日新年号(1/16号)に徳川家康没後400年記念座談会という文句の広告が目に飛び込みました。乗りかかった船だから読んでみます。

将軍家筋(宗家)18代当主の恒孝(つねなり)氏は徳川記念財団理事長、尾張22代義祟(よしたか)氏は徳川黎明会会長・徳川美術館館長、紀州19代宜子(ことこ)氏は建築設計事務所所長、水戸15代斉正(なりまさ)氏は東京海上日動火災保険の執行役員・総務部長とのこと。

共通しているのは元会社員であることと、代々伝わる文化財の保護の責務があることぐらいです。家康の下着までも家宝とのこと。

文中にあるように、最後の将軍慶喜(水戸斉昭の子)の弟昭武(あきたけ)が1867年というごたごたの時期にパリの万国博覧会へ行っています。フランスやベルギーの漫遊に随行していたのは、埼玉深谷の惣庄屋(そうしょうや:百姓の代表、庄屋)の倅であった渋沢栄一です。

水戸の殿様のぼんぼんと百姓の倅が一緒に海外漫遊していた



不思議でしょ?そして水戸学(朱子学をさらに天皇中心にした過激思想)の本家のボンはフランス語が達者であるということ。

水戸藩というのは本音は純粋に欧州の貴族であることを目指していたのではないか?という疑念が浮かび上がります。

同じように、紀州藩で親しまれているのは、八代将軍吉宗ではなく、紀州徳川の初代頼宣(よりのぶ)なんです。詩や画に秀でていて和歌山城にも頼宣筆のものが展示されていました。美術造形の才能に恵まれているのが紀州徳川家の特徴です。

ところが吉宗は江戸で美術芸術を奨励するどころか、質素倹約ばかりさせて景気をさらに冷やしてしまった。吉宗ってのはやっぱり棚ぼたで将軍に祀られた、やっぱり馬鹿殿です。
(後日追記:吉宗は禁教における洋書の輸入を解禁したり、天文学を奨励し改暦に着手したりと合理的な考えの持ち主だということが、わかります。学者肌の将軍様だったそうです。吉宗さんごめんなさい!)

記事を読んで感じたことは、徳川家(松平家も含む)は江戸時代後半には完全に貴族であったということ。GHQが余計なことに華族を廃止したことで、歴史を断ち切り日本の至宝の多くが略奪されたということです。

天皇家−公家(貴族)は歴史的観点から見れば、必要な存在です。戦国時代の信長でさえ朝廷の勅書のために苦労していたのです。武力があっても権威がなければ何も意味をなさない。

明治憲法が悪の根源で、現代の憲法を金科玉条のように、社民党は訴えていますが、あほかと思います。明治憲法も西洋の民主主義国家に倣った先進的な憲法です。
大きな違いは天皇と華族の定義のみです。

乗っ取られた日本を取り戻すためには身分階層も必要かもしれない



究極の国粋主義とはこういう考えに至ると思うのですが、それは誰も言わない(笑)
選挙権なんてかつての(アメリカでさえそうであったように)納税額や国家に報いた証として渡せばよいのです。選挙権のために働き生きる方が良い世の中になると思うのですけどね。



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