寒いときは中華まんにかぎる 
Sunday, January 18, 2015, 09:37 PM
今日は小春日和でした。

それでも明後日には大寒です。寒さの峠はあと少し。そこであんまん肉まん中華まん

をつくってみます。

薄力粉200gに砂糖とイースト、そしてわずかに重曹(ベーキングパウダー)

一次発酵させて、膨らんだら5等分か6等分にわけて、

あとは何でも詰め込んで丸めておきます。

今回は正月のあんことチーズを入れておきました。

フライパンを蒸し器代わりにして、一時間ほどおいて

火を付けます。10〜15分ほど蒸したらできあがり。

簡単中華まんです。トータル3時間程度でしょうか。

ふかふかでおいしいですよ。

過去ログ:まだまだ寒いのでホカホカあんまん
寒い日はあんまん・豚まんをつくってみる

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センター試験に渋川春海が出題されたけど・・・ 
Sunday, January 18, 2015, 08:04 AM


さっそく目を通してみました。さっぱりわかりません。
答えは34(2)、35(2又は4)、36(3)なんだそうです。

受験生は大変だなあという感想しかないです。私の年齢でセンター試験をやり遂げる気力はありませんね、

馬鹿馬鹿しくて


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映画「天地明察」を改めて観てみました〜江戸時代の数学の黎明〜 
Friday, January 16, 2015, 12:04 PM
1/16 晴 10時 浅草での空間線量は8ベクレル/立法メートル

私は数学が苦手です。ひととおり勉強したふりをしていますが、苦手意識は払拭されません。さらに畏怖の念が強くなっています。

そんな私に数学嫌いのために「天地明察」の感想を書けという依頼があったので、ビデオ屋に早速走りました。原作の小説は二年前に読んでおります。


あらためて感想を書くために小説を読みながら映画を観ると、当初とは違う感想を抱きました。

映画自体は小説よりもディテールはだいぶ省略されており、ストーリーも単純になっています。小説よりも深みはないですが、江戸時代の数学者=天文学者達を知るきっかけにはなるでしょう。

学問道場のWebで掲載されたら、こちらでも公開します。

数学(天文学)とは神学の一つです。

天球の動きを数式で表記できるかという人間の挑戦です。

ふと、私の大学時代の想い出がよみがえりました。

大学1年生か2年生あたりで応用数学の試験がありました。

1枚ペラの問題が配られて、目を落とすと・・・何が書いてあるのかさっぱりわからない(爆笑)

唯一わかる日本語が、設問の最後に「〜であることを証明せよ」という言葉です。

うっげ〜(@_@;)

電卓を適当に打ち込んで適当な数字を出しておけば「可」ぐらいはくれるだろうと思っていたら、長文の論述問題です。

結局、問題文の意味さえわからず、90分どうしたらよいのでしょうか?

そういう場合は、古今東西、ダメ学生はどのような行動をとるでしょうか?(スマートホンはおろかインターネットも無い頃です)

100%とる手段はこれしかない!

・・・前後左右の人の答案用紙を盗み見る!(笑)

さっそく首をひねったり、考えているフリをして隣の奴の紙を覗きます。

なんたって答案用紙が配られるやいなや、猛烈に書き込んでますから、これは期待できる!と覗いてみると

・・・一心不乱に般若心経をびっちりと書き込んでいました!(爆)

こいつは俺よりもアホだ・・・と変な安堵感を感じましたが、私も真似て般若心経を写すわけにはいきません。

結局90分間消しゴムを落としたり、無意味な首の体操をやりつづけて、解答欄に書いた文字はたった一行・・・

「教科書の16ページあたりに載っている」

です。般若心経よりはマシだろうという諦めの心境です。

般若心経のアホと私は落第決定です。こりゃ単位は無理だとお互い諦めていたのですが、予想に反して単位はもらえました。

いま何であの教授は私たちの答案にマルをつけてくれたかと思い直しています。

■ 「教科書にある」という回答でも実は十分条件

設問は何一つ覚えていません。おそらく何かの定理を証明せよという問題だったのだろうと思います。

証明せよという問に対して「教科書で証明は既になされている」というシンプルな返答は、数学的には正しい。

必要条件、十分条件、必要十分条件という集合論においては十分条件なのです。

ひょっとしたら教科書にない他の方法もあるのかもしれないし、その証明は誤りという可能性はあります。だから必要十分ではない。

しかし私の回答をバツにするには「教科書には記載されていない」ことを示さなければなければならないのです。

では般若心経もなぜマルだったのでしょう。

仏教極意は死んだらどうなる、空っぽ(宙)とはどういうことか、とてつもない広さ(宇)とはどういうことかをダラダラ綴ったものでしょう。念仏はいわゆる空間概念、存在概念の集大成です。(誰も理解できないけど)

森羅万象の理(ことわり)はお経で示されているから、その中で、設問の定理も含まれていると最後に一言加えれば回答の十分条件に成り得るのです。

数学の根本は人間の智恵でひねり出した「仮定」があるかどうかの「存在問題」です。(小室直樹の解説)

「ある」という証明は別に私でなくてもよいのです。
別に「ニュートンやライプニッツが過去に証明した」でも集合論では正しいのです。

今思えば、あの数学の教授はおこぼれで単位をくれたわけではなく、純粋な数学的な思考だったのだなあと思い直しています。

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計算の「+」「−」「×」「÷」は誰が決めたの? 
Wednesday, January 14, 2015, 05:08 PM
1/14 晴 10時 浅草での空間線量は5ベクレル/立法メートル

「超面白くて眠れなくなる数学」(桜井進著 PHP)から続けてネタを引用します。

小学校からあたりまえのように四則演算の記号を使っています。
なんで足すのが「+」なのか、そんなこと考えたことはないでしょうし、
たぶん聞いたところで誰もが「それは昔からの約束事だから・・・」と言葉を濁すでしょう。

数学がいやらしくて嫌いにさせる要素は、この約束事が突然前提も説明も無しに現れることです。

たとえば中学では一次関数 Y=aX+bと書いていたのに
高校では f(x)=aX+bと白板に書かれる。

「おい、Yはどこに行った?」



こんな事を誰もが授業で感じたことはないでしょうか。Y=と書くよりも、なんとなくf(x)と書く方が高級で格好良く感じるからでしょうか。

こんな事で挫折していく人も多いのかもしれません。

高校では数学という科目から、統計・確率、数列、代数、微分積分、幾何と分化していきます。

数字を扱う授業であっても、流派(宗派)が異なると式の書き方が違ってくるし、Σとかσとか記号ばっかり。

私が一番悩んだのは、教師や教科によって微分の書き方が異なることです。

一回微分した式をf'(x)と「’」をつけていたのに、ある時にはdy/dxと書かれ、またある時にはd/dxと書かれる・・・

「おい、f(x)はどこに行った?」



こんな誰も教えてくれない悩みを抱えていくのです。聞いたところで「昔からの約束事だから・・・」とかわされます。

ちなみにf'(x)という表記は数学者ラグランジェの書き方で、dy/dx(d/dx)という表記は数学者ライプニッツの書き方です。
工学系(応用数学系:すなわち微分積分が主体の学問)では後者が使われることが多いと思います。
幾何では微分を逆三角形(ナブラ記号)で表記されます。

ですから同じ数学のグループであっても微分積分と幾何や代数とでは同じ意味の式でも書き方が違う。
これぐらいならまだ許せますが、さらに高等数学へ進むと、偏微分というものに出会います。
そこでは微分の書き方はギリシャ文字(∂:ディー)が使われます。一番面食らったのは∂x∂yという表記を黒板で見たことです。

「yがいきなり復活して目の前にある!」



このように流派や教える側の都合でコロコロ場当たり的に変わります。1回微分2回微分3回微分と微分を重ねる表記は∂^n(ディーのn乗)と書きます。

これも数学でいうべき乗(同じ数を指定回数かける)と表記は同じですが、意味は全然違います。これもいちいち頭を切り換えなければなりませんね。

数式の書き方はそのまま数学の歴史であり、やっつけ的な妥協案に過ぎない



あたらしい概念が生まれても、それを紙に書いて示すことが難しいので、数学者は自分でわかるような表記をしていたのです。
それがそのまま後世にも残ったということ。まったく困ったもんです。

「+」「−」「×」「÷」はいつ頃から使われ始めたのか?



話を戻して、本から引用すると
「+」は1514年オランダのファンダル・フォッケの算術の本で初めて使われたそうです。
ラテン語の「et(英語のand)」の筆記体が崩れて+になったということ。

「−」もファンダル・フォッケの算術の本で初めて使われたそうです。
元々はラテン語の「de(demptusの頭文字)」だったそうですが、西欧では演算子に〜を頭につけていた習慣が−だけに残ったという説です。

「×」は1631年にイギリスのウィリアム・オートレッドが数学の教科書で初めて使いました。
×は元々はX(エックス)です。
Xというのはかけ算はたすき掛で計算しろという意味でした。(たすき掛の計算例は割愛します)
しかし分数の計算では逆にたすき掛してはならないという不具合があります。

そのため×はあまり浸透せず、x・yというように点で表わす方法やxyというように連ねて書くこともあります。
現在でも×という記号の使用率は低いですね。

「÷」は1522年にドイツのアダム・リースと1659年にスイスのハイリッヒ・ラーンの著作で使われたというぐらいです。
17世紀から18世紀にイギリスのジョン・ウォリスやアイザック・ニュートンが「÷」を多用したのでイギリスでは広く浸透したのだそうです。

そのころのドイツではライプニッツという大数学者がかけ算には「・」割り算には「・・」と表記していたので、ドイツの数学界では「÷」は使われていません。ニュートンもライプニッツも微分積分の偉大な数学者で、それぞれ多くの人に支持されていました。
だから表記法を巡って「÷」「・・」と英独に別れて統一されなかったのです。
日本では点が二つ「:」は比を表わすので、まぎらわしいので割り算の意味はありません。

「×」や「÷」という記号を知らない外人だっているってこと。ちなみに工学系や応用数学では「×」や「÷」はほとんど観たことがありません。かけ算は続けて書くし、割り算は分数です。

小学校から高校、大学の初等あたりの数学はこのように数学史というべきものなのです。

我々が授業で習うのはさながら古事記、万葉集、徒然草といった古典の名著なのです。
だから時代時代で表記表現が違うということ。


そんなことがわかれば、ちょっとは数学が好きになれそうです。
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なぜ億という単位があるの?「超面白くて眠れなくなる数学」(桜井進) 
Tuesday, January 13, 2015, 12:26 PM
1/13 晴 10時 浅草での空間線量は4ベクレル/立法メートル

サイエンスナビゲーターと称する桜井進の本を就寝時に読んでいます。
同じ内容が朝日新聞に連載されていたのでおさらいです。

数学がなぜ面白くないのか、縁遠く感じるのかは誰もが感じているのでしょうけども

教える側が身近に感じさせないからです。

ナヴィゲーター(navigator)とは本来の古い意味は航海士(こうかいし)のことです。
船を動かすのは船長(キャプテン:captain)ではなく、航海士の指示で動きます。

地図や海図、そして自船の位置を地形や太陽・星の角度で割り出して進路を決定する一番重要な役目です。また積荷の重量バランスなども出港前には計算しなければなりません。

ナヴィゲーターとは幾何学の専門家でもあるのです。
そして安全に目的地まで誘導する役割を担っているのです。

サイエンスナビゲーターという造語はなかなか(センスの)良い言葉だなと思います。

ひるがえって、我々が綿々と受けてきた学校の授業でしっかり「誘導」されたかというと・・・文部省や自治体の教育委員会、現場教師に対しては恨み辛みの一言でも返したいもんです。つまらない授業ばっかり。

私の場合、文学や古典が面白いと感じたのは予備校の授業です。また英語がシンプルな規則で成り立っているという副島隆彦先生(当時は予備校講師)の参考書「道具としての英語」シリーズを読んで、なんとなく英語が身近に感じました。

教師はすべてナビゲーターであってほしいものです。
副島隆彦は言ってみれば「思想ナビゲーター」でしょう。ついでに小室直樹は哲学ナビゲーターといったところでしょう。

桜井進という著者は学校教育で抜けている視点を上手く逆手にとっていますね。

たとえば数字の単位(数詞)の由来について

一、十、百、千、万、億、兆、京・・・どうしてこの数詞が使われるようになったのか?こんなことを数学の授業で習った人はいません。

昔の庶民は数の概念はそれほどはっきりしていませんでした。
一(ひい)、二(ふう)、三(み)、たくさん!

三を「み」と呼ぶのは「満つ」が語源だからです。
嘘だろと思われるかもしれませんが、二人の侍が道中暇つぶしに大きな数字をどちらが言えるかと張り合い、まず「三(み)」と言ったところ、一方が「降参!」と叫んだという小咄があるぐらいですから。

三以降の四、八、千、万はすべてたくさんを表わす接頭語に過ぎなかった



四海(世の中・世界中)、四方(いたるところ)
八面六臂(あらゆる方面での目覚ましい働き)
八面玲瓏(はちめんれいろう:どの方面からみても曇無く明るい様)
八方美人(はっぽうびじん:誰からも好かれる様)
八紘一宇(はっこういちう:全世界を一つにまとめること)
八百八町(はっぴゃくやちょう:江戸の町々がたくさんある様)
百科事典
百も承知
百貨店
千里眼
千客万来(せんきゃくばんらい:たくさんの客が絶え間なく来ること)
千言万語(句)(せんげんばんご:非常にたくさんの言葉)
千変万化(せんぺんばんか:局面や場面がころころよく変わる様)
千思万考(せんしばんこう:何度も考え直すこと)
万葉集
万年筆
・・・


このようにたくさんの数を表わす表現に使われています。中国の「白髪三千丈」(長年の憂いで白髪が9km?にもなった)と同様です。

何を言いたいのかというとずばり

江戸時代初期の頃まで大きく正確な数という概念がなかった!


ということ。

歴史学者の多くはここを見落としています。

武田信玄や織田信長の伝記では敵方一千騎とか味方は千人といった具合に、千という単位がよく使われています。
これを言葉通りに一,〇〇〇人とか一、〇〇〇丁と受け取るとおかしくなります。

たとえば自分の功績を強調する場合、打ち破った相手を多く言います。「数千の敵を手勢の数百で打ち破ったり」と言ってみたり、だいたい斥候の報告もだいたい敵勢千人といった大雑把なもの。

戦国時代では集められる兵隊は一〇〇〇人が一武将の限界です。戦では喰わせなきゃならないし、そもそも領地の男を大量に駆り出すと、その年の米の収穫に影響してしまいます。だから実際はもっと少ないのです。

信長が桶狭間で今川義元を三千丁の鉄砲で迎え撃ったなんて話は後世の作り話



三千という数字が嘘くさい。単純にたくさんのという意味でしかないのです。実際は数百丁からせいぜい五,六百丁だったというのが当時の実態です。また火縄銃の命中精度は低いので突進してくる騎馬を大音響で怯(ひる)ませる役目しかなかったと考えるのが妥当です。
話を元に戻して

「億」という単位は江戸時代になってやっと日本に入ってきたのです。それまでは千、万が考えつくだけの大きな数だったのです。

江戸時代初期に『塵劫記』(じんこうき :元ネタは中国の明の程大位の算法統宗)という算学の本が大流行しました。今で言う数学パズル(ナンプレ)のようなもので、猫も杓子も数字遊びに興じていたのです。

塵劫記では数の単位(数詞)が載っていました。

一、十、百、千、万、億、兆、京・・・
一、分、厘、毛、糸、忽(こつ)、微、繊、紗、塵・・・・

大きい数字も小さい数字もあり、江戸の庶民は中国古典の壮大さに度肝を抜いたでしょう。

江戸時代の総人口は今の1/10の一二〇〇万人ぐらいですから、億という単位は想像できないとんでもなく大きな数です。
明治の時代でも三四〇〇万人ぐらいです。

昭和四三年に三億円事件がありましたが、偽警官にだまし取られた三億円という金額が庶民にとっては想像も付かないために随分長くテレビや小説、ドラマの題材に取り上げられました。

いまでは三億円という数字は不動産屋などでよく見かけるような金額です。小さな雑居ビル一つがかろうじて買えるかといった程度。
インフレ率を換算すると四七年前には五〇〜六〇億円ぐらいの感覚だったのかもしれません。つまり一般的には想像できない数ということです。

数学的センスは昔も今も我々には備わっていないということです。
大根やキャベツ、魚や肉の値段といった身近な数には敏感ですが、大きな数(億兆京・・・)は想像も出来ません。

今でも公共事業の見積もりって、たとえば道路や橋といったものはめちゃくちゃざっくりです。
道路などは一億円/劼箸坪2000万円といった概算です。ちゃんとした積算屋というのがいるのですけども、これは作り手側が工費を産出するため。提示額は億でまるめちゃうと100万円とか1000万円ははした金に見えてしまうから不思議なもんです。

このように数字に弱いと騙される(損をする)ばかりです



過去ログ:円周率π(3.14・・・)の計算公式を知っていますか? (その2)
円周率π(3.14・・・)の計算公式を知っていますか?(その1)

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数学的思考の根源は「集合論」つまり仲間か仲間ではないかということ 
Monday, January 12, 2015, 12:27 PM
1/12 晴 10時 浅草での空間線量は4ベクレル/立法メートル

小室直樹著「数学を使わない数学の講義」(ワック出版 2005年)をむさぼるように読んでいます。

小室直樹は数学とは「存在問題」であると説明し、解(こたえ)があるかどうかが最大の関心で、解は誰かがやってくれればいいのだそうです。

小中高で習う数学は過去から手垢が付きまくった解がある前提の問題に過ぎず、解がない方が実社会では多いのです。

その解があるかどうかを調べることが数学者の基本姿勢です。

その思考手段は集合論を根拠であるのです。集合というと、円を描いて仲間か仲間じゃないかと選り分ける作業で小学校あたりでやるものと思われるでしょう。

ユダヤ教、キリスト教、イスラム教すべて戒律は集合論によるもの



たとえば蹄の割れていない動物は食べてはならない、鱗のない魚は食べてはならないといったことから、ユダヤ人とはユダヤ教を信じる物であり国籍人種は問いません。キリスト教、イスラム教もそれに倣っています。

法律もそうで、これからここまでは良し、それ以外はダメとはっきりしています。例外とか玉虫色の判断はありません。

なぜこのような区切りを明確につけるのかというと、すべては神との「契約」に基づくという意識があるから。

男でありながら女の心、女の身体でありながら男の心をもつゲイやレズビアンを認めろと欧米で社会運動になっています。そして婚姻制度を変更しろと迫っています。

なんでこんなことが大問題になるのかというと「(神との)契約条件の変更」であるから。

一方日本では「そんな不幸な人がいるのであればよしなに対処してあげればいいんじゃない」といった程度で、大方の人々には感心がありません。内心そんな議論もあほくさく感じているはず。

法律が変わるということに鈍感というか関心がない。

それは思考の根底に集合論がないからだと小室先生は指摘しています。

「何も言うな黙って俺の目を見ろ」といった阿吽こそ至上の人間関係だと信じている島国日本と、国境があり多民族の国家では区別・区分をはっきりさせておかないとあとで禍根を残すからでしょう。

裁判を経験されるか地裁を傍聴すればわかりますが、原告と被告が丸テーブルに座り、一通り訴訟を確認すれば、あとは司法書士同席で別室で話し合えとなります。

日本の裁判では判決が建前と本音が入り交じった裁判官の恣意的な妥協ばかり。たとえば一票の格差の違憲判決です。1.4倍なら甘受しろとか、違憲とはいえ実状を鑑みれば将来の努力目標に留めろといったもの。つまり白黒と区切りをつけないのが日本の裁判の実状。

都合の良いように財閥や政治権力者(大統領)によって判決がねじ曲げられるお隣の韓国を笑えません。

幕末の将軍継嗣問題も13代家定死後、家茂(いえもち)にするか慶喜(よしのぶ、けいき)にするかで大名間で紛争が起きています。
井沢元彦は日本の太古からつづく「言霊怨霊」がおよぼしているからと指摘しています。

つまり、将軍が生きているのに後継者の順列を用意しておくことは、不幸を招き寄せるという心理が脈々と日本にはあるのだという指摘です。不吉な言葉を吐くなと小さいときに誰もが言われた経験があるでしょう。

不吉なことや将来の問題は穢らわしいことで、そのような事は考えない(存在しない)とすることが大事であると考えるのです。

存在するかしないかを考えることが数学(論理)的思考なのに



つまりは日本人は一部のエリートを除いて、存在問題と集合論の去勢をずっとされているのです。

外国との交渉や契約に驚くという話がよくあります。たとえば結婚誓約書であっても、離婚の際の条件が明記されています。野球選手が大リーグに移籍すると、ぶ厚い契約書に驚き、移動などから怪我の場合にまで言及されているのです。

なぜなら集合論では、ある集合とそれ以外(補集合)があれば、集合の定義が大事で、もし集合の定義から外れていれば、つまり「何をしても良い」とい解釈になるからです。

夫婦や雇用関係もすべて集合論で解釈されるわけです。余談ですが妾や愛人といった関係もそうで、ちゃんと他人と区別がある。

日本と外国の住みやすさとか暮らしがどちらが理想的かという話ではなく、150年ほど前に「法律」とは何なのだということが開国と共にわかってきたのです。

最初に海外の法律とは神との契約であり、米国大統領でさえもそれに従っているという驚きは横井小楠(よこいしょうなん)をもって幕府知識層に広められました。

そして蛮書調所で数学論、法律、その根本となる哲学が研究されたのです。
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近代思想は数学知識前提である「数学を使わない数学の講義」(小室直樹) 
Sunday, January 11, 2015, 02:51 PM
1/11 晴 10時 浅草での空間線量は6ベクレル/立法メートル

お正月に数学入門の類の本を何冊か斜め読みしました。

数学入門という本を読み進めるほどうんざりした



高校あたりで読んだ本となんら変わりがない。サイコロの目やトランプの出る確率やら、図形の問題、魔法陣などです。あと数列ね。

もうこの手の物は十分です。

もっと根本的に数学がなぜ必要なのか、成り立ちなど歴史や思考に立ち戻った本はないのかと探したところ、ありましたよ。灯台もと暗し!

「数学を使わない数学の講義」(小室直樹 ワック出版 2005刊)



まだ1/3も読んでいませんが、さすが小室先生!といわずには居られません。毎年増刷されているようです。

数学の根本には、解を求めるのではなく、解があるかどうかの「存在問題」が大事なのであるという定義から始まります。

(解)が存在しないのであれば、何をやっても無駄ですし、逆に何を言っても良い。
ところが解があるのであれば、あとはこれをどうにか解く手段だけの問題で、技術の進歩や天才の出現を待てばよいとのこと。

マゼランが世界一周をしましたが、最大の問題は、大西洋から太平洋へは抜けることが出来るのかということでした。南米大陸をずっと南下し、やっと海峡に辿り着くまでは、海峡の存在を知らないのです。

海峡がいちど見つかり、太平洋へ抜けられると知れ渡ると、あとは大挙して太平洋へ帆船が行き交うことになります。

数学的思考とはどのようなものか?

それはアリストテレスのギリシャ時代からサイン、コサインといった三角関数から始り、微分積分が進んだ中世、応用数学が進み、いまではコンピュータ計算という力業になっています。

つまり時と共に先端数学は進んでいきます。三角関数・微分積分はいまでは高校生の必修科目ですが500〜1000年前なら一部の学者(修道士)が特権として握っていた秘術です。

論理的思考の論理とは集合論のことだと、わかりやすく説明してくれる小室先生に大感謝です。

これは1982年(昭和57年)に発行された「超常識の方法」というビジネス書の再版です。

副島隆彦先生(小室直樹の弟子)が法学部出であっても数学の話をされるのは、小室先生からの影響が大きいのです。

これはしょっぱなから良書に巡り会えた。 これの感想は続けます。
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吉本隆明が単純馬鹿な「反原発論」者を切り捨てているぞ 
Friday, January 9, 2015, 12:18 PM
1/9 晴 10時 浅草での空間線量は9ベクレル/立法メートル

1960年代学生運動のカリスマ吉本隆明の『「反原発」異論』(論創社刊)の広告記事が目に留まりました。32年前の1982年初版の復刻版です。

ざっくり一言で言ってしまえば、原子力という科学の力を得たのであるから、その諸問題(廃棄物問題、防御方、安全対策)も叡智で乗り越えよ、科学は退歩してはならないのだという吉本隆明の叫びです。

吉本隆明の原発に対する姿勢はブログ 「読書日記と着物あれこれ」 さんが各紙インタビューをみごとにまとめられています。http://nikkidoku.exblog.jp/17206861/

さあさあどうする、インテリになり損ねた左翼の方々よ。

労働者理想主義の巨匠が原発ではリアリズムに転向したと、32年前の当時はきっと左翼層に憎しみと嘲笑を込めて無視されたのでしょう。だからこんな小さな出版社からしか出せなかった。

それでも、うすっぺらな反原発論者に対する吉本隆明からの問いがふたたび出てきたことは喜ばしいです。

吉本隆明べったりだった言論人は『「反原発」異論』では黙りこくっている



いままで散々吉本隆明の後追いとして喰っておきながら、反・反原発ではメシが喰えないからと多くの言論人や知識人という人たちは裏切ったんです。

日和る言論人ほど信じられない者はいない。こんなやつらばっかりです、左翼も保守も(溜息)

ブログ「読書日記と着物あれこれ」で細かく書かれているので、私が書くことは何もないので、2012年3月18日に副島隆彦先生と弔問に訪ねたときの写真を再掲しておきます。

[917]革命思想家 吉本隆明(よしもとりゅうめい)の死 に 際して 投稿者:副島隆彦

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植物に突然変異を起こさせるための線量は160μSv/h〜24mSv/hあたりなのかな 
Thursday, January 8, 2015, 11:46 AM
1/8 晴 10時 浅草での空間線量は10ベクレル/立法メートル

お正月の新聞から「放射線育種」という品種改良の解説があったので掲載しておきます。

放射線は農業や工業で広く活用されています。ジャガイモの発芽防止や自動車タイヤのような高分子材料の品質改善などには古くから用いられています。

放射線による品種改良技術も昔から行われています。

DNAを直接いじって害虫や気候、土壌に強い農産物の改良は最近注目されており、穀物メジャーによる供給の寡占化や既存生態系への影響といった物議を醸しています。

人間如きが新しい生物・植物を人為的に創り出して良いのかという道義的な反応もあります。
私も市場占有という営利目的の遺伝子操作には良い感情はありません。

放射線育種は偶然を祈るという気の長い技術で、突然変異の確率をわずかに高めるために放射線がとりあえず手頃だから使われているに過ぎません。

太古の地球には強い放射線が降り注いでいた


生物の進化に(地殻や宇宙からの)放射線がきっかけとなっていたことは疑いのないこと。

生物・植物の進化は環境の適者生存によるものというダーウィン理論が正しいのであれば、地球上の生物は多少の放射線には耐性があるはずです。

実際にあるのですけども。

もし現在、突然変異を100%起こさせる技術が発見されれば、そっちが使われるだけです。

記事中にあるコバルト60という放射性同位体物質は昭和40年頃までは、病院の放射線治療で使われていました。現在では使われていません。性質上、照射範囲が絞れないために患部以外にも悪影響を与えるので、もっと焦点を絞れる波長の短いγ(ガンマ)ナイフという機器に取って代わられています。

工業分野でもレントゲン写真で用いられていた時期があるようですが、不鮮明な(ぼや〜っとした)写真しか撮れないので、もっとエネルギーの高いイリジウムが使われています。それでもぼや〜っとした写真ですけどまだマシかというレベル。

キューリー夫人が発見したラジウムが大正時代(1910年頃)に世界でフィーバー(熱狂)しました。昭和30年(1930年頃)には核燃料のウラン精製で生じる副産物のコバルト60がおまじないのように導入されました。

コバルト60は米ソ核ミサイル配備競争におけるやっかいな産業廃棄物でもあったのです。(現在の工業用/医療用線源は原子炉内で中性子を当てて作っています)

それじゃあ、放射線源を含んだ医療機器の廃棄物はどこいったのでしょう?たぶん東京湾か日本海にでも沈められたのでしょう(笑)
もしくは後進国へ屑鉄と一緒に運ばれて鉄筋などの建築鋼材にでも混ざっているのでしょう。
20年ほど前には解体屋やクズ拾いの子供たちが放射線源で遊んでいたというニュースがよく載っていましたからね。

話は戻りますが、放射線が植物の品質改良には今でも使われており、その恩恵に我々は浴しているというお話です。

コバルト60を人智を越えた力として祭殿のように崇める



これってとても人間的な行為だと思いませんか?
あ〜あ、こういう研究に進めば良かった。


過去ログ:がんのウイルス治療が始まる・・・遺伝子操作はマッドサイエンスである
森鴎外とラジウム治療(メモ)
放射能は影響するのか?
ハイルシュトレンストーンをご愛用の皆様へ(Vol.010)


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フランス文学(という政治批評)が幕末・明治の知識層に多大な影響を与えた 
Wednesday, January 7, 2015, 05:07 PM
1/7 曇 10時 浅草での空間線量は13ベクレル/立法メートル

和歌山城を訪れて江戸時代の藩主には武芸よりも芸術(詩作や絵画)に秀でていたか、また精通していたかがわかります。
このように平和が続いた幕末期には他藩のお殿様も海外の文芸も含めて文化に興味を持っていました。

たとえば福沢諭吉が出た中津藩(大分)の殿様代々「蘭癖大名」と呼ばれるほど洋学を学び、藩校にも取り入れさせました。大分藩の出身者が教師でも生徒でも慶應義塾に多いのはそういうわけです。
http://wolfgangmichel.web.fc2.com/publ/books/27/27.htm#_edn1

去年の夏に副島隆彦先生が書かれた文学論をいまごろ読み直してみます。
関連リンク:「1470
」 夏休み特集。アルチュール・ランボー論。パリ・コミューンという政治的事件を書き残そうとした文学について。2014.8.16



この文学論は江戸時代後期(1850年頃以降)でフランスの文学とはどういうものであったかという解説です。当時の代表的な作家は

ヴィクトル・ユーゴー(Victor, Marie Hugo、1802年〜1885年)
アルチュール・ランボー(Jean Nicolas Arthur Rimbaud、1854年〜1891年)
(シャルル・)ボードレール(Charles-Pierre Baudelaire、1821年〜1867年)
(ポール・)ヴェルレーヌ(Paul Marie Verlaine、1844年〜1896年)
などです。

普仏戦争(ふふつせんそう、1870年〜1871年)でボロ負けしたフランスではパリは暴動で大荒れしていた時期です。パリ・コミューンという労働階級の革命主義者がパリでは跋扈していました。

副島先生の解説ではヴィクトル・ユゴーとカール・マルクス(Karl Heinrich Marx、1818年〜1883年)は交流があり、ヴィクトル・ユゴーの小説に影響を与えたであろうとのこと。

日本では黒岩涙香(くろいわるいこう)が『萬朝報』(よろずちょうほう)で「レ・ミゼラブル」や「噫(ああ)無情」を翻訳して評判を得ていました。黒岩は自由民権運動の手段として明治30年(1900年)〜大正にかけて日本に海外文芸作品をどしどし入れたわけです。

鴎外も黒岩と同時期に軍医のかたわらドイツオランダ文学を翻訳しています。
現在朝日新聞で連載している「三四郎」を夏目漱石が執筆した頃(明治41年)には、ユーゴーらフランス文学は萬朝報で日本人にもすでに読まれているのです。漱石の文中にも赤新聞と出てきていますしね。


重要なことはパリの二月革命(1848年:江戸時代後半)によるヨーロッパ共和主義(無能な王様を取替えてしまえ)という平民の怒りがこの時代のフランス文学の真髄です。

それが後年では民主主義活動や共産主義活動へとつながっていったと言うこと。

ドイツのフリードリヒ・エンゲルス(マルクスとならぶ共産主義指導者)を森鴎外は知っていただろうし、当然読んで共産主義にいくらかは共感していたでしょう。

フランスはそのまんま普仏戦争以降の緩い共和制度を維持して、現在でもその体制は見えない形で残っているということが副島隆彦先生のフランス文学論の概要です。

なぜ徳川家がフランス好きで、幕末には頼ったのかがわかります



江戸中期から幕末ごろ革命続きであっても共和国制という王様と貴族身分を維持しているフランスは、徳川幕府以降の国家体制のちょうどよい見本であったわけです。

皇室はイギリスを、徳川家はフランスを、知識層はアメリカを民権主義の手本としたのでしょう。

このように文学論は当時の政治状況を下敷きにしないと理解できないというお話です。
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年末の福島県内の放射線量です 
Tuesday, January 6, 2015, 09:06 PM


もう原発敷地内でもたいした線量じゃないだろうなあ。
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紀州(和歌山)徳川家は明治以降どうなった?(2)  
Tuesday, January 6, 2015, 03:33 PM
1/6 曇 10時 浅草での空間線量は14ベクレル/立法メートル

昨日の続きです。帰省中に溜っていた新聞記事をめくっていると、週刊朝日新年号(1/16号)に徳川家康没後400年記念座談会という文句の広告が目に飛び込みました。乗りかかった船だから読んでみます。

将軍家筋(宗家)18代当主の恒孝(つねなり)氏は徳川記念財団理事長、尾張22代義祟(よしたか)氏は徳川黎明会会長・徳川美術館館長、紀州19代宜子(ことこ)氏は建築設計事務所所長、水戸15代斉正(なりまさ)氏は東京海上日動火災保険の執行役員・総務部長とのこと。

共通しているのは元会社員であることと、代々伝わる文化財の保護の責務があることぐらいです。家康の下着までも家宝とのこと。

文中にあるように、最後の将軍慶喜(水戸斉昭の子)の弟昭武(あきたけ)が1867年というごたごたの時期にパリの万国博覧会へ行っています。フランスやベルギーの漫遊に随行していたのは、埼玉深谷の惣庄屋(そうしょうや:百姓の代表、庄屋)の倅であった渋沢栄一です。

水戸の殿様のぼんぼんと百姓の倅が一緒に海外漫遊していた



不思議でしょ?そして水戸学(朱子学をさらに天皇中心にした過激思想)の本家のボンはフランス語が達者であるということ。

水戸藩というのは本音は純粋に欧州の貴族であることを目指していたのではないか?という疑念が浮かび上がります。

同じように、紀州藩で親しまれているのは、八代将軍吉宗ではなく、紀州徳川の初代頼宣(よりのぶ)なんです。詩や画に秀でていて和歌山城にも頼宣筆のものが展示されていました。美術造形の才能に恵まれているのが紀州徳川家の特徴です。

ところが吉宗は江戸で美術芸術を奨励するどころか、質素倹約ばかりさせて景気をさらに冷やしてしまった。吉宗ってのはやっぱり棚ぼたで将軍に祀られた、やっぱり馬鹿殿です。
(後日追記:吉宗は禁教における洋書の輸入を解禁したり、天文学を奨励し改暦に着手したりと合理的な考えの持ち主だということが、わかります。学者肌の将軍様だったそうです。吉宗さんごめんなさい!)

記事を読んで感じたことは、徳川家(松平家も含む)は江戸時代後半には完全に貴族であったということ。GHQが余計なことに華族を廃止したことで、歴史を断ち切り日本の至宝の多くが略奪されたということです。

天皇家−公家(貴族)は歴史的観点から見れば、必要な存在です。戦国時代の信長でさえ朝廷の勅書のために苦労していたのです。武力があっても権威がなければ何も意味をなさない。

明治憲法が悪の根源で、現代の憲法を金科玉条のように、社民党は訴えていますが、あほかと思います。明治憲法も西洋の民主主義国家に倣った先進的な憲法です。
大きな違いは天皇と華族の定義のみです。

乗っ取られた日本を取り戻すためには身分階層も必要かもしれない



究極の国粋主義とはこういう考えに至ると思うのですが、それは誰も言わない(笑)
選挙権なんてかつての(アメリカでさえそうであったように)納税額や国家に報いた証として渡せばよいのです。選挙権のために働き生きる方が良い世の中になると思うのですけどね。



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紀州(和歌山)徳川家は明治以降どうなった?(1) 
Monday, January 5, 2015, 08:31 PM
本日より六城ラヂウムの仕事始めです。ああ正月惚け。
故郷は遠くにあって思うもの・・・中途半端に新幹線で2時間半、リニア新幹線が通じたら2時間もあれば着いちゃうよ。それでもホームの人混みでうんざり。結局本は数冊中途半端に車中で濫読しただけです。

昨日は暇を持て余して和歌山城へ行ってみました。(本当はかつてから行ってみたかった)
幕末で重要な役割を示す紀州藩が案外軽視されている気がします。
もし紀州藩が武闘派だったら今の日本は無かったでしょう。

とは言っても、大阪出身者の私でも「わかやま」という響きは東京で言えば「ちば・いばらぎ・ぐんま・とちぎ」ってな響きに近いもんがあります(和歌山の方ごめんなさい)

紀伊半島といえば、東は伊勢、吉野、高野山金剛峯寺、白浜や那智、温泉、紀三井寺や和歌山市内を流れる紀ノ川、そして紀州和歌山城下町、みかんや梅、魚も旨いし気候も温暖でホントはとても良い場所です。

東京で言えば、房総半島の下半分です。のんびりと時が止まったかのような街並みです。
和歌山の海南市から南は私が高校生(30年以上前)の頃と何も変わってない(笑)

自転車やオートバイで和歌山城の前は何度も通っているんだけど、和歌山城に入ったことが一度もありませんでした。紀州藩の殿様なんて興味もなかったし。

でも、おめでたく中年になった今、ご高齢とめでたくなった両親と生まれて初めて和歌山城に入ってみました。天守閣から見た風景です。
うっひょー和歌山市内を一望できます。
幕末・明治維新の頃でも眼下には同じような風景を見ていたのでしょう。
ちなみに真っ正面に見える煙突は住友金属和歌山工場(現在は新日鐵住金和歌山)です。

いろいろと恵まれている場所なんです。本当は。
でもなんなんでしょうね。和歌山って歴史の檜舞台に登らないのは。

紀州藩は八代将軍吉宗(よしむね)や公武合体で和宮降嫁した相手の14代将軍家茂により歴史面で知られています。さいごにマツケンサンバを踊ったかどうかは知りませんけど、和歌山城のパンフレットを読むと、絵画詩吟に長じていることが歴代の藩主の努めだったようです。和歌山城内に掲げられている日本画は見事なものです。

頭に来ることに、和歌山城は米軍の空襲で焼けています



現在の和歌山城は昭和33年にコンクリートで再建されたものです。姿は見事ですが歴史的価値はあんまりない。アメリカ人が大切な歴史建造物をもやしやがって!


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2015年元旦 五日より平常業務となります 
Thursday, January 1, 2015, 12:29 AM
迎春

皆様のご健康とご多幸をお祈り申し上げます。

六城ラヂウム店主拝
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「自分の意志」は寄生されたウィルスによるものかもしれない 
Sunday, December 28, 2014, 10:21 AM
12/28 晴 10時 浅草での空間線量は13ベクレル/立法メートル

NHK教育で放送されていたスーパープレゼンテーション「自殺するコオロギ ゾンビ化するゴキブリ…寄生虫にまつわる物語」

これは面白かった。

こちらから動画が観られます
http://www.nhk.or.jp/superpresentation/backnumber/141105.html


動物が群れるのは本能?諸説いろいろありますが、意志で行われているという前提があります。
サナダムシはアルテミアという甲殻類の虫に寄生して、群れさせます。そしてフラミンゴに食べてもらうためにです。
ハリガネムシに寄生されたコオロギは、脳をコントロールされて水に飛び込み自らおぼれ死にます。ゾンビが虫の世界では珍しいことではないのです。

宿主は意志はなく、卵を産み付けられて、喰われて、成虫が食い破って出ていくというパターン。

日本の学者が河川でマスが食べる虫の六割が寄生されていたことを調べました。

トキソというウィルスはネズミに寄生すると、ネズミは猫を恐れず近づいていくのだそうです。そして喰われて猫に寄生する。つまり哺乳類にも操るウィルスは発見されているのです。

あなたの性格はウィルスによるものかもしれない



十分考えられることです。

ウィルスの遺伝子を変えて、インターフェロンをつくらせたり、また宿主の体内で蛋白質を操作して癌治療に役立たせる研究が進んでいます。

医療といっても生物学と農学の垣根がなくなりつつあります。
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我々は音楽で潜在的にキリスト教の洗脳を受けているのです 
Saturday, December 27, 2014, 03:02 PM
12/27 晴 10時 浅草での空間線量は10ベクレル/立法メートル

昨日はキリスト教の真髄を理解したのは江戸時代の数学者(後世では和算家と呼ばれている)であるという自説を述べました。

当時の数学者と同じように、我々もいつのまにかキリスト教に染まっているという実例を挙げてみましょう。

それは音楽です。
60年代のフォークソングブーム、70〜80年代のニューミュージックブームがあり今ではJロック・Jポップスとよばれ
これらは現在の歌謡曲のメインストリームとなっています。

ロックやポップスのベースは宗教的な香りが強い



松任谷由実もテレビ番組「SONGS」で自身の曲を賛美歌とレクレイムであると定義しています。たしか番組では賛美と鎮魂であるとひとつひとつ明確に区別していました。

「飛行機雲」はまさに残されたものへの鎮魂歌ですね。

小田和正(チューリップ)の歌なんてのも全編教会で歌われても違和感がない。

ヨーロッパの音楽はのもとは教会での祈りご賛美の歌ですから当然でしょう。

中世に反カトリック勢力(プロテスタント)がヨーロッパに広がる過程において、モーツアルトをはじめ音楽家たちも重要な役目を果たしました。絵画ではメディチ家に支援されたミケランジェロが代表です。

芸術活動はそのままキリスト教布教の一環です



アメリカや英国のいわゆる洋学というジャンルの歌詞を読むと、だいたい同じようなものばかり。
過去ログ:プロテスタント国家は人民を幸せにしたのか

そんな考えをもっているのでSEKAI NO OWARI(せかいのおわり)というバンドが出てきたことに私はぶっ飛んだわけです。デーモン小暮の聖飢魔兇登場したときもぶっ飛びましたけど。
過去ログ:sekai no owari (世界の終り)とは「最後の審判」です

世界の終り=終末論のこと

ユダヤ教、イスラム教、キリスト教はどれもムハンマド(モハメッド)の啓示がが起源です。それなのに分けられているのはなんでか?

阿刀田高(あとうだたかし)の「旧約聖書を知っていますか」(新潮文庫)と橋爪大三郎の「世界がわかる宗教社会学入門」ぐらいしか読んでない知識で断言しちゃいます(笑)

キリスト教とはキリストの再臨を信じる(願う)宗教



必ず世界には終りが来て、そのときにキリストが甦って我々の前に立つという教義を信じている人たちをクリスチャンと呼びます。この教えを広めたのが弟子のペテロ(初代バチカン法皇)です。

世界が終わる!だから終末に備えよ!という教えを私たちにはっきり教えてくれたのが馬鹿ブッシュ息子大統領です。

終末論を唱える(信じる)人たちはおおむねキリスト教徒であるといえます。

終末論(キリストの再臨)を信じたエバンジェリスト(伝道者)で知られている明治の人は、内村鑑三(うちむらかんぞう)です。
過去ログ;プロテスタントが社会主義思想を広めた(「人間内村鑑三の探求」畔上道雄著)
幕末・明治のゲーテッド・コミュニティー (麻布・高輪・三田)
結局、新島襄は日本のキリスト教徒らに影響を及ぼしたのか?

弟子の書いた内村鑑三の本を読むと、ほんとうに気違い(笑)反権力、反組織、反権威、反宗教(爆笑)・・・

SEKAI NO OWARIが若者から絶大な人気があるのか(私も大好きです)、明治中ごろ〜大正にかけて厭世観と現代が似ているからでしょう。

知ってかしらずか音楽を通してキリスト教思想に我々は洗脳されているのです。
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来年はしっかり数学の本を読もうと思う 
Friday, December 26, 2014, 03:52 PM
12/26 晴 10時 浅草での空間線量は13ベクレル/立法メートル

幕末から明治へと思想の大転換がありました。それをまとめた論文集が今年出版された「フリーメイソン=ユニテリアン教会が明治日本を動かした」(成甲書房) です。

江戸文化から急速に西洋化へ進んだ原動力は、幕末に設立された「蛮書調所(ばんしょしらべしょ)」という全国のインテリを集めた研究養成機関であったことを書きました。これは歴史上の大発見だと自負しています。

オランダから医学や工学とともに思想も受け継ぎ、それを必死で研究したのが蛮書調所のエリート達です。

ただし蛮書調所という研究機関は元々は浅草(鳥越)天文台という、秋葉原の横にあった天文観測所が前身です。
ですから蛮書調所(意味は外国文献の翻訳をする所)といっても、設立時はほとんどが天文台の幕臣達であったのです。
天文方(てんもんがた)という役職でした。

この天文方は何を仕事としていたのかというと、星を眺めて「暦」をつくることが使命でした。カレンダーなんてこの年末になるとあちこちからもらう物だと現代の我々は思うでしょうが、当時は太陽太陰暦(いわゆる旧暦)で、日の出日の入りで一時間の長さは変わります。また月の満ち欠けがそのまま日数ですから、太陽歴ともわずかづつ差がでます。それを計算するのが天文方の仕事。
具体的には日数調整のための閏月(うるうづき)をどの月にあてはめるかとか、夏至・冬至、日蝕、月蝕のある日を求めたりしました。

鎖国下であっても外国文献を読むことができるのは天文方だけでした。

なぜ天文方は外国の本を読むことができたのか?ターヘルアナトミアを解体新書として訳した杉田玄白はあれだけ苦労したじゃない。

でも数学者達はすらすら読めるのです。なぜなら

数学の数式・図式は万国共通だから



余談ですが、社会人になった頃全く英語が駄目な先輩がアメリカに行って向こうの技術者と話をしてきたのですが、口から発する単語は「put」「get」「If〜then〜else」の4つだけで、あとは筆談。英語がペラペラの上司があきれていたそうです。互いにコンピュータプログラマーだから、コンピュータ言語でやりとりしていたのだとか、それも自然に。

MIT(マサチューセッツ工科大学)の数学研究室には世界中から数学者が集まり、白板や壁に数式を書いて誰でもそこの議論に入っている風景をテレビで観ました。数式さえあれば意思疎通ができるのでしょう。

このように、私は幕末にはキリスト教プロテスタント(ユニテリアニズム)は和算家達が意識的、無意識的に関わらず西洋思想を受け入れたのだろうと考えています。だからこそ蛮書調所は詳しく調べなくてはならない。

そう思っていたところに、新聞広告が目に留まりました。
「星に惹かれた男たち 江戸の天文学者 間重富と伊能忠敬」鳴海風著

伊能忠敬のお墓はなんとここ浅草の近所です。
過去ログ:伊能忠敬と高橋至時(たかはしよしとき)の墓はご近所にあった
鳴海風という著者は知らないので、検索してみました。和算小説家と名乗っているデンソーの技術屋さんです。江戸時代の数学者達を題材に歴史小説を書いておられます。ちょうどYoutubeに動画がありました。

https://www.youtube.com/watch?v=YJolfr6OhQw

この動画で『塵劫記』(じんこうき :元ネタは中国の明の程大位の算法統宗)が江戸時代初期に数学ブームを起こしたのだそうです。内容はねずみ算から簡単な幾何(樹の高さを求める)といったものや、奇想天外な数学クイズです。
そろばんをもった子供や大人、武士から農民まで『塵劫記』を愉しんだのです。

ちなみに現在の単位も一十百千万億兆京・・・・、分厘・・・といったものは『塵劫記』により定着したのだとか。
まさに日本の数学の祖が作者の吉田光由(よしだ みつよし1598-1673年)なのです。

この吉田光由はバテレン追放前にイタリアの宣教師カルロスピノラからも数学を学び、おそらくキリシタンであったのでしょう。お墓に名を入れていないことから「隠れキリシタン」であったと推測されます。
吉田光由は数学者でもあり、その知識を生かして土木技術者でもありました。350年前に水路トンネルを嵐山に掘っていまでも活躍しています。

吉田光由が和算の開祖として、その系統が伊能忠敬らが続くのですが、二人とも商家の出なんですね。武士も和算に熱中していたのですが幕末にならないと武士はそろばんでは出世できなかった。

川路聖謨(かわじとしあきら:最後の勘定奉行)や福井藩の山岡三八(のちの由利公正 ゆりきみまさ 松平春嶽の片腕)はどちらも天才的な数学的センスの持ち主だったそうです。

来年は数学を歴史的な視点からもう一度やりなおします



とりあえず櫻井進やこの鳴海風の著書を読んでみようかと思います。天地明察は面白い小説でした。

過去ログ:
数学は神を知るための手段であるという西欧の常識
伊能忠敬と高橋至時(たかはしよしとき)の墓はご近所にあった
カレンダー(暦)にはこれほど面白いドラマがあったのか

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炎上商法でまるもうけ! JR東日本、SONYピクチャー 
Thursday, December 25, 2014, 03:01 PM
12/25 晴 10時 浅草での空間線量は12ベクレル/立法メートル

東京駅開業100周年記念Suicaの発売を殺到を理由に打ち切ったニュースが流れ、米国ソニーでは金正恩暗殺場面のある三流コメディー映画の公開中止にオバマ大統領にまで声明を発表させました。

JR東日本もSONYの役員も笑いが止まらんでしょうね



広告宣伝費を1円もかけずに日夜報道してくれるから。しかもSONYはオバマ大統領にまでコメントを得ることが出来てお釣りが来ます。

Suica(スイカ)は通常のカードに印刷をしただけのもの。映画は観客数がそのまま売上につながります。つまりコストなどしれたもの。

宣伝費をかけなければ売れない物はたいてい価値はない



JR東日本は限定販売を通販方式に切替え、枚数の上限を撤回しました。つまり注文があるだけいくらでも刷りますということ。前払いのうえに、電子マネーという性格上デポジット料が加算されていますが、コレクションとして死蔵する人がほとんどでしょうから、タダでお金をもらったようなものです。

15,000枚×500円(デポジット料金)=750万円が当初の収入予定でした。これが報道で2万枚売れたら1,000万円ががそのままコストゼロで手にはいるわけです。パートかアルバイトぐらいは雇うかもしれませんけどね。

鉄道が好きな人の心理なのでしょうか、なんでも「記念」が好きですねえ。郵便切手もかつては記念切手には長蛇の列が出来ましたけど、いまでは誰も見向きしません。なんたって毎週毎月なんらかの記念切手が発行されていますからね。

かつてのオイルショックのトイレットペーパー騒動と同じように、手に入らない(観ることが出来なくなる)という群集心理はあいかわらずです。

騒動の陰で高笑いをしている人たちがいることを忘れてはならないでしょう。

余談ですが、円安と輸入時の検査の厳格化で入手がどんどん難しくなっているのです。

手に入らなくなるのはウチの扱う高線量ラジウムの方だよ!




                   2014/12/24 No.2971
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 10秒で読む日経!視点が変わると仕事と投資のネタになる
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   今日のNews
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●東日本旅客鉄道(JR東日本)は22日、客が殺到して途中で販売を中止した
 東京駅開業100周年記念のIC乗車券Suica(スイカ)について、増刷し
 て希望者全員に販売すると発表した。時期や販売方法は未定としている。
 インターネットによる販売なども検討する。
 赤れんが駅舎をデザインした記念スイカは20日午前、東京駅丸の内南口で
 計1万5000枚の限定で発売された。しかし購入希望者が殺到。JR東日本は
 約8000枚を販売した時点で販売を中止したが、買えなかった購入希望者が駅員
 に詰め寄るなどして混乱した。
                日本経済新聞 12月23日
   __________
   佐々木の視点・考え方
    ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
★この一件、JR東日本の販売担当者は、顕著な業績を挙げたとして評価される
 ことだろう。

 なぜなら、知名度が低く広告もあまりかけなかった記念スイカ販売を、土曜日
 の東京新聞の1面トップに掲載されたり、TVも各社が何回も取り上げたり、
 ネットでの書き込みも相当数に上り、一気に知名度を上げた。

 その上で、無制限発売すれば、相当数の販売枚数が予想される。

 そもそもスイカ等のプリペイド電子マネーは、顧客が購入しチャージしたお金
 を実際に使用されるまで発行者が運用して利益を挙げられる性格のもの。

 そして、今回のように記念版なら、相当数の購入者が利用することが無いと
 考えられる。つまり、殆どタダで顧客からお金を得て利益を挙げるに等しい
 性格の商品だ。

 ただでさえ「販売額が利益にほぼ等しい」儲かる商品を、広告をかけずに
 多数売ることが出来たわけだ。

 多少の避難はあっても、「過去はこうした事例が無かったので予測できません
 でした」と申し開きが出来る。

 上手な炎上商法と言える。

 現在はネット等で瞬時に多くの情報が錯綜するため、マーケティングで関心を
 引くことが困難。

 そこで「好きの反対語は無関心」。だから「顰蹙は金を出してでも買え」が
 モットーの会社の商品が炎上商法で良く売れている。

 私はこうしたやり方が大嫌いだ。
 だが、有効であることを認めないわけにはいかない。


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理系とか理工学部とか理学と工学をいっしょくたにする愚かさ 
Wednesday, December 24, 2014, 01:21 PM
夏目漱石の「三四郎」が朝日新聞に連載されており、かならず読みます。本棚にはあるのですけどせっかく新聞に載っているので。

帝国大学文学部に通う三四郎は自分の経験と弟子であり、登場人物も実在者がモデルです。
高校あたりで読んだときは、背伸びしてインテリぶる大学生の青春物語として読んでいたのです。

しかし今読めば、明治後期(小説は明治41年)の大学の状況を知るための資料として読んでいます。

文学部の初年では哲学を最初に習うということ



昨日はカント(独の哲学者)やバークレー(英の哲学者)が講義風景に出てきます。

おそらく帝国大学では教養課程で哲学は必修だったのでしょう。だから昔の大学生は学部に関わらずデカンショデカンショと唄ったわけです。

そういえば私の高校(大阪府立富田林高校)時代、担任の飯田先生はクラスを盛り上げるときはいつもデカンショデカンショと節を付けて生徒みんなに追従させました。その次の担任の三並(みなみ)先生というのは満州からの引き上げ組(妹が餓死)で、だみ声で浪曲師のように逃げる悲惨な状況を泪ながらに語るわけです。毎年。まもなく昭和が終わる頃のお話です。どちらも国語の先生で強烈な個性で大好きだったなあ。当時はつっぱりが流行していて反抗していたけど・・・。

三四郎は明治の高等教育はどのようなものだったのか雰囲気がわかります。
今の大学の風景とは大違いです。

馬鹿を自覚させるために日本には大学というものは存在すると思っているのですが、今はさらにその馬鹿をどっかの会社に引き取らせるためにあるようなものか。就職予備校とでも申しましょうか。

夏目漱石の「文学論」を開くと、中身は数式ばっかりです。
海外の小説を数学的アプローチで解明したもの。パラメーター(変数)がたくさん入った式が冒頭に示されています。

数学的に言えば「多変量解析」という手法です。
つまり数学的センスがなければ、文学部の授業(漱石は帝国大学文学部英文科の講師だった)でさえ全くちんぷんかんぷんなのです。私もさっぱりわかりません。

何が言いたいのかというと

理系文系という区別は本来ありえない


ということ。(早稲田大学 理工学部小澤徹教授談)

文学も経済学も法律学も極めていくと、すべては理学となり、神学へ収束していくからです。

夏目漱石が教鞭を執っていた三四郎の時代(明治後期)の大学の原型は江戸幕府が開いた「蛮書調所(ばんしょしらべしょ)」という組織です。

そこでも理系や文系だといった区別はなく、法律家であっても統計学者であり、経済学者であっても数学者でもあり、数学者であっても哲学者でもあったわけです。

夏目漱石は哲学者(Philosopher)だったのでしょう。森鴎外は漱石に敵愾心を抱いていましたが、アカデミニズムという尺度で測ると漱石は格下だと思います。

さらにいえば、理学と工学は全く別物です。副島先生がかねてから言われているとおり

「理学は神学の派生・系統であり、工学は下々(下級武士)らの実用的学問」

であるということです。理学は神学から派生した学問で、法学も同様に神学から派生した学問です。工学とは元来、兵器・兵術(つまり兵力増強)のための学問です。

明治政府も工部省(現在の東大工学部)を霞ヶ関に帝国大学とは別組織としていました。戦前の旧制大学制度までその系譜は続きます。

過去ログ:
検索キーワード:三四郎:

柳田国男「遠野物語」と夏目漱石「私の個人主義」
日本の思想(主義)は40年周期で変わっている
夏目漱石も森鴎外も、西洋文芸を通して小説の数式化を試みていた
イギリス→アメリカ→日本という流れでやってくるTechnologyと思想
なぜ国語の授業では明治文学が取り上げられるのか?
思想の系譜がわかれば現代の戦争がわかる(つもりになった)

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質問:サンタクロースはどこの国の人? 
Wednesday, December 24, 2014, 11:09 AM
12/24 晴 10時 浅草での空間線量は9ベクレル/立法メートル


質問ドラえもん:サンタクロースのモデルの人がいるよ。今のどの国のあたりにいた人かな。
答え:トルコ 今から1600年以上もむかしのキリスト教の聖人で、聖ニコラウスという人だよ。子どもやまずしい人にやさしかったと言い伝えられているんだ。

・・・世界の子供たちはトルコに足を向けて寝られませんなあ。
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