人類のアセンションはウィルスによってもたらされる 
Thursday, August 27, 2015, 04:46 PM
8/27 曇 10時 浅草での空間線量は18ベクレル/立法メートル

なんかおどろおどろしいオカルトチックなタイトルをつけてみました。学研ムー風です。

アセンション(ascension)とはオカルト界(笑)では次元上昇のこと。キリスト教ではイエスが頭に輪っかを載せて昇天したことです。

まあ別にオカルト信者ではないのですが、人間という生き物は食べ物や住環境でいくらでも変わっていくものなのだろうと思っています。

100年前の日本人と現在の日本人を比べてみたらとても同じDNAをもつ人種とは思えないでしょう。
精神面でもオカマかゴリラ女が激増しています。

武藤貴也という童顔ホモ衆議院議員が騒動をおこしてますしね。衆議院ではなく衆道院の間違えじゃねえのかねえ。
オリンピックなんぞやめてホモリンピックとすれば、世界にLGBT先進国として認知されかもしれません。テレビコンテンツ的にはけっこううけるのではないでしょうか。

やっぱり脳の発達障害なんじゃないかな



世界的にDNAレベルで異変を来しているのではと私は思ってます。

私は自己啓発系によく見られる「念ずれば実現する」といった精神論が大嫌いです。

好きな言葉は「他力本願」「ありがとう」「ごちそうさま」(笑)

過去ログ:「何のために勉強するの?」哲学なき社会の弱さ
信仰とは他力本願のことだが、ブッダは否定した(釈迦仏教と大乗仏教の違い)
プロテスタント国家は人民を幸せにしたのか
「助ける人」よりも「助けられる人」にまずはなろう

話はそれました。

それではどうして生物を含め人類は進化していくのだろうと考えていくと、ある種の仮説に辿り着きます。

ウィルスの感染で生命体のDNAは徐々に変質していく



かつては放射線やX線といったエネルギーを細胞核に与えて、当てずっぽうの数撃ちゃ当たる式で生物に突然変異を起こしていたのですが、遺伝子工学の発展で、意外と簡単に人類の細胞は細菌やウィルスからDNAを受け取ってしまうことが知られています。

いまでは研究室の培養シャーレで行うことが普通です。

シャーレと恒温器さえあれば、誰でもできるのですから、我々ご先祖様からずっとばい菌による影響はあったのでしょう。

ばい菌と共に進化していく人類ってなとこでしょうか。

オカルト系では人類は21世紀には新人類が登場するそうですが、日本に限らず見渡せばなんとなくそのような人類が登場しているような気がします。

いうまでもなくオカマ男とゴリラ女、妄想で生きる引き籠もり・・・

なぜ1600年代に科学で世界は一変していったのか



紀元前のアリストテレスから科学の世界を年表にしてみると、ヨーロッパでは1600年代(ルネッサンス期)で一気に花咲いたという感があります。

中世ローマからみれば北ヨーロッパ地方、今のドイツなどはのゲルマン民族は野蛮人とみなされていました。ドイツのババリア地方はドイツの南東部を指しますが、有名なバイエルン州、黒い森やロマンチック街道などがあります。古代ローマ語のバルバロイ(蛮人)が語源なんでしょうね。
北海道をかつては蝦夷と表していたようなものですかね。

ローマから見ればヨーロッパ北部は未開文明地に他ならないのです。ところが中世末期(14〜16世紀あたり)、人口が増えていくとペストがヨーロッパに大流行していきます。

やがてローマ法皇に対する反カトリック活動つまりルネッサンス運動がイタリアフィレンツェからヨーロッパ北部まで伝播していきます。

ここから近世が始まります。

日本でも江戸末期(1800年頃)にはコレラが大流行しました。コロリと死ぬからコロリとも言われ恐れられました。それまでも大都市江戸の衛生環境の悪化により赤痢が流行しています。

ところが疫病の大発生後にはなぜか天才や飛び抜けた頭脳の人たちが登場するのです。

偶然の一致でしょうか。

私は疫病が人類のアセンションに一役も二役も買ったのではないかと思っています。

ペストやコレラなどのウィルスによりDNAレベルでどんどん変質していったのはないでしょうか。

ちなみに21世紀の代表的な疫病は鳥インフルエンザなのです。
鳥インフルエンザでまた人類の遺伝子は変わっていくのでしょうか。ひょっとしたら鳥の遺伝子情報が組み込まれた人類がすでに存在しているかも知れません。

ここで思い出すのは楳津かずおの「わたしは真吾」「14歳」というSFホラー作品です。20年ほど前にビッグコミックに連載していた漫画です。

「私は真吾」は意志を持った産業用ロボット・・・たしか腕だけが彷徨い、そこで幼い子供を巻き込んでいくというストーリーです。
また「14歳」はクローン技術で鶏肉を生産する食料工場から生まれた鶏の頭を持つ天才科学者チキン・ジョージ博士が、人類の破滅を予想し、実際に世界はクローン動植物に席巻されるというストーリーです。

コンピュータの人工知能、突如培養細胞が変異して生まれた鶏人間・・・荒唐無稽な話です。

ウィルスによって変質した遺伝子が子孫へ引き継がれていくことがはっきりすれば、結構リアルな怖さをもって読めますね。



検索キーワード:DNA ウィルス:

海の生物から進化した人類だから「古細菌」を体内に取込むのです
癌も病気も、さらには進化もDNA次第(ウィルスによる生物の進化)
クスリ(抗菌剤)が腸内フローラを壊す!
ゲノム編集ってなんだ?
我輩はどこからやってきたのか?(猫の場合)
植物に突然変異を起こさせるための線量は160μSv/h〜24mSv/hあたりなのかな
「自分の意志」は寄生されたウィルスによるものかもしれない
がんのウイルス治療が始まる・・・遺伝子操作はマッドサイエンスである
アミロイドβが悪いのではなく、アミロイドβオリゴマーの毒が認知症の原因
パーキンソン病はiPSで治せるのかお手並み拝見
STAP細胞捏造論文事件はユダヤのでっちあげなんかじゃありません
DNAのスイッチを入れろ!・STAP細胞以外の理化学研究所の成果、iPSも負けてません
活性酸素を中和するには微量放射線しかない(とかねてから主張しております)
ウィルスによって原始生命が生まれたという発見
遺伝子はまだまだ本気だしてません
遺伝子治療に脚光再び
半導体産業と遺伝子産業のキーデバイス

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幕臣開国派にも幕府解体を目指す派閥と幕府存続で近代化を目指す派閥がいた 
Wednesday, August 26, 2015, 02:07 PM
8/26 小雨 10時 浅草での空間線量は18ベクレル/立法メートル

鳴海風氏の初期の作品「算聖伝 関孝和の生涯」(新人物往来社 2000年)を読みました。

関孝和は犬将軍とよばれた徳川綱吉(5代)家宣(6代)の元禄時代(1600年後半)に数々の数学書を残した有名な数学者です。

一言で言えば1600年代に多次元方程式という概念を発明した数学者です。世界でいち早く「行列」という計算法を発明した人です。
それをもちいて惑星の運行も予測したようです。

同時期には会津藩主保科正之と水戸光圀安井算哲の指示で改暦を実行した安井算哲(やすいさんてつ:のちの渋川春海)も名を馳せた数学者です。

安井算哲(渋川春海)の功績は「天地明察」という小説と映画になりました。
暦改正といっても暦作りは京都の陰陽家(平安時代安倍晴明からつづく祈祷天文占い師の家系)が握っておりました。
それを日食の正確さを証明して、暦の改定権を朝廷から奪ったわけです。そして貞享暦(じょうきょうれき)と名づけられました。

暦の発布は国家の実権がどこにあるかを知らしめることである



鎌倉時代から朝廷が用いていた宣明暦は採用から800年の時が過ぎており、また北京との地理的距離があるので誤差が大きすぎて日食も月食もあたらなくなっていたのです。
そこで幕府は授時暦という暦を採用する方針を立てるのですが、用いる天文定数(基準点の緯度経度や夏至冬至の日、惑星の正確観測地)を正確に図る必要がありました。ここからは映画「天地明察」のとおりなのでしょう。

その後、安井算哲(渋川春海)は初代天文方となって本所(現在の墨田区スカイツリーの南部あたり)に天体観測所を建設して、初代天文台の所長となりました。
この天文台が後の蕃書調所(ばんしょしらべしょ)となり、幕末には洋書調所、開成所、維新後には一ツ橋に移り大学南校となり現在の東京大学となりました。

日本史が嫌なのは和暦が覚えにくいからです。たとえば寛永八年とか慶応元年と書かれていても、結局は西暦が併記されていないとピンと来ないこと。もっともこの西暦表示も世界史を知っておかないとこれまたピンとこないのです。

なぜ日本は和暦が使われていたのかというと、将軍や天皇が交代したり、大災害や飢饉・疫病が発生するたびに”区切り”とされて年号が改められたからです。いえ、改めなければいけなかったのです。

これは小室直樹や井沢元彦が説明しているように、日本は現在でも”言霊(ことだま)怨霊”を深く信仰しているからです。

権力者が代わって遷都するのも、打ち破った敵の怨霊が残っているからという考えですし、暦も同様で前権力者の怨念が残っているからと新たな権力者が信じていたからです。

だから開国までは西暦などという概念はご法度ご禁制



鎖国下でもしうかつに西暦で日付を記載しようものなら(そんなことはありえませんが)、キリシタンの疑いで拷問・磔(はりつけ)の刑です。

江戸時代において、神様として敬うのは大権現様(家康)のみ。当時天皇の権威は庶民にとってはとても低いのです。将軍家への権威付けのためにあると平民は見ていましたし、実際にその程度の存在でした。

ところが開国後に外国と通商条約を結ぶにあたって、調印の日付が問題になります。そこで世界標準(デファクト・スタンダード)とのすりあわせが急務になったといういきさつがあるのです。

太陰暦(月齢を基準)から太陽暦(グレゴリオ暦)、西暦の受け入れといった具合に明治政府は泥縄に改暦作業に着手しなくてはなりませんでした。

嫌でもキリスト教を信仰していなくてもイエスを意識しなければならなくなったことは、私個人はあまり面白くない話です。
ローマ教皇(バチカン)によりイエス誕生後が文明の始まりかのように錯覚させられてしまうからです。

西暦を使っている限り、世界の中心はバチカンであると刷り込まれる



いえ、江戸開府間もない頃からすでにローマカトリックの影響を受け続けていた人々が幕府内におりました。

数学が長けた幕臣には洋書や宣教師を通して近代哲学に触れていた



なんたって元和八年(1622年)の「割算書」は冒頭はアダムとイブの話から始まるそうです。宣教師かその著作からの和訳であることからもうかがい知れます。

鳴海風の「算聖伝」は多くの著作を残していながら生涯が判明していない関孝和を題材にしたフィクションとノンフィクションの間の小説です。ですから真に受けてはあまりよくないのですが、孝和は処刑された隠れキリシタンの遺児であって、数学の才能があったので甲府藩の重臣(井上政重)の斡旋で江戸小石川のキリシタン屋敷(信者隔離のための屋敷)で幽閉されて育つというストーリーです。

そこは弾圧されているはずのイエズス会宣教師から数学や語学を学ぶという役目も持っていたという仮定が下敷きとなっています。

平民を信者弾圧する一方で、渡来した宣教師は隔離して知識の吸収に勤めた



というのはありえる話です。鎖国下では語学や世界情勢、そして数学知識、もちろん鉄砲や大砲や製鉄方法などなど教えて欲しいことは山ほどあったでしょう。情報を握るものは権力を握ることですから。

宣教師とは単身で日本に乗り込んでくるのではなく、商船か軍艦に同乗してやってくるのです。そして宣教師は布教という名目の相手国への切り込み隊でもあり、船団の頭脳でもあったわけです。

神学は当然としても、天文学(数学)、冶金(製鉄)や化学(医療)などにも精通しているまさにMITの大学教授クラスがロザリオをぶら下げてやってくるようなもんです。

鳴海風氏は日本の和算の発展はイエズス会宣教師たちから伝わった知識も大いに影響があると考えています。もっともこの説は平山諦(あきら)・鈴木武雄・中村正弘といった研究者たちらの研究成果を基にしているそうです。

浅草天文台(後の蕃書調所)は幕府公認のキリシタン容認施設であった



鎖国政策下では伴天連由来は禁書であったのですが、蕃書調所内では蔵書として大切に保管されていたのです。
ですから幕臣であっても蘭書や蛮書(蕃書)と呼ばれた西洋書物を読むことができました。

そこでは天文計算に必要な知識は当然ですが、それが測量となり、そして砲術(弾道計算)へと軍事的な分野へと裾野が広がっていきます。

なんたってニュートンやライプニッツ、オイラーといった数学者たちが物理法則や微分積分といった概念を次々発見していった時代ですから、天文台の数学者たちは長崎から持ち込まれる洋書に興奮したでしょうね。伊能忠敬も初期の天文台に勤めていました。

西洋知識と同時に西洋哲学かぶれの溜まり場が蕃書調所であったと言えます。

この蕃書調所のテクノクラート(技術官僚)が幕末の日本に深く関わっていきます。

開国派でも蕃書調所系テクノクラートと長崎系ユニテリアンは対立した



西洋近代哲学(ユニテリアニズム)に感化された勢力が、幕末では各藩にも現れてきます。長崎から清国経由で入ってくる蘭学は藩校でも徐々に導入されていくようになります。中津藩(大分)や佐賀藩などは特に積極的に蘭学を導入しました。

日本における幕末のユニテリアンの頭目は横井小楠を差し置いて、この人以外はいないでしょう。

佐久間象山/勝海舟/西郷隆盛/坂本龍馬/福沢諭吉・・・すべて横井小楠系(幕府解体後の共和制支持派)であったのです。この勢力は吉田松陰らが唱えた勤皇思想派へと結びついていきました。

これが戊辰戦争を皮切りに血で血を洗う悲劇の始まりでもあったのです。

ややこしいことに勝海舟を引き上げた幕府重臣の大久保一翁(忠寛)は横井小楠に陶酔しており、初代の蕃書調所の頭取という役職でもあります。勝も一時期教授方に就任しています。

つまり徳川家の覇権を返納させて、藩から広く人材を登用して国家運営をして行こうという考えは幕臣側にもあり、蕃書調所のエリートが松平春嶽の後押しを受けて幕府なき後の政治体制を模索していきます。

ここで困るのが、蕃書調所や勘定方(今で言う省庁の事務次官と最高裁判事をまとめたような実務権力者)である幕府のエリート/テクノクラート層の存在です。

開国に賛成であっても、そこから徳川幕府の消滅などとは想像ができないのです。

この代表が小栗忠順(おぐりただまさ)ら頭脳明晰なテクノクラート系幕臣です。キリスト教による哲学を知識的には理解しているとしても、西洋技術の導入のためという割り切りを持っている人々です。水戸光圀なども攘夷と唱えていても、屋敷には禁書や地球儀、望遠鏡があったのだとか。

西欧で急激に進んだ科学は日本のインテリ・エリート層を真っ二つにした



西洋哲学(つまり「神」の概念の刷新)の導入を目指すインテリ層と旧体制維持で国力・武力向上を目指すテクノクラート系幕臣とは当然対立していくでしょう。互いに不忠だ!不義だと罵ったのです。

開国したといっても少しでも西洋的な考えを示しただけでも、国賊として斬られた志士が多くでたのです。小栗忠順も横井小楠も暗殺されてしまいました。

赤松小三郎という人物は知りませんでした。長崎伝習所で学んだ勝海舟の弟子です。赤松が松平春嶽に提出した議会制の建白書も坂本龍馬の船中八策も、横井小楠の受け売りです。


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取るに足らないことで大騒ぎする理由 (手放す言い訳を新聞が用意します) 
Tuesday, August 25, 2015, 12:29 PM
8/25 曇 10時 浅草での空間線量は21ベクレル/立法メートル

台風のおかげで最高気温が25度と先週と10度も低くて快適です。しかし沖縄や九州地方は風の被害がすごいみたいでご同情申し上げます。トラックや乗用車が横倒しになったり吹き飛ぶとはすごいものです。

火山の噴火にせよ、地震にせよ、台風にせよ、地球のエネルギーの前では地球の文明などまさに吹けば飛ぶような存在であることがわかります。

先週帰省した折りに近所の山道を久しぶりに歩いてみました。25年前は住宅地開発で舗装された真新しい道も鬱蒼と木が茂り、路面には一面の苔が生えていました。杉林の小道が黄緑色でとても気持ちが良かった。

でも苔が滑るとついてきた甥っ子は不満タラタラでした。

昔は自転車やオートバイで峠を越えて奈良や和歌山に入ったのですが、いまじゃトンネルや谷に橋を架けたバイパス線があるので気軽に行けるようになりました。

学生時代によく自転車やオートバイで走った峠道は、登山道のようになっていました。誰も通りませんし保守もしなければたかだか数十年で草ぼうぼうに戻ってしまうのですね。

伊豆半島や房総半島にはバブル時代に建てられた企業の保養所の廃墟があちこちで散見されます。
赤錆びた門扉の中にはプールやテニスコートの痕跡が見えますが、アスファルトは雑草の力でひび割れており、ブールは体を為さないほど土砂や落ち葉で埋め尽くされています。

自然に還るって意外と早いものなんだなあ



この様子では100年もかからずにコンクリの廃墟も岩の小山になってしまうでしょう。

人がいないところはあっという間に荒れ地に戻っていってしまうだけの話。

福島第一原発周辺を中間貯蔵施設という名称の”永久”核廃棄物貯蔵施設にする計画が進んでいるという新聞記事があります。

1人当たり10万円の生活費をもらいながら郡山という福島県の中核都市に住んだら、誰でももう戻りたくないですよ。公共交通はあるし買い物はすぐ目の前でできるし、農作業をやらなくていいとなれば。

こんな人間あたりまえの感情なのですが、立派な道路しかない辺境地で、儲からない農作業をやりたくないから土地をさっさと手放して都市部で余生を過ごすわと言えませんから、その言い訳をメディアが用意してあげているという図式が透けて見えます。

汚染されているから戻るに戻れないのよ



そもそも汚染と言われると、汚れた物質が降り積もっているように感じるでしょうが、別に六価クロムや有機溶媒(ジクロロエチレンなど)といった生態系に毒性を持つものなどはない。

ほとんどは同位体(アイソトープ)となったありきたりの元素が微量の放射線を出しているだけです。放射線とは元素が崩壊する際に放出する電磁波・電子・原子核です。

高圧電線の鉄塔下に住んで、携帯電話やスマートフォンを離さず持ち歩いて、自宅でも高周波電波あふれる機器の中で生活して、日課のように病院に通ってレントゲンCTやMRIといった高エネルギー電磁波に何のためらいも持たずに診療しておきながら「放射線こわぃ〜」と真面目な顔でいうなんてジョークとしか思えません。

単に農業をやる気がないという言い訳を福島民報といった地方紙、左翼系新聞が用意してあげているのではないでしょうか。

叩き売る口実を”正義を標榜した”メディアが用意している



という構図がみえみえです。赤旗だって同じです。

そんな僅かな線量などはあと数年で消え去ります、心配せずにみなさん自分の土地に戻ってこれまでの生活を続けましょう!

などという新聞は見たことがありません。つまりメディアは意図しているにせよ、無自覚にせよ、核廃棄物貯蔵施設を国内につくるという国策に荷担しているのです。

”汚染”なんてたいしたことはないし、風評被害しか実質ないのだ。もし汚染というのであれば、それは天津港の爆発事故のように毒物が広範囲に染み込んだ状態であるが、そのような地域は日本のどこにもない。汚染の定義次第では中国の大部分が汚染地帯になってしまうでしょう。と声を大にして言っているのは副島隆彦先生と私ぐらいでしょ(笑)

核廃棄物貯蔵施設の真横の土地を私は欲しいなあ



ホルミシスルームを兼ねた六城ラヂウム店舗兼”アトミックカフェ”でも開きたいです。
30マイクロシーベルトなんて低い土地はだめよ。3,000マイクロシーベルトぐらいは欲しいですけど。土地格安で売ってくれ〜(笑)


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地政学では福沢諭吉の「脱亜入欧」は全く正しい 
Monday, August 24, 2015, 11:56 AM
8/24 曇 10時 浅草での空間線量は25ベクレル/立法メートル

日に日に過ごしやすく感じられる今日この頃です。一昨日には近くの公営プールに行ってみましたら、大賑わいでした。

電車の中で、「21世紀の「脱亜論」 中国・韓国との訣別」(西村幸佑(にしむらこうゆう)著 祥伝社新書)を読み耽りました。

福沢諭吉が130年前の明治18年(1885年)3月16日の時事新報に掲載した社説「脱亜論」は当事は全く反響も関心も呼びませんでした。

露西亜が南下政策を進め、朝鮮半島への勢力拡大と地勢バランスが大きく傾いている当時の状況では

あまりにも当たり前の主張だったから



です。

そしてその朝鮮自体も、露西亜と清国の板挟みで政権は安定せず、結局、清の冊封国(さくほうこく)として存続する道を選びます。

つまり軍事バランスでどちらにもヘラヘラ動くのが朝鮮半島の永遠の宿命であるのです。

そしていつまでもどっかの国の庇護を受けていなければならない国家であることは、明治の時代でもかわらないのです。

西郷隆盛の征韓論は島津斉彬の懸案であった



明治政府で西郷らが強く主張した「征韓論」はなぜ必要であったのかというと、膨張するロシア勢力(裏にはフランス資本=ユダヤ資本)が江戸時代末期から顕著であったからです。

それを島津藩はつねに危機感を抱いていたのです。

ですから巨大なロシアの日本海側への進出をくい止めるためには、朝鮮半島を抑えておかねばならない必要があったのです。

これは好きとか嫌いとか、侵略だとかいう低次元の話ではなく、日本が日本として存続するためにどうしても必要な手段であったのです。

朝鮮半島は碁盤の重要な目のひとつに過ぎない



そこを相手に抑えられたらヤバイので、しかたなくこちらが取りに行くしかないというだけの話です。

中国と露西亜という文明の異なる国に飲み込まれるかという瀬戸際であったのが、明治18年の頃の国際情勢です。

福沢諭吉が脱亜論を著した9年後には残念ながら日清戦争、そして19年後には日露戦争がおこります。

諭吉が危惧した現実が起こってしまったわけです。

福沢諭吉の「脱亜論」は地政学を踏まえた解決案である



西欧近代文明とは大きな隔たりのある専制独裁国家である支那と冊封国(非支配国家)の朝鮮に関わると泥縄になってしまうという警告であったのです。

明治という近代文明化に成功した日本が、後進文明国である支那と朝鮮に関わっていては欧米に追いつき追い越せと言う気勢がそがれてしまうということ。

近代文明への道を歩き始めたばかりの明治日本にとって、それまでの君主制や身分制度といった旧来の名残を消して、近代国家として再起しなければ帝国国家に飲み込まれて翻弄されるだけの日本になっていたでしょう。

露西亜の南下膨張政策に対抗するためにも、支那(と朝鮮)とは一切関わらないことが正しいのだと諭吉は訴えていたのです。

そして支那・朝鮮を除いた亜細亜に友好国を築いていけという極まともな意見であったのです。

中国・朝鮮を敵対国家として見ることがロシアに対し一番安定する関係



あの国民や文化が好きだ嫌いだという話ではないのです。

お友達がいるから仲良くしていきましょうとか、商売相手だから仲良くやっていきましょうとかいう矮小化したお花畑お友達感覚では国際関係を述べてはいけません。

国際政治は将棋や囲碁のような関係論でしかないのです。

表面では仲良くとか口先ではいくらでも言えばいいのでしょうし、国民同士の交流があることは良いことです。

ただし政治では話は全く別な次元です。

ロシア・中国・韓国・北朝鮮とは国家関係は常に敵国側である



これは過去から永遠に、決して揺るがない関係なのです。政治家・外務省外交官らはこの揺るがない事実をふまえた国家運営をお願いしたいです。

過去ログ:検索キーワード:福沢諭吉:

私の夏休み課題図書を公開します
これからは大陸国家の連携の時代へ(海の道よりも陸の道)
幕臣たちの明治維新 徳川幕府は新政府よりも劣っていたのか?
勝海舟はフリーメイソン・・・だったらどうだって?
フランス文学(という政治批評)が幕末・明治の知識層に多大な影響を与えた
なぜ国語の授業では明治文学が取り上げられるのか?
浅草は殺陣(たて)の町 居合いとは違う文化です
儒教(陽明学)とプロテスタント(ユニテリアニズム)との相似について
「実学」とは江戸末期に使われ始めた儒学に対する西洋学問体系を示す隠語である
坂本龍馬が北進一刀流の免許皆伝者なんて嘘っぱち

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海の生物から進化した人類だから「古細菌」を体内に取込むのです 
Friday, August 21, 2015, 03:06 PM
生物の進化に微生物・ウィルス(Virus)が関与しているという説があります。
そんな馬鹿なと思っても、案外簡単に人間の細胞はウィルスから運ばれてきたDNAを取込んでしまうようです。

身長や体重といった個人差でもひょっとしたらご先祖様がなんらかの拍子で取込んだウィルスの影響なのかも知れません。

逆に加齢が原因と思われていた病気や先天性の欠陥もウィルスの影響ではないかという研究結果が発表されました。

古細菌が人に感染 認知症患者の脳・脊髄で発見



毎日新聞の2面に掲載されていました。

古細菌とは海水など塩分の強い環境に住む細菌で、遺伝子は持つが核を持たないために生物としては下等なため研究対象になっていなかったのです。

ところが生命体は案外安易に遺伝子を外から取込んでしまう



実際にiSPにせよ遺伝子操作による品種改良にせよ、遺伝子工学という直接遺伝子を組み換える”危険な思想の学問”では、大腸菌やウィルスに忍び込ませたい遺伝子情報を組み込んで、目的の細胞に運び込ませます。

ウィルスがいない世の中には人類の進化がないということなのね

でも病気の因果が細菌やウィルスだという説が正しいということになると、森鴎外(軍医:森林太郎)の評価を改めなければいけないなあ(困った)脚気もDNAの特定部位によって引き起こされて、ウィルスに起因するなどという学説が復活したら、どうしましょう。


過去ログ:検索キーワード:DNA:

植物に突然変異を起こさせるための線量は160μSv/h〜24mSv/hあたりなのかな
アミロイドβが悪いのではなく、アミロイドβオリゴマーの毒が認知症の原因
「殺してはいけない」は戦場の掟 (増大する認知症老人は世界問題となった)
パーキンソン病はiPSで治せるのかお手並み拝見
STAP細胞捏造論文事件はユダヤのでっちあげなんかじゃありません
DNAのスイッチを入れろ!・STAP細胞以外の理化学研究所の成果、iPSも負けてません
ウィルスによって原始生命が生まれたという発見
遺伝子はまだまだ本気だしてません
半導体産業と遺伝子産業のキーデバイス


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「怒濤逆巻くも 幕末の数学者小野友五郎」 鳴海風著 
Tuesday, August 18, 2015, 05:50 PM
夏休みの課題図書として鳴海風の著作を読んでおります。

著者の鳴海風氏は自動車部品会社デンソーに勤める会社員でありながら、日本の数学史を研究する作家です。

和算の発展にキリスト教が果たした役割



ざっとまとめると戦国時代にポルトガルのイエズス会が日本で布教をはじめました。
織田信長が武器大砲、土木(築城)技術の導入を宣教師から得て、見返りに交易を許しました。
当事は通商と布教は同体が普通です。

禁教前の江戸時代前期まではポルトガルやスペインが交易の相手国でした。この時伝えられた数学とはずばり天文学(ユークリッド幾何学)です。

天文学がなぜ必要なのかは過去ログでも述べましたが、政(まつりごと)の日時を為政者は示さねば成りません。
元来、これは京都朝廷が陰陽師の指示により公布することで、国の権力は天皇にあることを示す神事であったのです。

ところが鎌倉時代に導入した陽明暦は、中国の暦であったのと一年の長さにわずかな誤差があったために、江戸時代では誤差が見過ごせなくなります。

そこで四代将軍家綱(いえつな)は改暦を会津藩主松平正之(まさゆき)と水戸藩主徳川光圀らが中心となって決定します。そこで登用されたのが安井算哲(やすいさんてつ:渋川春海)です。

日本を測量して歩き、日蝕・月蝕の日を特定することができたのです。
こうして幕府が暦を制定する神事を朝廷から奪い取ることができたことが重要なのです。

神事の主催が徳川幕府に移った驚天動地な出来事なのです



参考URL(SNSI会員限定):「1510」 江戸時代の日本の学問研究を描いた、映画「天地明察」(てんちめいさつ)から日本の数学の黎明を学ぶ 六城雅敦(ろくじょうつねあつ)2015年2月6日


こうして天文学は江戸中期(1600年後半〜)には土木(測量)と幕末には航海術へと派生していきます。

航海術なんせ鎖国下で徳川幕府は大型外洋船の建設を禁じ、廻船といった近海しか航行を認めていなかったので、外洋航海の術が育たなかったのです。

ポルトガルやスペインから航海術を学べば話が早いのでしょうが、カトリック(イエズス会)の国内勢力拡大に危惧を抱いた幕府はオランダのみに通商国を絞ります。

プロテスタント国家であるオランダが幕府に取り入って、うまいこと交易を独占したのです。別にオランダが友好的であったとか、特別の見返りがあったわけではないでしょう。幕府としてはポルトガルを抑制するためというオランダの口車に乗せられた形になりました。

イギリスで蒸気機関が発明されると、それは瞬く間に工業化と船舶の大型化をもたらしました。世界規模の国盗り合戦が始まり日本もその対象として工業国家群に狙われていきます。
こうして泰平の江戸時代が終わっていきます。

泰平で必要な素養は「六芸(りくげい)」特に「数」であった



中国古典では戦士に必要な素養は「礼楽射御書数」の六芸、すなわち礼儀作法・楽器や歌詠み・弓道・馬術・書道・数学とされています。
数学を戦士に必須としているところに叡智の深さを感じずにはいられません。

戦とは数の闘いであると中国の賢者はすでにお見通しであったのです。

兵力の割り振りから補給まで多数の兵を動かすためには、単純な足し算引き算だけではなく、優先度や確率を重ねた「行列」という概念が必要となるのです。

現代において「行列」演算はカーナビゲーションとなって、みなさんも馴染み深いですよね。

また勘定方すなわち戦費管理を担当する係が重要な役目であったのは想像難くありません。
中曽根康弘も海軍主計課という軍隊であってももっとも公務員らしい役職でしたし、かつてよりエリートの席です。

江戸中期から武士はテクノクラート(高級技官)となっていった



武芸に秀でて、戦場で功績を挙げるよりも、開墾や築城といった土木技術、商業や鉱業(特に金銀銅)、財政政策に明るい人材が重用されていった健全な時代であったといえます。

こんなことはいちいち書かなくてもよいかもしれません。

「怒濤逆巻くも 幕末の数学者小野友五郎」(鳴海風著)を読んで、幕府の最高頭脳であった小栗忠順(おぐりただまさ)が果たした役割とその中心として働いた小野友五郎の功績に感銘せずにはいられません。

小栗忠順は海臨丸でアメリカへ渡航し、日米通商条約での不公平であった金の交換比率の改善を粘り強く交渉しました。

頭が大きくて火吹き達磨と陰口を叩かれたことは有名です。その片腕として小野友五郎という有能な数学者がいたことはあまり知られていません。もちろん数学に通じた忠順が取り立てたのです。

日本の海軍を創立したのは小栗忠順と小野友五郎



よく誤解されるのですが、築地に軍艦操練所を開設し、横須賀に製鉄所(のちの造船所)をフランスからの借款で造ったのが小野忠順と数学に長けた小野友五郎です。

勝海舟は小栗らによる幕府直轄を嫌い、神戸にも浪人や無宿人らをあつめて身分の隔たりがない操練所を開きますが、戊辰戦争となり計画は頓挫します。

維新後はイギリスの巻き返しにより、フランスやアメリカを押しのけて横須賀造船所はイギリス技術者が造船の指導を行うようになります。その先頭に立ったのが山尾庸三(やまおようぞう)、伊藤博文らと薩英戦争後に英国に渡った長州ファイヴの1人です。

山尾庸三は日本造船の父と後世呼ばれていますが、その造船所を造ったのは優れた航海術や測量技術を習得した小野友五郎であり、勘定奉行であった勘定奉行の小栗忠順であったのです。

維新後の小野友五郎は海軍省の出仕要請を拒みますが、民部省には出仕を承諾しています。晩年は製塩技術の研究をして実業家ともなりました。

勝海舟や上司である大久保一翁もそうですが、ほとんど無為に過ごしたと言ってもよいほど目立った活動をしていません。

「怒濤逆巻くも 幕末の数学者小野友五郎」では勝海舟派と小野友五郎派は反目しているように描かれています。

西洋思想としての数学 VS 西洋技術としての数学



小栗忠順・小野友五郎は時代が要請した希代な技術官僚(テクノクラート)であったのです。

ですから日本の軍備増強を図るには、まずは海外から軍艦・武器をどんどん買い求めてから国内の技術者を(外国技術者によって)育てていこうと考えました。それが国力のない日本には最短であると考えたのです。

かたや横井小楠が説き勝海舟や大久保一翁が目指したことは、技術力を高めるためには身分制度のない(幕府による)教育訓練機関でした。まずは技術者の育成に重点を置いたのです。

これが江戸中心の見方をしていた小栗と小野に対して、藩幕連合国家を目指した横井と勝の違いでした。

同じように先端西洋技術の習得を目指した原子力発電導入経緯とよく似ている



勝海舟と配下であった坂本龍馬ははたしてイギリスの走狗であったのでしょうか。

私は幕府瓦解を目指したのは坂本龍馬という使い走りではなく、幕府が抱えていたインテリ軍団であると見ています。

切支丹を禁教としながらも、切支丹から積極的に技術を取り入れた



全国の藩から秀才をどんどん幕臣として登用し、たとえ切支丹に近い人物であっても西洋に詳しい者たちは切支丹屋敷とよばれる隔離施設に幽閉したり、蛮書調所で翻訳作業に従事させたのです。

オランダ商船からもたらされる科学技術とはすなわちユニテリアニズムによって花咲いた数学や物理、天文学などです。

ニュートンやオイラー、ライプニッツといった1600年から1800年の近代学問のオールスター達の息吹を感じていたのは、鎖国下であっても蛮書調所(後の開成所)といった幕府の学術調査機関です。

獅子身中の虫とは言い過ぎですが、図らずも蛮書調所が欧米ユニテリアニズムを信奉する団体となってしまったのです。

数学や物理を単なる技術としてではなく思想として捉えられる叡智を持つ者は今も昔も少ないです。

勝や小栗忠順ら幕府のエリート層同志であっても、数学を哲学として捉えるか、技術として捉えるかで開国のプロセスが異なっていることがわかります。

どちらにせよ

数学に長けた者が幕末に果たした役割は大きいのです



過去ログ:私の夏休み課題図書を公開します
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和歌山県紀ノ川沿いを散策する(真田庵・慈尊院・華岡青洲の史跡) 
Thursday, August 13, 2015, 04:24 PM
ちょっと私の田舎自慢です。
来年のNHK大河ドラマは「真田丸(さなだまる)」真田幸村(主演:堺雅人)なんだとか。


それで一足早く、幸村が大阪夏の陣まで過ごした和歌山県高野町九度山(くどやま)の真田庵(さなだあん)を訪れてみることにしました。
関ヶ原の合戦後は豊臣方であった父の真田昌幸と共に幸村は、徳川方であった兄信之の助命嘆願が叶い、高野山九度山で蟄居を命じられました。

僅かな家臣らと過ごしたのが、この真田庵です。
きっと来年はもっと観光客が押し寄せているでしょう。


そこから直ぐ近くに慈尊院(じそんいん)があります。
九度山町の由来は、高野山金剛峯寺は女人禁制のため、空海の母が滞在していたお寺です。
慈尊院は安産祈願とお乳が良く出るようにと乳房の形の絵馬を奉納することでも有名です。


月に九度、空海が山道を降りて来たことから、この一帯は九度山と名付けられました。
この奥に空海が創建した丹生官省符神社(にうかんしょうぶじんじゃ)があります。


ここから町石道で金剛峯寺まで7時間半はかかります。すごい山道です。



もちろん慈尊院も含め高野山一帯は世界遺産です



少し紀ノ川沿いを和歌山市側に下っていくと、華岡青洲の墓と復原された病院「春林軒(しゅんりんけん)」があります。今から16年ほど前(平成11年)に観光施設として整備されたそうで、地場野菜のバイキング形式のレストランがあります。菜食主義には嬉しいですね。



華岡青洲は1804年世界で初めて麻酔薬「通仙散(つうせんさん)」を用いた全身麻酔による乳ガン手術をした町医者です。

町医者といっても全国から麻酔技術と手術をならった生徒は1000名を越えました。

有吉佐和子の小説「華岡青洲の妻」で母親と妻の献身の末に麻酔薬が出来上がったのはよく知られていますね。

この隣には和歌山県立看護学校ができてました。
20数年ぶりにドライブがてら寄って観ましたが、道や高速道路が整備されていて、快適に愉しめました。

カーナビがあるから行ってみるかという気になったのも事実です



むかしは国道から外れて、わざわざ地図を片手にうろうろ探すなんてまっぴら御免でしたし、真田庵や華岡青洲の墓はあることは知っていても、わざわざ狭い道に迷い込もうなんて気にはなりませんでした。

カーナビがあるからこそ観光は気楽になったと言えます。
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おクスリのお話 
Wednesday, August 12, 2015, 03:27 PM
昨日は製薬会社の役員で退職された方の講演会がありました。なかなかためになる話だったのでメモしておきます。

■紀元前から延々とクスリは研究されてきた



.─璽戰襯后Ε僖團襯后糞元前3400〜1500頃)
ヒエログラフ(絵文字)で書かれた古代エジプト医学の大全書であり110頁には鬱病や認知症といった精神疾患から避妊、婦人系疾病、接骨、火傷、外科治療まで載っている。それとあわせて数百種類の治療薬も掲載されている。
そして

癌には何もしないこと


との記述がある。

▲好好襯拭文殿絅ぅ鵐鼻飽絣悄糞元前500年頃) 手術の解説書

ヒポクラテス(ギリシャ)医学(紀元前420年頃) 科学的治療を提唱された

た税惜楞襍臓文殿綯羚顱法〆埜鼎量辞典で365種の動植物や鉱石などが記載されている。

グ綽簡(いしんぼう) 平安時代(984年)宮中鍼灸師がまとめた日本で最初の医学書

■ジェネリック品と本家の薬との違い


特許の独占期間が過ぎた薬には同成分のジェネリック薬が生まれるが、純正品とジェネリック薬とは効能に差はないと言える。しかし薬効成分以外の添加剤により溶ける速度や構造が違うので、血中濃度(AUC)の時間曲線が一致しないものもあるので、ジェネリックでは効き目が違うと感じることがある。

※血中濃度は服用後15分頃から増え始め、30分で最大になる。1時間後には徐々に低下していき、24時間後にはほぼゼロとなる。そのため高血圧薬などは毎日呑まねばならないとのこと。

■日本ではジェネリック薬を使うメリットはあまりない


保険制度のある日本において薬代が3割ほど安くなる程度なら、患者側の負担軽減はほんのわずかなもの。

たとえば一粒100円がジェネリックで70円となっても患者の負担額は数百円程度の差。
なぜ政府はこれほどジェネリックの処方を勧めるのか、製薬会社側の立場からは理解できない。医療費全体の費用削減の額はたいした金額にはならないのです。

■少数疾患に対する薬剤開発


営利企業である以上は患者が多い疾病を対象していかねばならない。有効な成分が臨床試験を済ませて承認されるまで、15年程度で300〜500億円の費用がかかる。しかも製品として世に出る確率は10%程度。
そのために日本では患者数5万人以下(米国では20万人以下)の疾患対象の開発には政府から開発支援制度がある。

■サリドマイドは現在は有望な抗ガン剤である


1960年代に睡眠薬として発売されたサリドマイドは、妊婦のつわり予防薬として多く処方された。しかし奇形児の発生はサリドマイドの副作用であることが判明したことは有名。
ところが新生血管の阻害という副作用は現在は癌治療薬に使えると期待されている。

このように開発時の目的とは違った薬剤もよく見受けられるようになった。例として毛生え薬のリアップは元々は血圧の薬、バイアグラも心臓の薬であった。
また過去からある薬剤でも、患部まで直接届くようにされたものや、標的とする細胞や分子に直接作用するように工夫されたりと進歩したことで注目されるものもある。

■遺伝子工学が発展して新薬開発は迅速になったのか?


遺伝子の解明により原因が遺伝子異常であることが判明した病気もあるため、ゲノム創薬という掛け声が高まった。
しかし遺伝子に有効な成分が仮に発見されたとしても、臨床試験を経て承認されるまでのプロセスは同じなので、たとえ今日明日に癌治療の画期的な遺伝子治療薬候補が発見されたとしても、承認されるまでは同じ(15年程度は最低かかる)。

■日本の製薬業に未来はあるか


日本の製薬業界と世界の製薬企業とは規模・売上高において10倍程度の差がある。まさに巨人と小人の争いのようなもの。
(例:武田薬品とファイザー)
これからも合併、経営統合は続くだろうし、企業トップも合併しなければ世界企業と戦えないことは意識している。
極端に言えば日本の製薬企業トップ5が合併して、やっと世界トップ企業と肩を並べられるかどうかなのである。

■TPPの医薬品協議は各国の思惑(おもわく)違い


TPPの医薬品については特許による独占期間が各国まちまちであることが、進捗しない理由である。
巨大製薬企業を抱えるアメリカは、独占期間を長くしたい。輸入国家は独占期間を短くしたい。

意外なことに日本の製薬企業は独占期間が短ければ薬価は高くなるというお上の采配があるので、製薬企業の独占期間に関しては中庸の立場なのだそうです。
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朝日新聞の真夏の電力は足りているという嘘記事 
Sunday, August 9, 2015, 02:09 PM
8/9 晴 10時 浅草での空間線量は48ベクレル/立法メートル

朝日新聞が川内原発再稼働に対して、とんでもない飛ばし記事を書き散らしています。

真夏でも電力は(太陽発電のおかげで)安定供給されている(大嘘!)


しかもYahooといったポータルサイトにも転送して原発再稼働反対へ世論誘導をしていることがありありです。

三橋貴明氏のブログで朝日の嘘が解説されています。
http://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-12059790557.html

全国では電力の余裕は残り10%しかないということ。

つまり危機的で綱渡り状態が続いている


ということに違いはありません。

ところが見出しが
「猛暑でも電力安定」
「太陽光発電 導入量10倍 節電効果 需要十数%減」

つまり朝日は太陽光発電が補っていると勘違いさせることを目的に記事を掲載しています。
とても悪質さを感じさせます。

現段階でも太陽光発電は全発電量の0.02%に過ぎず、五年で10倍になったといっても商業電源としての太陽光発電がゼロに近いのですから、1000倍になったとしても2割にしかならないのです。

風力発電は外部電源がないと稼動できないという欠点が震災で知れ渡りました。
太陽光発電も所詮は天気任せなので不安定であることは知られていますが、もっと大きな欠点があります。

太陽光発電パネルは高温になれば発電効率が落ちる



すなわち真夏では予想発電量を下回る数値しか稼げないこと。だから太陽電池設置業者が用いる最大発電量は春先か秋口なんだとか。

ですから電力需要が増大する真夏には全くあてにならないのが太陽光発電です。
三橋貴明氏が指摘しているとおり、太陽光発電が電力運営を不安定にさせているのです。

そのとばっちりは当然我々に直接跳ね返ってきます。

発電ダムによる山河の生態破壊、ガス・石油輸入量の急増による貿易赤字、そして電力料金の上昇などなど。

自宅に太陽光発電を取り付けた方の話を伺っていると、売電で電力料金はゼロか小一万程度のプラスになるそうです。
設置場所が取れるならば増やしていきたいのだそうです。収入になりますからね。

だから太陽光発電はまだまだ増え続けるでしょう。それはいいのですが、結局は電力料金の低下に全く結びついていないと言うこと。

エネルギーコストと安定供給を無視した原発廃止賛成論は、生活の質および企業の国際競争力の低下とデフレスパイラルを継続させる原因にもなりかねません。

この暑さで連日よくまあ年寄が死んでます。クーラーがあって熱中症で亡くなるなんて悪い冗談です。

稼動反対を訴えるのはそれぞれ思惑があるからに過ぎない



自宅や遊休地に太陽光パネルを設置している人は、原発稼動で電力料金が下がるのはまっぴらですし、原発立地近辺の住民や自治体は迷惑施設としての原発による補助金の上乗せを目論みます。

間接的に怪しい団体に錦の御旗を与えるような記事を、一面にデカデカと載せる朝日に不快感を感じずにはおられません。

私は田舎の旧型原発を長々保守をして稼動させるぐらいなら堂々と東京湾に新型の原発を造ればいいのにと思ってます。

実際に世界中では多数の原発建設が(特にアジアで)予定されていることからも、日本の原発廃止論を盛り上げようという動きは異常です。

電力需要に応える電源としては残念ながら原発以外の選択肢はないのですし、それならば国家主導で新型原子炉の研究と転換を勧めて欲しいと切に願っています。
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「侵略」は国家運営で見れば当然あるべき選択肢の一つである 
Friday, August 7, 2015, 11:03 AM
8/7 晴 10時 浅草での空間線量は46ベクレル/立法メートル

暑くてすぐに汗だくになります。嫌になる暑さで、ここ浅草では日中歩いているのは外国人観光客ぐらいしかいません。
キャリーバッグを転がしたり、バックパックで歩いている姿をみると可哀想です。

その観光客を見込んで、新たな商業施設ができたのですが、これがまたガラガラなんです。
ここ浅草の六区にはROXという地下がスーパーマーケットで上が専門店街の施設があるのですが、衣料品売り場は青色吐息で空きスペースが目立つようになりました。裏に建替えられた別棟が最近できたのですけども、ここも見事に人がいません。

ユニクロ、しまむら、ニトリといった貧乏人御用達ブランドが入居しているのですが、レジの店員は暇そうです。
ユニクロにいたっては東には浅草駅上にもあるし、西には上野駅からアメ横、御徒町と何軒あるかわからないほどそこらに見えます。

共通して言えるのは、どこでもあるものばかりで買い物が楽しくないのです。
PB(プライベートブランド)ばかり並ぶイトーヨカドーが売上を減らしていることと同じ感覚です。

その7&iとユニクロが業務提携をしたという経済ニュースが流れていましたが、大量画一な商品ばかり誰がわざわざ買いたいと思うのでしょうか。セブンイレブンでユニクロを買う身にまで落ちぶれたくないなあ。

観光客で賑わっているのはドンキホーテです。積み上げられた食料品と雑貨が観光客を惹きつけているのでしょう。でも地元の人は私も含めてあまり行きません。

それでも浅草に来て以来見たこともないほどの不景気感が漂ってます。
飲食店は顕著で、老舗がどんどん消えています。そのあとはファストフードになったり賃貸マンションになってたりと、ここ数年でつまらない街になりました。

景気に関しては良い兆候はどこにも見えやしない



これが東京の代表的観光地の浅草の実状です。
別の見方をすれば、昔の(30年近く昔)の掃きだめ感が戻りつつある気がします。浅草は山谷や鐘ヶ淵といった地区に近いので浮浪者の溜り場でした。馬券売り場周辺は今ではきれいになり、もつ煮込みの屋台には観光客が流れてますけども、ほんの数十年前は浅草寺参りを済ませたらさっさと立ち去る場所だったのです。

この時期になると毎年毎年よくまあネタが尽きないものだと感心するほど、メディアでは戦争の悲惨さを強調した記事ばかりが取り上げられます。

別に悪いことではないですけども、戦後70年という節目と安全保障(=軍事同盟)関連法案ということで、ことさら新聞が声高に騒いでいます。
そして毎年毎年首相の反省とお詫びの文言にメディアは騒ぎ立てて、同じ日本人を貶める下らない行為を延々とやります。

大多数の日本人にとって、べつに先の大戦が「侵略」行為だったと今さら肯定してもなんの意味もない。

単に中国・韓国がつけいる隙をわざわざ与えているために存在するのが日本のメディアですから仕方がないですね。

そもそも侵略・植民地化という行為は「悪」なのか?



信長が天下統一を果たし、すぐに中国(明国)の征服計画に着手しました。秀吉はそのロードマップを実行しました。

なぜ信長は中国まで侵略の構想を抱いたのかといえば、日本の戦国時代はそのままカトリック(イエズス会)の世界侵略の時代だからです。ローマ教皇が地上最強の支配者となりつつある状況に危機感を抱いていたのは間違いない。

また武将に与える領地は国内だけでは限られていますから、国土を拡大しない限り武士(兵隊)も増やすことができません。
それまでは半農であった武士を戦闘専門集団としてしまいましたから、天下を治めたあとでは、戦闘部隊は余剰な穀潰しでしかありません。

領土拡大のために他国の土地をぶんどる行為は歴史上は必然なのです。これは古今東西の歴史では当然のこと。

国内には人や物が余剰だから侵略したり植民地を求めるわけです。

侵略とは国家主導の経済行為にすぎない



経済侵略、文化侵略、思想侵略と侵略といっても段階はいくつかあるのですが、脳内お花畑の平和主義者は情報工作にすっかり荷担しています。日本の軍事行為=すべて悪という思考操作に荷担しているのだからタチの悪い連中です。

国際問題にならない限り当事国家以外は非難できない



武力侵略は最低な手段ですが、南沙諸島の中国軍事基地建設に関して、中国は「経済行為の一環に過ぎない」という声明を繰り返しています。

国連で問題提起されても理事国が無視すれば侵略行為とはならなくなります。

つまり国家間に正義も不正義もそもそも存在しないということ



これはある意味正しい国家運営です。
そして歴史では日本を非難して、現実は侵略行為を行う中国の二枚舌には感心します。

グローバル経済は体の良い経済侵略行為そのもの



生産国と消費国を振り分けて、それを焼き畑農業のように繰り返すだけですから、焼く畑が無くなればそこでお仕舞いという危うい経済活動です。

そういう見方をすれば中国の行動は先んじています。海底ガス田開発、南沙諸島への侵略とやりたいほうだい。
ベネゼエラといった南米国家やアフリカにも経済的に深く影響力を持っています。

ダムやインフラ整備など開発援助でも本当は(経済的)侵略行為なのですが、これはどの国も中国を非難しないのはおかしな話です。
反米国家なら中国軍を駐留させるかもしれません。軍隊を置いたら、そこはまさに中国の「植民地」です。
いうまでもなく、太平洋戦争の結果、日本は米穀の属国(植民地)となって今に存在しているのです。日本の真の中枢は永田町ではなく堙調霖呂任垢ら。

経済行為と軍事力は密接な関係である



カネが動き、モノが動き、最後はヒトが動く・・・これはヤクザの縄張り争いでも同じ事。

そういう歴史の定石を無視した史観は頭を悪くするだけで有害です。
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海軍善玉論というファンタジー作家がやっと死んだ 
Wednesday, August 5, 2015, 09:35 PM
太平洋戦争は陸軍の暴走で、海軍はそれにつられたという妄想を振りまく作家阿川弘之がやっと死にました。悪人は長生きするもんだ。

この人の著作になると海軍大将の山本五十六も井上成美も米内光政でさえ人徳者になってしまいます。

米内光政なんか米軍に通じていたエージェントじゃねえか



捏造御用作家がやっと死んだ。ああ嬉しい。

作家の阿川弘之氏が死去 文化勲章受章者、正論執筆メンバー
産経新聞 8月5日(水)20時9分配信

阿川弘之さん(写真:産経新聞)
 小説「雲の墓標」や評伝「山本五十六」など数々の戦争文学で知られる作家で、文化勲章受章者の阿川弘之(あがわ・ひろゆき)氏が3日、老衰のため死去した。94歳。葬儀・告別式は近親者で行う。後日、しのぶ会を開く。

 大正9年、広島市生まれ。昭和17年、東大国文科を卒業後、海軍予備学生に。海軍中尉として中国に渡った。21年に復員し、尊敬する作家の志賀直哉を紹介され、文筆の道に。27年、戦時下の日々を自伝風に書いた長編「春の城」で読売文学賞を受賞。同時期にデビューした吉行淳之介さんらとともに「第三の新人」と称された。以後、「雲の墓標」「暗い波濤(はとう)」「軍艦長門の生涯」といったリアリティーあふれる戦争小説を発表し続け、作家としての地位を固めた。

 「米内光政」など海軍軍人を題材にした重厚な評伝を著す一方、紀行文や私小説的な短編小説も多数発表。35年に産経児童出版文化賞を受けた「なかよし特急」など、児童書も手がけた。他の主な作品に「井上成美」「志賀直哉」がある。平成11年、文化勲章受章。日本芸術院会員。本紙「正論」執筆メンバーとしても活躍した。法学者の阿川尚之さんは長男、エッセイストの阿川佐和子さんは長女。

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控えも含めた全投手4人に1人が肘を壊される夏の甲子園 
Wednesday, August 5, 2015, 01:49 PM
8/5 晴 10時 浅草での空間線量は38ベクレル/立法メートル

六城ラヂウムは10日から一週間を夏季休業とさせていただきます。

いまでに陽が強い時間帯は仕事になりませんけどもね。ぐだっとしてます。
とてもじゃないですが外へ出て行く気にはなれません。

中近東では食堂や散髪屋、食料店などは朝の6時ぐらいまでか、夕方6時あたりからです。
陽のある時間帯は日陰でおしゃべりしてるか、水煙草にバックギャモンでもして過ごしています。
そもそも通りには誰もいませんし。

日本の夏もそうでいいのじゃないかな。

日本の夏の風物詩の高校野球が始まります。100年目ということですが「残酷ショー」と言われる体制には何も変わりがありません。

炎暑の連投で肘を壊していった投手達は延で何人居るのでしょうか。投手生命が夏の甲子園のために奪われていく割合が四人に1人なのだそうです。となると毎年10人程度は投手を潰していることになります。

本来だったらプロ野球や大リーグで活躍したかも知れない人材を、たかが真夏の2週間で奪っている愚行を呆れてみています。

http://bylines.news.yahoo.co.jp/soichiromatsutani/20150804-00048118/
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牛久大仏に行ってみた 
Monday, August 3, 2015, 11:13 AM
8/3 晴 10時 浅草での空間線量は33ベクレル/立法メートル

いきなり空間放射線量が二倍になりました。昨日までは17程度だったのですが、今朝は30を越えています。

こんな暑さなのですが、茨城県牛久市にある牛久大仏に行ってみました。名前だけは知っていたのですが、特に何もない地域なので訪れることはなかったのです。

浄土真宗東本願寺の施設です。入場料800円を払って大仏内を拝観することができます。東京に出てきて初めてです。と思ったら東京生まれであっても初めて訪れたと感嘆の声がちらほら聞こえます。

奈良の大仏さんが手のひらに乗るほどの大きさで、たしかに遠くからもよく見えます。
ビルの高さでは28階建てに相当するのだとか。

中は空調が効いていて、宗教的な雰囲気です。胸のあたりまでエレベータで登ることができます。外は地獄、中は極楽とはこのことか。

建設されたのは平成4年でちょうどバブル経済の終焉の頃です。私はその3年後に東京に来ているので建設していたことは知らないのですが、会社の茨城出身者がやたら自慢していたことを思い出します。

新たなドライブデートコースができた、と。

だいたいデート先が筑波山か霞ヶ浦、いや鹿島神宮もあるか・・・ドライブなら足を伸ばして大洗や水戸、袋田の滝あたりかな。

意外と若いカップルが多いです。年寄よりも海外の人の方が多いかも知れません。

まあとにかく地域の人たちにとっては、牛久大仏のおかげで牛久市は全国的な知名度を得たと半分冗談ですが思ってます。

この地方に住んでいる人たちは異口同音で、物価が安くて住みやすいところだと言います。たしかにそうです。そして東京駅まで高速バスがあるので気軽に東京に出られるのもいいのだとか。

とうぜんサッカーの応援チームは鹿島アントラーズです。

そういう茨城愛にあふれた知人の案内だったのですが、楽しかったです。
牛久駅そばの牛久シャトー(煉瓦建築で重要文化財でもある)のビアガーデンで地ビールとワインを堪能して解散しました。
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電通はCIA日本支部、博報堂もCIA系情報操作機関であるということ 
Friday, July 31, 2015, 12:26 PM
7/31 晴 10時 浅草での空間線量は14ベクレル/立法メートル

パクリンピックと揶揄されている東京オリンピックですが、ユニフォームにしろ盗作疑惑のある素人然としたエンブレムと話題提供が豊富です。

新国立競技場ではゼネコンが、そして広告代理店の電通・博報堂が政治家と共に暗躍していることがよくわかります。

安全保障関連法案成立に向けて、目眩ましでこのような捨て身なニュースを小出しにしているのでしょうか。

今回の盗作疑惑のあるエンブレムは博報堂社員のものだそうです。
審査員も博報堂社長で、多摩美出身つながりなんだとか。
身内のお手盛り公募で選ばれた案が、まあつまらない柄。しかも50億円の税金。

wikipediaによると博報堂は読売新聞系広告会社を2003年に傘下におさめてますし、政界フィクサーであった児玉 誉士夫(こだま よしお)の言論弾圧・世論操作に荷担していたという歴史をもっています。

政界のための広告代理店が博報堂ということ



電通はまんまCIA日本支部です。両社とも同じ穴のムジナなんですなあ。

そんなところにいるのは情報工作員ですから、天才的なセンスを求めるなんて酷というモノ。
お金を払ってくれるクライアントがいうままの案を出せるというだけなのでしょう。

広告屋は大小問わず大嫌いです。

どっかで広告屋がホルミシス学会みたいなのを立ち上げてやっているようですが、私は無関係です。
バカの寄り合い所帯には近づきません。

こうも暑くちゃどこへ行く気もありません。
そういえば調布飛行場周辺は6年前に散歩しているのです。
ラッキードF104を観に多摩を行く
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新型腰痛ベルト(純日本・台東区製)は軽い、薄い、快適 
Thursday, July 30, 2015, 07:33 PM
7/30 晴 10時 浅草での空間線量は17ベクレル/立法メートル

今日は新たな腰痛ベルトの試作品を評価していました。

デザインは旧来を踏襲しながらも、素材を一変して薄く軽く、そして蒸れないと良いことずくめです。

女性からは評判の良くなかった色も薄い肌色となって、着用がわかりにくくなりました。

日本の製造業の強みは、素材や部品の代替品が豊富ということではないでしょうか。

旧製品のゴムは特注品だったのですが、これを再び使うにはすごいロット数を抱えなくてはなりません。これが今までの最大のネックだったのですが、旧製品よりももっと良い素材が生地問屋から提案されました。

これが素晴しく良い。

こういう逆提案してもらえるのが日本の強みなんだなとあらためて日本での製造にこだわる意味を再確認しました。

まだ当分は試作と改善が続きますが、腰ベルトができれば、この新素材を使って膝サポーター、肩サポーターも作っていこうと思います。

今日は良い一日だ。
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私の夏休み課題図書を公開します 
Wednesday, July 29, 2015, 11:53 AM
7/29 晴 10時 浅草での空間線量は20ベクレル/立法メートル

織田信長四三三年目の真実 信長脳を歴史捜査せよ! 明智憲三郎 幻冬舎
前作のベストセラー「本能寺の変 431年目の真実」を信長側から解説したものです。「本能寺の変・・・」は文庫本でしたが、今度は幻冬舎という大手から出版されました。

先週新聞広告を見て、いてもたってもいられなく買ってきました。

誰もが思っている信長の「なぜ?」を一つ一つ解説した形式です。
私はイエズス会との関わりに関心を寄せています。

秀吉も家康も信長が描いた統治のロードマップに乗っかっているとすれば、やはり信長が歴史上の最重要人物であると思います。
過去ログ:備中高松城の水攻めは虚構である(証拠写真付)
「天守閣」のてんしゅは天主(ゼウス)の城という意味である。
本能寺の変 は長宗我部元親を明智光秀が守るため?
「本能寺の変 431年目の真実」(明智憲三郎)にはぐうの音も出ません
これはすごい本だ!なぜ明智光秀が悪者とされたのか?虚構の「太閤記」



江戸の天才数学者 世界を驚かせた和算家たち 鳴海風 新潮選書
星に惹かれた男たち 江戸の天文学者間重富と伊能忠敬 鳴海風 日本評論社

鎖国下の江戸時代中期から西洋と歩調を合わせるように発展した和算の世界があります。とはいっても独自に発展したのではなく、長崎から入る蘭書を通して発展したのです。

映画/小説「天地明察」で江戸の天文学者(=数学者=神学者)を知るきっかけになりましたが、日本の数学史を読みやすく小説風に書いている作家は鳴海風氏です。

ところが丸善でさえも上記の2冊しか置いていません。しかたなく図書館で旧作「円周率に挑んだ男たち」を借りましたが、寝床で予備知識がわりにさっと目を通しておこうと思ったのですが面白すぎてのめり込みました。

新潮新書は吉田光吉(よしだみつよし)を知りたかったからです。
過去ログ:数学的才能は思想のみならず芸術や音楽の基礎である
天文学とは数学のことであり、それはπの追求のこと
映画「天地明察」を改めて観てみました〜江戸時代の数学の黎明〜
来年はしっかり数学の本を読もうと思う
数学は神を知るための手段であるという西欧の常識
伊能忠敬と高橋至時(たかはしよしとき)の墓はご近所にあった
カレンダー(暦)にはこれほど面白いドラマがあったのか


21世紀の脱亜論 西村幸祐 祥伝社新書
明治での日本人の思想遍歴を調べる上で最も重要な人物は福沢諭吉であると副島隆彦先生は常々言われています。そしてもっと福沢諭吉を評価してしかるべきだとも。

ユニテリアニズムの紹介者である福沢諭吉研究にあわせて、諭吉の唱えた脱亜論を知る上では時事的な題材なので読みたいと思います。
過去ログ:これからは大陸国家の連携の時代へ(海の道よりも陸の道)
幕臣たちの明治維新 徳川幕府は新政府よりも劣っていたのか?
勝海舟はフリーメイソン・・・だったらどうだって?
フランス文学(という政治批評)が幕末・明治の知識層に多大な影響を与えた
なぜ国語の授業では明治文学が取り上げられるのか?
浅草は殺陣(たて)の町 居合いとは違う文化です
儒教(陽明学)とプロテスタント(ユニテリアニズム)との相似について
「実学」とは江戸末期に使われ始めた儒学に対する西洋学問体系を示す隠語である
坂本龍馬が北進一刀流の免許皆伝者なんて嘘っぱち
本能寺の変は足利義昭の策略か 背後に控えるカトリック教




浅学なので哲学用語がまったく苦手です。えらそうに思想研究だなどと申してますが、なんたって「戦争を知らない子供たちの子供たち」でございますから、左翼用語含めて薄ぼんやりとしかわかりません。

副島隆彦先生がニーチェについて語ったところでその1%でも理解できているとは思えません。昔の学生は口角泡を飛ばして語りあったんだろうなあ。そういう熱い時代にも生きていない我々は再び思想用語に向かい合う必要があるのではないでしょうか。

こういう本はありそうでなかったですね。

哲学用語事典 田中正人 プレジデント社


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高校野球の裏番組としての都市対抗野球 
Tuesday, July 28, 2015, 02:06 PM


昨日は暑かったのでどっか避暑に行こうと思っていたら、都合良く都市対抗野球の観戦券をいただきました。久しぶりの東京ドームです。
野球よりもクーラーの効いたところでビールでも飲んでみようと行ってみました。
ビール以外は売店の食い物はろくなもんじゃないですね。冷凍食品を温めただけで、一口喰って捨てたくなりました。
枝豆と生ビールだけにしておけばよかった。

野球は大阪市代表・大阪ガスチームがサヨナラ勝ちをしたようです。
というのも途中で退席したから。
驚いたのは、応援団の規模。相手のJR東日本東北を圧倒しています。

常にチアリーダーが壇上で踊り、応援団出身と思われる社員がエールを切り、吹奏楽団が休むことなく鳴らしています。太鼓の音で鼓膜がおかしそうになったので退出してしまいました。

応援リーダー、チアのみなさんは社員のようですが、間違いなく大学の応援団出身でしょうね。動きが洗練されすぎてますもん。チアガールさんたちが衣装をかえて踊ります。下手な芸能事務所よりもずっとましなんちゃうかいな。

余興で新入社員も並ばされてやらされてましたが、キレが無くグズグズ。一見応援団って簡単そうですが、めちゃくちゃ体力と訓練が必要ですからねえ。

社会人野球の企業チームとはいえ、選手と監督コーチ陣の紹介を読んでみると、みんな高校か大学野球部でスカウトされて加わっているのですね。トレードされて来ているのもいるんだ。大阪ガスっていったら陸上部も有名でしたね。

ピッチャーも145kmぐらいで投げてるんだ。
都市対抗野球は主催が毎日新聞で、東京ドームが聖地となってるわけです。会社名を掲げてますが実態は立派なプロの人たちなんですね。

その予備門である高校野球も青天井の甲子園よりもドームでやればいいのに。
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低放射線で癌や奇形になるの?「ない」のだけどもとりあえず「わからない」にしておく 
Tuesday, July 28, 2015, 11:59 AM
7/28 晴 10時 浅草での空間線量は25ベクレル/立法メートル

学者と官僚・政治家とは嫌な生き物で、否定も断定もせず、とりあえず玉虫色に答弁しておくことが生きる術と心得ています。低線量放射線による癌リスクはあるのかという問いに対していまでも議論が続いています。

議論で出てくるLNT(Liner Non Threshold:直線比例しきい値なし)仮説を例えて言うなら

40度のお風呂に毎日浸かったら年間1460度もの高温に晒されているから当然<生態的な影響がないとは言い切れない>。

ということ。体温よりも4度高いお湯でも身体的な影響がでるという馬鹿げた仮説です。


証明するには一生風呂に入ったことのない集団と、死ぬまで毎日湯船に浸かる集団を比較しなければなりません。
そんな大集団いるわけない。

ですから広島長崎の被爆者の追跡調査と医療機器による被曝をした<病人>ぐらいでしか統計サンプルとなりません。

母集団を精査して統計を取ったとしてもCTでの影響は少年(10-14歳)10万人当たり白血病2人脳腫瘍1.5人の確率が+0.8、+0.3に過ぎません。統計を詳しく知らなくても誤差で吸収されるような信憑性のない値です。
ところがこのような確率の増加を鬼の首のように増えた増えたと騒ぐ輩もいる。

同じ生活習慣をしていないと母集団の比較は無意味です。CT検査を受けた病人にわずかな統計上でリスクがみられたという結論はバカとしか言いようがない。

人間じゃあ無理ですから、全国に生息するヤマトシジミという蝶を統計のサンプルにして琉球大学が調査しました。
羽根の模様が東北地方と他府県のヤマトシジミではちょっと違う個体があるという結論をだしましたが、はたしてそれがどのような影響のものかはわからないのです。樹木など生息環境や気候が違いますからね。

秋田の女性は沖縄の女性よりも色白だと言っているようなものかもしれない。
日照量が違うんだからあったりめーじゃねえかと誰もが思うでしょう。ところが遺伝子が違うからと言う説を唱える説も当然ある。

日照量ではなくて秋田の人にはロシア系の遺伝子が交ざっているから色白美人が多いのだという説を証明するには、結局県民どうしのDNAを比較してみなくてはなりません。

同じ様な流れになっていて、研究室でヤマトシジミを育てて、これからDNAを比較していこうという結論です。

大阪府立大学放射能研究センターって国道309沿いにある南海白鷺駅に近い立派な施設です。こんど見学させてもらおうかなあ。

今のところはDNAシーケンサーで調べても、はっきりとした放射線の影響は出てこないということです。
しかしだからといって放射線の影響はないとは断定できないので、何世代も渡って調査を続けるということ。

学者とは気長な商売だ(爆)

結論づけたら明日のメシの種がなくなるからさ



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癌も病気も、さらには進化もDNA次第(ウィルスによる生物の進化) 
Monday, July 27, 2015, 01:49 PM
7/27 晴 10時 浅草での空間線量は26ベクレル/立法メートル

あつくてブログの更新が遅れがちです。夏休みの宿題ができないよ〜。

新聞記事を掲載しておきます。
ひとつは癌化する細胞をウィルスで攻撃することで排除する技術。
もうひとつは全遺伝子情報を解析することで難治病の原因を特定する試み。

つまり

病は遺伝子が原因である


ということ。

そして特定遺伝子配列に関与しているのは、ウィルスであるということです。

生物の進化はダーィン説では自然淘汰と環境適応種によるものですが、それだとミッシングリンク(失われた連続性)が説明できません。

北京原人、ネアンデルタール人が人間の先祖であるなら、その中間種も連続して発見されなくてはならない。
爬虫類が始祖鳥になっていくならば、腕が翼になる中間種が発見されなければならない。

しかし現実はそのような段階を踏んだ進化があったという証拠はないのです。

遺伝子の突然変異はウィルスにより引き起こされる



ウィルスに組み込みたい遺伝子を入れて、細胞に感染させると、組み込まれる仕組みが遺伝子操作では実用化されています。
そして新たな機能をもつ細胞がうまれます。

いままでもウィルスによって生物が進化してきたということでしょう。
放射線による遺伝子の突然変異という説は私はあまり信憑性がないと考えています。

朝日新聞では放射線の影響をシジミチョウという蝶を調べることで測ることができるかという連載がされていましたが、結局はこれから追跡していかないとわからないという締めくくりでした。

どれだけ浴びたところで手が四本になったり眼が3つになったりするものか(笑)

明日もこのテーマで続きます。
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群馬県渋川市御蔭(おかげ)公園に見る楫取素彦(かとり もとひこ)の執念 
Sunday, July 26, 2015, 02:09 AM
先週の連休は吉田松陰の義弟である楫取素彦(かとり もとひこ:小田村伊之助)の功績を辿る旅をしていました。


明治9年から楫取素彦(小田村伊之助)は県知事として群馬に就任しています。
京都はもちろん、江戸からも距離のある群馬は、特に明治初期には国定忠治ではありませんが、荒くれ者が跋扈する難治地域だったそうです。

そこに明治新政府から役人として送り込まれたのが楫取素彦(小田村伊之助)です。

中央には長州人脈がありますから地方からの陳情もやりやすく、逆に中央からも指示を出しやすかったという利点があったのです。

・絹の輸出を国策として富岡製紙工場を立ち上げる
・県内に公立学校、前橋に医学校を設立し農民教育を推進する
・歓楽街であった伊香保温泉で娼婦を強硬な反対にかかわらず廃止する

つぎつぎと遅れた地域とみなされていた群馬県内を急速に近代化させていきます。

その手腕は長州で培った信頼と長州閥が中央政府にいるためでもあったのですが、前橋の知事室にいたのは任期中のほとんどは妻であった寿(ひさ:吉田松陰の妹)であったのだそうです。


なんたって楫取素彦は群馬県内の視察や監督、そして政府との折衝で知事室にはいなかったのだそうです。

右腕となって知事代行として活躍していたのが、寿さん。
この寿さんは松蔭譲りの才女であったので県民も親しんだのだとか。

だから寿さんが大河ドラマの主人公だとばかり思っていたら、あにさからんや妹の文(ふみ:美和)だというので前橋市民は???なんだとか。NHKの説明では

寿さんは史料がたくさんあるけど文は史料はないから



つまり脚本がどうにでもなるからと説明があったのだとか。その結果が今の視聴率ってわけ(爆)

さて、楫取素彦はどうして群馬県の殖産興業と教育体制を整備したのでしょうか?

実は楫取素彦はもっと重要なことをしています。

前橋までの鉄道の延伸と道路建設、そして深謀遠慮



それは在任中に天皇の群馬行幸と伊香保温泉での保養を実現することでした。この目的のために妻の寿と二人三脚で奔走したのです。(県史にははっきりとは書かれていません)

群馬は過去一度も行幸がなされていない地域だったのです。

そのためにもなんとしても貴重な外資を稼ぐ地域としての群馬、そして温泉保養地としての群馬を天皇皇族に強く印象付けたかったのです。

そのためにも高崎までであった鉄道計画を前橋にまで延伸させ、伊香保温泉、榛名山への道を整備させました。
保養地としてふさわしいステータスを求めたのです。

道路建設では松がある地域を通させた



なぜか?それは行幸でかならず休憩するだろうという思惑があったからです。群馬の夏はご存じの通り暑いです。
かならずや松の木陰で行幸の一行は休みます。


休んだ場所にはかならず碑と歌が後世のために残されます。現在は伊香保温泉への道中に「御蔭(おかげ)」という地名と当時の松(御蔭松)が残っています。

おわかりでしょう、楫取素彦と妻の寿は、そこで必ずや「松の蔭のおかげで暑さがしのげた」という感謝の辞を明治天皇と皇后が読まれることを見越していたのです。そして松の蔭(つまり吉田寅次郎)に謝辞を示して、松蔭の弔いとしたのです。


このように楫取素彦(小田村伊之助)こそが出世し、天寿を全うした松下村塾の数少ない塾生であったのです。同じ時期に松下村塾の出身者はほとんどあった萩の乱で死んでいるのです。

維新後も毛利家からたいへん信頼されていたとみえて、楫取素彦の楫取という名前も毛利の殿様から「この世の梶(かじ)取りをしてくれ」と言う意味で授けられたのだそうです。

思想的にはリベラルです。男女性差の解消であり福祉重点と農業政策を基本としています。

だから明治の高官として活躍し、松蔭の思想の影響を受けていたと思われる楫取素彦(小田村伊之助)の足跡は重要だと思うのです。
退任間近でも前橋に天皇皇族を迎える臨江閣(りんこうかく)を建設しています。

一言で言えば尊王であるが攘夷ではない、つまりは中華思想よりもヨーロッパ近代思想の影響を強く感じるのです。

なぜなら楫取素彦(小田村伊之助)の誕生は1829年、この年はイギリスで産業革命が始まったころで、水力から石炭による蒸気機関となり、それまで手織りであった絹綿製品が、紡織機の発明で大量にイギリスから世界に売られていった頃です。

工業力でインドや中国を経済植民地としていた実状をよく知っていた



だから渋沢栄一も伊藤博文も英国のしたたかさと日本の経済植民地化を恐れていました。
横須賀に海軍と製鉄所を幕末に造った勘定方の小栗忠順(おぐりただまさ)も技術者はすべてフランス人を招聘したのです。

富岡製糸場も設立当初はフランス人技術者による指導でした。

長州出身だから英国資本をそのまま日本に導入したわけではないのです。

ただはっきり言っちゃいますが、そんな大義をもって殖産興業の先駆けとなった群馬県なのですが、中曽根や福田、小渕といった政治家達がどうしてこうも土建ずぶずぶの国土破壊ばかりする連中ばかり排出するのでしょうか。

前橋から伊勢崎と足を延ばしましたが、街中を歩いているのは私ぐらいです。寂れ感がハンパじゃない。

明治では楫取素彦が教育制度をいち早く導入したおかげで進学率も国内随一(50%超)だったし、有能な人材を輩出して他府県からはみほんとされたのだそうです。

いまの群馬のイメージとはえらい違いだ。ついでに山口もいまじゃ影の薄い県です。
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