気圧計(高度計)はアナログに限る 
Friday, September 25, 2015, 02:51 PM
9/24 雨 10時 浅草での空間線量は36ベクレル/立法メートル

昨日は電器量販店に立ち寄ってみましたが、24時間表示のアナログ時計はないとのことなので、側の電卓コーナーを眺めてました。

関数電卓が数千円で並んでいます。驚いたのはその機能の豊富さと、グラフや式をそのまま表示できるなどの表示能力が素晴しいです。メニューも日本語化されていて操作性もとても高い。

私が持っていた関数電卓は3万円もした割には手に余りました。一応プログラマブルなのですが数回BASICを打ち込んだだけで放り投げました。当時はパソコンはとても高価なうえに、やっと一般でも使えるアプリケーションで一太郎とLotus1-2-3といった表計算ソフトも出始めた頃でした。学生でパソコンを持っているのはボンボンで、せいぜい買えるのは関数電卓だけでした。

かつてはコンピュータの結果を検証するために、電卓叩いて概算する必要があり、会社員の頃はコンピュータの横にはたいてい電卓がありました。いまでは笑い話です。

誰もがコンピュータの打ち出す数値はまず疑ってかかるのが基本姿勢でしたから。

これだけボタンが並ぶ関数電卓を使いこなしている人ってどんな人?



想像できません(笑)
マニュアルを読むだけでも大変です。
工業系高校や大学の理工学部でも三角関数と対数計算、あとべき乗程度でしか使ったことがない。

そろばん塾があるのならば、電卓塾もあってしかるべきなのに、そんな塾はついぞ聞いたことがありません。
どうやって使ったらいいか気が重くなるのが関数電卓というやつです。

関数電卓はCASIO、SHARP、CANONが国内メーカーでアメリカではHPです。
でも値段と機能ではCASIO、SHARPがほぼ市場を独占していると思います。

下の週刊アスキーの記事では、英語がネイティブの人たちでも関数電卓には苦労しているようです。だって表示されている英語の意味がわからねえもん(笑)

参考)週刊アスキーの紹介記事
http://weekly.ascii.jp/elem/000/000/339/339010/

CASIOの最新機種を眺めて、ふと気圧計(高度計)が欲しくなりました。

CASIOの腕時計PRO-TREKシリーズやG-SHOCKシリーズに高度計付のものがあることは知っているし、身近にも使っている人は多いのですが、いろいろと操作が難儀です。

山の上で現在の標高を調べようと各自が腕時計の数値を口々に言いますが、ぜったい一致しません。
気圧を高度に変換しているだけなので、出発時のゼロ補正の有無や天候で誤差がかならずでます。

結局、国土地理院の地図を出して、等高線を数えるはめになります。
もしくはGPS受信機まで出して、さらにケンケンガクガクになることがあります。しかしどれも数十メーターから100m程度の誤差はでてしまいます。(GPSでも高度はそれほど精度がよくないのです)

こまめに水準点で補正を加えなければ、表示される数値の信頼性がないということがデジタルの欠点です。

だいたいでいいんだよ



みなさん高価な機器を持ってますが、結局はこんな結論に落ち着くのです。標高差は概算でいいのです。

それよりも大事なのは、傾向をみることです。

天気が崩れてくると、気圧が低下していきますから、天候の予測に役立ちます。
ぱっとみて、理解できるアナログ式が気圧計ならば便利です。

そこで壁掛け時計のコーナーで、気圧計は置いてあるかを訊ねてみました。温度計や乾湿計付の時計は置いてあるのですが、どうやら壁掛け時計型の気圧計はありませんでした。

望遠鏡・双眼鏡のコーナーならばあるかもと言われたので、そちらに行ってみるとありました。

望遠鏡メーカーのVixen(ビクセン)とSPALDINGのブランドの2つが置いてありますが、どちらも東京計器という会社が製造元のようです。

私は軽いVixenの高度計(気圧計)を買いました。

机においてたまに見てみると、針が動いています。写真ではダイアルを太陽と雲の中間にしておいたのですが、今朝では針は右(気圧が下がっている)になってます。標高差でいえば40〜60mという僅かな変化です。

天気は朝から雨です。
台風ではもっと大きく下がるそうで、今から楽しみです。



Vixenの高度(気圧)計は、とてもためになるのが、同封されている「Vixen高度計AL説明書」「気象についての豆知識」という紙が入っています。

豆知識といいながらとても中身が濃いです。

だいたい説明書の最初の文は

高度計(気圧計)は非常に面白いものです。



こんな魅力的な言葉から始まる説明書は初めてです(笑)そしてその通りです。Amazonへ飛びます
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なんでアナログ時計では一周12時間なのだろう? 
Thursday, September 24, 2015, 08:59 PM
9/23 晴 10時 浅草での空間線量は36ベクレル/立法メートル

私は常に腕時計をしていないと落ち着きません。弊社ラジウムブレスレットと腕時計は常に腕にあります。

長年愛用しているカシオのデジタル時計とセイコーのアナログ時計を交互に使っています。
なぜ交互なのかというと、自動巻だから数日置きに使ってやらないと止まってしまうからです。
あ〜めんどくせえ。

さらに作業で傷ついて良いような安物のデジタルが一本あります。
どれも一長一短があり、いまだ理想の腕時計はないような気がします。というか永遠にないかもしれません。

デジタルは暗闇だと見えないし、アナログは一旦外すと、針が光っていても一旦腕に巻かないとわかりません。
しかもデジタルは常に24時間表示にしているのでアナログだと短針+12を無意識にしなければならない。

壁掛け時計もデジタルとアナログと部屋毎に違うのでアナログ時計は些細なストレスを感じてしまいます。
つまり私はデジタル派なんでしょう。

ところがアナログ時計も時と場所によっては、とても便利に感じます。
たとえば、なんかの作業をしていて、残りは何時間で完了して、何時には終わるなあといった概算をしたいときにはデジタルよりも断然アナログが便利です。

また長針の先にベゼルを合わせておけば、経過時間が一目でわかります。デジタル時計だと何時何分に作業を始めたかを覚えておかねば成りません。

東京では駅やデパートといった商業施設には駐車場や自転車置き場があります。
たいてい1時間無料とか2時間までは無料となっています。

こういう場合はデジタル時計で今何時何分と確認しておかねばなりません。アナログは長針位置にベゼルの目印を留めておくだけです。(アナログでもダイバーウォッチタイプです)

私の問題はアナログ時計は24時間で表示されないというこの一点だけなのです。

短針が一日で一周するタイプの腕時計もかつてはあったようです。右半分もしくは下半分が午前、下半分もしくは上半分が午後を表示します。地表から見た太陽の位置と同期していますね。

なんでアナログ時計は一周12時間なのか?

いろいろ諸説はあるのでしょう。
最初に思いつくのは、内部の歯車が作りやすいからかもしれません。
でも短針の歯車を倍(歯数が倍で直径も倍になる)にしてやるだけでいいのですから、変更は簡単なはずです。
というか時計は基本的には4つか5つの歯車でしかないですから部品の精度と材質ぐらいしかコスト要因はないのです。

ほかには日本でも時刻を12支で表したように、古代エジプトでも夜と昼を12分割していたからという説もあるようです。

また日時計がそもそも時計の起源だからという説もあります。
影が一周するので、それに目盛りを付けるだけですが、円の分割は12進数の方が良いという意見です。

http://q.hatena.ne.jp/1269587165

12進数の方が都合がよい?



http://www.infonet.co.jp/ueyama/ip/episode/mod12.html

日時計の影は1日で円を一回転する。太陽は空の円軌道を1日で一回りする。 ところが、円は十分割することが難しい。幾何学的に作図によって十分割することは殆ど不可能である。 円の分割は六分割が最も容易で、半径の長さで円弧を切り分けてゆけばよい。 このことによって、六分割の倍の十二分割が生まれ、十二進数が用いられるのである。

 円の全周が360度となったのもこのためである。 十二支 (ね、うし、とら、う) や、黄道十二宮 (星占いで使われる十二の星座) もすべてこれから来ている。


円を幾何学的に、すなわち定規とコンパスだけで12分割するのは用意だからという説です。

なんとなく、これがしっくりするような気がします。

でも昼夜関わらず活動する現代においては、やはり24時間で一周する腕時計が無性に欲しくなり、秋葉原のヨドバシカメラに行ってみました。

ここなら24時間表示の腕時計が置いてあるかと思いましたが、店員さん曰く、海外ブランドならあったかも・・・という返答。
このあとも店員さんに尋ねてみましたが、一日で短針が一周する24時間表示の時計はないとのこと。

もちろん高級ブランドにはGMT針という普通の秒針・分針・時針の3本に加えて24時間で一周する針を備えている「ワールドタイム機能」を備えているものはあります。

つまり4本も針がある。

その4本目の針に現在地を合わせると目的地、たとえばニューヨークの時刻がわかるというものです。それだけの使い方。

値段はすごいですね〜(笑)

普通のクオーツ時計では24時間で一周する針を持つ腕時計は見あたりませんでした。

しかし12進数だったからという回答をネットから得られたのは収穫です。

なるほどお
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「ゼロ」が怖いよ、怖いよ〜ひぃぃ (数論は神学論争なのである) 
Wednesday, September 23, 2015, 02:24 PM
9/23 晴 10時 浅草での空間線量は30ベクレル/立法メートル

さいきん副島隆彦先生と、ゼロ(0)はいつ頃から世界に定着したのだろうという話題になりました。
日本においても、世界においても数学史は思想の変遷を理解する上でも重要だからです。

たかがゼロ、されどゼロ



江戸時代の数学者、関孝和(せきこうわ、せきたかかず)や渋川春海(しぶかわしゅんかい)は算木(さんぎ)という計算道具を用いていました。といってもマッチ棒でもかまわないのですが、マス目の紙がが必要です。

数値のない桁はマス目が空欄なので、計算では○とします。これで明示的に「何もないこと」を示しています。
この算木の記録をみて、私は1650年あたりから日本でもゼロの概念が数学者(暦師・陰陽師、算法家)では一般化していたのだと思いました。

ところがところが、ゼロはそんなに甘い存在ではなかったのです。

同時期にはライプニッツという哲学者・数学者が残した筆算には、現在の我々とまったく同じ筆算であり、しっかり0が残されています。

それまで「0」ってなかったのか?



そんな疑問を口にした瞬間、副島隆彦先生が仰いました。

副島:「ゼロの歴史は思想の衝突の歴史なんだ!いいか、私はモノをゼロ持ってますなんて言い方はないのだ。数え始めはかならず1からが人類の共通概念だったんだ」

それでも今では疑問も持たずに、数字のゼロを書いてますよねと応えると

副島:「おまえは浅はかだから、ゼロが認知されるまで、どれほどの恐ろしい闘いがあったのかしらんのだ!
ゼロのために地位を失った者、命を失った者、迫害された者死屍累々の歴史がゼロの後には見え隠れしているのだぞ!」

まさに「ゼロの闇」がこの数字の背後には隠れていたのですね・・・数学者たちはこうした背景を知っているのでしょうか?

副島:「ゼロは1とか2といった数字の仲間かどうかを数学者に訊ねてみたらよい。ほとんどの数学者は耳を塞いで逃げ出すだろう。
私(副島)がある数学者に伺ったところ、数直線やグラフに示される<ゼロ>は数字のゼロではなく英語のオー(original:原点)という意味であって、あれは数字ではないと言いはっていたぞ

えっ!?あれはゼロではなくオーだったんですか!?この47年間騙されてました!

副島:「ゼロはどんな数にもかけたら無になるし、ゼロで割ると・・・」

ゼロで割ると・・・ゴクリ・・・

副島:「数字の秩序が崩壊するのだ!数直線という概念が雲散霧消と化すのだ!いきなり無限という概念が目の前に出現してしまう!」

ゼロは何もないのではなく、いきなり宇宙の果てをも飛び越える数が生まれるのですね。

副島:「だからいまでも哲学者・数学者は<ゼロを話題にしたくない>のだ。
ゼロに取り憑かれると同時に無限にも取り憑かれてしまい、いつまでも行き着けない極限の世界に放り込まれてしまうからだ」

青筋をたてながら口角泡を飛ばして言い終わると、ああコワイコワイとつぶやいて、隣の寝室で布団をかぶってしまいました。

大きな身体をまるめて布団の中でも「あ〜ゼロこわいこわい」とつぶやいています。

私たち弟子は、怖い物知らずの副島先生がこれだけ怯えるのならば、「ゼロ」は本当に怖いものなのだなと思いました。

そこで念のために、他に怖いものはないのか布団をかぶって震えている先生の側に寄って聞いてみました。

副島:「・・・布団にもぐりこんでくる若いオンナが怖い」
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「数学×思考=ざっくりと いかにして問題をとくか」竹内薫 丸善出版 
Tuesday, September 22, 2015, 05:19 PM
9/22 晴 10時 浅草での空間線量は26ベクレル/立法メートル

おもしろくてさっと読める本を手にしました。
「数学×思考=ざっくりと いかにして問題をとくか」竹内薫 丸善出版 平成26年4月

昨年に出版された本ですね。サイエンスライター竹内薫が数学者ポリアの名著『いかにして問題を解くか』をもっと敷居を低くしたいということで企画された本です。

昨晩から読んで今感想を書いています。(2,3時間で十分読めます)

竹内薫という方は40歳までは広告宣伝効果を見積もるデータアナリストという職業だったそうで、その分析結果をクライアントに売るというコンサルタントをされていたそうです。

サンプルデータや市場調査結果から売上予測を立てるお仕事です。

一見ランダムで無秩序にみえるデータを手持ちの知っている限りの分布の形にあわせて(こじつけて)ご託宣(たくせん)を告げるという巫女か神官みたいな役割をしていたそうです。

グラフや関数にこじつけるのが、その分析者の職人技というもので、同じデータであっても分析者によっては直線で近似したり、二次関数で近似したりと差が出ます。もちろん結果が外れたらクビ(笑)

最近ではビッグデータを通信や運輸会社が扱うようになったので、だんだん職人技(個人の資質)がいらなくなってきたそうです。将来予測はどんどん個人では太刀打ちできない大規模データの保有者が有利になっています。

またかつては企業でしか持てなかった高性能なコンピュータが安価になったということも影響が大きいです。

MS-Excelでは最少二乗近似グラフは標準装備されてますしね


(実験データを手作業で差異を二乗して計算するなんて嫌に成っちゃいますよね)

市場調査や品質管理、実験結果は社内でできるようになったので外部に委託はよほどの大企業ではないとやらないのじゃないかな。

ちなみに、統計ソフトでSAS(サス)というソフトウェアがあります。統計屋さんは100%これを使います。業界標準です。25年前にはIBMの大型機でしかお目にかかることはなかったのですが、いまではパソコン用があり、個人でも購入できます。

さらに余談ですが、業界標準というと工学系では設計ではAUTOCAD(オートキャド)、数値計算ではMathematica(マスマティカ)、構造力学ではNASTRAN(ナストラン)というどちらも超有名でメジャーなソフトがあります。

上記のソフトはどれも一本数千万円という値段だったし、大型機で稼動するもので、会社員のときは動かしてもらうためには、計算機室の管理者を拝み倒して脇でちょっと使わせてもらうようなものでした。

MathematicaはMacintosh用があったのですが、当時は稼動するMac兇任気┐眇百万円でしたからご神体のように扱われてましたっけ。

いまでは個人用に販売されていますし、理工系大学では授業でも使われ、自由に触らせているそうです。電卓と手書きで方眼紙にグラフをとっていた私の頃とはえらい違いです。竹内薫さんには世代的には近さを感じます。

話を戻します。

たとえば電通や博報堂のような広告代理店では、過去の視聴率となんらかの因果関係に関する適切なモデルが出来上がっていれば、コンピュータに放り込めば、誰でも簡単に答えが出てくるようになりました。国政選挙では事前にそうとう正確に当確予想ができると言われています。このように

問題解決には数学的処理が有効である



それでは、我々一般人にも数学的な知識は必要かという問いかけから、本書は始まっています。
40年前に発行された『いかにして問題を解くか』は欧米では知識人の必読とまで思われているのに、なぜか日本では話題にならない。

ということで竹内薫氏が<ざっくりと>数学者ポリアの言いたいことを平易な語り口でまとめたものです。

ざっくりと推定することは誰でもやっていること



まず最初にフェルミ推定という聞き慣れない言葉がでてきます。フェルミさんが考えたのでしょうけども、そんなことはどうでもいいです。
見積もりをするときに、誰もがざっくりとこんなものという数字をだしますよね。
工学系では「オーダー的には〜」と言うことがありますが、だいたい桁があってればオッケーってな意味です。
たとえば仕事で自動車が必要になったので、予算をたてなければならない状況になったとします。
せいぜい200か300万円でしょう。5000万円とか、はたまた10万円という概算をする人はいませんね。
これがオーダー的に正しいという意味。(正確にはもっと詳しい定義はあります)
車種が決まらない状況では150万円でも正しいし、500万円でも正しいのです。

生活や仕事をする上で、この<ざっくりした>考え方はとても重要で、ご自身を見渡せばいくらでも思い浮かぶでしょう。

20歳のときに「大人3人が乗る筏(いかだ)を作るための寸法・スペックを求めよ」と言う宿題がありました。
小難しく考えるといくらでも難しくなります。まずは重量計算とそれに見合う排水量、転覆しないための重心位置と浮力中心、さらには端っこに人が乗ると転覆しないように復元力、波があればそれで折れたりしないような強度計算、波に共振しないための固有振動数・・・

まず沈まないことが必須条件ですから、それ以外は実は取るに足りない問題です。
設計図を書いて計算するまでもなく、あとは感覚的にわかるでしょう。なんたって筏ですから。
周りはいろいろと頭を悩ませていましたが、結局、15分ほどかかって鉛筆で書いた私のぺらぺらのレポートが「優」でした。

いまその授業を思い出すのは、工学的な思考は<ざっくり>が大切ということに気づかせるものだったのかと思うのです。

答え(解)などがないのが我々の現世です。
一次方程式や二次方程式のように答え一発なものは逆に特殊な例にすぎません。

グラフで表せないなら、プロット(点)で表せばよい


関数グラフで答えが出ないならば、実際に調べた数値を方眼紙に打っていけばよいのです。
だいたいの傾向はでてきて、少しは将来の予想にも使えるようになります。

これが統計という考えです。数学でも工学的な思考です。

数学者ポリアさんが問題解決に据えたのは、多視点からの試行錯誤



押してもダメなら引いてみなの精神が大切です。極端な例を想像したり、桁(オーダー)だけを見ると言った多極の視点こそが数学的な思考だということを気づかせてくれます。
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パンミックス「まるめて焼くだけのパン」を焼いてみた 
Monday, September 21, 2015, 01:22 PM
9/21 晴 10時 浅草での空間線量は29ベクレル/立法メートル

台所にずっと買置きしてあった昭和産業「まるめて焼くだけ もちもちパン」を焼いてみました。
なぜこんなものを焼いたのかというと、半端に残った牛乳と卵があったからです。

ボールで卵を溶かし、そこにコップ1/4の牛乳を加えて、匙一杯のサラダ油を入れて、この商品を投入します。
菜箸で混ぜて、ほどよくまとまったらあとはおにぎりのようにしっかり両手で握ってやります。

普通のパン生地よりもものすごい弾力があります。
あとは適当にちぎって、オーブンに並べるだけ。だいたいここまでの時間で8分程度でしょうか。

オーブンを190度まで予熱したら、だいたい15分〜20分で焼き上がり。私の場合は18分程度です。

つまりパンでも焼くかと思い立ったら、30分後にはほかほかのパンが食べられます。

パンもどきな食べ物です。チーズ味でそのままでも美味しいですが、ウィンナーに巻付けて焼いてみたらこれも絶品です。高級なものよりも魚肉ソーセージの方が似合いそうです。

この昭和産業のパンミックス粉は他にもいろいろありますが、面白いところでカレーのナンなどもあります。こちらも混ぜてフライパンで焼くだけ。油で揚げなくてはならないドーナツは美味しいのですが、「まるめて焼くだけ もちもちパン」の手軽さにはかないません。

なぜか深夜の3時に台所でこんなものを作ってみました。小腹が空いたときにもお勧めです。
食べ過ぎるとチーズ味で胸焼けしますw
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そろばんは加算・引き算だけではなく、割算も二乗根も三乗根もでるのか! 
Sunday, September 20, 2015, 02:52 PM
9/20 晴 10時 浅草での空間線量は21ベクレル/立法メートル

昨日紹介した「江戸の数学文化」(川本亨二 1999 岩波書店 )は著者が原典をたんねんに調べであり、そのうえで数学史を簡潔にまとめてあるため、これから数学を学ぶ人や数学に興味を持った人(つまり私のような数学嫌いでも数学好きになりたい人w)の最初の一冊にはおすすめです。

江戸時代の数学は「庶民の数学」と「官吏の数学」があった



まず、わかったことは、江戸時代に発展した和算は「庶民の数学」と天文(暦)や測量・航海術といった「専門家のための数学」の流れがあったということです。

スペインの宣教師カルロ・スピノラ(1602年来訪)は1622年に処刑されてしまいますが、このスピノラという宣教師は本国への手紙に

「 科学、とくに数学の知識を披露すると殿様も将軍様も大喜びなので、数学知識は布教にも非常に役立ちます。
数学の知識は日本人にとても尊敬されます。私が数学を学んでから日本に来たのは良いことでした。当地に来る宣教師は数学知識があれば良いでしょう」という内容の手紙が発見されました。

カトリックでは日本人の数学好きはよく知られていたのです。
またこのスピノラはアカデミアでの数学教師でもあったのです。今で言う大学教授レベルですね。

そしてキリシタン弾圧下であっても1643年にはジュゼッペ・キアラという数学者でもある宣教師が密入国して捉えられます。この頃は幕府も知識人は密かに匿い、知識の吸収に努めました。

ここからが日本の数学の黎明が始まったという説を平山諦(ひらやま あきら1904-1998)氏が唱えています。
キアラの弟子が関孝和だということ。

ちなみに関孝和とその弟子や関流一門が研究したことは、代数学です。もっと簡単に言えば”方程式”ですね。
天文や航海、測量といった幾何学から、関孝和と高橋至時(たかはしこれとき)が代数学や解析学へと発展させたのです。

こうして数学者たちによって数学は純粋な研究対象として受け継がれていきます。

ところが、市井では江戸にもなるとそろばんの普及や貨幣経済における計算技術の高まりとともに、数学を趣味とする者たちも発生していきます。

江戸時代初期(1650年あたり)で算法闕疑抄(さんぽうけつぎしょう)という算盤(そろばん)の手本書がベストセラーになりました。
つぎに算法闕疑抄を読んだであろう吉田光由(よしだみつよし:1598-1672)が書いた本が塵劫記(じんこうき)もベストセラーです。

算法闕疑抄も塵劫記も寺子屋では教科書として使われました。往来物(おうらいもの)という教科書であったそうです。しかし塵劫記は通俗算書という数学クイズの本でもあり、続編や海賊版がたくさん出版されました。

身分問わず、老若男女が手に手に塵劫記を開いては数学クイズを愉しんだそうです。

それだけなら、一回読んだら、あ〜面白かったで読み捨てられてしまいますが、そうではない。

なぜなら、塵劫記には銀の両替とか職業別に「米の売り買い」「木の売り買い」「絹の売り買い」といった事細かな計算例が図示されているのです。代々手本書として受け継がれていったのです。

また類似本には「勾配と斜辺の一覧表」や「両替の換算表」「単位換算(坪から平方尺、歩から畝」「面積・体積の早見表」といった実用的な定法(じょうほう)と呼ばれる数値表を掲載しています。

これが仕事でも必携だったのです。最近までも技術者手帳とかの巻末には平方根表や対数、三角関数の一覧表が載ってましたし、電卓持ち込み不可の試験では配られることが多いですよね。

これが庶民の数学です。

面白いなと思ったのは「割算でもかけ算ですませるための数値表」というものがあります。
『算法智恵袋大全(嘉永元年)』に掲載されている定法は

たとえば、2で割りたければ5をかけろ
4で割りたければ25をかけろ
・・・
17で割りたければ58823をかけろ
・・・
23でわりたければ43478をかけろ

こんな調子でつづきます。

江戸時代では人口の70%がそろばんで足し算かけ算ができました。でも割り算は難しいのでそこまで習熟しない人も多くいました。
そこで割り算をかけ算でやりましょうという表です。

かけ算して桁を動かせば(1/10、1/100・・・)割り算の商となるというわけです。

そろばんは足し算、引き算、かけ算から習熟が進むと、割り算となり、さらには開平方(へいほうこんを求める)、開立方(3乗根をもとめる)もできるようになるのです。

これは「再発見 江戸の数学 日本人は数学好きだった」(桐山光弘・歳森宏著 平成18年 日刊工業新聞社)で実際にそろばんを図示して解説しています。

この本もすばらしく読みやすい本です。
そろばんの操作例を示しているのですが、ざんねんながら私にはわかりません(泣)

でもそろばんで平方根や立方根が求められたら、ちょっと自慢できるね〜。かっこいいと思いませんか?

ルートぐらいなら安物電卓にもついていますけども、おそろしいのはそろばんでは10乗根までも求めるやりかたがあるそうです。

体積や面積から一辺を求めるため、また商人や金貸しが複利計算をそろばんでやっていたのです。

そろばんは江戸時代、今で言うところのスマートホンみたいなものだったのか・・・それに計算に対する執念とはすごいものです。

そろばん塾が衰退していったのは、電卓がこれほど安くなってしまったからとも言われています。

でもそろばんは数字の基本を教えてくれるのかもしれません。

いまも割り算や開平方、開立方はそろばん塾では教えてくれるのでしょうか。習ってみたい(笑)

過去ログ:机の中で増殖する電卓たち
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日本に「0」と「マイナス」の概念が入ったのはいつ頃なのか? 
Saturday, September 19, 2015, 06:00 PM
9/19 晴 10時 浅草での空間線量は20ベクレル/立法メートル

 

昨日紹介した和算に関する本を読んでいると、いろいろ知らなかったことがわかります。

・江戸の数学文化 川本亨二 1999 岩波書店
・江戸の天才数学者 世界を驚かせた和算家たち 2012 鳴海風 新潮選書

上記の本は薄くて読みやすく、ざっと概略をつかむにはうってつけです。お勧めします。

・そろばんが江戸時代に普及する前にはどうやって計算していたのか?
・ゼロ0という概念はいつから普及するのか
・算学塾とはなんだったのか
・和算を消したには明治政府

まず、そろばんは15世紀に中国で考えられて、それから日本へ伝来したものでした。中国のそろばんは上段が2つ、下段が5つの玉(まさに球形)でした。
江戸時代の書籍ではすでにおなじみの形に日本独自の進化をしています。「そろばん」は江戸時代の言葉で、明治以降は珠算(しゅざん)と呼ばれていきます。そろばんの漢字はいろいろあるので割愛します。

そろばんが伝来する前は、算木という木の棒で計算していたそうです。ただしこれはマス目に数だけの木片を並べて計算するので、どこでも手軽に計算できるというものではありません。

映画「天地明察」でも主人公の渋川春海(安井算哲)が部屋にこもって木片を並べて天体運動の計算をしていますが、算学者や陰陽師・暦師という専門家が扱うものだったようです。

算木を使った計算方法を「秘伝」として高めたのが、関孝和です。その弟子である建部賢弘(たけべかたひろ)らが受け継いでいきました。簡単に言えば連立方程式の解法ですが、高校で習う行列式です。

一般人は足し算と九九で暗算です。明治の学校制度江戸の寺子屋でも加減算はすっとばして剰余算から始めるほど、一般化していたそうです。

そろばんでの加減算は家庭内で必ず教える基礎知識であったのです。

しかし割り算は難しかったようで、江戸時代の寺子屋でもそろばんは加減まで、せいぜいかけ算を教えるぐらいしか、教える側もできませんでした。

「女児算(めのこざん)」という言葉が残っているように、幼い子は割るという計算動作を引き算を繰り返すことで、商と余りを出す方法です。手間がかかるが確実な割り算のやり方です。
そろばんでは動作を繰り返すだけなので、足し算と引き算ができればかけ算も割り算もそれで済んだのです。

余談ですが、コンピュータの割り算も内部では二進数で引き算を繰り返しています。そしてコンピュータの四則演算でも一番パワーを喰うのが割り算です。

割り算ができることがエリートの入口であった



税として納められた米を、給与として家臣に与えたり、米を換金して他の商品に替えたりと藩でも、武士でも数字に強くなければならないのでした。ましてや貨幣経済が発展していくと、幾種類もの銅銭、銀貨、金貨が流通し、その品質によっても両替の額(当時は銭売買と称した)が変わりました。

やっかいなことに大阪では銀貨が流通し、江戸では金貨中心でした。しかも銀貨は10進法(銀1匁=100文)、金貨は4進法(一両=4分)です。これは海外交易(主に清国)が銀決済だったから堺などの交易港では銀が多く流通していたことに寄ります。逆に金鉱山を抱える幕府は銀よりも金のほうが都合が良かったのです。

このように比率や通貨計算をできるひとは貨幣経済の発展と共に商人だけではなく藩の役人にも求められていたのです。

割り算は宣教師がもたらした!?



江戸時代のベストセラーであった代表的な数学書は

1.割算書 毛利勘兵衛重能(もうりかんべえしげよし):元和八年 1623年 夏の陣の8年後
2.算法闕疑抄(さんぽうけつぎしょう)磯村喜兵衛吉徳(いそむらきへえよしのり):明暦三年 1653年
3.塵劫記(じんこうき)吉田光由(よしだみつよし):寛永四年 1627年

2の著者である磯村は毛利重能の弟子で、3の吉田は磯村の弟子です。また毛利はキリシタンであっただろうと考えられています。つまり数学者でもある宣教師達から”秘伝”として受け継いだ者たちなのです。

”江戸の数学文化 川本亨二 平成11年 岩波書店”によると寛永年間(1624-1643)での和算家の記録にゼロを示す「令」という表記があり、数字のない桁には「○(マル)」を書き入れているそうです。

毛利や磯村の系統を引き継ぐ関孝和(せきたかかず またはせきこうわ)の算学書ではゼロもマイナスも算木で表記されています。

つまりゼロは宣教師が1600年初頭に日本で教え、計算に便利なことをすぐに理解した算学家たちは、高度数学で用いたのです。

ところがゼロが一般化するのは、江戸も終わり明治になってからです。

なぜなら小咄で、二人の子供の笑い話で、一歳年上の子供が年下の子供年齢は半分だと強弁する理由が、おまえが生まれたときはオレは二歳だったからというオチがあります。(年齢は数えでゼロ歳はないから)

ゼロという観念で笑い話が落語でよく使われたのです。

江戸時代でもゼロとマイナスという概念はなかなか一般には広がらなかったのです。
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江戸時代の数学指南書「塵劫記」は面白い! 
Friday, September 18, 2015, 01:56 PM
9/18 曇 10時 浅草での空間線量は21ベクレル/立法メートル

江戸時代の数学(和算)の発展を解説した書籍を読んでいます。

手元にあるのが

・江戸の数学文化 川本亨二 平成11年 岩波書店
・再発見 江戸の数学 日本人は数学好きだった 桐山光弘・歳森宏著 平成18年 日刊工業新聞社
・平成版 「塵劫記(じんこうき)」おもしろ算術書のすすめ 佐藤健一 平成21年 明治書院
・めざまし塵劫記(じんこうき) 笑いと数の江戸文化 西田知己 平成21年 東洋書店

鳴海風(なるみふう)氏の小説を読み、とても興味が湧いたので「塵劫記(じんこうき)」に関する書籍を読んでいます。

まずわかったことは

平山諦(ひらやま あきら1904-1998)という数学者が和算の発展のきっかけをポルトガル宣教師の来訪にあったという説を発表しており、これがいまでも数学史で賛否があるということです。

キリスト教の伝来が日本に数学の天才を産み出した



江戸時代以前でも奈良時代から九九や面積の計算といった簡単な幾何学はありました。
たとえば樹の高さを測る方法とか、田畑の面積の調べ方などです。

しかし計算ができるのは徴税官や寺の坊主といった一部の人たちです。

副島隆彦先生が言っていますが、寺社の坊主は今で言う地方官僚であり、インテリであったということ。なぜなら漢文の読み書きができたからです。

中央集権国家が成り立ち租庸調という税制が敷かれてから、農民の代表である庄屋あたりまで計算技術が求められていきます。

農民のまとめ役でありながら、頼母子講というお金を融通する役割もあったので、利息計算もしなければならなかったのだとか。

金利の複利計算ほど生きる上で重要な計算はないと私は思っています。

電車に「年利14%」というサラ金の広告が掲載されてましたが、

年利14%なんて永久に返済できないレベル



もし元本が返済できなければ5年で2倍、10年で4倍弱まで膨れあがります。まずこんな金利に手を出せば一生を終えてしまうでしょう。

江戸時代初期(1650年あたり)で算法闕疑抄(さんぽうけつぎしょう)という算盤(そろばん)の手本書がベストセラーになりました。

それまでは算盤は普及していなかったようです。この本をきっかけに農民、武士問わず多くの数学好きが現れました。自分たちで計算するというおもしろさを愉しんだのです。

言ってみれば、持ち運びできるゲーム機のような感覚で算盤玉を弾いたのです。

この算法闕疑抄を読んだであろう吉田光由(よしだみつよし:1598-1672)が書いた本が塵劫記(じんこうき)で、これもベストセラーになりました。いまでも岩波書籍から出ていますから400年以上のロングセラーとも言えます。

これも数学クイズで、落語や狂言でも取り上げられるほど人気がありました。

一気に江戸時代の人々は数学のおもしろさに開眼していったのです。

そして立木の高さや島への距離の求め方を知ると、測量といった実用へと必要に迫られて研究が進みました。

江戸時代では武士であっても「武」ではなく「智」が強く求められていたからです。

3代将軍家光では切支丹禁教令が発せられ宣教師や切支丹大名らは国外追放されたり、処刑されていきます。

しかし数学ができる宣教師は秘密裏に匿われた



平山諦(ひらやま あきら)氏の説であり、スピノラ、そしてキアラという宣教師が関孝和にヨーロッパ数学を教えたという考察を元に鳴海風氏が小説「算聖伝 関孝和の生涯」を執筆しています。

権力者は弾圧する一方で、知識技術を囲い込む

これは優位性を保つために、覇権国家、支配者が行う常套手段です。

軍事技術のみならず、核エネルギーの現在の状況がそうじゃありませんか。庶民には知らせない、教えないことが統制の基本です。

数学は日本人の思想に一大転換を持ち込んだ



これが私の結論です。
1650年あたりから、「理系主義」に殿様も武士も農民も染まっていったのです。

女に数学を教えてナンになると吠えた鹿児島県の知事がいますが、頭は江戸時代以前ということです。

女子教育「コサイン教えて何になる」 鹿児島知事、撤回
2015年8月28日12時00分
http://www.asahi.com/articles/ASH8X3J26H8XTLTB005.html?iref=comtop_6_04

 鹿児島県の伊藤祐一郎知事が、27日に開かれた県の総合教育会議で、女性の高校教育のあり方について、「高校でサイン、コサイン、タンジェントを教えて何になるのか」「それよりもう少し社会の事象とか植物の花や草の名前を教えた方がいいのかなあ」と述べていたことが分かった。知事は28日の定例記者会見で「口が滑った。女性を蔑視しようということではない」と発言を撤回する考えを示した。

 総合教育会議での発言は、25日に公表された全国学力・学習状況調査の結果について、知事の目標設定を問われた場面だったという。知事は28日の記者会見で「サイン、コサイン、タンジェントの公式をみなさん覚えていますか。私もサイン、コサインを人生で1回使いました」と釈明した。


安永4(1775)年のベストセラーは「算法少女」といって大阪の数学が長けた娘が父とともに数学試合を勝ち抜き、殿様の指南役になるというお話です。

江戸中期では数学素養こそ立身出世の武器であることは常識だったのです。
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毎日新聞の戦後の核開発史の連載はとても興味深いです 
Wednesday, September 16, 2015, 12:12 PM
毎日新聞で戦後70年を節目として国内と国外の核開発・原子力政策の裏側が連載されています。

「原子の森深く」は湯川秀樹(1907-1981)の弟子でありながら、ジャーナリストであり、原子力産業に強い影響を与えた森一久(もりかずひさ)氏の足跡を追っています。

原子力の平和利用に森一久氏を強く追い立てるのは、広島の被曝者であり、家族を失っているからです。また湯川秀樹氏もその生い立ちを知っているからこそ、研究者ではなく科学ジャーナリストとして安全性と兵器流用への監視の役目を託したのでしょう。

しかし森一久氏は師である湯川秀樹とさらにその師の仁科芳雄(1890-1951:にしなよしお)が原子爆弾の完成に大きく関与していたのではないか?という疑念が湧きます。

ノーベル賞は原爆完成の功労賞だったのだ


これが湯川のノーベル賞受賞時に森が抱いた疑念です。

現在はイラン、パキスタンの核技術の獲得のため科学者・技術者が総動員されている実状が連載されています。

遠心分離器ぐらいは自前でできるだろうと思っていたら、ウランの分離だけでも果てしない技術開発の賜物だったということがわかります。

同じ元素(ウラン)であっても同位体の分離は今でも困難な作業


です。

逆に、簡単に早くできるようになれば、いくらでも核は誰にでも手に入れることができるということ。この技術で他国がブレークスルーを見いだすことを阻止しつつも、原子力利用において効率的な分離技術は必要というジレンマを研究者は抱えているということです。

効率的で簡便な分離方法が作れたら、それこそノーベル賞は確実でしょうね。
第二のダイナマイト革命です。

以降 毎日新聞(9/16日現在)のリンクです。残念ながら有料会員のみが閲覧できます。


戦後70年・核回廊を歩く

イラン編

パキスタン編

戦後70年・原子の森、深く

  • 戦後70年・原子の森、深く:第3部・湯川博士の影/25止 こみ上げた「空しさ」 NEW
  • 戦後70年・原子の森、深く:第3部・湯川博士の影/24 恩師と一緒の夢
  • 戦後70年・原子の森、深く:第3部・湯川博士の影/23 秘め続けた本音
  • 戦後70年・原子の森、深く:第3部・湯川博士の影/22 去り時、腹を決める
  • 戦後70年・原子の森、深く:第3部・湯川博士の影/21 全電源停止を問う
  • 戦後70年・原子の森、深く:第3部・湯川博士の影/20 「サタンばかりに…」
  • 戦後70年・原子の森、深く:第3部・湯川博士の影/19 見続けた被ばく者
  • 戦後70年・原子の森、深く:第3部・湯川博士の影/18 民間監視機関に望み
  • 戦後70年・原子の森、深く:第3部・湯川博士の影/17 「日本の体質の問題だ」
  • 戦後70年・原子の森、深く:第3部・湯川博士の影/16 JCOショック
  • 戦後70年・原子の森、深く:第3部・湯川博士の影/15 「動燃は関東軍になった」
  • 戦後70年・原子の森、深く:第3部・湯川博士の影/14 破局の予兆
  • 戦後70年・原子の森、深く:第3部・湯川博士の影/13 国を超えた協力模索
  • 戦後70年・原子の森、深く:第3部・湯川博士の影/12 幻の軽水炉取引
  • 戦後70年・原子の森、深く:第3部・湯川博士の影/11 フィクサー、ソ連に行く
  • 戦後70年・原子の森、深く:第3部・湯川博士の影/10 自己満足、反対派を批判
  • 戦後70年・原子の森、深く:第3部・湯川博士の影/9 公開、問われた積極性
  • 戦後70年・原子の森、深く:第3部・湯川博士の影/8 森商店と呼ばれた原産
  • 戦後70年・原子の森、深く:第3部・湯川博士の影/7 番組製作に没頭
  • 戦後70年・原子の森、深く:第3部・湯川博士の影/6 事故試算「被害1兆円」
  • 戦後70年・原子の森、深く:第3部・湯川博士の影/5 理想が失望に変わる時
  • 戦後70年・原子の森、深く:第3部・湯川博士の影/4 消された「国家補償」
  • 戦後70年・原子の森、深く:第3部・湯川博士の影/3 事故賠償「やらねば」
  • 戦後70年・原子の森、深く:第3部・湯川博士の影/2 転身5年「足を洗う」
  • 戦後70年・原子の森、深く:第3部・湯川博士の影/1 本当に憂えたものは
  • 戦後70年・原子の森、深く:第2部・孤高の闘い/25止 果てなき「ぬかるみ」
  • 戦後70年・原子の森、深く:第2部・孤高の闘い/24 「いよいよ毒を飲むか」
  • 戦後70年・原子の森、深く:第2部・孤高の闘い/23 転向を決めたもの
  • 戦後70年・原子の森、深く:第2部・孤高の闘い/22 「12歳」が持つ原子力
  • 戦後70年・原子の森、深く:第2部・孤高の闘い/21 湯川博士の「責任」
  • 戦後70年・原子の森、深く:第2部・孤高の闘い/20 思想と現実の間で
  • 戦後70年・原子の森、深く:第2部・孤高の闘い/19 フィクサー誕生
  • 戦後70年・原子の森、深く:第2部・孤高の闘い/18 原爆、因縁の出会い
  • 戦後70年・原子の森、深く:第2部・孤高の闘い/17 たった一度の「群れ」
  • 戦後70年・原子の森、深く:第2部・孤高の闘い/16 核利用、悔いる政治家
  • 戦後70年・原子の森、深く:第2部・孤高の闘い/15 巣鴨の囚人たち
  • 戦後70年・原子の森、深く:第2部・孤高の闘い/14 科学者は籠もるな
  • 戦後70年・原子の森、深く:第2部・孤高の闘い/13 機密保全の縛り
  • 戦後70年・原子の森、深く:第2部・孤高の闘い/12 「米国の手先」になる
  • 戦後70年・原子の森、深く:第2部・孤高の闘い/11 原稿、原稿の日々
  • 戦後70年・原子の森、深く:第2部・孤高の闘い/10 国民にすべて伝えよ
  • 戦後70年・原子の森、深く:第2部・孤高の闘い/9 こだわった「思想」
  • 戦後70年・原子の森、深く:第2部・孤高の闘い/8 「広く明らかに」書く
  • 戦後70年・原子の森、深く:第2部・孤高の闘い/7 湯川博士が託したもの
  • 戦後70年・原子の森、深く:第2部・孤高の闘い/6 独り残された役割
  • 戦後70年・原子の森、深く:第2部・孤高の闘い/5 「空白の時代」の模索
  • 戦後70年・原子の森、深く:第2部・孤高の闘い/4 死を恐れつつ超えた人
  • 戦後70年・原子の森、深く:第2部・孤高の闘い/3 ちょっと違う雰囲気
  • 戦後70年・原子の森、深く:第2部・孤高の闘い/2 「あの世から見ている」
  • 戦後70年・原子の森、深く:第2部・孤高の闘い/1 被爆3年後の「宣言」
  • 第1部・広島の謎

  • 戦後70年に向けて・原子の森、深く:第1部・広島の謎/25止 原子力、見据える道
  • 戦後70年に向けて・原子の森、深く:第1部・広島の謎/24 運命の意味とは
  • 戦後70年に向けて・原子の森、深く:第1部・広島の謎/23 「謎」の裏付けなく
  • 戦後70年に向けて・原子の森、深く:第1部・広島の謎/22 40年はしゃべるな
  • 戦後70年に向けて・原子の森、深く:第1部・広島の謎/21 「疎開指示」一人だけ
  • 戦後70年に向けて・原子の森、深く:第1部・広島の謎/20 「広島投下」どこから
  • 戦後70年に向けて・原子の森、深く:第1部・広島の謎/19 3カ月前の告知
  • 戦後70年に向けて・原子の森、深く:第1部・広島の謎/18 親を疎開させた同窓生
  • 戦後70年に向けて・原子の森、深く:第1部・広島の謎/17 生存喜ぶ湯川博士
  • 戦後70年に向けて・原子の森、深く:第1部・広島の謎/16 原爆の日に生まれた
  • 戦後70年に向けて・原子の森、深く:第1部・広島の謎/15 「いよいよ最期か」
  • 戦後70年に向けて・原子の森、深く:第1部・広島の謎/14 仏も閻魔もない地獄
  • 戦後70年に向けて・原子の森、深く:第1部・広島の謎/13 被爆、独り残された
  • 戦後70年に向けて・原子の森、深く:第1部・広島の謎/12 18歳で湯川教室に
  • 戦後70年に向けて・原子の森、深く:第1部・広島の謎/11 「子供じゃあるまいし」
  • 戦後70年に向けて・原子の森、深く:第1部・広島の謎/10 原子力に「憂慮」する
  • 戦後70年に向けて・原子の森、深く:第1部・広島の謎/9 「もう少し頑張って」
  • 戦後70年に向けて・原子の森、深く:第1部・広島の謎/8 「最後の弟子」
  • 戦後70年に向けて・原子の森、深く:第1部・広島の謎/7 断れず苦しむ天才
  • 戦後70年に向けて・原子の森、深く:第1部・広島の謎/6 人間「湯川秀樹さん」
  • 戦後70年に向けて・原子の森、深く:第1部・広島の謎/5 「ドン」の履歴書
  • 戦後70年に向けて・原子の森、深く:第1部・広島の謎/4 死、嗚咽の理由は
  • 戦後70年に向けて・原子の森、深く:第1部・広島の謎/3 「お袋が見つからない」
  • 戦後70年に向けて・原子の森、深く:第1部・広島の謎/2 突然の「鬼」の嗚咽
  • 戦後70年に向けて・原子の森、深く:第1部・広島の謎/1 湯川博士への問い
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    ローマ法皇は<邪教に支配されているのだ>と命がけで上奏したのがルター 
    Tuesday, September 15, 2015, 03:44 PM
    副島隆彦先生との勉強会が熱海であり、私も出席させていただきました。

    マルティン・ルター(1483-1546)が教皇レオ10世(1475-1521:在位1513-1521)に出した公開質問状を西洋文化に詳しい編集者が、翻訳した内容の説明がありました。

    いままで日本で紹介されたルターの翻訳文には冒頭部分が意図的なのかはわかりませんが、省かれていたのです。

    まず驚いたのが、ルネッサンス(文芸復興運動)のパトロンであったメディチ家が、ローマ法皇という立場に就いていたということ。

    レオ10世はロレンツォ・デ・メディチの次男坊です。

    ロレンツォはメディチ家を金融で勢力体制を創りあげたコジモ・デ・メディチ(大コジモ)の孫です。
    コジモ(大コジモ)は反教皇主義かつダビンチ、ミケランジェロ、ラファエロ、ボッチチェリら芸術家を支援し、また哲学として新プラトン主義(ネオプラトニズム)を唱えて、学術面でも宗教的な束縛から解放を目指しました。

    新プラトン主義というものはナンなんだろうか?
    はい、私もさっぱりわかりません(笑)

    プラトン(BC427-347)が唱えた数学的に神の存在証明を試みる思想です。プラトンはソクラテス(BC469?-399)の弟子です。
    ざっくり言えば霊魂の存在を認め、その究極が創造主だという考え・・・だと私は捉えています。

    幾何学(天体運動)が神の采配である



    これが東西問わず中世までの自然観です。

    コジモ・デ・メヂチと孫のロレンツォがイタリアのフィレンツェでローマ法皇らバチカンとの<血みどろで>思想闘争をしたのがルネッサンスという美麗な響きのある芸術支援活動です。

    その後ドイツ人のマルティン・ルターが免罪符(すべての人が抱える贖罪が消えるという都合の良いお札)の販売を糾弾し、さらにラテン語で書かれた聖書を誰でも読めるドイツ語で出版します。

    グーテンベルグが発明した印刷機が、ドイツ語版の聖書の普及を進め、ルターの宗教革命の後押しをしました。それまでは(誰も読めない)ラテン語の聖書を読む者がカトリックの聖職者であったわけです。ここらへんは高校生でも知ってますよね。

    ルターの書のタイトルは「教皇レオ10世に奉る書」「キリスト者の自由」です。内容はネットで検索してみてください。

    ルターがキリストの唱える人間の贖罪を理由に、ローマ法皇は権力を独占するなという詰問状を教会に貼りだしたわけです。しかもその相手は、かつてカトリックを不倶戴天の敵としていたメヂチ家のロレンツォの次男がレオ10世ということ。

    メディチ家は反カトリックでありながらローマ教皇でもあった



    政治権力の争奪という行為がいかに魑魅魍魎(ちみもうりょう)であるかを思い知らされます。

    ドイツの有力な神学者であるマルティン・ルターをローマ側は懐柔したり、和解を申し入れますが、決裂しルターには追放令が発せられます。またルターの著作は禁書となります。

    こうしてルターの命がけの訴えは、1人の神学者を異端として片づくかとおもいきや

    ルターとレオ10世との文章のやりとりは印刷されてヨーロッパに広まった



    これで教会に支配されていたヨーロッパ人が徐々に反カトリックの姿勢を強めていったのです。
    カトリックに代わる宗教的規律がネオプラトン主義という考え方(物の見方)です。

    一神教という宗教的背景を元にした思想は共有するが、職業や結婚生活までは支配を受けないぞという考えが広がります。
    一言で言えば

    キリスト教徒に自由を目覚めさせたのがルター



    「教皇レオ10世に奉る書」の翻訳文を読むと、上奏という文書は古今東西、日本でも将軍や藩主に出す上奏文(建白書)は首を差し出す覚悟で書いていたのです。まさに魂の書です。

    そして今でもドイツ国内は1/3がカトリック、1/3がプロテスタント、1/3が無信仰か非キリスト教と三つ巴の思想対立が続いていると言うことです。

    宗教革命の200年後に超宗教活動として生まれた互助会がフリーメイソン


    だろうと私はおぼろげに考えます。

    あっ、安倍晋三は統一教会系の議員であり、統一教会はイエズス会(バチカンの対外侵略
    ・工作機関)傘下の組織ということは秘密です。

    過去ログ:東京都美術館でウフィツィ美術館展を観る
    なぜ副島隆彦はルネサンスに注目しているのか(宗教と政治という不滅のテーマ)

    カトリック(バチカン)VSプロテスタントという構図は今も続く
    ヘイトスピーチは本来アメリカの得意芸です
    CSIS(戦略国際問題研究所)の設立母体はイエズス会であった
    バチカンがユダヤ人を矢面にしてアメリカを支配しているという宣教師の主張

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    味方にはかならず敵の工作員がいるということ 
    Monday, September 14, 2015, 04:34 PM
    【速報】翁長知事が取り消し表明 辺野古承認に「瑕疵ある」
    沖縄タイムス 9月14日(月)10時3分配信

     翁長雄志知事は14日午前、沖縄県庁で記者会見を開き、沖縄県名護市辺野古の新基地建設で、仲井真弘多前知事が2013年12月に出した埋め立て承認を取り消す方針を表明した。公有水面埋立法上の瑕疵(かし)を認めた。県は同日、沖縄防衛局に対し、意見聴取に向けた通知を提出し、手続きに入った。10月中に取り消しが確定する見通し。翁長知事は「(承認を)取り消し得る瑕疵があるものと認めた。今後あらゆる手を尽くして(建設を)阻止する」と語った。
     取り消しとなれば、防衛局は新基地建設に伴う埋め立て工事の法的根拠を失う。辺野古沿岸でのほとんどの作業が適法ではなくなる。防衛局は意見聴取の中で反論するとみられる。
     県と政府は9日までの1カ月間の集中協議で問題解決に動いたが、互いの主張は平行線のまま決裂。防衛局は県の潜水調査が終わった翌日の12日、作業を再開していた。
     防衛局は13年3月22日に埋め立て承認申請書を県に提出。同年12月27日、仲井真前知事が「法の基準に適合している」と理由を説明し、承認した。
     翁長知事は新基地建設阻止を公約に、14年11月の知事選で仲井真氏に約10万票の大差で当選。有識者でつくる第三者委員会を設置し、同委から承認の手続きに「瑕疵あり」という報告書を受け取り、取り消しを判断した。


    翁長雄志(おながたけし)沖縄県知事が辺野古基地建設の埋立工事の承認を取り消すというニュースがあります。
    前任の仲井真氏の承認を元知事が取り消すということで、辺野古沖の埋立工事はできなくなると報じています。しかし私は逆の感想を持ちました。

    結局は翁長知事が逆に<反対派>を封じ込めている



    何を言いたいのかというと、多数の反対派に支持されて当選した翁長という知事は、

    実は基地推進派が擁立した工作員(スパイ)ではないか


    ということ。

    つまり、最後には伝家の宝刀として工事の認可取り消しをするといって反体制派をうまく取りまとめる役目だったということ。

    でも認可取り消しを沖縄県知事が申し立てをしたとしても、裁判所では覆されることは目に見えている。
    そうして工事続行許可が裁判所のお墨付きがでて、今後は工事は進んでいくでしょう。

    この手法は幕末の大老阿部正弘が攘夷派の水戸派を封じ込めるために、攘夷実行するぞするぞと牽制しながら開国への道筋を拓いていた経緯とよく似ています。

    裁判所で翁長知事の訴えを認める可能性は100%ない



    裁判官、とくに上級なほど裁判官は政府側の立場が強くなります。
    国の政策に反対の判決を出すことはありません。この裁判所という黒い組織は「ニッポンの裁判」(瀬木比呂志 講談社現代新書)で赤裸々に書かれています。

    過去ログ:まさに「黒い巨塔」・・・最高裁事務総局の黒い支配! 「ニッポンの裁判」瀬木比呂志著

    つまり翁長知事は結末がわかっていながら、反対派を納得させるために承認取り消しの申請をしただけということです。

    政治では敵対者が身近に紛れ込んでいることがあたりまえ



    共産党や創価学会、民主党に連なる政治家が自民党に属していたり、また逆に保守系であっても野党側にいる議員がいます。

    ヤクザにも警察の協力者であったり、対立組織の草として潜入している人はいるでしょう。

    歴史上では幕末においても攘夷(外国人排斥)派のようにみえて、開国主義であったりする人物がいます。

    また旧日本海軍の山本五十六や米内光政という元帥がアメリカフリーメイソン系であると言われていますし、私もそう思います。
    なぜなら海軍の上級士官は日本海軍設立当初から、アメリカ海軍の士官達(=ほとんどがフリーメイソン)と接していたわけです。

    鬼畜米英と叫びながら、上流層は米英と通じていたのです。

    敵味方という我々一般人からはうかがい知れない<共通の目的(利益)>で、裏側でしっかり結びついているということを私たちはそろそろ自覚しないとなりません。

    翁長沖縄県知事はやはり国の息がかかった工作員だったのだ

    これがこのニュースをみた感想です。

    参考Web:【10秒で読む日経】2015/9/14
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    ランボルギーニで刈りにでる(ファーミング・シミュレーター) 
    Friday, September 11, 2015, 02:09 PM
    9/11 晴 10時 浅草での空間線量は29ベクレル/立法メートル

    「そろそろ刈ろうか!」


    というキャッチコピーを見て、ああ人気ゲーム・モンスターハンター(モンハン)かと思いきや、そうではあらず。

    http://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1509/03/news149.html

    ボサボサ頭を手際よく散髪する理髪屋の広告でもはなく、なんとトラクターに乗って大型農業機械でまさに刈りをする、農業体験ゲームです。

    ファーミング・シミュレーターとは欧米で人気のゲーム分野なんだとか。
    登場する農業機械も実際のものが揃っている、本格的な設定なのだそうです。

    http://www.w-russell.jp/farming-simulator/




    Farming Simurator に登場する農業機械はほとんど日本ではお目にかかれないものばかり。北海道ぐらいでしょう。戦車並の迫力があってかっこいいなあと思いました。

    任天堂もこの分野やればいいのに。
    国産メーカーさん、販促がわりにシミュレーターゲームはいかがでしょうか。

    フライトシミュレーションゲームは昔からありますし、日本では鉄道シミュレーションが人気です。

    農器具シミュレーションが海外で人気ならば、土木作業機械(パワーショベルやクレーン、ダンプカー)のシミュレーションゲームだってあっていいのでは。
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    World Wide Opportunities on Organic Farms(WWOOF:ウーフ) 
    Wednesday, September 9, 2015, 04:24 PM
    農業体験をしてみたいとか、もっと本格的に農業実習先を探そうと思っていてもはたしてどういう手段があるのか私には皆目見当がつきません。

    誰でも思いつくのは、役所窓口に相談してみるとか農協、もしくは直接農家に心当たりを尋ねる程度でしょう。

    もっと気軽に食事と寝床の提供で、代わりとしてそこの稼業の手伝いをするといった農家の短期ホームステイ版がWWOOF(ウーフ)という活動なんだそうです。
    http://www.wwoofjapan.com/

    じっくり腰をおちつけて農林業を体験するもよし、旅の拠点として渡り歩くも良いそうです。

    まあ北海道の昆布漁やニシン漁の番屋は、まさにWWOOFそのものですけど。
    学生時代、キャンプで旅行していると、野外で寝るぐらいなら漁の手伝いをしないかとよく誘われました。
    昆布干しを手伝ったりして、お礼に昆布や魚介をもらったりと楽しかったなあ。
    思わず布団とメシに目が眩みかけましたが、先を急ぐので辞退させてもらいました。

    こうやって、暇を持て余している旅行者に声をかけて臨時作業員とするのは、良くある話。

    オートバイライダーやヒッチハイカーらが結構そうやってひと夏を漁師の手伝いで過ごして、秋には帰って行きます。またスキーのロッジやユースホステルなどでも宿泊客だったのに、いつのまにかホストになっちゃったという人たちも結構います。

    そこが北海道のいいところ。

    人生は旅、縁があったところが住処

    そんな浮き草な生活もいいもんだなあと思います。

    放浪の旅人が押し寄せる北海道なんかは、臨時の労力を集めるのは簡単ですが、他はそんな都合の良い旅人はこないものです。

    だったら積極的に呼びかけろ


    という活動がWWOOFだと思います。

    ひとときの出会いとなかなかできない農家暮らし

    地方には何もないとか、若者が寄りつかないと思いこんでいますが、

    何も無いと言うことはナンデモアリで
    旅人に呼びかけをしていないだけであることがわかります。

    地方の農家の需要はしっかりあるのです。

    オレも農作業や薪割り、炭作り、焼き物、漁業・・・いろいろ体験してみたいです。
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    刑務所をブランドとした「マル獄シリーズ」にはちょっと惹かれます 
    Wednesday, September 9, 2015, 11:28 AM
    9/9 雨 10時 浅草での空間線量は25ベクレル/立法メートル

    台風18号で関東は今日も明日まで雨降りのようです。引き籠もっております。

    新聞を読んでいると、刑務所の受刑者らがつくる製品が人気なのだそうで、ネットショップでも入手かのうなのだとか。
    http://www.e-capic.com/index.html

    革靴や家具はこんな価格では絶対買えないなあ。素人が作ったことを差し引いても市価の1/5だな。

    注文靴を受け付ける靴屋なんてのも台東区や墨田区などでは20年ほど前ならあったそうですが、今は知りません。
    一度ちゃんとした革靴を履こうと、お爺さんがやっている靴屋で訊ねたことがあります。

    木型を起こして一足6万円とのことなのですが、三足つくって少しづつ改良して完成にするという念の入れようです。つまり一足目は試作、二足目は木型や歩き癖による修正、三足目で双方が満足した完成品となるそうです。

    ということは最低十八万円でだいたい一足半年の納期だということ。さすが江戸の職人肌は完璧主義者だねえと感心したところ、べらんめえ、こだわる奴は六足目を一生モノにするんだと諭されました。

    いつかはそんな自分だけの特注靴を履きたいと思っていたら、会社勤めではなくなったので縁がなく成っちゃいました。いまは安売り屋のスニーカーと安全靴ばかり(笑)

    バッグとか靴はなかなか自分の満足するものがないので、いつかは自分のデザインで作りたいものです。
    この価格なら、リピーターがいるというのも頷けます。

    函館少年刑務所の前掛けとスマートフォン入れはなかなかいいですね。
    ここ浅草でも帆布の前掛けや携帯電話入れは合羽橋道具屋筋や仲見世(なかみせ)でも売っていますが、こんな値段では買えません。


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    変質したリベラリズムとパノプティコン化する国家 
    Tuesday, September 8, 2015, 11:57 AM
    9/8 雨 10時 浅草での空間線量は21ベクレル/立法メートル

    夏休みの私の課題図書と勝手にした「哲学用語辞典」(田中正人・斎藤哲也著 プレジデント社)はとても役立つ書籍なのでお勧めします。思想の系譜が時系列時代毎に分けられているので、私のような浅学な者にとってはわかりやすい。

    ヨーロッパ(主にドイツ)へのシリア難民の大量流入(東京都の人口とほぼ同じ)が報道されています。
    対岸の火事として私は眺めていますが、日本でもアジア域内で動乱が起これば同様の問題に直面するでしょう。

    ただ島国日本では幸か不幸か大規模な難民の流入は不可能です。
    一方では陸続きの大陸国家では常に難民受入れの問題が発生するわけです。

    難民問題は突き詰めればドイツのリベラル主義をEU域内で独断していることです。
    可哀想だから受入れろとEU加盟国にも同調を強制しています。

    ドイツはアメリカを抜いてダントツの難民受け入れ国です。ナチスの反省から迫害者の受入れに寛容なのです。
    世論でも積極的な難民受入れ政策には過半数が賛成しているそうです。

    シリアの公用語はフランス語なんですけどね



    シリアの戦争避難民は本来は宗主国だったフランスに渡るのかと思ったら、ドイツに行っちゃうのです。
    なんたってそっちの方が、ドイツ政府から生活費の支給があって、職業の斡旋があって、シリアコミュニティーがすでにあるからなんだそうです。

    フランス語とドイツ語は似たような言葉だから、日常会話なら互いになんとかなるみたいですね。
    東京都と同じ人口(1300万人)が一気に増えて、福祉を振り分けなければならないので、納税者はあまり良い気分ではないのは当然です。

    権利の同等と富の再配分はやっぱり行き詰まる



    結局は行き詰まるところは「カネの問題」になるからです。
    そしてカネの流れは「利権」となり政治家と省庁が握ることになります。

    難民の受入による国家のメリットは何ひとつないはずなのですが、ドイツでも積極的な難民受入れを表明している層もいます。

    それは企業経営者達。
    難民を低賃金労働力として積極的な受入を提言しているのだそうです。

    人道支援という建前で安価な労働力確保を目指しているわけです。

    功利主義とリベラリズムは矛盾と建前だらけだ



    ベンサムやミルがとなえた功利主義は結局の所「最大多数の<不幸せ>」を引き込んでしまったわけです。別にこの思想が悪いわけではないと思います。

    ただ19世紀の思想を21世紀にあてはめるのは無理がありすぎると言うこと。
    ミクロな対象をマクロに移したことで国家社会的な考えや共産主義に陥ってしまったのが20世紀の歴史です。

    功利主義の行き着く先は相互監視による同質化と見抜いたフーコー



    現代思想においてミッショル・フーコーは無視できない存在です。
    狂人を許容しない近代国家が増えつつあり、それがやがて国家全体がパノプティコン(一望監獄)となっていくであろうという予想を立てました。

    言うまでもなく、マイナンバー制度によってまさに日本も再びパノプティコン国家となります。
    ソーシャルナンバー制はアメリカを始め先進国ではすでに導入されています。

    せいぜい役所の事務手続きが早くなるだけで、我々にはメリットは大きくありません。
    ただし犯罪集団にとっては大きなメリットが生まれるでしょう。成り済ましによる詐取は導入国の共通の問題となっています。

    フーコーは50年前に先進国家は監獄化していくことを見抜いていたのです。

    欧米ではプロテスタントからルソーの<過激な>自由平等思想が生まれ、そして派生した功利主義やリベラリズムでみずから首を絞めていく結果となりつつあります。

    皮肉なことに、その思想がうまれたフランスでは、シリアへの空爆を検討しています。地上軍を派兵しないのが現在の国際政治のお約束ですから仕方がないことです。

    アメリカの轍をフランスも結局歩むことになる



    そしてドイツも歩調をあわせることになるでしょう。そしてEU全体が中東に巻き込まれていくという状況です。
    キリスト教圏にイスラムの倫理が流入することで、さらに摩擦が増えていくことは間違いないです。

    フェニズムやジェンダーフリーといった<極端な>倫理に染まるとはとうてい思えません。
    国内で対立や格差が目立つようになると、結局は国外へ敵をつくって国内の団結を計るのは歴史上では常套手段です。

    シリアへの軍事行動を皮切りに、世界はどんどん軍事紛争が勃発することになります。

    自由平等主義(リベラル)は結局戦争に帰着する



    そこで12年前にネグリとハートが新たな資本主義による帝国形態をマルチチュードと名付けて、新たな支配管理体制となるだろうと予測しました。

    マルチチュードというネットワークの権力システムがこれからの国家形態



    監視する側と監視される側、そして国民の相互監視という世界です。
    まさにそうなりつつあります。

    この様に見ていると中国は人民統治の最先進国です・・・
    もっともマルチチュード化して、権力は分散していくことは避けられないでしょう。

    ドイツではプロテスタント宗派は不人気で凋落の一方ですw
    過去ログ:人権平等主義のオウンゴール 過激平等主義は国家を揺るがす



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    「理研の闇、日本の闇」鬼塚英昭著 
    Monday, September 7, 2015, 02:34 PM
    9/7 雨 10時 浅草での空間線量は21ベクレル/立法メートル

     新聞にはたいしたものはないなあと諦めて、新聞を畳んで放り投げようとした瞬間に、新刊広告が目に止まりました。

    リケンの闇、ニッポンの闇・・・

    キンチョーの夏、ニッポンの夏という刷り込まれたフレーズと重なります。
    いや、ぜったいにこのフレーズを狙っただろう(笑)

    日本をニッポンと読ませた方がなんとなくアッパレ感がでるので、ぜひルビで「にっぽん」と入れて欲しかったなあ〜。

    増刷の暁にはぜひ私の意見を取り入れてくださいな>成甲書房さま

    中身をまだ見ていないので、書評はできませんが、広告では原爆製造も幻であったとあります。たしかに机上の理論はあったのでしょうが、なんせ国内のウラン採掘は頓挫してしまいました。

    福島県石川郡では戦中には陸軍が二号研究(仁科芳雄のにを頭に入れた)という隠語で、実際にウラン鉱石の採掘が行われていました。

    残念ながらウラン採掘は軌道に乗らなかったのですが、他の鉱物(雲母や水晶)の採掘でこの地方は注目されていきました。ちゃんと郷土資料館には史料が残されています。

    はっきり言ってしまえば、当初からウランの入手ができなかった時点で、たしかに鬼塚氏の言うとおり「幻」だったのでしょうね。

    理研の闇、ニッポンの闇

    良いタイトルだなあ。

    リケンの闇、ニッポンの闇

    としてオリンピックのゴタゴタにもそのまま使えそうなタイトルです。

    えっ金鳥から訴えられるって? 
    パクリンピックだから良いじゃないのぉ〜、ダメよダメダメ〜。

    過去ログ:福島阿武隈地方を旅行する(3) 牛が食べる土:数千万年前の海底土の地層
    福島阿武隈地方を旅行する(2) 地下資源と原爆研究(二号研究)の関わり
    福島阿武隈地方を旅行する(1)

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    奈良時代から数字に強くないと役人にはなれません 
    Saturday, September 5, 2015, 05:14 PM


    算数の九九算はいつ頃から人々が使い始めたのか?
    その解説記事があったので掲載しておきます。

    庶民の間で数学が日常の娯楽となったのが、江戸時代前期に吉田光由(よしだみつよし)が書いた「塵劫記(じんこうき)」がベストセラーとなったことがきっかけとなっています。

    なんと現代の岩波書店でも出版しているので、五〇〇年にもわたるベストセラーといえます。

    この記事の奈良時代に租庸調(そようちょう)と呼ばれる徴税制度ができ、その徴税官が計算で忍ばせていた木簡が載っています。

    七九六十三 八九七十二 九九八一
    四三六 七九四七 六九七十四
    一九?? 二九四八 三九二十四
    六七四八 七八七十六 八八六十四
    ・・・

    笑っちゃうほど間違いだらけですw

    こんなアホな役人にたずさわったらえらい目に合います。もしくはほくほくしたでしょう。

    (9/6追記)

    塵劫記の解説本を読んでみました。驚いたのは我々の馴染みがある九九ともう一つの九九があったことです。しかも全く意味がわかりません。

    それは「割算九九」と呼ばれるもので、算盤で割り算をする際に用いる口調なのだそうです。さっぱりわかりませんが、昭和初期までは我々の知っている九九と同じく、割算の九九も算盤では一般的だったのだとか。

    しかも割り算は単調な同じ作業なので、例えば五倍するよりも、十倍して(一桁あげて)二で割る方が簡単で好まれたのだとか。(桁をひとつずらせば10倍ですから、それを二で割れば5倍ということ。)

    コンピュータの二進数では二倍する/二で割るという動作は、単に数字(0か1ですが)を右にずらすか左にずらすだけの動作と同じです。(位置の桁に0を加えれば2倍となります。00を加えれば4倍ですね)

    ちなみにコンピュータ内部では足し算はできても、引き算はできません。

    足し算をする場合は、引く数の「補数(ほすう)」というものを足します。

    時計の長針(分)をイメージするとわかりやすいかもしれません。

    例:四十五分から十五分を引く(補数の四十五分を足す)と答えは三十分となります。

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    年金資金(GPIF)につづき堂々と郵貯に手を伸ばす政府・財務省 
    Saturday, September 5, 2015, 01:00 PM
    9/5 晴 10時 浅草での空間線量は24ベクレル/立法メートル

    昨日のYahooで郵貯預金限度額引き上げの議論が政府内でなされているという記事を目にしました。
    なんか既視感があるなあと思っていたら、今年の6月23日には自民党総務会が郵貯の限度額引き上げの答申を見送ったので、この議論は終わっていたのだと思っていました。

    株価下落でふたたび貯金限度額引き上げの議論が再燃



    財務省のごり押しはわかりやすい。

    株の運用損失穴埋めに郵貯資金+簡易保険をもっとぶちこみたいという意思です。

    現在でも20兆円、それがさらに何倍にもこれから膨れていくでしょう。

    そのためにも現在上限額が1000万円という個人預金を3倍ぐらいにはしたいということ。
    上場も予定されているために、株価を高くしたいという意図もあるでしょう。

    だから9月中にでも一刻も早く、たとえ民業圧迫をしてでも郵貯限度額の引き上げを目指していると言うこと。

    私も副島隆彦先生もリバータリアンですから、

    こういう国家支配による市場操作・民業圧迫に断固反対します




    以下副島隆彦学問道場より転載

    [1812]私の金融セミナーは満員御礼。 世界株崩れ が続いて、2番底 ができつつある。
    投稿者:副島隆彦
    投稿日:2015-09-02 08:49:37

    副島隆彦です。  今日は、2015年9月2日です。

     ついに世界的な金融崩れが始まったようだ。 日経平均は、1日、724円下落して終わった(18165円)。そして、今朝の5時に、NY株式市場は、469ドル下落で終わった(16000ドル割れがあった)。 

     一回目の8月24日崩れ(1番底)、を、政府たちは買い支えきれなかったようだ。これは2番崩れの発生である。

    副島隆彦です。 日本政府と、アメリカ政府(米財務省とFRB)が、この2回目の株崩れを買い支えて阻止できないようだと、本格的な世界的な株の大暴落の始まりとなる。

     2回目の株暴落を 日本の政府資金(年金=GPIF、日銀ETF、郵貯)で買い支えて、ヘッジファンドたちの 日経平均先物(にっけいへいきんさきもの)の売り崩しを阻止できないようだと、さらなる“連鎖する大暴落”となる。

    政府が、「どれどれ権力者であるオレさまたちが 」と 自分でバクチを張ると、失敗するに決まっている。
    軍隊とか警察とか、税務署とかの権力機関を自由に動かせる、と 思って、市場(マーケット)という、人智(じんち)を越えた世界に、いいかと思って、嵌(はま)り込むと、動きを見透かされて、ヤラれるに決まっている。本当に愚か者たちだ。 

     アメリカのFRB議長のジャネット・イエレン 婆さんは、恒例の8月末の、ワイオミング州ジャクソンホールでの会合を欠席して逃げまわっている。表に出てこない。怯(おびえ)まくって、どうしていいか分からなくなっている。 

     「9月の米の政策金利(短期金利)の0.25%の引き上げ」どころの騒ぎではない。 そんなことをしたら、アメリカから資金が一斉に逃げるから、NYの株価がさらに暴落を続ける。

     それよりも怖(こわ)いのは、米国債(ナショナル・ボンド、財務省証券)の大きな崩れである。一番恐ろしい、この「債券バブルの崩壊」、「緩和(かんわ)マネーの終わり」の話はここには書かない。
     
     「中国の景気減速が世界に悪い影響を与え」と、すべて、中国のせいにして、今の世界株崩れを説明しようとする。なんというワルいやつらだろう。あれほど中国のことを長年、腐(くさ)して見下(みくだ)して、軽蔑してきたくせに。

     今頃になって、「世界の経済は、実は(実需中心である。世界の実物経済を支えてきた)中国を中心に動きているのだ」ということを、いつの間にか、認めている。 

     中国は強いから、株式(上海総合指数)が、3000ポイントを割って、2500近くまで崩れても平気だ。 中国人は、天性の博奕(ばくち)打ちだから、平然としている。暴落したら、そこから買い上げる。 日本人のように、これぐらいのことでは脅(おび)えない。 

     私は、『中国、アラブ、欧州 (ロシアもインドも)が手を結び ユーラシアの時代 が 勃興する』(ビジネス社刊、2015年8月初 刊) を出した。 その中で、「(7月に)中国株の 一番底だ。 この先の動きを見極めて、人民元預金をして、中国株を買うべきだ。中国は強い。中国は勝つ」 と書いた。 この本を買って読んでください。  

     中国は、「社会主義的な特色のある市場経済 」を 実行しているから、いつでも統制経済(とうせいけいざい、コントロールド・エコノミー)に移行できる。先進国は、「自分たちは近代人で、法の支配(ルール・オブ・ラー)を大事にするから、株式市場の閉鎖 とか株式の取引停止などということは出来ない。法律違反だから」 と 強がりで言っている。

     どうせ、このあとは、取引停止の連続的な嵐が 世界中の各市場で 起きるのではないか。

     GPIF (114兆円。年金資金投資運用 なんたら)は、日本国民の大事な、年金の積立金を、株というバクチに突っ込んで、「15兆円、儲かった」と宣伝したばかりだが、この8月末からの 株崩れで、痛手を受けて、もう20兆円ぐらいの評価損 を出しているようだ。

     ということは、「あと11兆円あるはずの、日本国内株式 への投資余力(よりょく)」が消えてしまっているようなのだ。 彼らが、(政府の機関のくせに)発表しないから、真実が分からない。 のたうち回っているのではないか。あの GPIFの建物から、飛び降り自殺する責任者が、数人、出ることを私は希望する。

     公的資金から利益を出す、というのは禁止である、と全国の公務員は、頭の芯(しん)から、叩きこまれた重要な、「公務員の服務規程、教育勅語、戦陣訓」だったはずだ。それを、竹中平蔵たちが、「公務員も 利益出せ、利益を出せ」と喚(わめ)いて、法律違反をたくさんやって、今の事態だ。

     アメリカさまに 日本国民の 大切な資金を貢ぎ続けることしか頭にない、本当に、悪魔の様なやつらだ。“インタゲ”の旗振り人、伊藤隆敏(いとうたかとし)、西室泰三(にしむろたちぞう)たちも同罪となる。 日本国民の年金が、吹き飛んだら、お前たちは、本当に、国民から石を投げられるでは済まない。縛り首だ。
     
     日本政府とアメリカ政府とEU(ヨーロッパ)政府が、目下の株崩れを、買い支えることが出来ないと、何が起きるか。このあとどうなるか、だ。やっぱり、中国と同じで、ゆくゆくは、・・・市場統制、取引停止、市場閉鎖 ということになるのではないか。バカな奴らだ。

     私、副島隆彦 の友人のひとり は、「副島。このあとは、ずっと暴落だから、日本版のVIX(ヴイアイエクス、恐怖指数)を買うよ」 と言った。以下の 「株が暴落しそうになったら、激しく跳ね上がって儲かる」日本版の VIX(恐怖指数)のURLを載せます。 天性、博奕打ちの素質のある人は、参考にしてください。

    1552 国際のETF VIX短期先物指数
    http://www.nikkei.com/markets/company/index.aspx?scode=1552

    2030 iPath VIX短期先物指数連動受益証券発行信託
    http://www.nikkei.com/markets/company/index.aspx?scode=2030




    http://toyokeizai.net/articles/-/82270

    ゆうちょ銀、限度額引き上げめぐる激しい攻防


    頑なだった民間ライバルも徐々に軟化?
    福田 淳 :東洋経済 編集局記者 2015年09月04日

    現在、ゆうちょ銀には1000万円までしか預けられない
    11月にも上場するとみられる、ゆうちょ銀行の規制緩和をめぐる議論が、ヤマ場を迎えている。8月27日、郵政民営化委員会が開催され、ゆうちょ銀行の預入限度額引き上げなどについて議論を本格化させた。

    現在、ゆうちょ銀行の貯金(通常貯金、定額貯金、定期貯金など。財形定額貯金などは除く)には、1人1000万円までしか預けられない。これを自民党は、この9月末までに2000万円、2年後までに3000万円へ引き上げ、条件が整えば完全に撤廃すべきと、6月26日に政府へ申し入れていた。政府は郵政民営化委員会へ審議を要請。委員会は議論を始め、7月14日から意見を広く募集した。

    賛否が激しく対立、個人は賛成多数

    それから1カ月以上が経ち、提出期限までに意見を提出した12団体と、日本郵政グループから直接意見を聞く場が委員会で設けられた。全国銀行協会、全国地方銀行協会、第二地方銀行協会、信託協会、全国信用金庫協会、全国信用組合中央協会、農林中央金庫など、既存の民間金融機関の団体は、いずれも限度額引き上げは「認められるべきではない」「当面棚上げすべき」「当面引き上げるべきではない」と、反対を表明した。

    ゆうちょ銀行の貯金残高は177兆円で、預け入れ限度額のない民間銀行最大手・三菱東京UFJ銀行の124兆円をすでに大きく超えている。これ以上、ゆうちょ側におカネが流れるのは避けたいという思惑がある。

    一方、全国郵便局長会や日本郵政グループ労働組合など、ゆうちょ銀行関係者は「利便性向上と高齢者など弱者の救済」「経営の自由度の確保」などの観点から、限度額の引き上げや早期撤廃が必要との意見を述べた。

    7月14日〜8月4日までの3週間で寄せられた意見の総数は1395件。うち個人が1345件、団体が50件だった。

    この意見はすべて、郵政民営化委員会のホームページ上にアップされている。個人1345件の意見は、大半が「限度額の撤廃」あるいは「限度額引き上げの実施」を求めている。

    個人の属性は明示されていないが、「郵便局長として意見する」「小さな町の郵便局長をしております」「兵庫県内3名局の過疎地の局長です」「私は今年58歳になる郵便局長です」などと、意見の中で記しており、郵便局長によるものが少なくない。郵便局は2万局以上あり、日本最大のコンビニであるセブン-イレブンの店舗数(約1万8000店強)を大きく上回る。その組織票の力は強い。

    一方、50の団体の意見は分かれる。上述した金融機関団体や郵政関連団体のほかは、地方自治体や地方商工会がほとんど。その内容を分類すると、限度額の引き上げや撤廃、業務拡大を求める団体が22。反対あるいは慎重な検討を求める意見の団体が28だった。

    和歌山県日高川町長や新潟県南魚沼市長、島根県飯南町長、愛知県豊根村長など、自治体の長は、総じて限度額の引き上げ・撤廃を主張している。

    商工会議所も意見が二分

    興味深いのは、商工会議所の意見が二つにわかれている点だ。北海道三笠市商工会は「地域金融システムに悪影響を与えることのないよう、慎重に検討を行っていただきたい」とする一方、同じ北海道の夕張商工会議所は「人口の流出がおこり、高齢者率も45%以上となっております。地域住民の利便性を考えていただき、他の金融機関と同様に限度額の撤廃をお願いします」と、限度額の撤廃を要望している。

    ただ、各地の商工会議所をまとめる全国組織・日本商工会議所が「慎重に対応する必要がある」と求めているだけに、大半の商工会議所は引き上げに慎重だ。愛知県の稲沢商工会議所は「貯金の上限が撤廃されれば、地元の、特に信用金庫にとってお客を奪われる脅威となり得る」、京都府の綾部商工会議所は「本地域における唯一の信用金庫においては、預金シフトは避けられず」と、信用金庫への影響を懸念する。

    引き上げを要望しているのは、先に挙げた北海道の夕張のほか、同じ北海道の阿寒町商工会と標茶町商工会、鹿児島県の薩摩川内市商工会ぐらいだ。

    こうした両極端の議論を、どうまとめるのか。8月27日の委員会後の会見で、限度額引き上げの必要性を問われた増田寛也委員長は、「それは申し上げられない。ノーコメント」としながらも、2007年の郵政民営化以前から委員を務めていた経験と照らして「昔に比べると(民間金融機関団体の)ニュアンスは変わってきていると思う」と感想を述べた。

    全銀協や地銀協には当時、「(ゆうちょに対しては)暗黙の政府保証がずっと続いているし、業務の規制を緩和しようということに、非常に警戒感があった。(だが)そこは少しニュアンスが変わってきている」と、増田委員長はみる。今回、全銀協や地銀協は、限度額引き上げには反対しながらも、ゆうちょ銀行との協調・連携について触れるなど、少しずつ歩み寄りの姿勢もみられるからだ。

    増田委員長のこうした受け止めが、限度額引き上げの容認につながるとはかぎらず、委員会での議論がどうなるかもわからない。だが、かつてほど民業を圧迫しないだろうと判断すれば、預入限度額が引き上げられる可能性はある。

    自民党が目指した9月引き上げは難しい

    スケジュールについては「政府から要請されている審議の内容は、非常に広い内容になっている。また、多くの意見を寄せられたので、それをよく分析して、意見をまとめていくことになる。いつまでにというスケジュールは申し上げられないが、時間をかけないと、と思っている。上場の前になるか後になるかは、申し上げられないが、それなりに時間がかかるということだけは申し上げておく」と増田委員長は語った。

    限度額を引き上げるとすれば、「政府が政令を決めて、正式に民営化委員会の意見を聞くという手続きが必要だが、いま政府はそういう手続きに入るという様子はない」(増田委員長)。

    こうした状況では、9月末までに預入限度額を2000万円まで引き上げるとした自民党の提言を実現することは難しそうだ。ただ、時間をかけて議論する中で、自民党案よりも遅いスケジュールで、引き上げが認められる可能性はある。2016年夏には参議院議員選挙が予定されており、その前に引き上げが決まるのかもしれない。


    http://www.asahi.com/articles/ASH6R5F99H6RUTFK00G.html

    ゆうちょ銀の預金上限引き上げ案、自民総務会が見送り


    2015年6月23日19時44分

     自民党の総務会は23日、ゆうちょ銀行の預金とかんぽ生命保険の契約の限度額を引き上げる案の了承を見送った。金融機関の反発と同様に、総務会でも「民業圧迫」との批判が相次いだためだ。

     この案は「郵政事業に関する特命委員会」(細田博之委員長)がまとめた。ゆうちょ銀行は預金限度額を9月末までに2千万円、2年後までに3千万円に引き上げて、将来は撤廃。かんぽ生命は契約限度額を9月末までに2千万円に引き上げ、将来はさらに引き上げるという内容だ。

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    戦後400年!元禄時代(17世紀末・18世紀初頭)の大阪から近代化が始まった 
    Thursday, September 3, 2015, 03:46 PM
    9/3 曇 10時 浅草での空間線量は22ベクレル/立法メートル

    日本史の教科書では日本の近代化(modernization)は明治元年(1868年)から始まったかのように教え込まれてしまいます。

    そんなのは嘘です!!!

    日本史の年表だけでは近代思想は理解できない。

    日本国内での数学の発展こそ近代思想の歩みなのです



    思想史研究を進めると、結局は科学の発展と同じ歩みであり、その根源はカトリックからプロテスタント(抗議という意味の宗派)の勃興と重なることに気づくでしょう。

    プロテスタンティズムといっても、ローマ教皇への反発といった表面的なことではなく、三位一体(天+イエス+精霊)を信じるのではなく、実在したイエスの物語は信じるが

    そもそも天主(創造主)ってどんなのよ?



    という神学論争が科学の発展の原動力であったわけです。

    創造の神というのはいるのだろうけど、それはすなわち自然の摂理というか宇宙の法則ってやつちゃいますか〜?という考え(理神論という)に辿り着いたのがプロテスタントでもユニテリアニズムという主義です。



    天の差配というものは実在するのだけども、それはなんらかの法則であるという科学的な思想が生まれたのです。

    カトリックの中でも異端なユダヤ人商人が迫害されて、反カトリック勢力の主力となっていきました。当事のユダヤ商人への蔑視は「ベニスの商人」でおわかりいただけるでしょう。

    地球が丸い、太陽の周りを地球や惑星が回っている、病気は病原菌により引き起こされる、物質は元素でできている・・・等々、それまでは神の仕業と慰めがわりに思考停止させられていた状態から、徐々に宇宙から我々の身体の仕組みが解明されていったのがヨーロッパの16世紀から17世紀にかけてです。

    ルネッサンスという時代です。このアンチ・カトリックの風潮が思想も芸術も科学も発展させたのです。

    ヨーロッパ新思想をいち早く取り入れたのは大阪商人である



    徳川秀忠(2代)家光(3代)によって日本はオランダ船以外の海外商船の来港を拒否したことになっています。

    ただし家康は徳川幕府の財政を強化するために、独占的に海外貿易を振興するつもりだったそうです。1600年江戸幕府開府当初では東京湾にはスペインの商船団が走り回っていたのです。

    ところが商船でありながら、東京湾の水深や陸地の測量を始めていることに当然ながら危惧を抱きます。
    商船といっても軍艦ですし、上陸の先兵として宣教師も乗っています。

    友好的であっても決してその本心は見せないものです。スペインの深謀を忠告したのはプロテスタントのオランダ商人であり、その実態は迫害されてきた歴史をもつユダヤ人達です。

    これは正しい選択であったろうと思います。もひとつ余計なことを言えば、今こそ日本は鎖国すべきだとも思っています。

    特に中国と韓国とは国交を制限すべきだと思っています



    思想が相容れない国からは距離を置くのが正しい国家政策なのではないでしょうか。

    話を戻して、長崎だけが海外通商の窓口となりましたが、当事の都である京都に荷を運ぶためには大阪湾に積荷が回航されて、さらに淀川で運ばれます。

    信長、秀吉、そして徳川の時代であっても大阪商人が物流の要であったわけです。こんなことは誰でも知っていますね。

    ちなみに幕府の人気役職は長崎奉行と堺奉行でした。
    貿易の監督者であるために数年赴任しただけで(賄賂で)御殿が建つと言われました。

    千利休も大阪商人の家の出で、茶の湯にはキリスト教の影響があると言われていますが、たぶんそうでしょう。

    それよりも大阪からキリスト教の影響が広がったもっと確かな証拠があります。

    数学を教える私塾は大阪が発祥である



    江戸中期の民間数学者で間重富(はざましげとみ)という人物がいました。
    武士の高橋至時(たかはしこれとき)の元で、数学とくに幾何学の研究を進めて暦の製作に関わりました。日本地図をつくった伊能忠敬(いのうただたか)も門下生です。重富は大阪の質屋の主、忠敬は千葉県佐原市の豪商で惣庄屋(百姓の代表、村長役)でした。

    高橋至時と間重富が入門したのが大阪の天文学者・麻田剛立(あさだごうりゅう)です。

    この麻田剛立は大分の杵築(きねつき)藩を天文研究をしたくて脱藩したという逸話の持ち主です。大阪の商人が脱藩浪人となった麻田剛立を支援して、数学塾を開設します。

    江戸時代中期(1750年前後)には藩医や藩の技官レベルの武士がこぞって蘭学(蛮学)を学びに、江戸や大阪の私塾に留学(遊学)しました。

    遊学してくる各藩のインテリ層を支援したのが大阪商人たちであり、商人自身も学者肌が多かったのです。間重富もそのひとり。
    麻田剛立の天文学(幾何学)は高橋至時と間重富に受け継がれ、幕府の研究機関へと発展します。

    麻田剛立は独力でケプラーの法則を発見した天文学者としても有名です。

    江戸時代初期に改暦を行った数学者・渋川春海(しぶかわはるみ:中井算哲)が初代所長となった浅草鳥越天文台には蛮書和解御用所という洋書の翻訳部門がつくられ、そこが蕃書調所(ばんしょしらべしょ)という独立した研究機関となりました。開成所、大学南校となります。東大教養学部の前身です。

    南蛮貿易が盛んに行われた16世紀半ば〜17世紀が近代思想の芽生え



    キリシタン大名も近畿出身者が多いですね。高山右近や黒田官兵衛・・・特に小西行長は堺の商家の出身です。

    昨日は戦国時代の主従関係は実力主義を重んじる韓非子の思想と説明してありますが、信長の政策は楽市楽座といった商売の自由を認め、物流の整備と貨幣による近代経済を推し進めるものでした。

    近代化を最初に実践したのは信長であり、大阪商人が支持したのでしょう。

    海外から次々やってくる科学知識を理解して消化しなくては商売にならないという損得勘定も否定はしませんけどもね。

    大阪商人はルネッサンスのメディチ家のようなパトロンであった



    ヨーロッパ中世のルネッサンス運動は銀行業を営むメディチ家が資金援助をしていたことを習いますが、金持ちの道楽でミケランジェロやラファエロといった画家を囲っていたわけではありません。

    芸術復興(ルネッサンス)という反教皇主義の政治運動を、芸術面や科学面で支援したわけです。

    大阪の商人たちも、海外情勢や先端科学技術をいち早く接していたのは疑いのないことです。

    ザビエルが日本に上陸してからは、南蛮貿易(なんばんぼうえき)が盛んになり、信長や秀吉も推奨しました。

    数学とは海外では神学であるが、日本では武道である



    和算の歴史を読んでいると、数学の私塾というイメージはそろばん塾のよう、いわゆる寺子屋のようなイメージを抱きがちですが、そうではなく、流派を掲げた道場です。

    他流試合として他の流派に数学問答をしに行ったり、算額奉納といって神社仏閣に数学の問題を掲げて挑戦者を求めました。

    刀を(秀吉によって)取り上げられた庶民にとっては、「数学の能力が武力」であったのです。

    ヨーロッパのルネッサンスは絵画に注目されますが、日本のルネッサンスは数学の能力研鑽に力を入れられたのでしょう。

    美術に関しては宗教的な制約や権力による(思想)取締りはありませんでしたからね。

    「大阪商人(おおさかあきんど)は算盤(そろばん)をもって産まれてくる」と揶揄されるほど、大阪人は数学を愛していたのです。

    堺は日本のベニスといわれるとおり、ユダヤ思想が根付いていたのです。

    朝日新聞に大阪夏の陣・戦後400年という記事が掲載されていました。

    そうかあ、夏の陣からもう400年も経ったかと感慨深く(なわけない!)記事を読みましたw

    今の大阪は見る影もないですね(泣)

    近代都市だった大阪は400年でなくなっちゃて、話題はヤクザ山口組の抗争ぐらいです。

    過去ログ:数量化という概念が理解できていない人物の戯言は日本に悲劇的な結末を招く
    緒方洪庵から始まった近代思想の系譜(真のサムライ魂とは)


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    「織田信長 四三三年目の真実」(明智憲三郎 幻冬舎)を読む 
    Wednesday, September 2, 2015, 03:08 PM
    9/2 晴 10時 浅草での空間線量は21ベクレル/立法メートル

    ベストセラー「本能寺の変 四三一年目の真実」の解説書ともいえる明智憲三郎氏の「「織田信長 四三三年目の真実」(明智憲三郎 幻冬舎)を読んでいます。

    信長という人物は父・信秀から英才教育を受け、実践した兵法のエキスパートであること。そして一番の拠り所は信賞必罰を基本とする「韓非子」であると指摘しています。

    戦国時代において主従関係は、手柄に対して恩賞をもらうという今ではあたりまえの関係です。
    資金(領土)が豊富な主君に家臣はすぐになびくといったドライなものです。

    会社の雇用関係でもあり、有力政治家とその手駒のようなもので、小学生でも理解できます。

    そして信長像と明智光秀による謀反の動悸が、現在までの定説(怨恨説・四国征伐説・朝廷黒幕説・イエズス会黒幕説・足利義昭説等)がどれも推測か想像のものでしかないことを丁寧に解説しあります。

    昨年10月には信長と足利義昭との関係を表す書状が見つかったことで、朝廷と信長の対立を光秀が取りなしたという説は否定されました。

    信長「幻の上洛作戦」裏付け 足利義昭側の書状見つかる
    http://www.asahi.com/articles/ASGB17D4ZGB1TLVB017.html
    森田岳穂2014年10月3日18時23分

    天下統一をめざした織田信長が、実際に上洛(じょうらく)を果たした1568(永禄11)年の2年前、すでに上洛作戦を立てていたことを示す手紙が、熊本市内で見つかった。室町幕府最後の将軍となる足利義昭側の書状で、熊本県立美術館などが3日、発表した。状況の変化で実現しなかった「幻の上洛作戦」は、信長が早くから天下取りを強く意識していたことをうかがわせる。

     書状は14通で、共同調査していた同館と熊本大文学部付属永青文庫研究センター、東京大史料編纂(へんさん)所が、もともと足利家に仕えていた細川家家臣の子孫の民家から発見。書状の裏面は、のちに医術書に使われ、文が書き込まれていた。

     いずれも1566(永禄9)年8月28日付で、近江国(現・滋賀県)に亡命していた義昭が、側近を通して近畿地方の伊賀や山城国の武士宛てに書いたもの。室町幕府再興をめざして上洛するにあたり、信長が味方するので加勢するようにと働きかける内容だった。義昭と信長が早くから強い結びつきを持っていたことがわかる。


    またその4ヶ月前、昨年の6月には四国の長宗我部元親が光秀の家臣斎藤利三へ信長に恭順を示す手紙が発見されたことで、四国征伐に抗議して光秀が謀反を起こしたという説は信憑性が高まりました。

    後年、長曾我部元親の家臣らによる伝記「元親記」でも光秀謀反の企ては光秀の家臣ではすでに共有されていたことがわかります。

    明智憲三郎の光秀謀反理由の仮説が出版後に実証されたということ



    明智憲三郎氏の仮説は、もっと飛躍しており、信長は光秀に、ともに家康を暗殺しようと持ちかけられていたというのが明智憲三郎氏の歴史捜査での結論なのですが、このようにするとすべての疑問が次々と氷解していくのです。

    本能寺の変 引き金の手紙? 長宗我部元親 信長に恭順
    2014年6月24日 東京新聞朝刊

     戦国時代に土佐(高知)の武将だった長宗我部元親(ちょうそかべもとちか)が四国の領土をめぐり、本能寺の変の前に織田信長の命令に従う意向を示した手紙=写真=が見つかり、所蔵する林原美術館(岡山市)と、共同研究する岡山県立博物館が二十三日、発表した。

     信長は、四国は元親の自由にさせるとの方針から、一部しか領有を認めないと変更。手紙は明智光秀の家臣斎藤利三に宛てたもので、元親が従う姿勢だったことが確認されたのは初めて。

     手紙は一五八二年五月二十一日付。直後の六月二日に起きた本能寺の変は、織田と長宗我部の仲介役だった明智光秀が、信長の方針転換に納得しなかったことが原因との説もある。

     この手紙の数日後には信長の命令で四国を攻める兵が大阪で待機しており、県立博物館の内池英樹主幹は「信長が四国を攻めようとする直前の元親側の様子が明らかになった」と評価。光秀の勢力は元親と関係が深く、恭順の意を示した元親を攻めようとする信長を止めようとして本能寺の変につながった可能性があるという。

     美術館などによると、手紙は、室町幕府の十三代将軍足利義輝の側近、石谷家に関わる古文書「石谷家文書(いしがいけもんじょ)」の中にあった。

     手紙で元親は、阿波(徳島)の半分と土佐しか領地として認めないとした信長の命令に従うことを明らかにしており、信長との武力衝突を回避しようとしていたことが分かるという。

     また、命令に従い阿波の一宮をはじめ、えびす山城、畑山城などからは撤退したが、海部城、大西城は土佐の入り口にあたる地域なので、このまま所持したいと記載。信長が甲州征伐から戻ったら指示に従いたいとも記していた。

     天正十年一月十一日に斎藤利三が元親の義父石谷光政に宛てた手紙も見つかった。信長の方針転換に納得しない元親が軽はずみな行動に出ないように光政に依頼する内容だった。

    参考HP http://bushoojapan.com/news/2014/06/23/24004
    【速報】 本能寺の変直前に土佐の長宗我部元親と明智光秀との書状のやりとり判明

    「本能寺の変」でも示されていますが、信長は天下布武後の大戦略(グランドデザイン)を引き継いだのが秀吉であり、朝鮮征伐、明国平定が家臣にとっては厳しいものでした。

    信長の世界戦略はイエズス会との共同作業であった



    信長は特定アジア(明と朝鮮をはじめ他の柵報国)国でカトリックの布教を認める代わりに、明国への侵攻を幇助せよと迫ったわけです。
    ポルトガルのイエズス会も遠くて広大なアジアにまで人員と兵力を出すことはできなかったので、その案に理解を示したのです。

    アジア地域はアジア人で戦わせて布教の礎をつくればよいと方向を転換したのです。信長のイエズス会を利用するという手段は秀吉に引き継がれて、外洋帆船が信長秀吉はポルトガルから帆船の譲渡を受けました。

    このように着々と外国勢力との協業で明国への侵攻準備が進むと焦るのは家臣団です。天下布武のあとは粛清か島流しというのは独裁国家のおきまりのパターンです。

    一向宗(浄土真宗系仏教)を平定したと思ったら、つぎはカトリック勢力が勢いづいてきましたし、その功名を建てた大名達であっても宗教対立があったのだと私は推測します。

    カトリック(イエズス会)と結びつけば硝石や弾薬の供給が有利



    信長系大名も、毛利家のような反信長系大名もイエズス会の支援は無視できない状況であったと思うのです。
    信長自身も安土城の一の丸を「天守閣」と天主(ゼウス)と名付けるくらいですから、アジアの地域で教皇として君臨することを脳裏に秘めていたことは間違いありません。

    暦の全国統一を目論んだ信長



    「織田信長 四三三年目の真実」(明智憲三郎 幻冬舎)で感心した箇所は137pの「なぜ改暦にこだわったのか」という章です。

    戦国大名を平定した信長にとって、作戦指令を出す場合、困ったのが日付です。京都の東と西では使っている暦が違うからです。

    暦は平安時代から京都の朝廷が公布する宣明暦が使われていましたが、これは朝廷側の暦ですが日蝕月蝕の精度が悪かったのです。それで朝廷の影響が及ばない関東方面では室町時代から独自のローカル暦が用いられてきたわけです。

    三島暦がその代表です。

    どちらも太陽暦ではなく、太陰暦(月の月齢)で表されているので、閏月(うるうつき)が8年に一度あるわけです。
    つまり8年毎に一年13ヶ月の年が巡ってくる。また1月が二回あるのか12月が二回あるのかという違いが暦であってもまちまちであったのです。

    地域の農作業と神事のためですから、それまではそれで良かったのですが、日本全土が統一されて信長による中央集権となると甚だ問題になります。

    軍事行動の指令が西と東では日付が同じでも別の日になってしまうからです。

    ですから信長は暦の統一をすでに考えていたことです。日本に合わせた暦による統一が成就したのは、江戸も初期の1684年渋川春海(中井算哲)による貞享暦(じょうきょうれき)の公布、そして関孝和の門弟であった高橋至時の息子(渋川景祐)が幕末1842年に創りあげた日蝕月蝕予想が一層正確になった天保暦(てんぽうれき)までかかりました。

    現在の太陽暦(グレゴリオ暦)は明治5年(1872年)に制定されます。

    ただこのグレゴリオ暦も世界では宗教背景があるために日本が最後というわけでなく、アジアでは早い方なのです。

    信長は日本で最初に機械仕掛けの定時法の時計を所有した



    貢ぎ物で時計と地球儀に興味を示したことはよく知られています。日本の不定時法(日の出から日の入りまで)と定時法(深夜0時とする24分割)の時計を贈られて、信長の時間の概念が変わったのです。

    信長はイエズス会が持ち込んだ時刻の概念をさぞや驚き感心したでしょう。

    明智憲三郎氏の著書「本能寺の変 四三一年目の真実」と「織田信長 四三三年目の真実」をあわせてよむと、信長や光秀、秀吉、家康の人物像(頭の中身)がよく理解できると思います。

    大きな視点と戦略観、細かい目配りや些細な注意を怠らなかった



    人生指南書やビジネス書として読んでも「織田信長 四三三年目の真実」は得ることが多いでしょう。


    「韓非子」を一言で表せば、弱肉強食、信賞必罰です。簡単に言えば「働かざる者食うべからず」ということ。
    巻末で明智憲三郎氏が指摘していますが、そういう統治方法は常に緊張と謀略が強いられます。宿敵がいなくなっても、今度は身内が疑われて失脚の憂き目に遭うのではないかと疑心暗鬼に陥りやすい。

    秀吉は信長を教師として、家康は反面教師とした



    一言で言えばそういうこと。東芝の不祥事(粉飾決済事件)は信賞必罰を是とする管理体制(社員の締め付けと強権)が行き着いた結果であると私は思います。

    とにかく読みやすいのでお勧めします。そして明智憲三郎氏には敬意を表します。


    過去ログ:私の夏休み課題図書を公開します
    カトリック(バチカン)VSプロテスタントという構図は今も続く
    備中高松城の水攻めは虚構である(証拠写真付)
    「天守閣」のてんしゅは天主(ゼウス)の城という意味である。
    本能寺の変 は長宗我部元親を明智光秀が守るため?
    「本能寺の変 431年目の真実」(明智憲三郎)にはぐうの音も出ません
    これはすごい本だ!なぜ明智光秀が悪者とされたのか?虚構の「太閤記」
    本能寺の変は足利義昭の策略か 背後に控えるカトリック教
    荒木村重の謀反とキリスト教
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