歴史は「偽書」によって歪められるという前提で読む 
Friday, May 1, 2020, 04:06 PM
偽書とは「ある目的を持って偽作された古文書」だそうで、これの研究が活発だという記事。

その偽書界のスーパースターは江戸時代後期の椿井政隆という人物なんだとか。

中世の記録(文書)として売り込んでいたのだとか。

顧客の願望を裏付けする史料としてたくさん作られた



土地争いや家督の正統性を訴えるため、椿井は偽書屋として、結構引く手あまただったそうです。

ちいさな紛争解決からでっち上げたデタラメが、後世の歴史観に大きな影響を及ぼすとは椿井は思ってもなかったでしょうね。

目の前の人たちを騙せればそれでいいだけ。

でもその偽書が偽史となり、かえって歴史に大きな謎や空白を生み出しています。

間違った史観は、江戸時代だけではなく、その後の政府も乗っかったんだよなあ。

記事の神代(じんだい、かみよ)文字という漢字以前の日本古来からあった文字というのも真っ赤な偽物。

ヘブライ語の旧約聖書には未来を暗示する予言が散見されるというオカルトと同じく、神代文字で古今和歌集などの古典を表わすと違う意味が現れると言ったもので、これもオカルトの定番です。

世情が不安になるとオカルトが流行るのは昔も同じ



肥後のアマビエだってそう。この記事で知りましたが、くずし字をスマートフォンで読み込めばAIが補助してくれるらしい。

旧家に残る古文書がAIの力を借りてでも、解読されていくことに少し興味を持ちます。



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精神分裂症になった経済学をぶった斬る 
Thursday, April 30, 2020, 01:49 PM

精神を病んでしまった経済学を救う術はあるか

〜もしユングとフロイトが経済学の魂を診たら〜


 上記の東洋経済オンラインの記事を目にして、ああやっぱり同じような感触を持っている人が居るのだなと、とても興味を持って読みました。

3年前にNHKBSのドキュメンタリー「欲望の資本主義」として放映されていたものだそうです。

(web冒頭貼付け始め)
NHK「欲望の資本主義」シリーズ(書籍では『欲望の資本主義』『欲望の資本主義2』)にも登場したチェコの若き俊英、トーマス・セドラチェク。ロングセラー『善と悪の経済学』で経済学のあるべき姿を説いた彼は、続編『資本主義の精神分析』で、ジャーナリストのタンツァーとともに、斬新な方法で経済学の抱える病を解き明かす。
(貼付け終り)


内容はフロイトとユングが現代経済学を患者に見立てて診たらどのような病名をつけるかという試みです。

(貼付け始め)
経済学的な思考は個人的功利主義の子孫であり、ほかのすべての価値を冷笑とともに非難する。経済学の身勝手さは、次の面でも表れている。何か問題が起きるたび、国家や社会など、いつもは蔑んでいる父親のもとにすぐに身を潜めてしまうことだ。記憶に新しいところでは、2008年の経済危機の際にそれが起きた。

経済学はまたあくまで、相手について学ぶためではなく、相手を支配するために、ほかの分野とのつながりを築こうとする(これがいわゆる経済学の帝国主義だ。一部の経済学者はそれを誇りにすらしている)。

経済学はそもそも社会から生まれたものなのに、社会から独立しようともがきあがいている。だからこそ経済学は、人文科学として位置づけられるのを嫌い、自然科学に近い存在を志向する。こうして経済学は物理学からも学び、ほかの社会科学の分野にもそれと同じことを期待する。
(貼付け終り

(貼付け始め)
だが、それでも私たちが指摘したいのは、過去数年の間に経済システムに病気のような症状が生まれ、それがもはや見過ごせない域まで進んでしまったことだ。体系的に見ると、そこにはサディズム、ナルシシズム、そしてサドマゾヒズム的な要素が認められる。

臨床的な手がかりをもとにすると、大きく分けて次の5つの精神疾患が認められるだろう。それらは現在の経済の一部であるだけにとどまらず、もはや経済を動かしているのだ。
(貼付け始め)



1. 現実認識障害
2. 不安障害
3. 気分障害/情動障害(双極性障害:躁鬱病)
4. 衝動制御障害(ギャンブル中毒)
5. 人格障害


特に最後の人格障害(パーソナリティ障害)というのは、やっかいで傍目には人気者や有能な人物のように見えてしまう。でも虚言癖程度ならまだ許せますが、他人がどうなろうと一切関心がなく、心が痛まないサイコパスも多い。

天性の詐欺師(サイコパス)ってのは、実社会ではほんとうに多い。人と金を集めることだけは天才ってのが。

過去ログ:メディアに映るのは演技性パーソナリティ障害者という気違いばかり
http://www.rokujo-radium.com/blog/index.php?entry=entry141210-124501

愛なき経済学は、精神異常者が闊歩する異常な世界



本日の記事は連載最後にアルフレッド・マーシャルでした。マーシャルはケインズの師匠であって、ケンブリッジ学派の創設者です。

この記事を読んで、はじめて知りましたがマーシャルが経済「学」の確立者だったということ。その原点は当時貧困に喘ぐ下層の人々を救済したいという思いからでした。宗教的使命であったことが判りました。

マーシャルの功績は経済論争を経済学としたことである



しかし



マーシャルの功罪は政治から経済問題を独立させたことだ



マーシャルの頃(ちょうど江戸末期から明治初期)は先進国は工業化を進めたころで、英国は覇権国家であったこと。
大量生産/大量消費のための経済理論であったということ。

弟子のケインズはそれを一生懸命政治へ回帰させようとしたのではないかな?
ケインズはマーシャルの目的である「貧乏人をなんとかして喰わせるため」の学問へ、そして政策提言のための学問へ回帰させようとしたのではないか。

ケインズの登場で経済学は、その役目が終わったのです。

現在の経済学とはパーソナル障害者が集まりキチガイ・詐話師が跋扈するだけの集まりになってしまった。

さも知ったか顔で登場する自称知識人、政権に擦り寄る御用学者、ノーベル経済学賞に平伏する権威主義の馬鹿ばかりです。

経済学が人類を最大の不幸にしているのです


マーシャルが泣くぜ・・・

過去ログ:クルーグマンによって経済学は人類を不幸にする唾棄すべき学問となった

おそらく読売新聞の連載がマーシャルで終わったということは、この記事を書いた人も同じように感じているのでしょう。

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経済政策を擁護しアリバイみたいな記事を書く読売新聞 
Wednesday, April 29, 2020, 10:21 AM
昨年8月15日から1面で連載していた『現代経済理論』をなぜかまた焼き直して掲載しています。
それの総評を自分は書いています。

過去ログ:経済学とは楽観主義者(optimist)による楽観主義者のための学問(洗脳)である Friday, August 23, 2019, 01:24 PM
http://www.rokujo-radium.com/blog/index.php?entry=entry190823-132447

自分はずっと悪党のクルーグマン、その親分フリードマンに懐疑の目を持っていました。

中央銀行がじゃぶじゃぶお金を投入すれば世の中上手く廻るという理論です。
リベラルでマネタリズムを信仰するシカゴ学派とか新古典(ネオクラシカル)派とか言われるサムエルソンが創設した派閥です。

近代経済の系譜をだらだら昨年やっていたのに、また同じような連載を読売はしている。

第1回目はマクロ経済学の祖、ケインズです。
マクロ経済学とは、副島隆彦先生曰わく、「『国家を運営する思想』であって、大風呂敷の理論だ」ということ。

ケインズの思想はIMF創立のきっかけともなり、今だ色あせないのです。

国家は通貨の維持と併せて、国民に仕事を与えることが必要だという考えです。

簡単に言えば、政府支出(公共事業)を増やすことで経済を支えるということ。フリードマンらの財政支出(お金だけ供給)とは全然違います。

政権擁護に終始する読売はアワアワしてます



第1回ケインズの次はフリードマンを取り上げているのです。日曜版ではページ全面にスティグリッツ(典型的な御用学者、政権の太鼓持ち、幇間)の宗旨替えの言い訳を載せてます。記事で強権政府の必要性を説くところでは噴飯しました。←翼賛体制者かよ

読売新聞の経済部が、あわあわと狼狽えているような情景が目に浮かぶw

もっとも財政危機だと嘘っぱちで日本国民を欺いて重税国家とした財務省官僚たちが大元の悪人達であって、フリードマンらのマネタリズム理論を忠実に実行したら、経済が破滅しつつあることで、「あれ?こんなはずじゃなかった・・・」と思っているのでしょう。

日刊自民党とよばれるだけの読売新聞ですから、アメリカの経済政策に追従する政府批判はしません。
PTTにも好意的であった。

ところが国内問題優先主義(アメリカンファースト)を掲げるトランプ大統領の対中姿勢によって、経済政策は180度転換した。

アメリカ新古典派の唱えるハイパー・グローバリゼーションはとことん拒絶されたのです。
コロナウィルスによる世界同時不況の突入によって、フリードマン、スティグリッツは大失態となった。

梯子をハズされた形となった読売新聞では、ぞくぞくと経済学者の言い訳が続くのです。くだらない記事だ。

私の周りでも呆れてますが、この連載記事はこれからもネタにします。



過去ログ
クルーグマンによって経済学は人類を不幸にする唾棄すべき学問となった
政権の太鼓持ちを「経済学者」と呼びます
デタラメな人為的地球温暖化論を信じ込むな
ノーベル経済学賞の系譜とその問題点
経済学とは楽観主義者(optimist)による楽観主義者のための学問(洗脳)である
正しい眼鏡をかけろ(スティファニー・ケルトンのMMT論)
資本主義はなくならないが資本の定義は激変するだろう
「トランプ大統領とアメリカの真実」 副島隆彦 日本文芸社
米国債買いへ日本を仕向け続ける売国奴・浜田宏一は死刑にすべし
クルーグマンのコラムに登場するコーク兄弟ってなんだ?
けっきょくクルーグマンは何が言いたいの?それはね・・・
浜田宏一出てこーい!クルーグマンに梯子をはずされた大恥豚野郎め!
居酒屋「和民」とマクドナルドは潰れろ、クロネコヤマトは支持する
借金は返済すべきという正義感が景気の息の根を止める
ユーロ圏にみるグローバル経済化の悲哀とそれに続く日本の未来
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「正直不動産」は家を買うも借りるも必読の漫画だ 
Tuesday, April 28, 2020, 06:25 PM
ヤフーの電子書籍で読みました。
https://ebookjapan.yahoo.co.jp/books/437381/A001825083/

「正直不動産」(小学館 大谷アキラ 原案:夏原武 脚本:水野光博 )の1巻と2巻が5月11日まで無料で読めます。現在8巻まで刊行されているようです。

生きている限り必ず関わるのが不動産屋



 部屋を借りて暮らし、駐車場を借り、やがて家、不動産を買う。もしくは相続で土地を売ることもあり得る。
生涯で不動産屋と契約を交わさない人はほとんど居ないでしょう。

さて、不動産屋の社員はどういうことをしているのか?

ほぼ歩合給で生きている海千山千の人がいる業界。客など来そうもない、こじんまりした店舗であっても羽振りの良い人もいます。

不動産業をやっている人は幾人か知っておりますので、どういう商売なのかは少しだけは聞きかじっています。

手数料のために生き馬の目を抜くとでもいうのか、とにかく出し抜き、先駆けし売買契約に持ち込む手練手管のやり手達・・・。

情報の非対称性に頼る原始的な商売



株屋でも商社でも金融屋でも、手数料名目で契約での差額を受取る形態の仕事。

こんな仕事は勉強して大成できるほど甘くはない。ぜったいに学校では習えないスキルです。

この手の商売に向いている人は勉強は嫌いだったのではないかな。

売り手や買い手、または双方を見つけ仲介するのですが、それはナンデモアリの業界。

宅建業法でがんじがらめにされてますが、現実はすべて違法すれすれのグレーゾーンも厭わないほうが多い。社会問題であるサブリースなんてまだまだ序の口。

不動産屋は売り手(貸し手)のみがお客様である



賃貸に住む人、家や土地を探している人はお客じゃないの?と思われるかも知れません。

はい、お客ではないのです。なぜか金を受取る側(地主・大家)が大事なお客様なのです。

そういう(不動産業界での)基本的な常識を思い知らされる漫画がこの「正直不動産」です。

これから社会人になる方には必読ですね。もちろん既に不動産をお持ちの方だって、不動産屋の餌食にならぬためにもなります。
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モルヒネは最高で最良の鎮痛剤であるが、迷信で処方されないという問題 
Friday, April 24, 2020, 10:04 AM
読売新聞の終末医療専門家の記事です。

山崎章郎氏の著作「病院で死ぬということ」(主婦の友社1990)は映画化もされています。

外科医であった山崎医師が直面した鎮痛に関する記述におもわず目を奪われました。

(抜粋はじめ)
 がんの痛みを和らげる医療も未熟だった。「モルヒネ中毒」の迷信が医師にも患者家族にも根強く、亡くなる間際までモルヒネを使おうとしない。

 使い方も今思えば危険なものでした。最も不適切な筋肉注射で、血中濃度が急激に上がり、呼吸抑制を起すことも。しかも、数時間で濃度が下がるので、患者さんはまた激痛に苦しみ。、「お願いだから注射して」と懇願するんです。あたかも麻薬中毒に見えるので、「やっぱりモルヒネは怖い」となって、一層我慢を強いるようになる。
 モルヒネは、適切に使えば、安全で優れた鎮痛剤です。しかし、そんな知識を持つ医者は希だったし、そもそも、亡くなっていく人への医療など、病院では関心を持たれていなかった。
(抜粋終わり)


医者の思い込み(勘違い)でモルヒネが処方されない悲運!



戦争映画「ブラックホーク・ダウン」(2001)でも狙撃された兵士が衛生兵によって手当され、モルヒネを懇願しながら死ぬという場面があります。もっともこの場合はこれ以上打てば呼吸が止まるという判断で衛生兵は注射しなかったのですが、なんで衛生兵は注射をためらったのだろうかと、観ていたときに考えました。

モルヒネは最高で最善の鎮痛薬です。

手術された方が何度も言われていました。モルヒネを打ってもらうと、嘘のように痛みがなくなるんだと。それで医者や看護婦さんにおねがいして毎日何度も打ってもらったから痛みとは無縁だったと。

それまで、モルヒネは麻薬だと思っていたので、やがて廃人のようになってしまうのだと信じ込んでいました。

自分も交通事故で病院に運ばれたときに、ここぞとばかりに看護婦さんにお願いしてみました。
「全身(打撲で)痛くて眠れないので、モルヒネ打ってくれませんか?」

気持ちは映画の傷兵です。
すると
「はい、それではモルヒネを投与するか聞いてきます」
ずいぶんあっさり、点滴にモルヒネが投入されました。

身体がすぐに軽くなって、涼しく夢見心地を満喫



クルマに打ち付けられて、骨折して、擦りむいた身体は熱くほてり、ジンジンとすごい痛みだったのですが、それが雲散霧消してしまった。

寝返りもできないのに、救急病院のベッドでぐっすり熟睡しました。
ぐっすり眠れると、活力が戻ってくることを実感しましたし、状況も冷静に見えるようになります。

不快感がぶり返す度に、看護婦さんに「モルヒネをおねがい!」と言って、何度か処方してもらいました。
その経験から言いますと

モルヒネには中毒性もなければ依存性も全くない



難点といえば、鎮痛作用は数時間しかないということ。だから一日に2回3回ほど投与してもらう必要があるぐらいでしょう。
でも、ブドウ糖液の点滴の管の途中に注射器で入れるだけだから、たいした手間でもない。そこらで手の空いている看護婦見習いでもできる。

それで気軽にお願いして、”運が良く”モルヒネ三昧で二日ほど集中治療室におりました。
一言であらわせば、モルヒネを打ってもらったら入院生活は快適そのもの。(身体は固められて動かせないけども)

映画で描写されているような幻覚や錯乱など一切ありません。
むしろ痛みがなくて、冷静となり冴え渡ります。

モルヒネにたいして否定的な医者(病院)がまだあることの問題



モルヒネのすごい効果を実感しているので、怪我で入院したり、手術の予定がある方には「かならず『モルヒネを打って!』とお願いするんだよ」とアドバイスしています。

ところが、運が悪いとモルヒネはダメ!と拒否されたことがあったという人もいました。

理由は「麻薬だから中毒となって、それなしでは生きていけなくなっちゃうから痛みは我慢しろ」

そういうバカ医者がまだいることに、すごく憤慨しました。

モルヒネは安価で、1回300円程度にすぎない



3割自己負担としても、1回当たり100円です。一本何万円もする高額な薬じゃありません。どこでも置いてあるありふれた鎮痛剤。いちおう麻薬扱いなので、施錠されたキャビネットで管理されているから、看護婦さんにとっては面倒なくらいか。

いまじゃ、安全性が高い製剤がいくつかの製薬会社によって販売されています。

一日まるまる分でも1000円(自己負担は300円)に過ぎないのに、それを使わせないとはどういうことだと憤ります。

モルヒネを処方しないという理由など本来はありえません。(患者本人が痛いと言っているのだから)

でも、いまでも「モルヒネはアブナイ麻薬」と信じ込んでいるバカ医者がいるんです。

自分だったら怒鳴り込んで、処方してもらえなければ担当医を変えてもらいます。

無用な痛みなど我慢することはないのです!





過去ログ:難治性の神経痛にはトリカブト(附子:ブシ)が効くらしい
ドクターヘリ緊急救命「コード・ブルー」はお勧めです
大麻はアメリカの代表的作物となる!?
【医療】重症のがん患者の化学療法に問題。 英国[11/26]
『「ガン呪縛」を解く』の稲田芳弘氏落下&骨折
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レガシー・システムの最たるものが都市銀行であり、財務省役人たちである 
Wednesday, April 22, 2020, 01:27 PM
今朝指定されたみずほ銀行に家賃の振込をすると、手数料が一回当たり220円もボッたくられてました。
同一支店なので今までは手数料はかからなかったのに、3月1日から同一銀行同一支店でも最低振込手数料を取るようになったのです。
ATMの利用料を時間帯によっては徴収するようで、さらには口座管理料も少額預金者には将来徴収することを発表しています。

みずほ銀行は第一勧業銀行グループ、富士銀行グループ、日本興業銀行グループが寄り集まって2003年に発足した銀行です。
三つ巴の合併で竹に木を接いだような決済システムとなり、高コスト非効率の象徴のように語られてました。

この銀行はなんのためにあるのかというと、配下の信託銀行や芙蓉グループのためにある。さらに、
財務省や経産省にとっては、芙蓉会などの旧財閥系大企業をコントロールするためにある。

利用するしかない我々預金者のためにあるのではありません。

せめて取引手数料でも安ければメリットがあるのかもしれませんが、クソボロいコンピュータシステムに大金を投入して騙し騙し延命させているようなところですから、望み薄です。

他の国内銀行も50歩100歩なのでしょうが、根本には銀行間取引の中枢である全銀協が最大の癌なんです。

全銀協のコンピュータセンターは、たしか日本橋交差点、コレド日本橋のはす向かいの柳屋ビルディングにあります。
さぞかし立派なハイテクビルかと思いきや、築50年(それ以上かも)ほどの古い雑居ビルです。

こんな貧相なビルで日本全国の銀行間取引が行われているw
見たことはないけども、たいしたコンピュータが置いてあるわけでもない。
数字の出し入れだけの記録(Transaction record)をするだけなので、逆に最新鋭ではなくても十分です。

そのコンピュータでの処理1件当たり117円(3万円以上は162円)も請求しているのです。ほぼコストは発生しない(記事では数円)。せいぜい印字する紙と郵送費ぐらいか。

どんだけ濡れ手に粟の商売だよ!全銀協さんよ



もうねえ、日本の金融システムは世界競争力などないし、逆に経済活動を阻害させる大障壁でしかない。
あのビルの解体ついでにダイナマイトで爆破したほうがすっきりします。

銀行間取引所なんてNTTかKDDIあたりがやっちゃえばいいのですよ。セキュアな通信環境さえあれば小さなコンピュータ数台で構築できるのですから。巨大なデータセンターなんて必要なし。

日本ではキャッシュレス化ができない、銀行は疲弊しまくり、クレジットカードや海外取引の手数料はバカ高で、しかも処理は亀がやっているかと思うほど遅い・・・これすべては旧態然としたお役所日の丸を頂点とする銀行システムにあるのです。

今日の読売新聞の一面記事です。やっと公正取引委員会が嘴(くちばし)を突っ込みました。公正取引委員会もたまには仕事しろよ。
まだまだ市場競争を排除した独占的な天下り先がありますよ。


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経済指標が示す”世界経済は30年前に逆戻り” 
Monday, April 20, 2020, 11:56 AM
 ニューヨークで取引されるWTI(ウエスト・テキサス・インターミディエート)の先物がとうとう15ドル台となっています。

原油価格は経済動向の指標という面もあり、大幅に下落したことが世界経済が壊滅状態になるという予想です。

もっとも原油価格とその取引通貨であるドルも、原油が安ければ価値も下落するでしょう。

リーマンショックでは世界の金融に変調をきたしましたが、原油価格の下落は、実経済がおかしくなりつつあることを示しています。

1バレル15ドル台というのは、調べてみたところ1985年(昭和60年)あたり。
WTI先物は1983年からNYで上場されたので、それ以前の記録はありません。

日米貿易摩擦で、中曽根とレーガンの頃です。
デトロイトで日本車が叩き壊されるニュースが頻繁に流れていた頃。

イランイラク戦争をやってますよね。アメリカが戦争経済(war boost economy)で立ち直った。

航空機産業とコンピュータテクノロジーは戦争経済の賜物。

頭も35年前にリセットしなくては時代についてゆけない



頭を一旦、がらがらポンして、これから世界がどのように変わるのかをしっかり目撃しておきたいと思います。

マジ、たいへんな状況になってきたと、コロナよりも不気味に感じています。

4/21追記
あっというまに10ドルを切って、とうとう史上初のマイナス価格(5月限先物)となってしまいました。現在は1バレル1.2ドルですが、投げ売り状態です。

NY商品先物市場の大崩壊を目の当たりにして、これが大恐慌への端緒となったと後世語られるでしょう。
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フィードバックされない学力試験など意味がない(注目される埼玉式) 
Saturday, April 18, 2020, 05:48 PM

いま全国から注目される「埼玉式」一斉テスト


5年前から埼玉県教育委員会で実施されている独自の一斉テストが他県でも注目されているという記事。

なぜ注目されているのかというと、生徒の学力を測るだけではなく、教師の指導へも分析結果が反映しているから。

分析結果から小学校では若手教員の方が算数の成績が良い傾向があるとか、成績を伸ばす教員には他クラスも任す等の成績向上の効率化が行われている。ダメ教師、クズ教師はさっさと教室から追い出す。←これが重要

教育機関としては至極まっとうな事のように思います。

ビッグデータは分析されてこそ生徒にもメリットがある


埼玉県は小学校4年から中学校3年まで連続したデータを収集して、個人個人のの経年変化を記録している。
方や文部科学省がはじめた学力テストは小6と中3の二回のみ。せいぜい都道府県と学校単位での序列をつけるぐらいしか役に立たない。

そのため埼玉県以外でも独自の学力テストを行う自治体は47もあるそうです。
ただ、埼玉県は実施後のデータを教育する側へもフィードバックすることが特徴のようです。

これまでは学校と教職は聖域なので、序列などけしからんとされていたのでしょう。
でも埼玉県は一斉テストを学校の指導にもフィードバックしたことで注目されたと言うこと。
ということは、いままで都道府県の教育委員会って何をやってたんだと思います。
教師の監視ぐらいで教わる側としてはどうでも良い組織。

自分は日本の教育制度にたいしてずっと強い不満を思っています。
質の悪い教師もいれば、事なかれ主義の学校、無能で時代遅れの文科省・・・

日本人のポテンシャルを削ぎ取るのが役目じゃないのかと思っているぐらい。
人には能力の差があるのだから、一斉に同じ期間に同じことを教え込むことなど無理でしょう。
先へ進みたい者と足踏みする者、どちらにとっても欲求不満しか生み出さない。

学校はガキどもが世間で悪さをさせないための収容所


いや、本当に学校が荒れまくっていた私のガキの頃では、教師でも
学校とは「アホ共の隔離施設」だと広言していた人もいたのですよ。

もっとも左翼崩れ教師の戯れ言なんですが、本質は突いている。

犬猫のように放し飼いにしておけば、集まってヤクザや反政府活動に取り込まれかねないとか、手当たり次第に繁殖して、馬鹿貧乏人の再生産となって人口ばかりが増えてしまうと考えられていた。戦後の人口抑制策がそのまま継承されているのです。

だから目印となるように独自の制服を着せて、放課後も運動をさせて自由時間を与えない。
バイクは三ナイ運動で「免許を取らせない、バイクに乗らない、買わない」とモータリゼーションに逆行し、行動を抑制した。
自分の頃は高校生でもアルバイトは禁止でした。年末の郵便局は学校の許可をもらってできる唯一のアルバイトだった。
性教育では男女交際に釘を刺し、できうるかぎり妊娠させないよう洗脳する。

さらにメディアでは「不登校」という言葉を、ネガティブに発信して、
親御さんらには”学校に行かないこと”は落伍者であり、反道徳的だと思いこませています。

親にとって、みんなが学校へ行くからという理由ぐらいでしか子供を説得できない。
ほとんどの学問に興味が湧かない者にとって遊び仲間とつるむためぐらいの動機しかないでしょう。
そんな存在理由でしかない学校のほうが多い。

子供の教育を他人任せにしない良い機会だ


コロナの非常事態宣言は親が子に教えることを取り戻す良い機会だと思います。

正直、子供とちゃんと対峙できない親は、それだけの人格しか持っていないのでしょう。
それで子供がおバカちゃんになったって、他人からみれば関係ないんですよね。

世の中、頭を使う職業なんてそうそうないのですから。身体さえ頑丈なら小学生程度の知能でも喰ってゆける。


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コロナ感染者の増加の頭打ち傾向がはっきりした 
Friday, April 17, 2020, 02:40 PM
https://vdata.nikkei.com/newsgraphics/coronavirus-chart-list/



日経電子版のトップページにグラフが掲載されていました。今まで知りませんでした。

確実に世界的な感染者数の増加は鈍化傾向にあることがわかります。

先日東京都の感染者数をグラフ化してみましたが、日経新聞のグラフと変わらない傾向があることがわかりました。

あと10日もすれば頭打傾向ははっきりするだろう



グラフで予測すれば、日本もちょうど初夏の6月あたりで感染者は頭打になるはずです。
現在の5倍ぐらいの感染者(5万人)です。

自分は一旦は年内で終息しそうだという感触をもちました。早くて秋頃でしょう。

オリンピックは来年に開催される確率は大きいです



しばらく平時には戻りませんが、それでも確実に好転していくと信じています。
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ニュートンは大学閉鎖中に大業績をあげたんだね 
Thursday, April 16, 2020, 11:20 AM
中世ヨーロッパでのペストの大流行は、14世紀半ばから約300年(1350頃〜1650頃)に亘り、断続的に発生したようです。
この記事でニュートンもケンブリッジ大学が閉鎖になって、イギリス東部の故郷、ウールスソープで独自に研究を続けたことを知りました。

時は1665年ですから、ヨーロッパのペストの猛威はもう下火であったのでしょうが、ひょっとしたら地続きではないイギリスでは遅れて大流行していたのでしょう。

光学理論の発見、万有引力の発見、微分積分法の発明と輝かしい業績をあげたのが、ケンブリッジ大学ではなく自宅の研究室であったことを不思議に思っていたのです。

ニュートンによって光はプリズムによって分解できることが実証されたのです。それまでは光の色は物質によって着色されると考えられていたんです。赤い水を通った光は赤くなるというようにね。

だからニュートンは自室での実験をまとめた論文を公開しなかった。ずっと後に大科学者として著名になっても公にはしなかった。
それを友人らが強く薦めたことで渋々公開したのが「光学」です。

記事では微分積分の後に光学理論の研究としていますが、光学理論が一番早いのです。

光学理論によって望遠鏡が出来上って天文観測が飛躍的に高度になりました。ニュートンが作った反射望遠鏡が今でもニュートン式とも言われるのはそういう理由です。

ペスト流行はキリスト教のドグマから開放したという一面もある



ドグマ(教条)とは信じる者だけ救われるということ。でも300年間ずっとバタバタ死んでるのだから、どんな狂信者だって懐疑的になるわな。

天文観測から引力という概念が生まれ、方程式による代数学が発展します。
微分積分は派生として誕生し、これが近代物理の礎となった。
具体的には1676年ライプニッツ『算術的求積』1687ニュートン『プリンキピア』で微分積分学が生まれたのです。

過去ログ:物理学・数学は1600年代に急激に発展したというグラフ

科学が急速に発展した背景には、ペストにたいして全く無力であったキリスト教への懐疑が生まれたことが関わっているのです。
もっともニュートンは英国国教会に属していたので中庸な立場なんでしょうけどね。だからイギリス科学界の最高位になった晩年は神学との狭間で頭がおかしくなっちゃった。

話はとんで、記事の最後にあるレイチェル・カーソン『沈黙の春』はタイトルぐらいは知っていますが読んだことはない。日本では有吉佐和子のほうが知られているだろうな。高校生あたりで読んだ石牟礼道子『苦海浄土』では戦慄を覚えました。

その影響か、いまだに空々しい家庭用洗剤のCMが鳥肌が立つほど嫌いです。

洗濯用洗剤、食器用洗剤は下水処理では分解できずに垂れ流しです。
蛍光剤やら強アルカリの漂白剤、石油合成の界面活性剤と毒物・劇物のオンパレードですから。

頭の良い人にとって

パンデミックは思索するための良い期間なのでしょう



親御さんたちにとっては、じっくり子供たちに道徳や思想を伝えるよい機会だと思うのですが、新聞やテレビでは食事や家事が大変だとか、ストレスが溜まるだのといった馬鹿親しか映さない。

学校に子供を放り込んでおけば、あとは楽ちんという考えこそが下流の思考です。

新聞やテレビにだまされちゃいけません。ちゃんとした家庭では親から子へ伝える良い機会だと思っているはずです。
少なくとも俺が親なら、子供に仕事をする姿を見せる絶好の機会だと思うでしょう。


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不謹慎ながらEXCELで感染者数をグラフ化してみた 
Tuesday, April 14, 2020, 07:11 PM
東京都の日別感染者数をグラフ化してみました。
3月2日から発表されている数値
0 1 4 8 6 0 0 3 6 2 2 10 3 0 12 9 7 11 7 2 16 17 41 47 40 63 68 13 78 66 97 89 116 143 83 79 144 178 188 197 166 91 160

本日発表の43日分をエクセルに貼付けてみます。
グラフ化したものがこれ。患者数は対数であることに注意してください。

きれいに右肩上がりであることは一目瞭然です。

せっかくエクセルを使っているのですから、統計分析ツールの”回帰分析”をやってみたいとおもいます。
実験などの生データをプロットしても、滑らかなグラフになりませんから、実データにある程度誤差が含まれているとして、滑らかなグラフを表示させる手法です。

実験では必須の手法ですね。

手計算で一点一点やると大変なのですが、エクセルは一発ですから良い時代だ。
ま、素人ながら回帰分析させたグラフがこれ(注:青線と点線は書き加えています)

そして無責任な考察をしてみると、このままでは一日200〜500人の感染者が発生してしまうことになります。(90日目には累計18,000人程度となる。そして現在の7〜8倍の感染者がいることになる)

少なくともまだまだ増加傾向だということ



医療関係者のみなさまの奮闘に敬意を払います。
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携帯電話があればたいていの仕事はどこででもできる 
Tuesday, April 14, 2020, 08:58 AM
肌感覚ではそれほど都心の人混みは減っているとは思えません。
たしかに2割3割は少ないのでしょうが、全く人通りがないという状況ではない。
飲食店街は静まりかえってますが、スーパーや大規模商業施設には逆に人が多いぐらいです。

上り電車にはあいかわらずスーツ姿の会社員が多く見受けられます。せめて明るい色を着ればいいのにと思います。

出勤者を7割減らしたい政府に配慮してか、テレビでは街頭インタビューが流れていました。
どうしても出勤しなければならない理由は
・顔をつきあわせなければ業務が廻らない
・製造業だから指示をしなければならない
・営業職だから人と会うのが仕事だ(対面商売だから)
・書類にハンコを押さねばならない
・家だと仕事が出来ない(パソコンが不慣れ)
たとえばこんなものです。

街でインタビューされた会社員は誰も自宅で仕事ができるとは思っていないのです。
おもわずテレビに向かって「貴方が出社しなくたって仕事は廻るぜ」とつぶやきたくなります。

そりゃ、仕事仲間がいて居心地がよいのなら、それは幸せなこと。

でも、自分が会社勤めに向かないからか、大企業ではストレスでしかなかった。このご時世に何の疑問も抱かず出勤している人たちの言い訳にはあきれます。

毎日出勤しなけりゃいけないのは経営者の怠慢だ



ホワイトカラーの仕事なんて電話一本あればたいてい事足りるもの。
一日中デスクに座ってPC画面を眺めているだけという人もいるでしょう。
笑っちゃうのは、さらにその人たちを眺めるだけという役職もいる(笑)

インターネットが普及する前のパソコン通信で仕事をしていたことがあるので、通勤時間というのがいちばん人生の時間の無駄だと思ってます。つぎに無駄だと思うのが出席する誰も決定(決済)権限がないのに顔をつきあわす会議です。

いまだにタイムレコーダーを置いてあるような会社は、時代錯誤で見切りをつけた方がいいぐらいでしょう。
オフィスに座っていることが絶対の条件だといまだに思っている会社の多い事よ。
役所がその最たるところでしょう。霞ヶ関の下請事務屋にすぎないのに頭数ばかりで、何も進まない。

諸悪の根源は出勤を前提とした労働法



パソコンにインストールしたソフトが上手く動かず、問い合せをチャットサービスで行いました。
あーだこうだとチャット画面を睨みながら、1時間以上かかりましたが解決しました。
ドイツ製ソフトなので、たぶんチャット先はドイツだと思うのですが、応対者はドイツ人なのかはわからない。
こっちは昼間だと向こうは夜なので、どこで対応してくれているのかもわからない。
よく考えればスマホ一つあればよいのですから、こっちも全然問題なし。

10年前の経験です。当時はデルコンピュータは電話をすると上海の青島に繋がりました。そこで中国の若い女性が対応してくれるのですけども、それがきれいな日本語なのです。名前は六つのお城ですと言ってもちゃんと理解してくれる。
簡単に解決したので、少しおしゃべりしました。
きれいな日本語なので、留学経験があるのかと尋ねたら、大学で習っただけだとのこと。
さらにサポートのオフィスはサテライトでいくつもあるそうです。日本語学科のある大学の近くだと言ってました。

高給なので志願者が多い人気職だとも言ってましたっけ。そしてこの仕事が大好きだとも。
いつか日本でブランド服を買いに行きたいと言ってました。たぶん収入は日本のOLとたいして変わらないでしょう。

パソコンサポートって日本の家電業界では下層の仕事で、横柄な客を連日なだめる役目のように思われてます。
パートの疲れ果ててうんざりした声で対応され、たらい回しにされる日本メーカーと大違いなので感心しました。

ここからは自分の感想です。
効率的な職住近隣で空いた時間は教養を高めたり、子育てだってできるのでしょう。
若者の仕事に誇りと責任がどうしてこんなに両国で違うのだろうかと考え込みました。

組織で仕事をすることは同じでも、労働を時間でしか規定しない前近代社会と、ITによって個人の質を重視した労働環境では働く意味が違いすぎる。
方や社会が悪い、制度が悪い、経営者が悪いと文句だけで、無為にオフィスという空間で時間を潰す人たち。
方や好きな仕事に集中し、一分一秒を無駄にせず自己研鑚を怠らない人たち。

勝ち目はないよ。

労働法は、人間を生産設備として扱うことで成り立っています。
経営者(資本家)にとって雇用者とは8時から17時まで稼動する機械なんです。
生産設備なんだから時間と場所で束縛されるという、現代では考えられないような前提。

家で仕事ができないという人は単なる会社の生産設備なんですね。マルクス経済の定義そのものだ。

社食完備の大きな都心のオフィスで社員が喜ぶわきゃないわ。
たいてい奢侈(しゃし)なオフィスを構えているどころは虚業です。

たくさん机を並べて向かい合っているなんて役所だけで十分です。

(追記:自分で書いて読み直したら、ずいぶん酷い極端な文章だ。そもそも過去には積極的に誘われた呑み会には出席しますと言っておきながら、その真逆な内容ですから。

あくまでも出社禁止の1ヶ月で仕事のやりかたを見直して欲しいという日本人の凝り固まった概念を見直す有意義な期間であって欲しいという願望です。)
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世界(マクロ)経済はまるで熱力学のようである 
Friday, April 10, 2020, 11:57 AM
世界の中央銀行が日銀を後追いするかのように、自国の国債を買い入れ、低格付けの債権も買い入れ始めたという記事。

2016年(平成28年)9月から日銀が国債を買い入れたことは内外から非難が上がっていましたっけ。
海外からは円安への誘導であり、国内では貨幣価値の下落(インフレーション)を引き起こすと。
それから3年後、アメリカFRB、英国中央銀行、追随して他の英国圏の国家(カナダやオーストラリア、ニュージーランドなど)も中央銀行が国債と債権の買い入れを始めました。

不況の連鎖を封じ込めるため、各国の中央銀行として協調できることは、このような手段しかない。

世界のGDPの総合計は50兆ドル(500兆円)です。かたや金融市場で膨れ上がったマネーは200兆ドル(2京円)、ざっと4倍です。

金融市場は程度の波があっても、膨れ上がることしかできません。もし縮小することになれば、それは世界的な債務不履行(デフォルト)や倒産が発生することです。そして通貨価値の下落(国債も下落)する。

中央銀行としてはなんとしてもそれを避けるしかない。
このように金融市場はつねに一方方向にしか動かないのです。ここでふと思った。

マクロ経済はまるで熱力学のようだ


熱力学のキーワードは「エントロピー」という指標。

このエントロピーという概念は、分散して混じり合ってゆく一方方向で、その逆はない。
例えではコーヒーに垂らしたミルクがよく用いられます。

熱は高いところから低いところへ移り(エントロピーが増大して)、やがて均衡する(同じ温度となる)
熱力学では均衡したところまでを1サイクルとしています。

国家間規模で経済をみると、まるで熱力学のように見えますね。帳簿や銀行に記されるマネーはまさにエントロピーそのものだ。

財布の1円は消えても、めぐりめぐって誰かのどっかに必ず存在する。
また1円の価値があると世間で信じられていれば、中央銀行は1円玉をいくらでも供給できる。

つまり通貨による信用創造は中央銀行が担ってきたのです。いままでは。

その歯止めがなくなるとどうなるかという議論が3年前の日本ではなされていました。
ジャブジャブとマネーを金融市場に流し込んでいると、インフレすなわち日本円の価値が落ちるといわれてました。

言うまでもなくそんなことは起きなかった。
リーマンショックをきっかけに主要国家の中央銀行もそれ以上にジャブジャブとマネーを供給したから。

水を流し込むバケツがあふれそうになれば、バケツを風呂にして、それもあふれそうになればプールにと拡張してきたようなもの。
飲み水とすることもできる清い水であったのですが、それだけでは不足するので浄化していない雨水でもよいとしてきた。
なんたってプールですから、少々汚れた水が混ざっても飲用できた。

ある国だけ抜け駆けして汚い水を流し込んだらどうなるか



言うまでもなく、どぶ水を投入している国は中国です。
IMFが定めるSDR(特別引出権)の通貨、米ドル、ユーロ、日本円、スターリング・ポンドに2016年中国元をねじ込んだことで、信用力があるとばかりに見境なく人民元を投入した。その一部が一帯一路計画であり、ヨーロッパやアフリカで暴れまくる中華資本。

主要国の中央銀行も中国につられて、多少汚れた水であっても流し込まねばならなくなったということ。

ただ、もう飲用できない水を流し込み続ければ、貯めたプールの水はやがて飲めなくなってしまう。

いちどジャンクな債権が混ざりだすと、それだけを取り出すことはできなくなる。
ここで一言「ああ、エントロピーやな〜」

このエントロピーの増大が止まればどうなるのか。

エントロピーが均衡したら、それは終焉(死)であり、混沌です



主要中銀「禁じ手」踏み込む FRBが低格付け債購入


日経新聞web 2020/4/10 4:21 (2020/4/10 8:14更新)

【ワシントン=河浪武史】新型コロナウイルスにより金融危機を上回る経済悪化が想定され、世界の中央銀行が前例のない資金供給策を連発する。米連邦準備理事会(FRB)は一般企業に間接融資する緊急措置を発動。「禁じ手」とされた低格付け債の購入にも着手する。英中銀も英政府に短期資金を直接融通する。中銀による自国国債の買い入れはカナダやオーストラリアなどに広がり、新興国中銀も社債などの資産購入を決断。財政も市場も今や中銀マネーなしで成立しない。

9日の米社債市場では、買い手がつかなかった低格付け債の価格が急反発した。FRBは同日朝、2兆3000億ドルもの新たな緊急資金供給を発表したが、柱の社債購入策にリスクの高い「ダブルB」まで対象として組み込んだ。低格付け債に投資する上場投資信託(ETF)は、価格が7%も上昇し、新型コロナウイルスの影響が深刻化する前の2月の水準まで一気に近づいた。

FRBは08年の金融危機時も企業金融に踏み込んだが、購入対象は償還期間が短く格付けの高いコマーシャルペーパー(CP)にとどまっていた。中銀が損失を出せば基軸通貨ドルの信認が揺らぐだけに、高リスクの投融資は禁じ手だ。今回の社債購入では、償還期間が最大5年と長い商品も対象となり、低格付け債にも中銀マネーを供給。FRBは一気に2重のリスクをとりに動いた。

9日には6000億ドルの枠を上限に、一般企業に間接融資する措置も打ち出した。民間銀行がいったんは融資するものの、FRBがその95%分を買い取る仕組みだ。08年の金融危機時にもなかった異例の策で、FRBの責務は伝統的な金融システムの安定から、商業銀行のような「産業金融」にまで広がってきた。

パウエル議長は9日の講演で「政策を総動員する」と改めて主張した。米経済は「4〜6月期に30%超のマイナス成長になる」(イエレンFRB前議長)と予想される。国際通貨基金(IMF)のゲオルギエバ専務理事も「20年の世界経済は大恐慌以来の落ち込み」と警鐘を鳴らし、政策当局に時間の猶予はない。

米量的緩和は「無制限」となり、FRBは3月だけで米国債を8380億ドルも買い上げた。FRBの総資産は3月に1兆6500億ドル拡大。4月に入っても膨らみ、8日時点で6兆ドルを突破した。今回の支援策で総資産の増加ピッチはさらに加速しそうだ。

米連邦政府は年1兆ドルの財政赤字を抱えるが、その資金供給は事実上、FRBが担う。米議会が決めた2兆ドルの景気対策には現金給付が盛り込まれたが、間接的とはいえ、中銀が家計に資金供給する「ヘリコプターマネー」と同じ構図だ。

緊急措置を繰り出すのはFRBだけではない。英中銀も9日、英政府に短期資金を直接融通できるようにすると発表した。カナダやオーストラリア、ニュージーランドなど主要中銀も、こぞって自国国債を買い取る量的緩和を開始。IMFは9日、世界各国の財政出動が8兆ドルに達するとの分析を公表。世界の国内総生産(GDP)の9%分に相当するが、その巨額の財政出動は中銀マネーで支えざるをえない。

中銀の「非伝統的手段」とされる資産購入は、政策金利の引き下げ余地のある新興国にすら拡大する。3月下旬に全土封鎖に踏み切ったインドでは、中銀が3兆7千億ルピー(約5兆4千億円)の資金を用意して社債やCPなどの購入に乗り出した。

各国当局者は「今は戦時と同じだ」(クドロー米国家経済会議委員長)と緊急措置にためらいをなくしつつある。FRBは次策として、第2次世界大戦時に実行した長期金利のコントロールを検討。20年の米財政赤字は一気に2兆ドルを突破しそうだが、トランプ大統領は「FRBのゼロ金利政策で政府資金は潤沢に調達できる」と主張する。

非常時手段は新型コロナの感染拡大が短期で収束する前提だ。ただ、インドのようにもともと不良債権比率の高い国は、中銀のリスクも一段と高まる。FRBは米財務省から4500億ドル規模の政府資金を受け取り、資金供給時の「損失吸収材」とする仕組みを敷く。バーナンキFRB元議長は「危機時に求められるのは行動する勇気だ」と繰り返すが、リスクを分散する細心の制度設計が不可欠となる。
(貼り付け終わり)


検索キーワード:エントロピー:

デタラメな人為的地球温暖化論を信じ込むな
一万4455発もの核弾頭を持つ国々が文句を言う構図
仮想通貨取引所とは通貨の置き場所ではなく暗号の保管場所にすぎない
近代文明とは原始宗教「天体原理主義」から「数学原理主義」の転換であり、これからは「特徴ベクトル原理主義」へ
宇宙は膨張していない!(エントロピーという学問のでたらめ)
エントロピーという物理概念で解くアジア
数量化という概念が理解できていない人物の戯言は日本に悲劇的な結末を招く
10/1 10時 浅草での空間線量は72Bq/m^3
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世界をいっぺんさせるだろう。ABC予想が証明されたというビッグニュース 
Thursday, April 9, 2020, 12:40 PM


さて、なんのこっちゃ

新聞記事を読んでも、さっぱりわからない。
この記事で出てくる「フェルマーの最終定理」とは
nを2よりも大きな自然数(3,4,5…)とすると
x^n+y^n=z^n
を満たす自然数の解(具体的なx、y、z)がない


ということをなぜかつぶやいた(ノートの端に書き留めた)ピエール・ド・フェルマーさん(1601-1665)のメモが発端です。悩ましいことにその証明は余白がないのでかけないとあったから、後世の錚々(そうそう)たる数学者たちが喧々諤々(けんけんがくがく)となってしまった。

そして1994年、アンドリュー・ワイルズという数学者が証明するまでかかったのです。
このニュースは大きく報道されたようです。

この記事でABC予想というものをはじめて知りましたが、とても単純です。

適当な数を2つ用意して、左辺はその数の素因数の足し算、右辺は掛け算とすれば

当然掛け算のほうが大きくなるが、そうでない場合もあるよ



これが1985年に発表されたABC予想です。

おい、言うだけかよ!と思われるでしょうが、俺はそう考えたのだ、それだけでよい。
京大の望月新一教授が証明したそうです。その発想が

足し算の世界と掛け算の世界は別個にある



その境界ではABC予想が成り立つという理論。すげえな。

数の世界はひとつだけではなく、足し算だけの体系(界)があれば掛け算だけの体系もあると考えた。
関数電卓にはなんであんなにキーがあるかというと、四則演算(+−×÷)以外にも階乗だとか対数といった演算があるからです。

対数の計算というのは面白いもので、掛け算は足し算に、割り算は引き算になっちゃう。
階乗(ひとつづつ数を減らして、すべて掛けた数)も級数という代数演算には必須。
数式にびっくりマークが多くついているのは、そういうこと。

演算(数の計算)は、いわゆる”計算する”というひとつの世界だと思っていたことを、望月新一教授は、「いやいや、そうじゃない。生物界でもオスとメスがいるように、足し算と掛け算は別の世界なんだよ」ということを教えてくれたのです。

いまではコンピュータは手のひらサイズで誰もが何も意識せずに使いこなしています。

でもコンピュータの基本原理は足し算しかできないのです。

ほんとですよ。CPUには加算器(レジスター)という箇所で足し算しかしないんです。
足し算だけで引き算ができるの?と思われるでしょうが、実はできるのです。

アナログ時計で考えると、12時12分の47分前は何分か?という小学生の問題があったとしましょう。
ぐるっと分針を左回りに回せば(つまり60進数の引き算)すればおのずから答えは11時25分です。

でも1時間=60分だから、60分-47分=13分として、この13分を12分に足せば25分と分針の位置は即答で来てしまうのです。
なんでこんなことができるのかというと、丸いアナログ時計もコンピュータの扱える数も有限だから。

専門的には13分は補数といいます。

掛け算と割り算はもっと簡単。16桁のゼロイチゼロイチというビット列を右か左にずらすだけ。
二進数だから右端にゼロを加えたら2倍、左端にゼロを加えたら半分となる。

つまりゼロかイチを操作したい数(二進数)に加えることしかしないのです。

小難しいことを言っているように思われるかもしれませんが、今の情報処理試験でもこれぐらいは常識でしょう。
30年前での資格試験では、コンピュータの動作原理を知っておかねばどうにもならない記述問題でした。

原始的にビットを動かして、簡単な計算をするプログラムの作成をさせられましたっけ。
頭の中はつねに16桁のゼロイチゼロイチ・・・。

小難しい話はここらへんでやめておいて、ようするにコンピュータは足し算の世界の道具であるのです。

だから掛け算の世界があるのであれば、とうぜんその世界のコンピュータもあるだろうよ、とこの記事は述べています。
内部演算はすべて掛け算でするようなコンピュータ。

となれば扱う数も掛け算、べき乗ですから天文級数てきになってきちゃう。

天文級数的な数の先(つまり無限)にはなにがあるのか!?



世界中の数学者がこの考えの行く先に注目しているのです。

検索キーワード:数学者:

曖昧な及第点「可」でも学んでいた方がいいと思うのだがね
経済学とは物理学であり、経営学とは解析学の派生だったのか
書店様へ「隠された十字架 江戸の数学者たち」は歴史読み物です!
実用数学技能検定(公財)お勧め図書としてのご紹介ありがとうございます
数学という学問への概念を根底から覆す現代の奇書
綱吉時代(1680-1709)はバブル景気(元禄景気)だった
新聞の駄文の例「今こそ数学のススメ」
『隠された十字架ー江戸の数学者たち』を読む(1)
平積みされていました!@リブロ浅草店
「隠された十字架 江戸の数学者たち」 (秀和システム)の書評
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三島由紀夫VS東大全共闘〜50年目の真実〜を観てきた 
Monday, April 6, 2020, 11:28 PM

全共闘とその世代(現在の70代前半の人たち)を実は内心軽蔑してました。
左翼思想かぶれであっても結局は、あの激しい学生運動で戦後の日本は何か変わったのか。

全共闘世代の大半は、卒業すれば小役人や大企業のサラリーマンとなって、あれほど糾弾していた体制側に寝返ってしまいます。
ほんの一部の者だけが、言論人となり、芸術方面で活躍し、その信念を貫き、いくばくかの名声を得た。

血気盛んな当時の東大全共闘の人たちも、多くは引退して、今ではただの爺(じじい)です。
今の若者からみれば、70も80も90も同じにしか見えないでしょう。

ただ90代はリアルで戦争体験者(ちょうど学徒出陣の年齢)ですし、70代は戦後生まれの団塊の世代です。

だから学生という身分であっても、方や将校として軍隊に行かねばならぬ身(今は90台、三島由紀夫の前後)と大学構内をバリケードで囲って放水銃しか浴びない(今は70台)とでは大きな違いです。これが三島由紀夫と東大学生らの大きな気概の違い。戦前のエリートは国家の命運と自己は同じことのように考えていた。

戦後、浅間山荘や日本赤軍のよど号のっとりなど大事件がありましたが、先鋭化したエネルギーとしてはそうしてテレビに曝されたともいえます。あれだって彼らなりの正義だったのです。そして三島も狂気に殉じた人のひとりに過ぎない・・・。

この映画を観た直後は

全共闘にも少しだけシンパシーを感じた


これが映画が終わったときの感傷です。

自分はたしかに高校時代の愛読雑誌は「丸」であり「ナイフマガジン」でした。右翼思想ですね。
もちろんポパイやプレイボーイも身近にありましたけど。
三島由紀夫の捉えている天皇制や暴力の定義も、そのまま肯定しています。いまでもです。

この映画は1968年に東大駒場の900号室で行われた三島由紀夫と1000人の全共闘の学生らの公開討論会を撮ったTBSの秘蔵フィルムです。

平野啓一郎と橋爪大三郎が途中途中で解説を挟んでいます。この映画でわかったことは

全共闘も三島の主張も反米愛国では同じである



全共闘(全国共闘会議)という学生運動の派閥を統合するにあたり、共通の目的はなんだったのだろうという疑問は、ある程度この映画でわかりました。
体制(制度・きまり・縛り)を一切開放した地区(空間)を目指したと言うこと。ただ実行の手段がないために、拡散して消えてしまった。

青臭いだけの理想に対し三島は、そこに時間の概念はあるのかと問います。
永続しなければ、たとえ成就しても何も残らないじゃないかということ。

学生側の言い分としては、時間などない、3時間でも一週間でもそれを国(国民)に示せれば成功であるいう。

三島由紀夫(44歳)は20年も世代が違う東大の若者たちに、エネルギー(熱意)だけは称賛しています。

公開討論のあとは、三島と東大の学生らとの共感が漂っていた。

三島由紀夫だって東大法学部OBですし、丸山眞男(たぶん三島もあまり評価していないワル)が上にいる。戦後生まれの学生たちと三島の天皇論が共有されれば、三島の盾の会と全共闘は共闘できた。

もし全共闘と三島由紀夫が歩調を合わせていれば、少しは違った社会になっていたかもしれない・・・感想はそれだけ。

結局の所、この映画はもうこんな青臭い時代はこないというノスタルジーなんだよなあ。

見城徹の「読書としての荒野」の最後は三島由紀夫の檄文で終わっています。見城徹は左翼思想にかぶれなければインテリじゃないと言い放っておきながら、最後は三島由紀夫で終わるのかというと、最終的には右翼も左翼も結局は同じ根であり、ご本人も同じ結論になったからなんでしょう。

つまり三島が討論会で発したように「言霊だけが残れば、あとの世代が解釈してくれる」そういう悲痛な思いを、見城も抱いているからだと自分は思うのです。
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人間の深みとは左翼運動への傾倒と深い挫折の経験がないと生まれない 
Sunday, April 5, 2020, 10:40 AM
見城徹「読書という荒野」をさっそく読み始めています。

 昨日書いたように、著名人との華やかな交流の記録でもある「編集者という病」は70年代から80年代にかけてのエネルギーあふれた時代のノスタルジーを感じます。

ファッションも音楽などの芸術も新潮流があふれて、街中がキラキラと輝いていた時代です。はげしい学生運動やがて終息し、もてあましたエネルギーがギラギラとあふれていた。

過去の対談を書籍としたもので、つまり、編集者・見城徹を通した作家たちの紹介なのです。見城が築いた密度の濃い関係の追憶です。
でも、率直な感想は、「もうこんな時代はないし、見城徹に憧れたとしても、けっして同じような人物にはなれない」(貧乏国家に、もうこのような怪傑は現れないだろうという溜息です)

そういう読後感をもっていました。成功者への妬みでもある。

でもそれは早急で表面的な判断でしかなかった・・・



「読書としての荒野」には前著「編集者という病」からも多くが再掲されています。ここでは表現者とどう対峙していたのかが、深くわかるのです。

さて、この本書は見城徹が青春時代に読書を自分の血肉としてきたかを語っています。

(はじめにP12より抜粋)

だから僕は、読書体験を通して、左翼的な理想主義に一度も傾倒していない人を信用できない。そうした人間は、人としての厚みがない。
 特に経営者はそうだ。左翼的な理想主義とはつまり、世の中の矛盾や差別にたいしてアクションを起そうとする姿勢だ。「この間違った世界を変えなくて生きていかれない」というピュアな感情は、それが実業の世界に入ったとき、イノベーションを起こす源泉となる。
 左翼的でなくてもいい。そうした思索を経ずに、金銭的に再興した経営者は、言葉に重みがない。だから、その企業が掲げている「ビジョン」にも深みがない。一時のブームに乗って成功しても、環境が変化した瞬間に消えていく。
(中略)
正確な言葉で考え抜かないと自己検証ができない。消費者の動きを言葉で捉えきれないのだ。だから、一,二度の成功体験にしがみつくことになる。
 これがもし、豊富な読書体験を経ているのならば、自己検証、自己嫌悪、自己否定を通じて、何度も自分のビジネスを問い直しているはずである。それがないと、一時の成功がもろい基盤の上に立っているものであることを理解できず、過去の成功パターンが通じなくなったときに苦しむことになる。
(抜粋終り)


自分の師匠である副島隆彦も見城徹とまったく同世代。そして同じように高校時代に左翼運動に傾倒しています。つまり当時早熟な若者は、学生たちの死や破滅で、すでに下火であった学生運動を、見城氏は静岡の清水、副島先生は福岡で共に背伸びして体現しているのです。

そしてすぐに浮かれた80年代となり、ぽつんと取り残された疎外感を味わい、また強烈な自負心へと転化して行く。それがこの時代をすごした若者(いまは60代後半)たちの特徴です。

そして彼ら取り残された左翼かぶれたちのカリスマが、吉本隆明なんです。
吉本隆明自身もくるしみ、同じ苦しみを抱いていた早熟の若者、それが見城徹であり、師匠の副島隆彦です。

ちなみに副島先生は見城徹とは似た者同士の親近感をもっているような気がします。過激な知識人しか通じないものがあるのでしょう。
アルコール依存の父という似たような境遇もあります。

見城氏がいう、自己検証、自己嫌悪、自己否定、この三つが読書への動機であり、逆に読書を通して自己検証、自己嫌悪、自己否定を繰り返すサイクルがなければ血肉にならないと断じています。そして仕事への原動力となってゆく。

著者が実行しているボクシング・トレーニングという肉体苦行は読書体験と同根なのでしょう。

後半は角川、幻冬舎での編集者として作家たちの交流です。これがまた濃い関係。

感覚を共有することは表現者と脳みそを同化するという行為で、これを仕事とすることは並大抵のことではない。毎日電車に乗って、給料をもらう生活がどれほど楽かとも思えます。

そう感じるが故に、日々が辛いサラリーマンの方にもお勧めします。本を貪り血肉とすることでしか救いはないのです。

生きているという実感さえ自分でも感じない、ナヨナヨした我々世代(50代)以下にはガツンと頭に一撃を喰らわされること必定です。
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才能ある出版人は気迫が違う。見城徹「読書という荒野」 
Saturday, April 4, 2020, 12:10 PM


今朝の新聞広告から。
出版業界の風雲児とよばれる見城徹氏の「読書という荒野」
まさに今の自分の心をえぐるような文が並んでいます。

単行本の帯はもっと扇情的なハードボイルドです。
「見城徹の読書は血の匂いがする。ただ、
文字を追って『読了』と悦に入っている輩など、
足元にも及ばない。書を貪り喰ったものだけが
知る恍惚の表情を浮かべている。著者の内蔵
を喰らい、口から真っ赤な血を滴らせている」
秋元康


ノックアウトされました。

幻冬舎の社長であり、トップ編集者、この気迫と姿勢を少しでも
自分のものにしたいです。

副島隆彦先生と同じ体臭を感じます。

読後感は後日また述べます。

22時追記:書店で手にして、過去の著書も立ち読みをしました。

集英社から刊行された「編集者という病」(2009年)はそういえば読んだのです。
タイトルとは違って、かつてどこかの媒体で発表した対談集でした。

70年代のスノッブ臭がすごくて辟易したことを思い出した


たとえば松任谷由美(当時は荒井由美)だとか中島みゆきらを代表とする団塊のニューエイジとどっぷり対峙した記録でしかない。

「編集者という病」はスノッブ(上品ぶった鼻持ちならない感じ)がプンプンして、手にしたけれども、途中で放り投げたのです。例えが悪いけども日経新聞「私の履歴書」みたいなもの。
なんの参考にもならん。これはね、書き手の自慰行為なのよ。

でもね、静岡の田舎者が東京で徒手空拳で世を渡って、地位を登り詰めた過程を時代背景とあわせて読み取れば、まあまあ面白いのかも。

見城徹と五木寛之は文体は似ているのかもしれない。

ともかく見城徹は嫌いだけど買ったから読んでみます


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言葉の引き出しがないと深く考えることができなくなる 
Friday, April 3, 2020, 12:37 PM
今日も元気に浅草の空気を吸っております。永寿総合病院から信濃町の慶応義塾大学病院へと拡がり、三色旗のお膝元を直撃しております。

マジヤバで、じわるねー(草)
訳:状況は深刻になり、徐々に拡がりをもちはじめてます、苦笑

まあいつの時代も極端な短縮形や略称が使われていましたし、ナウいやググれといった言葉も会話やメール文化で生まれてます。

言葉はいきものだし、言葉遊び(例:当たり前田のクラッカーやなるほどザワールド)はどの時代でもあった。流行言葉は世相を表わす代表です。

ビビる(怖じ気づく、気後れする)なんて言葉も元々はスラングですし。

それで会話やメールの彩りとなるならば、使い分けのカードとして頭に入れておくことは悪いことではない。

しかし忘れてならないことが一つあります。

言葉は説得のための最重要の武器であること



適切な言葉が用意できないと、説明どころか、自分自身も混乱してしまう。

この記事にあるように「エモい」と一言で片付けられたら、はたして感動したことが伝わるでしょうか。

何についてどう感じたかが全くわからず、逆に愛情がないと受け手は感じます。

そして、冷酷に判断される。こいつは知能が低いやつに違いないと。

これが普通の人間社会の現実です。

自分の感情をありとあらゆる言葉で言い表わせられないと、まず口げんかで負けます。

私が嫌いな言葉は「まあまあ」ですね。
良くも悪くもないという場面で使われるのですが、まあ、愛のない言葉だと思っています。

かつて、書評を求めた方から「まあまあ」と一行あっただけ。

どこがまあまあだったのか、良い点は、悪い点はと具体的な指摘がなくがっかりと失望した経験があります。

ほんとは読んでないのでは?俺に対する虚勢?いやいや、この人とは観点が全く違うのか?・・・どんどん悪い考えが浮かびます。

ネガティブ(否定的)な考えが想起されるのです。

せっかく食事やプレゼントをしても、まあまあと一言だけだったら誰でもやる気を失いますよね。

形容詞一言で済ますと思考能力が痩せ細る



ツイッターやラインの功罪は、感情だけを伝えて考えさせる能力を奪うことです。

反論や異議を認めない同調圧力が強いため、依存すればするほど自分という核を失って行く。

”エモい”で会話が区切られたら、その先の考えが続かない。”まあまあ”と同じ結末ですね。

論理思考「〜だから〜である、なぜならば〜」は必修能力だろう



記事では学童のコミュニケーション能力がどんどん貧しくなっていることに警鐘を鳴らしています。

そして人間形成にも大きな影響があると危惧しています。

実は、この記事で自分の苦い経験を思い出しています。

IT業界やコンサルタント業界ってのは非常にカタカナが多い。会議では
「アグリしたらコミットしてサジェスチョンしてください」
「アボートしてたらリスタートでバックアップじゃね?」
部外者は何を話しているのやら不信感をもち、こっちも説明しているのに理解されずにイライラ。

カタカナ言葉ばかりの業界ってのは、総じて全体が知恵遅れのようでコミュニケーションが薄いです。
思考も単純、まあコンピュータ動作に近づいていくのかな。

外界とは全く違った意味で使われていて、赤っ恥をかいたという経験もあります。



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ニューディール政策ではなく戦争でアメリカは立ち直った。歴史家が触れない真実 
Thursday, April 2, 2020, 07:31 PM
私の頃の歴史の教科書では、世界恐慌(1928年)ではアメリカ大統領はすかさず大規模な景気対策を打って、その後の景気を向上させたかのようなことを覚えさせられました。

ルーズベルトがテネシー河のダムを造らせたりといった大規模な公共事業を積極的に推進したおかげで今のアメリカの発展があるということ。だからルーズベルトは偉い大統領だとされてます。

これを参考に田中角栄の日本改造論が持て囃され、大規模公共工事は良いことだとばかりに、日本国民はずっと思いこまされてきた。しかし、

ニューディール政策は不況脱出には全く効果がなかった



現実はいくら公共事業を進めても、株価は低迷し失業者があふれていた。

このことは歴史研究者や経済学者なら薄々と知っていることです。

アメリカが覇権国家の立場を明確に築くことができたのは、言うまでもなく世界戦争への参戦です。

大量の余剰(surplus)を消費するのには、これしかなかったともいう現実です。

軍産複合体に自動車のみならずタイプライターや織物業までも配下に組み込まれた。

敵国の製鉄所や精油所、生産工場を爆撃し、徹底的に破壊し、そのあとは自国の過剰製品(鉄鋼や石油製品)を売りつけることで、アメリカはめきめきと景気が良くなり覇権を握ることが出来たのです。

ヨーロッパでは面白いことに、戦勝国である英国とフランスは通貨高で工業製品は輸出不振でした。
その間に、設備を一新したドイツが工業国としてすぐに復活してしまいます。

大不況の後には社会構造の変化がおきる



挙国一致、軍産配下となったアメリカの産業では、女性の労働力にも依存して行きます。こうして働く女性はアメリカではあたりまえのようになった。

生産人口が少なかったため、男手だけでは足りない働き手を補うには、女性解放運動(ウーマンリブ)は為政者・経営者側にとっても悪い話ではなかった。

軍産複合体とその配下の協力企業の挙国一致体制は戦後も続いたのです。
それでもIBMやMicrosoftといったIT産業が柱として育った。

一方古い産業では、80年代の日米貿易摩擦、さらには現在の中国との貿易戦争へと繋がっている。

既存の産業は必ず、貿易相手国と摩擦が起こるのは必然なのでしょう。

コロナ沈静後の世界は変わるだろう



学校はオンライン授業となり、仕事は在宅というのがだんだん普通になるのではないでしょうか。

集団や組織での仕事から、徐々に個々で働くことが定着して行くのではないかな。

会社に来ても全く稼ぐこともなく、役にも立たない邪魔なだけの年寄ばかりなんだから、これこそ働き方改革ですよ。

電車にゆられて会社なんかに行きたくない、私みたいなへそ曲がりにとっては良い環境ですw

以下、宮崎正弘氏のメルマガの転載です。

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「宮崎正弘の国際情勢解題」 
令和二年(2020)3月31日(火曜日)弐
          通巻6426号   
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「大不況の結末としての第二次世界大戦は景気回復の劇薬だった」
  現在のコロナ災禍を「戦争」と見なす米国歴史家
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 ドリス・カーンズ・グッドウィンという女流歴史家がいる。リンカーンとルーズベルトの評伝を書いて高く評価した。いずれも日本語訳がでている。
ふたりを英雄視している点で、歴史作家といったほうが正しいかも知れない。
 なにしろ「大不況の過程で始まった第二次世界大戦がアメリカの景気回復の劇薬だった」とする女史は「こんかいのコロナ災禍は、戦争を契機に国家を立て直して歴史の教訓を生かすべきだ」と唱えるのだ(TIME、2020年4月6日号のインタビュー記事)。

 「ルーズベルトのリーダーシップに比べたら、いまの(トランプ政権は)コロナ戦争に立ち向かうリーダーシップが足りない」。
 暗喩としてのトランプ大統領批判である。

 大不況の到来はを「ニューディール」とかの政府投資で克服できたというのが通俗なルーズベルト評価だが、実態は左翼にばかり有利な予算をつけて、怪しげな財団を作らせ、わけのわからない事業の予算を配分し、左翼全盛だった。だが、庶民は途端の苦しみに落ち込んでいた。
起死回生のためには軍事産業を活性化させる。そのためには第二次世界大戦の勃発はアメリカにとって最大のチャンスともなったというのが、おおむね正しい歴史の見方だが、米国左翼はFDR(注:フランクリン・デラノ・ルーズベルト)を高く褒めている手前、絶対にこの見解には同意しない。


 それはともかくドリス・カーンズ・グッドウィン女史が続ける。
 戦闘機を短時日裡に5000機つくるなんてまともな要求ではない。けれどもピアノ工場は飛行機のモーターを、タイプライター工場はライフルを、絹織物メーカーはパラシュートを作ったように、戦闘機製造を挙国一致でなしとげ、企業はそれぞれが変貌した」

 なるほど、この文脈ならトランプがGMに人工呼吸器の製造を命令した理由も分かる。
政府と企業が一体化すれば、大規模な戦争継続能力が保持できる。だとすれば、「いまのアメリカはそうするべきでしょう」(ドリス)。

 「大不況で国家が崩壊するという不安が拡がっていった。その恐怖心理を回避し、国を一本化して経済を立て直すという大目標がFDRにはあった。だから国民は信用し、託した。それがリーダーシップです」と彼女はTIMEのインタビューで総括しているが、ある意味で正鵠を得ていると言える。

 歴史の表面をなぞれば、ドリス女史の言っていることに一理あるのだ。
しかしFDRの歴史観、世界観が間違っており、対日戦争を謀略でしかけた背後にホワイトハウスがコミンテルンのスパイで乗っ取られていた事実などは、アメリカ人歴史家らしく、一切無視している。この議論は措く。

トランプ政権がこれから立ち向かうべきは、このコロナ戦争を契機に景気活性化に大胆な舵を切れるか、どうか。
対策を一歩間違えると再選の可能性は薄まるという意味で、しばらくは薄氷を踏む日々が続くだろう。
 
     □◇み◎○△□や○△□◇ざ◎○△□き△□◇◎   

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日本語、このふにゃふにゃした言葉はなんなんだろう 
Tuesday, March 31, 2020, 12:13 AM
 朝日新聞の書評で、私の敬愛するドナルド・キーンが紹介されていたのでメモ代りに転載しておきます。

ドナルド・キーンは日本語が読めたため太平洋戦争では前線の情報兵として働き、戦後はコロンビア大学で教鞭をとります。
コロンビア大学はもともと諜報・情報将校を育成するための学校でした。

キーンの生い立ちから文学者との交流は多くの書籍として刊行されているので、読書階層(Book reader class)はどれかを一度は目を通しているでしょう。

私がドナルドキーンを推すのは、なんとなく倒錯した感覚を覚えて若い人たちがが文学に興味を持つことを期待しているから。

日本の小説をアメリカ人が解説するというのは、違和感を覚えるでしょ?

キーン氏もアメリカ人が古典から現代文学を解説することが、日本人には大きな戸惑い(困惑)を誘導することをある程度見込んでいたと思います。
そして、それだけを武器にメディアで取り上げられることを計算していたと思います。

ドナルド・キーン氏はすごいなあと思うのは、三島由紀夫や川端康成といった文芸界の大御所らと互角に文学論を語ったということです。
まったく気後れがない。
なぜならキーンの探求する真摯な熱意がすごいから。

俯瞰できる者が最高の知識人なのだ



子供の頃、研究対象に深い愛情と熱量さえあれば、人種国籍には関係ないのだなあと感心しました。
現代用語の一言で斬ってしまえばギーク(geek)つまりオタクなんです。

でもアメリカ人の日本文学研究者という異質さを最大に利用し、そして我々日本人に再認識の機会を与えてくれたことに、私は敬意を払います。

新潮選書は、読んでみたいね。たぶん買うでしょう。読書階級には必読だと思います。

さて、この記事でキーン氏は「想像力の源である不完全なものを好み、ぼかしに象徴されるようなあいまいなものを面白がる日本人の特性や美意識について熱く語っている。」と評しています。

キーン氏は日本語というふにゃふにゃ言語を愉しんでいる?



アングロサクソン系言語圏の人からみれば、そう感じるのかもしれない。なぜなら”(神との)契約”という概念が根本にあることに対し。言霊(ことだま)という概念がある国があるということ自体が面白かったのでしょう。

でも、自分は婉曲(えんきょく)を美徳とすることには少々いらいらします。

日本の法律や公文書など、身近なものは契約書なども含めわかりづらいことこの上なし。

そしてばかげた言葉狩りですよ。言葉を変えれば好転するという根拠なき信仰です。
キリスト教圏からみれば、ふにゃふにゃした朝三暮四の土人言語なのだなあと思っています。

そしてこれを最大限に”悪用”しているのが古くは卑弥呼ら政(まつりごと)にたずさわる神官であり、いまは霞ヶ関の官僚。

契約という概念がベースの法律を基準とする西洋と言葉のイメージを重視する独特の感覚の日本人。

イメージを重視するので、日本語は読み手(聞き手、受け手)にも同属性を要求するのです。

この同属性(コモンセンスを共有すること)を強要させるのが、日本語の強みであり、悪いところ。

マジ、超ヤベえ、うざ、これだけで会話が成立する世代とは100%交流できないことが証左です。

過去ログ
鬼・怒鳴門さんのコレクション
ドナルド・キーン「百代の過客」は中学生のときに新聞で読みました
歴史の時代区分は無意味である − デモクラシーの生と死(ジョン・キーン著) 
「連合国戦勝史観の虚妄」(ヘンリー・スコット・ストークス)を早速読んだ


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