自転車は大人でも練習をしないといけません 
Monday, August 4, 2014, 11:25 PM
ちょっと腹が出てきたからとか運動不足でメタボリックと会社から指摘されたから何か運動でも始めるかと、流行の自転車を買って、さあこれからサイクリングで痩せるぞという方がけっこう見受けられます。

始末悪いのは定年でやることないからと乗り始める人です

自転車といってもお買い物自転車(通称ままちゃり)しか乗ったことがない人が、いきなりスポーツ車とよばれるタイヤが細く、がっちりとした自転車に跨ると、その爽快感にとりこになってしまう人も多いです。

なんたって同じ漕ぐ力でも、すーっと走り出すし、信じられないぐらいスピードが出ます。

でもね、自転車を買ったらまずしてほしいことがあるのです。

それは基本練習

過去ログ:体幹トレーニングを習慣にする(暇つぶしのトレーニング)


んなアホな自転車なんてガキの頃乗り方覚えれば十分や(なぜか大阪弁)

そんな風に思っているいい歳こいた大人が多いのです、というか大部分です。

それじゃあ

ゴルフクラブを揃えたら、いきなりコースに出かけますか?

スキーやスノーボードの用具を揃えたら、いきなりゲレンデの頂上に登りますか?

スキューバダイビングの用具を買ったから、さっそく海辺でもぐりますか?

そんな奴はいません。

だけど自転車に関してはなぜか、スポーツ自転車を買ったとたんにいっぱしの自転車乗りになったつもりになるのです。

わたしからみればスキーやサーフボード、スキューバダイビングの用具と同じように、ロードバイクもおなじスポーツ用具でしかありません。

サイクリングはスポーツなのです。

スポーツである以上はテニスやゴルフなどと同じように日々の基礎練習が必要なのです。

その代表的な練習は『8の字』という練習です。スラロームともいわれています。

これをできるだけゆっくり、止まるか止まらないか程度のスピードで8の字を描くように走る練習。



簡単そうに見えるでしょ。これはプロのデモンストレーションだからそう見えるだけ。

拾ったペットボトルは空き缶を目印にでも置いて、慣れたら少しずつ間隔を狭めていきます。

これを傾斜のあるところでやれば、ブレーキの練習にもなりますし、片手でできるようになればさらに難しさはアップします。

オートバイでも自転車でも、まず最初に徹底的に練習するのは、この8の字であって、そして上級者になっても8の字練習を欠かしません。

きっちりできるのは本当に難しい。

スピードコントロール、体重移動、バランスすべてを要求されるからです。

これを数十分やるだけでも本当は汗だくになるのです。

オートバイや自転車の初心者ほど、このような練習を無視したり軽視する傾向があります。

止まらない、曲がらない、倒せないという本来は道路で走っちゃいけないレベルでありながら、公道で40km50kmといったスピードで走るのは危ないとしか言えません。

今のスポーツ自転車はちょっとした下り坂でも、ものすごいスピードがでますよ。

そういう怖さを知らずに、自転車買っていきなり走り出して、痛い目にあったり、周囲に迷惑をかける人が急増しているのです。
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「実学」とは江戸末期に使われ始めた儒学に対する西洋学問体系を示す隠語である 
Monday, August 4, 2014, 07:25 PM
8/4 晴 10時 浅草での空間線量は22ベクレル/立法メートル

今日も暑くてひきこもりです。引き籠もっていても暑いのですが。

図書館で崋山・長英論集(岩波文庫 1978年)という文庫本を借りて読んでみました。
それって誰?俳優さん?

ちがいます。

渡辺崋山と高野長英の書簡集です



天保10年(1839年)蛮社の獄という言論弾圧事件があり、そこで蘭学者達がご政道に批判的であるという理由で渡辺崋山は切腹、高野長英は拷問で殺されたのです。

渡辺崋山は三河の田原藩の重臣であり、西洋画風を取り入れた絵師でもあり、高野長英は町医者です。この二人は蘭学という共通の対象で師弟関係というかスポンサーと研究者(学者)といった関係です。

いつから「実学」という言葉が使われているのかという調査で手にした書籍です。
この本では

一八三八(天保九)年三月、江戸参府に来たオランダ商館長ニーマンとの対談の模様を記した渡辺崋山の「鴃舌小記・鴃舌或問」で「実学」という言葉を使っているだけです。
他では「蛮学(蘭学)」と記しています。

「鴃舌小記・鴃舌或問」は蘭学者や当時の知識層がそれぞれオランダ商館長ニーマンに質問をして、その回答を崋山が記したものと言われています。そしてこの内容が幕府批判的であるという理由で切腹させられます。

高野長英の書簡では実学という言葉は見つかりませんでした。そのかわり、「西洋学師ノ説」では簡潔にヨーロッパ哲学の体系が記述されています。この書は蛮社の獄で連座させられることを恐れた長英が隠したといわれています。

儒学者達に徹底的に弾圧された蘭学者たち



混乱しつつある江戸幕府は統制を強化するために、儒学をより振興し蘭学を敵視しました。

1839年に蘭学者の一斉手入れがなされて、ある者は逃亡、ある者は自害、ある者は拷問と蘭学を根絶やしにするという愚策が行われました。

1841年に熊本の横井小楠は33歳にして藩校時習館に反旗を翻すように「実学党」という研究グループを結成します。

ここで「実学」という言葉が世の中に知られるようになるのです。

私の大胆な推測を申し上げると、

「実学」とは役立たずの儒学を小馬鹿にした蘭学研究者達の隠語


なのです。

渡辺崋山が実学という言葉を使ったのも、同じ蘭学者同士の集まりでついついメモしてしまったのです。江戸幕府への正式な書簡では「蛮学」と書かなくてはならないのですが、なんたって「鴃舌或問」は同士達のやりとりのメモですから。

「実学」という言葉を聞いただけで、儒学中心の藩政、幕政の上層部は「うぎぃ〜」と歯ぎしりするほど嫌がったでしょう。

儒学に対して実学とは自分たちの立場を危うくする危険な思想だと見られていたのでしょう。

私の結論を繰り返すと、「実学」は儒学を小馬鹿にした知識層(インテリ)たちの隠語であるのです。

「実学」を国語事典でひくと、社会に役に立つ学問とか実践的な学問といったもので、人文学や哲学はあたかも実学じゃないような記述があるものさえあります。テクノロジー(技術)の同意語のように扱っているものもあります。

三流大学のパンフレットなどでも「実学重視の校風」とか「実学主義」という文字が躍っています。

馬鹿でも入れる専門学校なみに頭の悪いキャッチコピーだと思います。

実学という言葉を教育で多用したのは、福沢諭吉であり、慶応義塾です。

福沢諭吉の教えを塾生の藤田茂吉が『文明東漸史』(1884年:明治17年)という本で江戸時代からの西洋思想・学問体系がどのように日本に入ってきたのかを記しています。

この本では実学という言葉が多用されています。

明治中頃に「実学」(=西洋学問)という隠語が市民権を得た



33歳と若い横井小楠は蛮社の獄という言論弾圧事件に怒り、既存体制への不満をぶつけるように「実学党」という名前を自らの集まりに付けたのです。

実学とは当時儒学で凝り固まっていた藩政への当てつけのような隠語なのです。

だから当大学は実学主義ですとか、実学重視ですということは、反体制派です!と江戸時代では広言しているようなものです。

実学とはユニテリアニズムというキリスト教に科学的な接ぎ木をした学問体系



だから実学主義とか実学重視と謳えるのは、明治期に創立された大学でしかないです。しかし現在、真の「実学主義」である大学など皆無でしょう。教授もその卒業生も馬鹿ばっかりだから(笑)
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リバタリアンを理解したければ『大草原の小さな家』(Little House)を観るべし 
Saturday, August 2, 2014, 12:58 PM
8/2 晴 10時 浅草での空間線量は26ベクレル/立法メートル

あっちっち、部屋の中でも汗だくです。

70年代後半から80年代にかけて放映された『大草原の小さな家』は人気のあったドラマです。私も家族で毎週土曜日にはかならず観ていました。

ローラの目を通したイングランド系アメリカ人開拓者の家族の話です。家族愛に基づくたわいのないエピソードばかりなのですが、思春期らしい話や姉メアリーの失明、レイプ、人種差別といった重い話もあり、ローラが結婚してワイルダー家へと話がつづきます。夫アルマンゾの災難でたくましく生きるローラとしてシリーズは終わります。

大草原の小さな家の時代は、日本ではちょうど明治維新(1868年)頃です。

以前津田塾に交換留学で来ていたウィスコンシン州(ミズーリ州だったかな)といった中西部から来ていた若い女の子(19歳)に「大草原の小さな家の舞台の州だねえ、大好きだったよあのドラマ」と話しかけたのですが・・・まあ今でも有名ですねといった程度であんまり話は盛り上がらなかったorz

ティンネージャーだからでしょうが、アメリカ人は大草原の小さな家の風景を憧憬しているものと思っていましたが大きく肩すかしです。

逆に我々も『おしん』の世界を外国人から押しつけられてもむにゃむにゃとしか言えないのと同じですけどね。

大草原の小さな家はリバタリアンという生き方を描いている



私も副島隆彦先生も『大草原の小さな家』でリバタリアンに共鳴を覚えました。
リバタリアンとは一言で言うと「アメリカ開拓と独立の精神」です。

家族と共同体を大切にして、自分たちで解決するという考え方です。ローラの回想録として『大草原の小さな家』が出版されたのは1932年(昭和7年)です。

ときはちょうどルーズベルト大統領がニューディール政策で大規模公共事業を始めた頃です。この経済政策は現在では景気浮揚策としては効果はなかったと判断されています。事実、アメリカの景気回復は第二次大戦後からです。

ローラ・インガルス・ワイルダーと娘ローズは徹底して政府の関与を嫌い、反ルーズベルトだったようです。

ローラにつづくリバタリアンの教科書としてはアインランド(Ayn Rand)が挙げられます。水源『水源』(The Fountainhead、1943年)『肩をすくめるアトラス』(Atlas Shrugged 1957年)が代表作です。

『大草原の小さな家』はまさに明治時代ですし、アインランドは戦前戦後にわたる企業小説です。21世紀の今読むと、同時期の日本と米国では、市民・企業家の意識が違うことがよくわかります。

日本は『おしん』のように社会制度には不満があっても「忍び耐える」
一方リバタリアンは「自分たちで決める」ということ。

新聞記事でわかったことは、ローラ・インガルス・ワイルダー(1867-1957)そして娘のローズ(1886-1968)、ローズの孫のロジャー・マグブライドにいたってはリバタリアン党で大統領候補として出馬していることも知りました。

リバタリアン党はローラ・インガルス・ワイルダー/ローズ・ワイルダー直系であったということだったのです。


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坂本龍馬が北進一刀流の免許皆伝者なんて嘘っぱち 
Friday, August 1, 2014, 02:06 PM
8/1 晴 10時 浅草での空間線量は26ベクレル/立法メートル

本屋には坂本龍馬に関する書物があふれています。

いろいろ手にしてみると、現在の小説ドラマで描かれる人物像は大正時代にとつぜん湧き起こった龍馬研究ブームで、ある研究者が剣術の達人として龍馬を英雄のように持ち上げたことが虚構の始まりであると最近の多くの書籍で指摘されています。

安政3年(1856年)22歳の龍馬は二度目の江戸留学で千葉道場で剣術修業をしていたとされます。
根拠は『北辰一刀流長刀兵法目録』という龍馬の遺品だけで免許皆伝した剣の達人とされました。

ところが、長刀(ながなた)は日本刀ではなく、「薙刀(なぎなた)」のことであって、しかも「兵法目録」とは受講修了書みたいなものなのだとか。

ついでに言えば、北進一刀流の薙刀のいろはの「い」(初級コース)を納めましたといった程度なんだとか。
おまけに千葉周作の娘(佐那、里幾、幾久)も連署しているという普通では考えられない(正式とは思えない)目録なんだとか。

龍馬は周作の娘たちと仲良く薙刀の稽古をしてました



若い年頃の娘と若い龍馬は薙刀稽古に励んでいたということ・・・・うらやましい!
これ以外に剣術の腕前に関する信憑性ある古文書はないのです。桂小五郎を剣術試合で打ち負かしたとか優勝したとかいう古文書は後世の捏造なんだそうです。

道場主の千葉周作と弟千葉定吉が千葉家に婿入りしてねという意思表示であったという解釈が妥当です。相当気に入られていたのですね。

龍馬は山内容堂の命で軍艦操練所に派遣されていた



松田智幸氏という郷土研究家によって平成12年(2000年)に高知で発見された古文書の土佐藩公文書の写本、そして龍馬の手紙では江戸遊学では一回目は高島流砲術を習い、二回目は築地の軍艦操練所に派遣されていたのです。(月刊歴史研究で発表済み)

勝海舟を龍馬は斬りに行って、逆に感化されてしまった・・・こんな三文芝居は司馬遼太郎の作り話!

一回目の江戸遊学で佐久間象山一門に加わって、西洋砲術や弾道計算や設計、オランダ語、英語を習っているのです。

そして黒船来航で藩命で軍艦操練所に遣わされたのです。

龍馬は土佐藩きってのエンジニアであった



だから剣術の腕前もへっぽこすぎて、千葉周作の娘と薙刀しか触らせてもらえなかったし、龍馬も女の子とたのしく稽古をしたというチャラい男(笑)なんです。

勝海舟は佐久間象山の門弟であり、妹を嫁にもらっている義弟です。だから勝海舟と龍馬は同門であって、面会はなごやかに行われたに過ぎません。

ではなぜ勝海舟は「才谷梅太郎は俺を斬るためにやってきたが、俺が説得すると改心した」などというデタラメなホラ話を晩年に述べたのでしょう。

土佐藩は公文書から坂本龍馬(才谷梅太郎)に関する記述を焼却した



土佐藩に残る「士年譜」は安政3年〜5年の間がきれいに抜けているのだとか。つまり士を倒幕の工作員として遣ったという黒幕であるという疑惑が残ることを恐れたのです。

姉の乙女に宛てたたくさんの手紙が遺されています。「日本を洗濯し候」という有名な一文がありますが、当時は郵便制度がありませんから、脱藩の浪人が手紙をひとつ送るのでも大変な費用と手間が必要でした。

土佐藩専属の飛脚が江戸と土佐を走り、そのついでに私書を届けてもらっていたという説があります。

山内容堂/後藤象二郎への報告をこまめにしていた



自分の姉に消息を知らせる手紙も報告書に重ねて飛脚に渡していたのです。お城の途中で自宅にも寄って母親がわりの姉に渡してねと飛脚にお願いしたのでしょう。

拙書「フリーメイソン=ユニテリアン教会が明治日本を動かした」( 副島隆彦、 SNSI)でも書いていますが

千葉道場とは江戸幕府の諜報機関であった!



江戸幕府が諸藩の動静と調べるには藩士が集う江戸の剣術道場が都合がよいので、江戸お玉が池の千葉道場はうってつけです。

江戸城下にあり、九段下の蛮書調所(ばんしょしらべしょ:海外研究機関で後の開成所、東大の前身)も近くです。

横井小楠の朋友である徳川幕府重臣の大久保一翁が所長です。そして弟子が勝海舟です。

坂本龍馬は勝海舟は佐久間象山一門の兄弟子であり、勝の連絡係として活躍しています。

大久保一翁も勝海舟も維新後は内幕を一切語らずに世を去った



千葉道場に通っていたのは渋沢栄一や福沢諭吉もいます。

千葉道場のそばには慶喜派外国奉行の重臣、川路聖謨(かわじとしあきら)が住んでいました。(現在の住所、岩本町2−7には川路邸と種痘所跡の碑が残っている)

このように千葉道場を単なる町の剣術道場と見るのは間違っています。工作機関の表看板であったにすぎないのです。

なぜそんなものが必要であったのか?

現在でもアメリカは直接指令をださずに、CSIS(戦略国際問題研究所)という民間母体をつかって日本の内政干渉をしているじゃありませんか。CSIS(戦略国際問題研究所)の実態は米軍の軍事戦略研究とその実行部隊です。

官製ではなく民間であるほうが都合がよいことは昔も同じこと。

坂本龍馬は千葉道場での修業を表向きに、大久保一翁からの指令で軍艦操練所の勝海舟との連携を練っていたのです。

すべて横井小楠の思想(公議体勢への変換、貿易による富国強兵策)が下敷きとされていました。


参考サイト:http://www.ten-f.com/ryoma.html
龍馬が安政五年正月に授与された免許に関してのことで、彼の遺品として残されている北辰一刀流の目録が『北辰一刀流長刀兵法目録』のみである、という点です。この「長刀」という言葉は、従来「短刀」(小太刀)に対するものであるとされていたのですが、実際には「薙刀」(なぎなた)を指す文言であると言う解釈です。要するに「龍馬が受けた免許皆伝は薙刀に関するものだけなのだから、その剣の腕前は大したものではなかった」のだ、という見方に立った人たちの傍証となっている訳ですが、龍馬が敢えて千葉佐那が連署している長刀免許を大切に保管しようとしていたからこそ、その目録だけが後世に伝えられたと考えることも可能です。実際、後年彼は若き日の陸奥宗光(むつ・むねみつ、1844〜1897、「三国干渉」の時の外務大臣)を評して『弐本差し(刀)でなくても飯が食っていけるのは俺と陸奥の二人だけだ』と語っているほどですから、自分が修行した剣術(刀=武士)の世は既に時代遅れの代物になっているという強い意識が龍馬の中にはあったのです。ただ、当時としては異例の免許目録への佐那の連署は、千葉家が家ぐるみで龍馬を迎え入れたい、という意思表示だったからこそ、龍馬は「長刀目録」を大切に保管していたと想像してみたいのです。(免許皆伝とも言える「目録」に、女性が道場主に並んで名前を書き入れるということは当時の慣習として極めて異例)もっと言えば、剣の修行を積み重ねたからこそ、剣(古い体制、考え方)では世の中を変革することは出来ないのだ、と確信し得たのではないでしょうか。事実、彼は、その生涯で実際に剣を抜いて戦ったことは一度としてありませんでした。


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中国への進出企業は人質も兼ねた権力道具(マクドナルドの見せしめ処刑) 
Thursday, July 31, 2014, 12:40 PM
7/31 晴 10時 浅草での空間線量は26ベクレル/立法メートル

米マクドナルドの100%子会社である鶏肉加工会社のひどい実態があばかれ、中国国内では実質マクドナルドが開店休業状態です。

ハンバーガーは良くも悪くもアメリカ文化の象徴的存在です。

とばっちりでKFC(ケンタッキー)も被害甚大で、中国政府の意趣返しは大成功です。

意趣返しとは南シナ海から石油掘削リグを撤退を余儀なくされたことにほかありません。

右翼の大御所・宮崎正弘氏(三島由紀夫の一番弟子)のメルマガでは共産党の政治的動機で用意周到に仕組まれたものであるという見解を示しています。
関連Web:
「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」平成26年(2014)7月31日(木曜日)弐
期限切れ鶏肉をつかってマック、KFCの経営被害は甚大だが
   このキャンペーンは中国の外国企業排斥が基本の動機ではないのか

(宮崎正弘氏のメルマガから抜粋)
米系企業をとっちめるのは、その背後にもっとどろどろした政治的動機がある。つまり、シャングリラ対話、米中戦略対話で、米中はアジアの安全保障をめぐって激論、中国は四面楚歌となり、完全に米中関係が破綻している事実経過となんらかの関係がある。

 ベトナム沖で掘削を続けたCNOOC(中国海洋石油)は、海洋リグを撤去した。これを中国軍は屈辱と感じており、米国への報復をとんでもない方向からやらかした、とみると整合性がでてくるだろう。

 さらに穿った見方は、この米国企業は進出のさいの諸手続きや認可に関して江沢民派の世話になった。江沢民派をコーナーに追い込む習近平政権にとって、これは戦闘開始の信号でもある、という。



私も腐敗鶏肉事件は、アメリカへの報復として使うべくタイミングをあわせて公表されたと思います。

米国企業の生殺与奪は俺たちの手中にあるんだぜ



とアメリカに示すためにとられたとても効果的な手段だと言えます。またアメリカ資本企業への反米感情・信用必衰という感情を国民に植え付けることができます。

また摘発された企業は江沢民派なのだそうです。周近平政権にとって財力のある江沢民派を弱体化しておかないと、自分の立場が危ない。


周近平は周永康を失脚させて江沢民派の石油利権を人民解放軍へ渡しました。

「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」平成26年(2014)7月30日(水曜日)
 周永康一味の完全失脚で次の標的は江沢民
  習近平の権力闘争のすさまじさは到達点がみえてきた

(宮崎正弘氏のメルマガから抜粋)
周永康の失脚が正式に発表されたが、これにより江沢民系の石油派は壊滅である。石油派の三大拠点のひとつ「中国海洋石油」がベトナム沖から海洋リグを撤退させたのも、背後に軍と石油派の利権争奪戦があるようで、言い換えれば、旧江沢民系から石油利権を取り上げたものの、実際の三大メジャーの実権をそれなら習近平が掌握したかといえば、そうは断言できない。
(中略)
つまり、これまでは江沢民派+太子党の「連立政権」だったが、これからしばし「習近平主導の太子党」+前胡錦涛派の「連立」になるだろう。

 最終的な権力闘争は、つぎに江沢民一派が牛耳る「通信利権」に矛先が向かうと考えられる。 


次は通信会社がお取り潰しになりそうです(笑)



どうぞやっちゃってください♪ 楽しみにしております。

副島隆彦先生は、中国への進出企業は人質として扱われ対外交渉の切り札として使われるだろうと言われていました。

中国から撤退する企業は経営者は身ぐるみ剥がされるか、殺されて丸ごと乗っ取られるのだという経営者の声を聞いています。しかし需要のない国内に留まるのでは立ちゆかないから、乾坤一擲、不撤退の覚悟で行かざろうえないのだと訴えていたそうです。

このように企業の進出で15万人が長期滞在者として中国大陸にはいるそうです。

企業進出・留学などで15万人の邦人が人質になっている



このうち何%か何割になるかはわかりませんが、腐敗鶏肉事件のようにじわりじわりといじめて追い出していくでしょう。
政治権力闘争の一環の面もあるから、日米との外交問題の進展に関係なく、

中国が進出企業を虐める体質は永久に変わらないようです


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CSIS(戦略国際問題研究所)の設立母体はイエズス会であった 
Wednesday, July 30, 2014, 11:37 AM
7/30 晴 10時 浅草での空間線量は25ベクレル/立法メートル

今朝の朝日新聞にはハワイにある太平洋戦略を研究するパシフィックフォーラムCSISの所長・ラルフコッサという人物への環太平洋合同演習(リムパック)に関するインタビュー記事が掲載されていました。

中国軍を演習に参加させた理由として、中国の「オズの魔法使い」効果をアジア周辺国と中国自身に気付かせるためだと説明しています。

「オズの魔法使い」という比喩は、巨大な魔法使いだとみんなが思っていたら、スクリーンの裏では小男がスクリーンに影を投影していたという意味です。

中国が南シナ海や東シナ海で米国同盟国を標的にするような行動を起こす理由を、米国の衰退を世界に印象ずけるためと米国(の国防省)が結論づけた場合、米国は強硬な態度を取らざるを得ないと答えています。

さて、このCSISとは新聞政治面ではよく出てくる団体です。また日米関係の本を読めば必ず出てきます。

ちょっと知っている人は小泉進次郎の留学先であったことはご存じでしょう。
カウンターパートとしての活躍を任される官僚や政治家の留学先(教育機関)という役目もあります。


民間シンクタンクと紹介されていますが、米国軍直系の軍事戦略の研究部門、同盟国(属国)への伝達を出す司令部です。

日本政府ならびに議会工作・世論操作を行う米国の実行部隊であり、その手先はジャパン・ハンドラーと呼ばれています。そのジャパン・ハンドラーと連携して動く日本サイドをカウンター・パートと言います。

小泉進次郎はCSISのカウンターパートです。

他にも政治家では民主党長島昭久、そしてCSISべったりの新聞といえば日本経済新聞であることはよく知られています。
総理大臣でさえ頭を下げるのは、CSISの副理事長マイケルグリーンです。政治家の間ではグリーン詣(もうで)でと言われているとか。

WikipewdiaでCSISの日本語説明を読んでみたら
沿革
元々はイエズス会神父、エドマンド・アロイシウス・ウォルシュ(Edmund Aloysius Walsh、1885年10月10日 - 1956年10月31日)によって、1919年にジョージタウン大学内に、「エドマンド A. ウォルシュ外交学院」(Edmund A. Walsh School of Foreign Service、略称SFS)として創設された組織が改組されたものである。エドマンド・ウォルシュは地政学者カール・ハウスホーファーの弟子であり、その学問をアメリカに移植することを目的とした組織であった。


おいおい、そうだったのかぁ〜

CSISの設立経緯は130年前にイエズス会がアメリカで設立しており、バチカン(法皇)による支配のための工作機関であったのです。

イエズス会とはカトリックの一派ではなく、バチカン直属の宣教(洗脳)実行部隊(エヴァンジェリスト)であり、領土拡大を信条とする武闘派組織です。従属国の背後にはかならずイエズス会が控えています。

Q:だれがイエズス会を創立したの?
A:原型を形作ったのはペテロ(初代ローマ教皇)です。


イエスの教えである救済・慈愛の精神をねじ曲げて勢力拡大の方針に向ったのがペテロであると私は捉えています。

この組織の成り立ちからわかるように、アメリカ自身もバチカンの支配下にあるのです。

同じキリスト教であってもユニテリアンやユニバーサリストといった教義や戒律に縛られない流派とも対立状態にあるのです。

アメリカ建国の精神を引き継ぐリバータリアン思想も本来はこっちなのですけども、政治勢力ではティーパーティ(茶会派)はいまだ泡沫勢力です。

アメリカの覇権主義はローマカトリックの主義そのもの



つまり

現代におけるイエズス会=CSIS(戦略国際問題研究所)である



関連ログ:日本を動かす黒幕マイケル・J・グリーン 集団的自衛権とはずばり”日米軍事同盟”のことである
バチカンがユダヤ人を矢面にしてアメリカを支配しているという宣教師の主張
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人も食料も工業生産物もすべて消費財(コモディティ)となった 
Tuesday, July 29, 2014, 01:21 PM
宮部みゆき「ペテロの葬列」のドラマがとても面白くて毎月曜を楽しみにしています。

まずタイトルが興味深い。

財閥企業の会長の婿の主人公(小泉孝太郎)がバスジャックに遭い、その死んだ犯人から慰謝料として金が送られてきたことから話が始まります。

犯人が三悪人として名を挙げた人物はなんなのか。

事件のヒントに自己啓発会社を社員教育で使ったことが発端となっています。

悪徳商法、詐欺商法、マルチ商法へと自己啓発の残党が関わっており、主人公の女上司も若い頃に社員教育で受けた過激な洗脳の傷が残っているのです。

自己啓発や能力開発セミナーはカルト洗脳とまったく同じ



私も体験したことがあります。そして何度も通ううちに、人はこうして根拠無き願望へ依存するようになっていくのだなと気付きました。

願望も陳腐でありふれたものを刷り込まれるのです。家や高級車、ヨット、社会的地位、海外旅行などの贅沢、そして願望成就の暁には貧困国や難民といった「弱い人々への支援という偽善」も姑息にセットされて背徳心が沸かないようにされます。

壇上に立つ成功者と紹介される詐欺の片棒



「ペテロの葬列」では会長が社員教育で導入したSTという自己啓発教育が大きなあやまちであったことを主人公に吐露します。会長は主人公に以下のような台詞を吐いています(うろ覚えです)

「研修会社の社員や、そのトレーナー達の目は人間の眼じゃない、すべてはモノとしか見ていない!」
「研修を受けた社員達の目も同じようになった」
「結局、自分自身も対人関係も、仕事も自分本位なモノとしてしか見られないような、どうしようもない人間になっていった」

私もそう思います。

私はクリスチャンではないので詳しくはないです。イエスが磔刑されたあと、教団を率いたのが使徒のペテロです。
そしてカトリックでは地方の新興宗教を現在のような世界宗教にまで拡大したのもペテロの功績だと言われていることは知っています。

ペテロがイエスの教義を都合良く改竄して盤石な権力・集金システムをつくりあげた



私のペテロという人物をこのように見ています。
現在では創価学会の池田大作みたいなもんでしょうか。

話を戻すと、宗教でも企業でもグローバル化していくと、人間もコモディティー化したのでしょう。

コモディティー(消費財)って何かというと、使い捨てのボールペンや100円ライター、トイレットペーパーのようなもの。
どこで買ってもおなじだし、捨てたって惜しくもないものです。

耐久消費財という言葉は現在では死語なような気がします。モノもヒトもグローバル経済下では等しく無価値ですから。

使い捨て文明なんて消えてしまえ。使い捨て人間も・・・
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福島阿武隈地方を旅行する(3) 牛が食べる土:数千万年前の海底土の地層 
Tuesday, July 29, 2014, 11:22 AM
7/29 晴 12時 浅草での空間線量は22ベクレル/立法メートル


福島県石川郡には日本にはここしかないだろうという地層が露頭しています。

灰色の砂岩です。脆いのですぐに崩れてしまいます。

※八幡礦業(株)さんの採掘地なので勝手にはいることはできません

この白っぽい土はなにかというと
採掘者の八幡礦業(株)さんでは「軟質多孔性古代海洋腐植質」と表記されています。
http://www5.ocn.ne.jp/~yahatako/index.html

この会社では土壌改良材ミネグリーン、飼料配合剤ミネグレットという商品名で販売しているそうです。Webで検索すると他社ではミロネクトンという名称で化粧品基剤として販売されているようです。

ここでしか採れないプランクトンの化石なのです。

発見の話が面白いです。

八幡礦業は元は牧畜業だったそうで、牛を放牧すると、一心にあるところの土を食べていくといることに気付きました。
その土壌が今の採掘地です。

この土を畑に撒いてみると好結果があるために肥料として販売する一方、人間の胃腸にも水にとかして飲んでみると凄く良いことが自ら体験してわかったそうです。(この会社ではコップにスプーン一杯ほど入れて飲んでます)

石川は水晶や長石といった石英成分が多い土地です。この土壌もほとんどが硅素(ガラスの原料)です。100%&ミネラル(無機質)なので常識では栄養とはならない。しかし牛や豚は喜んでなめる囓る。この土地で作られた米は水質が良いのでとても美味しいのです。

別の会社の採掘跡にも寄ってみました。

ここはもう少し時代があとの貝殻の地層です。阿武隈山系は海底が隆起してできた地帯であることがわかります。

横を流れる川の岸でも貝殻の地層を見ることができます。ちょうどこの地層に沿って川が流れているために、川底では化石がたくさん見つかります。恐竜の骨が見つかったのもここだったかな。



とりあえず今度石川郡によったら、「軟質多孔性古代海洋腐植質」の小石を拾ってきて、たまにガリガリ囓ろうと思ってます。

過去ログ: 福島阿武隈地方を旅行する(2) 地下資源と原爆研究(二号研究)の関わり
福島阿武隈地方を旅行する(1)
人の行く裏に道あり花の山 (川内村は岩魚・山女魚の宝庫)
川内村に獏原人を捜せ!(その後の福島紀行)
福島阿武隈地方を走り回ってきました

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撃墜されたBoeing777 MH17は消えたMH370である 
Monday, July 28, 2014, 03:18 PM
7/28 晴 12時 浅草での空間線量は22ベクレル/立法メートル

昨晩ふと思ったのですが、ウクライナで撃墜されたマレーシア航空MH17便は、本当はMH370便の機体だったのではないかという疑念が突然湧き上がりました。

MH370はイスラム過激派にハイジャックされたことにして、ウクライナでは民間機撃墜という冤罪をロシアにかぶせるために利用されたのではないでしょうか。

ウクライナでの民間機撃墜事件が、なんか段取が良すぎてアメリカメディア(CNNといったシオニズム企業郡)が騒げば騒ぐほど、しらけて茶番のように感じます。

過去ログ:報道されないDiego Garcia シンガポール機はそこにあるのだろう

同じ事を感じている人々は世界にけっこういるようで、シンガポールMH17便とされている残骸の写真が、行方不明となっているMH370に極めて酷似していると指摘しているサイトがあります。


http://beforeitsnews.com/conspiracy-theories/2014/07/mh17-is-mh370-the-proofs-all-here-2464324.html

マレーシア国旗とめくら蓋された窓枠の位置関係に注目してください



MH-17は国旗端は窓あたりであるのですが、墜落機では端はふたされた窓あたりです。
撃墜されたMH-17は本来のMH17機ではないことは一目瞭然です。

戦争にはちゃんとプロセスがある



戦争とはいきなり始まる物ではありません。戦争とは段階を経て実行されるのです。

紛争(confrict)から事変(incident)となり戦争(war)、和平交渉(peace negotiations)という4段階が国家戦争の一サイクルです。

現在のウクライナは紛争の状態です。

イスラエル・モサド(とCIA)の工作であることはバレバレですよね



ただしPhotoShopで加工された偽情報という疑いもあります
この手の匿名の書き込みを信じることは私はできません。あくまでも自分の直感です。
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住宅ローンで固定金利が変動金利よりも良いとは限らない(銀行の騙し) 
Sunday, July 27, 2014, 11:15 AM
7/27 晴 10時 浅草での空間線量は18ベクレル/立法メートル

昨日は東京新橋のヤクルトホールで第8回副島隆彦の金融セミナーが行われておりました。
私も横で聴講しておりました。


この講演会は世界の金融情勢から市場の解説、今後の投資対象、また相続や税対策とお金に関するお話しかありません。全国各地から大勢の聴衆者が参加されております。

小企業の経営や土地を持っておられる方が多いと思います。副島先生が質問には1人1人明確に答えられております。

世界情勢と金融市場の関連のお話はさすが副島隆彦先生の独壇場です。

5年前に中央アジアで世界金融センターの登場を予言していた



BRICS開発銀行は先日ブラジル・ロシア・インド・中国・南アフリカの5カ国の資金供出で創立されました。

過去ログ:BRICS開発銀行設立による脱ドル化は成功するか
ASEAN経済共同体(AEC) 2015年スタートの衝撃
キプロスから始まったパンドラの箱のご開帳
次の金融の中心地はこのカザフスタンである

ドルではなく5カ国の通貨で資金の融通、途上国への援助をしていこうという目的です。やがてインドネシアもこのグループに加わっていくでしょう。通貨は人民元が使われる可能性が高いですが、変動制の共通通貨になるかもしれず現在はまだ先行きは不透明です。しかしBRICS開発銀行がドル覇権に対して楔になったことは確かです。

そしてアジアの未来はインドネシアに預けられた



ジェコ・ウィドド大統領が勝利しました。圧倒的な支持で軍事政権から民主国家へと舵を切ったのです。


オバマ大統領とジェコ・ウィドド大統領は顔がそっくり



黒人と白人の混血の血統です。インドネシアは内政が安定したら産油国でもあり、GDPの伸び率ではアジアで一番の注目国です。

今年の10月にFRB(米国連邦準備制度)の議長イエレンさんは量的金融緩和をやめてゼロ金利政策を解除する意向です。

米国は住宅ローン債権といったゴミ屑の買取をやめることにした



これで米国債は金利上昇(米国債価格の下落)が年末から来年初めには進んでいくと思われます。

日米の金利(国債金利)は2%の差にむりやりさせられています。ですから日本国債も現在の0.2から徐々に上がっていくはずです。

たいへんだ!住宅ローンを固定金利に借り直さなくちゃ!



世間の銀行員、ファイナンシャルプランナー、税理士といったお金の話でメシを喰っている人は、いままでのゼロ金利から徐々に金利は上昇していきますから、できるだけ長期の固定金利でお金を借りましょうと必ず言うでしょう。

副島隆彦先生は元銀行マンですし、最近も住宅ローンを組むために銀行と討論をした結論は

固定金利でローンを組んでも変動金利でも支払総額は変わらない



5年前までは固定金利に乗り換えることが銀行でも(国策として)ずいぶん勧められていたそうです。

ところか固定金利でもこの5年10年では支払額は変動金利よりも不利だったのです。つまり固定金利を選択した方が損をしたのです。なぜなら景気浮揚対策で住宅ローンは市場と関係なく低く抑えられているからです。

住宅ローンは日本国債金利とは意図的に連動させないようになっている



それと、契約書の最後の一文には

「契約時の金利から大きく金利が上昇したらその都度金利を見直す」



と明記されているのです。たとえば金利が3%、5%、7%と上昇していったら、「現状に合わせて固定金利も見直しさせていただきますよ」という一文があるのです。これでは変動金利と変わりません。

住宅ローンは政策で金利を抑えられているので、市場金利よりは変動幅は少ないそうです。ですから単純にインフレ=ローン金利上昇とは簡単に結びつかないのです。なるほどなあと思いました。

アメリカでも増税に反対する富裕層が反旗を翻しています。
フィラデルフィアでは富裕層だけのインナーシティーを形成して、税の使い方を住民が決定する動きが注目されています。
まさにアメリカのリバータリアニズムの具現化です。

日本では超富裕層は海外への脱出を試みています。人口比で言えばほんの一つまみですが、国税庁は数富裕層(金融資産数十億円以上)の日本人の資金を監視し始めました。

5億円以上が富裕層だとすると人口の3%程度は海外への脱出を考えていると言います。財務省は日本人は医療や社会インフラが充実している日本から海外へ流出しないと高を括っているのですが、

いえいえ、超富裕層はすでに資産は日本から動かしているのです。そしてその下位の普通の富裕層へその動きが進んでいるのです。香港上海銀行(HSBC)では外国人の口座開設は難しくなったと聞きます。またシンガポールもマレーシアも華僑の流入が多いので、持ち込み資産のハードルを上げている今では、すでに遅すぎるのですけども。

国内外の金融政策は『大きな騙し』で成り立っていることを認識せよ



これが副島隆彦先生の主張の根本です。国家同士、国民との騙しがすべて根源なのです。年末から来年に向けて大きな大きな動き(システムの瓦解)が始まるのでしょう。何がどうなるのかはわかりません。

ヒントは国債金利と金価格、この二つが指標であることはかわりません。(現在でもアメリカSECが金価格の上昇を押さえて操作している)
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福島阿武隈地方を旅行する(2) 地下資源と原爆研究(二号研究)の関わり 
Thursday, July 24, 2014, 03:07 PM
7/24 晴 10時 浅草での空間線量は10ベクレル/立法メートル

福島県阿武隈地方の石川町に寄りたかった最大の理由は、石川町の歴史民族資料館の採掘の記録を見ること。そして現地で戦時中陸軍が理化学研究所の仁科芳雄を筆頭にした原子力爆弾の研究(二号研究)の痕跡があるのかという興味です。


福島県石川郡石川町は品質の良い水晶や長石が取れる場所で、かつてからガラスや陶磁器の原料として採掘されていたそうです。昭和になると軍需物質として日本工学(現NIKON)や東洋陶器、日本碍子へ優先的に送られたのです。また受送信機には欠かせない水晶発振器の製造会社(京セラ)も近所にある理由は良質の水晶が採れたからです。

戦後アメリカが日本の光学機器の性能が予想以上に良いことに気付き、レンズ原料である石川の水晶が良いからだという結論に至ったのだとか。

日本のカメラ産業の礎となった近代遺産として注目されるべき




展示物を見ながらそんな感想を持ちました。水晶や長石以外にも、電気石も多く採れたそうです。

今でも戦略物質として扱われているジルコンなどのレアメタルも石川では採れたので、陸軍の委託で理化学研究所が戦時中に採掘をしています。当時学徒動員で採掘/選別作業を手伝った人達も90歳を越える高齢となり、石川町が岡山の人形峠よりも先にウランの採掘が行われていたことを知る人は福島県内、石川郡でもあまりいなくなりました。

その記録が石川町の歴史民族資料館に残っていることは大変貴重です。


戦前戦時中では機械化されていませんから、手掘りそして女子供が川で選別し、馬に牽かれて出荷されたという記録があります。

こんなのどかな場所で、一家総出でどのように使われるのかわからぬままに石を掻き集めていたのです。

モナズ石(モナザイト:トリウムが多い鉱石)や稀に燐酸ウランや閃ウラン鉱が見つかり、それの採掘も行われました。歴史民族資料館の裏に石垣と建物の一部が残っております。

現実はウランの採掘量は少なく、軍事的に商業的にも採算レベルではないので廃坑となり忘れ去られていきました。

実際に採掘された鉱石標本も展示されております。
放射性元素を含む鉱石は「石川石」と命名されており、写真フィルムを感光させるほどの強さです。

また紫外線ランプをあてると燐酸ウランが蛍光した写真も展示されていました。(ちなみに蛍光するのは相当放射線量は強いです。)

小さな資料館の展示を丹念に眺めました。館長さんのお話では裏にウラン鉱石採掘の跡が残っているからと促されて、登ってみました。

豊富な清水をつかって、砕いた岩石を比重で選別したのだそうです。
重たい石は流れの底に溜るのです。

余談ですが、この地方では砂金もごくわずかに採れたようです。

地中深い、マグマの熱で岩石が変性したペグマタイトという部分に地中の貴金属や質量の重い元素(レアメタル)が集まります。


だいたい7000万年から300万年前にできた地層が、隆起によって現在の阿武隈山地を形作っているのです。

地中深い(約10kmの地中)でしかできない物質が表面に出てきて我々が利用できるのです。

ですからこの地方だけしか観れない地層もあるのです。

これはまた翌日に。
過去ログ:福島阿武隈地方を旅行する(3) 牛が食べる土:数千万年前の海底土の地層
福島阿武隈地方を旅行する(1)
人の行く裏に道あり花の山 (川内村は岩魚・山女魚の宝庫)
川内村に獏原人を捜せ!(その後の福島紀行)
福島阿武隈地方を走り回ってきました

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農家で男の手料理をごちそうになる 
Wednesday, July 23, 2014, 02:42 PM
福島県石川町で農家をされている方のお宅にお邪魔しました。採れたてのスイカや野菜をたくさん出してくれました。
テーブルに用意されていたのは、今話題の家庭用製麺機「ヌードルメーカー」(Phillips社製)です。Amazonで発売すぐに買ったそうです。

初めて見た。
簡単に麺がつくれるので、買ったその日から凄い稼働率なのだそうです。3万円もしない価格で小麦粉さえあればいつでも好きなときに好きなだけ麺が手に入ることは、小麦を作っている農家であれば、たいへんありがたい機械なのだとか。(この小麦まで自家製なんです)

なぜなら、麺にしてみると小麦の品質がわかるから。品質管理にも役立っているわけですね。

慣れた手つきで小麦粉を放り込んで、氷水に塩を入れてよく溶かしておきます。

うどんでも蕎麦でもパスタでも麺は水の量は多すぎても少なくてもダメ。水加減は一番神経を使う所なんだそうです。

パンでも一緒ですね。多すぎると焼き上がりはパサパサになるし、少ないと固いパンになります。小麦でも開封してしばらく経ったものを使うときは気持ち多目にします。


フィリップスの家庭用製麺機は「水回し」という作業は難しくない。蓋の上から氷水を注ぐだけ。スイッチを入れれば勝手に動き出してくれます。そぼろ状になるように水を少しづつ加える作業が手動で、あとは何もしなくて良い。眺めるだけ。

うどんでも蕎麦でも、水を加えて練る作業が、場所もとるし、粉だらけになるしと面倒なことばかりですが、ほとんど汚れません。


ボタンを押せば自動的にモータが規定時間まで動いて、小麦粉を練ってくれます。足で踏んだり、練ることもしません。一晩置く必要もないそうです。

小麦粉と少々の塩を用意すれば10分少々で麺のできあがりです。

規定の時間がくると、ノズルから麺が押し出されてきます。
包丁を片手に持って、適当な長さで切りそろえていきます。気分は製麺所の職人ですね。

台所で鍋に湯を沸かしている間に麺はこの機械がつくってくれます。大家族や育ち盛りのお子さんがいる家庭では麺を追加でうつことができるので大変助かるのだとか。


厨房ではこちらも慣れた手つきで野菜が揚げられていきます。これだけ食材があっても自家製だから材料費はほぼゼロ。

昔は味噌醤油も自家製だったのだとか。

醤油とみりん、かつお節でつゆも自家製ですよ。これには脱帽。

そばつゆにキュウリを細切りにしていれて、さらにエゴマをたっぷり加えます。
これは暑い日にはさっぱりして美味しい。福島の郷土料理なのかな。

庭のウッドデッキでいただきました。豪勢でしょ。

かぼちゃと茄子の天ぷらは私の大好物です。


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福島阿武隈地方を旅行する(1) 
Wednesday, July 23, 2014, 12:04 PM
7/23 晴 10時 浅草での空間線量は10ベクレル/立法メートル

連休を利用して3泊4日の旅行をしてきました。場所は福島県阿武隈(あぶくま)地方です。
一昨年まで福島第一原発からちょうど20kmの距離にある都路(みやこじ)に副島隆彦学問道場福島復興支援事務所があったために、郡山(こおりやま)から都路間はよく往復しましたし、そこから川内村を経ていわき市もよく足を延ばしたので、もうおなじみの場所である感はあります。
それでも東北新幹線/東北本線沿いから外れるといっぺんに不便な土地です。
自動車以外の交通機関がほとんどないのです。

今回は福島駅から東へ向かい、霊山(りょうぜん)、そして南下して飯舘村(いいたてむら)、葛尾(くずお)、田村市、滝根(たきね)町、小野町、石川郡といった町を訪れました。

いちおうJRのローカル線は動いています。磐越東線(ばんえつとうせん)と水郡線(すいぐんせん)という単線ディーゼル車の路線はあるので、旅行で行けないことはないのですが、駅舎での待ち時間は1時間、へたすると2時間待ちです。ローカル鉄道の旅は待つことがすべてです。ちなみに走っている電車見かけたのは4日で一度だけです。
逆にオートバイや自転車、キャンピングカーでの旅行は、最高に良いところです。信号は少ないし、旅行者はほとんどいないし、駐車場には困らない。
ただし、現在はトラックやダンプといった工事車両がけっこう通っています。そして耕作放棄された田んぼや山間部の雑木地には左の写真のような巨大な土嚢袋の山が築かれています。

あ〜あヤダヤダ、無駄な行為の上に自然破壊、景観破壊の極み


除染事務所の看板には大手ゼネコン(飯舘村は大成建設、大林組、東急でした)の名が見えます。

除染作業なんて必要もないレベルなのに相変わらず


どこも1/4とか1/10にまで線量は下がっているのにですよ。はやくこんな無駄なことはやめろと声を大にして言いたいのですが、それじゃあ従事している人達は農業に戻れるかというと、まず戻らないでしょう。

ガソリン高で僻地での農業は採算が合わない


お米をつくるためには肥料や消毒薬(農薬)を大量に使いますが、さらには機械を動かすための燃料が高騰しているために、震災前から耕作放棄の田畑は多かったのです。

現在の燃料価格では田植えをすればするほど赤字が膨らむのだそうです。
若い世代はぜったいにやらない。365日休まず働いても遊びに行くことも、車のガソリンさえも米作りではまかなえないのですから。

除染作業の作業員の方がずっと楽で現金がもらえるから、休耕地をふたたび耕すことなどしません。

失業者対策で無駄の極みの仕事であっても止められない


これが福島県浜通り〜山間部の致命的な問題です。いつまでも原子力発電所は地域の雇用の受け皿とならなくてはならないからです。

翌日は入水鍾乳洞(いちみずしょうにゅうどう)と阿武隈鍾乳洞(あぶくましょうにゅうどう)を訪れました。
どちらも素晴しい、そして楽しい場所です。
田村市都路の学問道場復興事務所からは行く手段がなかったのでいつかは行ってみたいと思っていました。

涼しくて、幻想的でとても良い場所です。そして阿武隈地方は海底から隆起して山脈となった地形のために、地下資源も豊富な土地であることがわかります。この続きはまた明日。
過去ログ:福島阿武隈地方を旅行する(3) 牛が食べる土:数千万年前の海底土の地層
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福島阿武隈地方を走り回ってきました

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夏目漱石「こころ」の先生は典型的なうつ病 
Friday, July 18, 2014, 05:15 PM
7/18 曇 10時 浅草での空間線量は18ベクレル/立法メートル

夏目漱石の名作と言われる「こころ」が連載100周年を記念して再掲されています。

高校生の時に授業で読まされた嫌な思い出しかないのですが、30年経てどう感じるかという興味だけで毎朝連載に目を通しています。

いまは田舎へ帰った主人公へ東京から先生が長い長い手紙(遺書)を送りつけて、自分の境遇を長々と述べているくだりです。

両親を失った大学生であった先生は、遺産の管理を任せた叔父に騙されていたと先生は思っているわけです。一度疑い出すと、周囲はすべて作為的に見えてきてしまいます。

田舎の土地ですから、右から左に売れるわけではないという友人の忠告も聞き入れず、投げ売って遺産を目減りさせて、親族と断絶して東京に出てきます。

みごとに躁鬱病者の典型的な行動です



被害者意識と他人からは理解できない強迫観念、そして主人公と出会った頃からずっとヒキコモリ。最後は親友Kを裏切って下宿先のお嬢さんをめとったという罪悪感から死んでしまいます。

むやみに長い手紙も私の知っている強度の躁鬱病者と同じです。電子メールですがたわいのないことを延々と書きつづっている。また電話も一方的に相手に切らせる暇(いとま)をつけさせないほど長い。

晩年の漱石文学は自分自身のうつ病がそのまま主人公にも反映しているようです。
高校生の頃は先生の物事のとらえ方が理解できませんでした。いまでは統合失調症や痴呆症という病気があることを認識しているので、驚くには値しません。

きちがい文学の走りが「こころ」なんでしょう



作家は大なり小なり精神構造がおかしい人だろうと思っています。

第151回芥川賞は柴崎友香氏の『春の庭』「直木賞」は黒川博行氏『破門』と発表されました。どちらも存じませんが、柴崎友香氏は私の卒業した大学の4つ下ですね。ひょっとしたらすれ違っていたのかもしれません。同じ大学の卒業生で11年上に東野圭吾氏がおりました。さらに35年上には藤本義一氏がおります。

地方の貧弱な公立大学から直木賞作家が3人も出たというのは不思議ですね。ぜんぜん文学的でもない殺風景な大学です。住宅街のなかで遊び場もないし、際だった人もいなかったのですけども。

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BRICS開発銀行設立による脱ドル化は成功するか 
Thursday, July 17, 2014, 12:54 PM


BRICS(ブラジル、ロシア、インド、中国、南アフリカ)から100億ドル(1兆円)づつ出資されて開発銀行が創設されました。

私は一番大きなニュースだと思うのですが、ニュースでも新聞でも鹿児島の川内(せんない)原発の再稼働ばかり報道しています。

原発なんてさっさと稼動させろ、鹿児島の話なんてどうでもいい



みんなそう思っているのじゃないかな。

BRICS開発銀行が始動したことの方がよほどの大ニュースです。欧米への対抗 効果は不明という見方は西側(ユダヤ国際金融資本)であって、IMFに支配を嫌う途上国からみればありがたい存在でしょう。

ドル覇権崩壊の序章としてみるべきです



インドネシアはBRICS開発銀行に期待をしているでしょう。
世界多極化への象徴的出来事だと私は見ています。
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タイトルで売れる例 「3日食べきゃ、7割治る!」(船瀬俊介) 
Thursday, July 17, 2014, 11:38 AM
7/17 快晴 10時 浅草での空間線量は18ベクレル/立法メートル



船瀬俊介氏の本は過去にもこのブログで紹介していたことがあります。
新聞を開いたところで、目に飛び込んできました。「3日食べなきゃ、7割治る!」

タイトルでこりゃ目を引くわ(笑)



この方の本はすべてセンセーショナルです。そして書名の付け方が上手いなあと思ってます。

内容は、私がずっと述べていることとおなじです。つまり現代人は食い過ぎ、糖質(糖分、炭水化物)の摂りすぎ、消化器官(特に腸)の疲弊です。
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備中高松城の水攻めは虚構である(証拠写真付) 
Wednesday, July 16, 2014, 02:45 PM
7/16 快晴 10時 浅草での空間線量は21ベクレル/立法メートル

NHKの大河ドラマ「黒田官兵衛」では明智光秀の反逆と黒田官兵衛の高松城水攻めはあいかわらず旧来の三流ドラマを踏襲しています。

もともと高松城水攻めは地元高松での秀吉神話として語り継がれていたものを郷土史家が昭和天皇に披露したことが始まりだそうです。

以降吉川英治、山岡壮八、司馬遼太郎が小説の題材として使い定説として広がったのです。

空想で成り立つ小説を歴史の事実のように広めるな!



昭和60年代に古文書の記述を精算したら10トンダンプ6万4千台分総工費270億円で現代でも12日間では無理なのです。秀吉側の自慢ホラ話を忠実としていることがお笑いです。
NHKの大河ドラマは嘘ばっかりで嫌になります。

「本能寺の変 431年目の真実」(明智憲三郎)につづき「本能寺の変 秀吉の隠謀」(井上慶雪 祥伝社 2013年5月)を読んでいます。

備中高松城はちょっとの長雨で冠水する土地柄なのです。古記録でも天正10年4月29日から5月5日まではずっと雨だったことが確認されています。

最近の台風でも以下の状況なんだとか。高松農業学校土木学科でも連日雨であれば、水の排泄口「蛙ケ鼻」を塞げば、雨で高松城は水に沈んでしまうのだそうです。

高松に現存している堤は「蛙ケ鼻」のわずかな箇所でしかないことは、NHK「ようこそ先輩」という番組で、同地出身の磯田道史(「武士の家計簿」で有名な古文書研究者)が訪れていました。

備中高松城の水攻めといっても水の出口300m程度を塞いだだけ


と高松農業学校は結論づけています。川の水ではなく雨水で高松城は沈んだのです。



天候が幸いして水に浸かった高松城をわざわざ大げさに不眠不休の難工事とホラを吹きまくったのは何故でしょう?誰が?

秀吉が明智光秀に謀反をしむけて、自分は主君殺しに無関係を装いたいから



毛利の小早川隆景とは安国寺恵瓊(あんこくじえけい)・黒田官兵衛を通じて秀吉は連絡を取り合い、信長を騙すために、高松城もシナリオの一つだったのです。信長の命令を絶対として聞き入れているフリをして敵側と通じています。

今週末の大河ドラマは中国大返しですが、これも秀吉側が後世に綴った手柄ホラ話「惟任退治記」(これとうたいじき)の描写そのままです。

謀略と主君殺しで成り上った秀吉は同じ足軽出身の光秀を陥れたのです。
家康が豊臣家を滅亡させたのは、家康は秀吉の本性を知っていたからです。

秀吉の本性とは二重スパイ(トロイの木馬)です



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革細工で遊ぶ 水筒ケースの製作 
Tuesday, July 15, 2014, 05:14 PM
7/15 快晴 10時 浅草での空間線量は21ベクレル/立法メートル

暑いので、部屋にこもっておりますが、何をしているかというと手元にあった革を丸めてペットボトルケースを作ってみました。

まるまる5時間一心不乱に縫っていました。




うん、なかなか良い物が出来上がった。70点ぐらいのできかな。手作り感満載。

同じ形で一度作ってみたのですが、何しろ革工芸の知識はあまりないので、それを革細工の達人に見てもらって改良点や縫い方を教わったのです。

浅草は皮革産業の街でもありまして、端切れなどはあちこちで格安で買うことができます。また道具や染料、金具も浅草橋や近所ですべて揃ってしまいます。

ファスナーの切り方や繋ぎ方を初めて知りました。これも店先で教わったのですけども。
ただ卸問屋なのでファスナーがメートル単位なのはまいった。30cmもあれば良いのに3m単位なのです。それでも数百円(笑)

針と糸と目打ちさえ自前で用意すれば、あとはなんとかなります。

水筒ケースとしていますが、本当の目的は工具入れです。サイズを500mペットボトルが収まるようにしてみたのです。
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山本覚馬(同志社大学創立者)と横井小楠は親戚関係 
Monday, July 14, 2014, 07:35 PM
「フリーメイソン=ユニテリアン教会が明治日本を動かした」(成甲書房)は主要駅の書店でも平積みされております。東京駅地下街にはありました。

フリーメイソンって世界征服の秘密結社?


と思っている方はぜひ手に取ってみてください。フリーメイソンが悪の秘密結社だなんて思っていると、海外では笑いものにされてしまいますよ。

売れ行き評価が良いのは執筆者の1人として大変ありがたく思っています。

そんな私ですが、今は横井小楠に首ったけ

寝ても覚めても小楠小楠

書店で何げなく山本覚馬と新島八重の本を手に取って、同志社大学神学部の成り立ちをおさらいしていました。(同志社大学は日本におけるユニテリアンの拠点です)

そこには家系図がありました。


佐久=山本権八
  |
  |   |        |
三郎 新島襄=八重 小田時栄=覚馬=樋口うら    横井小楠=津世子
              |  |       |   |
            久栄  みね    =伊勢時雄  伊勢宮


あ、横井小楠と山本覚馬は親戚関係だったんだ


娘と息子が婚姻関係だったのです。

山本みねと伊勢(横井)宮とは同志社大学の仲良し同級生でもあります。

そういえばそうだった。息子の時雄は同志社大学の3代目学長であることは知っていたのですが、嫁さんは覚馬の娘でもあったのです。

それがどうしたって?

覚馬と小楠のつながりに着目している研究者はいない



だから横井小楠という人物像が松平春嶽による徳川幕府の面からしか知られていないのです。

なぜ熊本藩士にすぎない小楠が福井藩にあれほど重用されたのか?
そして賊軍でもあった山本覚馬が薩摩藩の支援で活躍できたのか?

糸口になりそうです。;
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源珠(げんきだま)に銀塩フィルムを載せてみた(3)  
Monday, July 14, 2014, 06:31 PM
7/14 快晴 10時 浅草での空間線量は21ベクレル/立法メートル

写真屋に出していたフィルムが帰ってきました。プリントすると源珠(げんきだま)で感光した様子がよくわかります。

源珠(げんきだま)は球状ですから、斑点状に感光しています。

被写体は日本三大聖天の一つ「妻沼聖天山(めぬましょうでんざん )」(歓喜院)です。
埼玉行田の忍城へ向う途中に寄ったところです。熊谷市にあり、特大のいなり寿司が知られています。




写真データ:FUJICOLOR100 2014.5.11 快晴 撮影後45日源珠と暗室保管(約200mSv)

全体的に白っぽくなって色が飛んでいます。重ねたフィルムの影も映っています。

マイクロやミリといった単位の放射線なんてこんな程度なのです



写真屋のオヤジが、現像から上がったネガフィルムを一瞥して
「おいおい、カブってるじゃないか。撮影済みフィルムを車のダッシュボードに放置しただろ!」
いいえと答えると更に
「それじゃあカメラにフィルムを詰めたまま何年も放置しただろ!」
ううん、そういうことはしていないのだけども・・・
「よくみればフィルム表面も細かい擦り傷ばかりで、あんた相当カメラを手荒く扱っているな!」
と小言を言われちゃいました(笑)感光の実験だと説明しましたが、理解されていないです、たぶん。

フィルムの現像は街の写真屋でもいまだ受け付けているのですけども、フィルムカメラの出番が少ないためか、カメラに装填したままで一本のフィルムに何年分かの正月写真があったり、高温多湿の場所に放置されたままで現像に出されることが多く、写真屋に現像の腕前が悪いと文句を付ける客が多いのだそうです。

ISO100で200mSv程度で感光するというのは予想通りです。
そして白っぽくなるということも予想通りの結果です。

源珠(げんきだま)に銀塩フィルムを載せてみた(2)
源珠(げんきだま)に銀塩フィルムを載せてみた
放射能は先端アートだ!放射線視覚化プロジェクト (野口隆史氏の個展)
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