主戦場はクレジットカードへ キャッシュレスの新資本仕組み主義時代 
Thursday, July 16, 2015, 02:20 PM
7/16 小雨/晴 10時 浅草での空間線量は30ベクレル/立法メートル

コンビニで買うとポイントカードありませんかと聞かれます。私はほとんど関心がないので、持っていないと答えると失礼いたしましたという返答です。なんだろなあれは。

ヨドバシカメラではレジでポイントを使われますかと訊ねられたら、かならず全部使い切ってくださいとお願いしてます。
コピー用紙やプリンターインクぐらいしか買いませんけど、多少は消費者の囲いこみ戦略に組み込まれてしまったという自覚はあります。

もっとお節介なことは、勝手にポイントがたまりましたと通知されるNTTや携帯電話の電子メールです。
あれなんなんだろう。

もっともJR系のSuicaを持っていると、キオスクでは小銭を出すよりも手軽なのでついつい使っちゃいますね。
これにもポイントがついているらしいですが数一〇円分のポイントがたまっていると言われても何にもできません。

ポイントってみみっちくて大嫌いです。
個人的にはメリットは感じません。

それどころか小売業者や飲食店業者側にとっては、支払額の手数料が世界一高いのが日本のクレジット会社です。

旧聞ですがアメリカ始め世界では2%程度なのですが日本は5%も取る。読み取り装置端末の使用料も高額ですから本音は誰も使いたくないのです。

掲載記事のようにスマホで決済できるようになれば、小規模な小売業や屋台のような飲食業でも導入できます。
ソフトバンクの孫正義も10年以上前にクレジット決済業に参入しようとしていましたが、断念しました。
決済をアメリカの会社ですれば2%ですから、日本の手数料を4%にしても2%丸儲けという目論見です。

銀行か金融監督庁が横やり入れてやめさせたという経緯があります。

アメリカのベンチャーがスマホで乗込んできました。金融庁、日本の銀行・カード会社はどうするのでしょうかね。
どてっぱらに風穴あけられちゃいます(笑)ざまあみろ。

世界ではUber(ウーバー)という乗用車の相乗りサービスが大人気なんだとか。
タクシーよりも安い料金で、スマホで決済できるのでキャッシュレスですし、運転者の信用も一目瞭然で安心とのこと。

一方では乗用車があれば誰でも収入を得る手段を持つことができます。

もちろんタクシー運転手や業界は怒り心頭です。海外では抗議集会やデモが勃発しているそうです。

かたや日本では運輸省が認可していない白タク行為は御法度ということで、一切その手のサービスが行われていません。

古い法律を楯にしているのは許認可省庁の常套ですから、驚きはありません。

ただ海外ではすべてのサービスがキャッシュレス、カレンシーレス、オンデマンドとなっているのに、日本は少しも進歩していないのです。

せいぜいポイントカードの客の奪い合い



海外ではポイントという時代ではなく、サービス代価がネットワーク内で処理される時代なのです。

そして現金化されるときにクレジット決済業者と銀行が関与するという脇役なのです。

お金が動くと必ず目減りしていく



これは言うまでもなく、金利や手数料だという名目でちょっとずつ喰われていきます。経由地点(金融業者)を経る度に目減りしていくのがお金の特徴です。

事務経費名目で堂々と搾取できるのが銀行の特権です。そして現代でもすべては一旦金額に換算して決済されることが普通です。

お金に換算された時点で銀行や決済会社は手数料をとります。

ところがサービス提供者とサービス享受者の間に現金のやりとりが一切なければ、どうなるか?

参入業者や業界が増えれば、やがてビットコインのような仮想通貨となっていくでしょう。

現金を仲介する銀行業よりもスマホ上で物々交換する時代



それのイニシアチブ(先導)をとる企業・組織はどのようになるのかはわかりません。
AmazonやGoogleが参入することは間違いない。

TPPで一気にUberのようなサービスが日本に浸透するかもしれませんし、クレジット決済で喰っている日本の会社は再編されるでしょう。

べつに日本になくてもインターネットにつながっていれば地球上のどこにあっても良いのですから。

日本のクレジット産業は衰退していきますから、恨むならカビの生えた法令を振り回す監督省庁の財務省を恨んで下さいw

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ギリシャの”金の卵を産む鶏”がEU緊縮策で殺される 
Thursday, July 16, 2015, 11:13 AM
7/15 晴 16時 浅草での空間線量は28ベクレル/立法メートル

ギリシャは結局EUの緊縮財政策をチプラス首相は受入れることに容認しています。左派の与党は反対するでしょうから、おそらく辞任という形で決着するというシナリオになりそうです。

それにしてもメルケル首相がEUの最高権力者であることがよくわかります。フランスのオランド大統領もドイツには逆らえない。

ドイツ第四帝国と言わずしてなんと言えばいいのでしょうか



さあ、そのドイツがギリシャに対して、国有資産を債権者へ譲渡することを求めて、ギリシャの主要産業である観光業を手中にしようとしています。

ギリシャといえば遺跡を巡ったりエーゲ海の景色といった観光産業が主流のように感じます。

ただもう一つよく耳にするキーワードで「ギリシャ船籍」というものがあります。

パナマ船籍とあわせて世界中の海運業界ではギリシャの存在は大きいのです。

世界中の船腹量(商船の搭載量)を船主の国籍で算出すると、日本を抜いてダントツでトップです。(2015年現在)
二位は日本、三位は中国、以降ドイツ、シンガポール、韓国、香港、アメリカ、イギリス、ノルウェーです。

ギリシャの人口は1132万人(日本の1/10)、国土は日本の1/3でありながら、船の所有数では世界一です。

船の所属国を示す「船籍」ではパナマがダントツのトップです。ギリシャは七位です。
かつての造船国家といわれた日本やノルウェーは11位と12位で圏外です。

船籍とは船にかかる税金軽減が目的で、またパナマは登録基準が緩いという理由なのだそうです。
日本では海運会社や船長が日本国籍でないと登録を認めないといった理由で、日本の海運会社も日本にはない特典や恩恵のために外国船としておくことが多いそうです。

巨大な船はコモディティー(消費財)である



海運会社の船舶はだいたい12年程度で中古船として売却されます。新品として納入されてから12年使ったら売却されてしまうのです。

高速道路を走っているトラックと同じ寿命です。

船舶を検査している人から聞いた話では大型商船の船体は時が経つとあばら骨が浮き出たようになります。そのあばらの出具合で船の年齢がだいたいわかると聞いたような気がします。通称「痩せ馬」と呼ばれています。

それを、こんどは造船会社の人に聞いたら、時が経つに従い外側の皮がベコベコになるなんてあるかいな、ということ。どっちが正しいのかはわかりませんけども、確かなことは海運会社で使われる船は、新造から12年もすれば中古マーケットに回されると言うこと。お金のない国や景気の浮揚で需要が高い国へ売られていくのです。

また船は浮かぶ鉄屑なので、スクラップでも価値がある。
最後は解体されて鉄骨やふたたび鉄板となっていくという特徴があります。

そしてその中古船マーケットでもギリシャが影響力をもっている。
ギリシャ人は世界の海運業のメジャープレーヤであり、船舶マーケットでディーラーとしての立場も確固たる地位を占めているのです。(中古マーケットの1/3をギリシャ人が売買している)

ギリシャ人は怠け者?実態は目先が効いて豊富な資金量を誇る海運王国



これはあまり知られていないギリシャの主要産業の顔です。

ただギリシャの海運業界は一族経営や同族経営の体質が顕著で、意志決定が早いとか需要を先読みする感覚が鋭いのだそうです。たとえば途上国で石油需要が増えるとなれば、オイルタンカーを、またガス需要が伸びるとなればLPG船を、といった具合に先回りして船を発注したり確保したりするのだそうです。

船体と船員を提供して、運び賃を稼ぐモデルです。ギリシャ自体に鉄や石油の需要はないからです。

ギリシャの船主はヨーロッパの運び屋として君臨している



造船自体は安く作れる国で造ればよく、自国ではなく他国と他国の通商で稼いでいます。
ギリシャ政府も海運業には優遇税制を設けたり、便宜を図っているようです。

EU(ドイツ第四帝国)は特定業種の依怙贔屓を廃止させようとしている



ここでもプロテスタンティズムのいう「平等主義」が出てきます。
平等という錦の御旗を振り回して、寡占ではなく競争を促せとギリシャに是正を勧告しているのです。

優遇税制をなくしたら、ギリシャの海運会社は他国へ移っていってしまうでしょう。

いくら一族経営の旧態的な統治の企業であっても、せっかくのギリシャの金の卵を産む鶏をみすみす殺させるEUの方針には首を傾げます。

メルケル首相(旧東ドイツ出身)はギリシャ統治(実質的な属国化)を皮切りに、スペイン・ポルトガル・イタリアなども実質ドイツ国領としていくつもりなのでしょうか。

ギリシャ人にとっては災難でしょうなあ。

(追記)掲載記事のフェリーが係留されている写真ですが、3隻がどれもお尻(船尾)を岸につけています。これって大型船ではほんとに珍しい係留方法です。「艫(とも)付け」といって漁船などでは荷の積み卸しのために、このような係留をすることがあります。でも普通は岸壁に対して舳先(へさき:船首)を付ける「先付け」が圧倒的に多い。
フェリーや大型船は岸に対して左舷(ポートサイド)を付けます。この写真のフェリーはお尻からバックで接岸したのだろうな、すごい操船技術です。この写真はみれば見るほど驚きます。着岸のたびに錨(アンカー)を降ろすなんて光景日本ではお目にかかれません。

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ウィンブルドンの貴賓席 
Monday, July 13, 2015, 02:20 PM
7/13 晴 10時 浅草での空間線量は21ベクレル/立法メートル

昨日のフェデラーとジェコビッチのウィンブルドンの決勝を眺めていました。
テニスの経験はありませんが、針の穴を通すような正確なショットと攻守で繰り広げられる互いの攻略についつい引き込まれました。

ときどき観客席にカメラが向きます。
貴賓席では著名人が観戦しています。貴族の称号をもっている人や王室関係者の席です。歴代優勝者の顔ぶれにつづき最近観たアラン・チューリングの半生「イミテーションゲーム」のカンバーバッチの顔もあります。

保守的(conservative)な競技って落ち着いて観ていられる



これが米国大会とかなると、ポップコーン片手に鳥打ち帽にサングラス、Tシャツ姿の観客が騒がしくて、プレーヤーが香具師の見世物扱いなので気の毒になります。

F1レーサーがハミルトンが折角招待されていたのに、シャツ姿のため服装(ジャケット、タイ着用)規定で入場を断られたのだとか。バカだね。
F1はフランス貴族の娯楽ですから、そのドライバーは貴族の所有する馬みたいなもんだ。さすがに競争馬にまでネクタイは締めることはF1では強要されないもんね。

競馬もポロ、クリケット、ついでにゴルフも元来は貴族による娯楽ですから、身なりやマナーが観客側にも要求されます。(日本ではゴルフはすでに大衆スポーツなんでしょうけど)

GHQのによる大衆懐柔政策、いわゆる3S(Sports、School、Scleen or Sex)で野球というプロスポーツができ、映画・テレビで親米思想が植え付けられたのは有名な話です。

日本人は下賤なものばかり観させ続けられたから、スポーツって肉体の闘いとしか認識できない・・・これは穿った見方かな。

プロ予備軍化した高校野球がそろそろ始まります。

いまだ敗戦後の娯楽臭がぷんぷんで下衆の極み



サッカーや野球場には特別観覧席はあるだろうけど、貴賓席ってあるのかな。
列車で言えば2等席(グリーン車:記号「ロ」)程度はあるのでしょう。

戦前は1等車というものがあったそうです。JR九州のななつぼしで旧制の一等を表す「イ」が63年ぶりに復活したことで話題になりました。唯一皇室移動用の御料車や海外要人用の貴賓車というものがあったそうですが、平成の時代では運行されていないようです。

ヨーロッパでオーケストラを聴きに行ったことがありますが、とてもじゃないけどラフな身なりでは行けたものじゃなかったです。
最低でも男はスーツ、女はドレスですからね。夕暮れならタキシードです。

シャツ姿で入れる席もあるので、そのチケット(3000円ぐらい)を買ってみました。
そしたらコンサートホールの扉の外側通路にパイプ椅子が並べられていて、そこなんだとか。
半分だけ開けられた扉から漏れ出る音で我慢します。指揮者どころか演奏者は見えません。

私はクラシック音楽は眠り薬ですから、それで十分ですけども、ちゃんとした料金(数万円?)払っている観客は、開始までには絵画や彫刻が飾られたウェイティングルームが用意されて、そこにはワインやチーズといった軽食が用意されています。

そこで談笑しているのは市長さんとか名士の人たちで、指揮者やコンサートマスターが演奏前にワイングラス片手に挨拶して回ってました。
日本ではお目にかかれない、上流社会の優雅さをかいま見たことに感動をしました。

テニスのウィンブルドンもそんな貴族社会の名残を感じられて、選ばれた者しか立てない聖地としての重みが全然違いますね。

テニスの勝者は人格者としてヨーロッパでは生涯敬われていくのでしょうが、かたや日本のプロスポーツ選手は政治的な発言が許されない筋肉バカ扱いだからある意味可哀想です。

スポーツは日本においては大衆娯楽ですから、引退後はテレビタレントの色物扱いですね。松岡修造や武田修宏、前園真聖など例をあげるまでもないか。

国威発揚としか見ていない後進国家日本



日本スポーツ振興センター(JSC)による新国立競技場のクソデザインと巨額建築費が大問題になっています。
スポーツ界を牛耳る森喜朗のごり押し、どれだけのカネが自民党に回るんだよ。

2500億を超える建築費(海外の6倍以上の建築費)の言い訳として、スポーツを通した国威を示すためとJSCや文科大臣が発言しています。

こいつらは絶対にウィンブルドンの貴賓席に座る資格がないですね。ござでも敷いて地べたにでも座っていろ!
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漱石は「こころ」で贖罪を問い、「それから」では罪という概念を嫌った 
Sunday, July 12, 2015, 01:48 PM
7/12 晴 10時 浅草での空間線量は20ベクレル/立法メートル

一昨日の朝日新聞に再連載されている夏目漱石の「それから」を掲載しておきます。
江戸時代から大きく変化した(明治の)知識人の思想は、現代の我々には指摘されなければ理解できません。

ユニテリアニズムというキーワードで明治知識人の苦悩がわかる



副島隆彦が石井利明氏とも世界的なユニテリアニズムへの潮流が日本にも明治維新を(結果的に)引き起こしたという発見して、「フリーメイソン=ユニテリアン教会が明治日本を動かした」(成甲書房 2014)が出来上がりました。
私も鴎外から明治のユニテリアニズムへの苦悩を中心に執筆しました。

ユニテリアニズムには漱石も深く関心を示していたことがわかる



良く言われる代表三部作「三四郎」「こころ」「それから」を順に読んでいくと、漱石がどのように明治思想を捉えていたのかがわかります。

漱石はイギリス文学の研究者であり、シェークスピアを研究し、東大で教鞭をとり、英国に留学しています。
その漱石から同志社大学(ユニテリアン達の教会アメリカン・ボードが創設した大学)、アメリカの思想家エマーソン、小説家ホーソーンの名が文中に記されています。

ラルフ・ウォルドー・エマーソン(Ralph Waldo Emerson)をwikipediaで読んでみると、バリバリのユニテリアンの啓蒙家です。
ナサニエル・ホーソーン(Nathaniel Hawthorne)は宗教(彼の場合は清教徒(ピューリタン))の善悪・贖罪をテーマにした小説家です。

ホーソーンは小説で無職や姦通が罪であるのかと問い、アメリカで物議を湧かせたのです。

「それから」の主人公・代助が無理やり縁談で見合いさせられている高木の令嬢が、クエーカー教(プロテスタンティズムでも聖書研究のみを拠り所としたアメリカ土着宗派)の家庭教師の教えで、小説も演劇にも興味を示さない態度を代助は冷ややかに観察しています。

「三四郎」で都会の女性達をきっかけに田舎者の戸惑いを記した「三四郎」、また知識人であった先生の贖罪を描いた「こころ」、そして「それから」では無職と姦通に対する問いかけという

西洋キリスト教に基づいた明治思想(道徳観つまり善悪基準)を題材にした


ということ。

贖罪意識と禁欲に対して「それから」は漱石の答えとして読むと、たいへん興味深く読めます。

勤勉であるべし、妻帯であるべし、娯楽に興じるべからずという明治後期の風潮を漱石は好ましく思っていなかったのです。

鴎外は晩年の乃木希典将軍の殉死をきっかけに、それまでの西洋かぶれから作風が一変しました。近代文明を産み出ししたエゴイズム(自己主義)に懐疑をしめすようになります。

「それから」主人公・代助の家は実業家であり資産家であり、芸術分野にも含蓄がある一家です。つまりものすごい上流階級です。
ただ旧家ではなく成り上がって財をなした一族です。

成り上がりだから文化・芸術の深淵をインテリの代助以外理解できない



それに対する虚脱感が代助を襲っているわけです。これは漱石自身が抱えている問題意識です。

パトロンという言葉がありますが、あれは日本語では「芸術擁護者」という意味。反カトリックの芸術家達(ミケランジェロやラファエロ達)を支援したメディチ家を指す言葉です。別に金持ちの爺が若い妾を養う行為ではありません。

カトリックへの反発こそが、イギリスからアメリカへ伝わり、明治の日本にも押し寄せた漱石の時代の思想潮流です。

1800年代中頃から1900年にかけて専制君主から民主主義へとプロテスタンティズムとともに広がったのです。そして日本も。

日本でも新興財閥が勃興してきて、公家や武家といった江戸時代とはちがう上流社会が形成されたのです。

文化は上流社会(階級)からしか生まれない



古今東西、人を感動させる芸術や文化は上流階層(金持ちや貴族)からしか生まれないというのが私の持論です。

ところが悲しいかな文化教養の低い人がいくら金持ちになったて、審美眼も芸術の理解も低いままのです。宗教的な背景もないから。

下町文化や町人文化という言葉もありますが、これらだって貧乏人が寄り集まったら自然発生したものか、統治した資本家達により築き上げられた風習に過ぎません。文化(culture)ではなく風習(custom)なのです。

だから現代芸術とか近代美術ってものが私はぜんぜん興味がない(笑)

「それから」では代助が実家には洋画が掛けられているのを批評して成金である父や兄の審美眼のなさを暗に批判しているような記述もあります。

インテリは上流階級の付帯者であるべし



西洋では中世までは領主や国王らが、日本でも藩や幕府がインテリを養っていました。食客といいます。
産業革命や金融が発達して生まれた新興貴族達も芸術家や知識人を保護していたのです。

ところが日本には藩幕体制が崩壊したら、武士と共に知識人たちも宙ぶらりんにさせられたのです。

上流階層(公家や藩主たち)が消えちゃったから。

階層のない社会、みんな平等な社会、それはそれで結構なスローガンなのですが、芸術は死にましたね。

それを代助(漱石自身)は批判しているように思えます。自由だ平等だと掛け声は立派でも、働けだの、結婚しろだの、姦通するなだのまったく自由ではない。

芸術を理解している人々で美があふれている街と、階級無き平等社会とは並立しないのです、残念ながら。

それが証拠に高層ビル・マンション(skyscraper)の立ち並ぶ風景に美しさも調和も何も感じません。

美しくないものに囲まれた生活を現代的というのであれば、クソ喰らえです。そこには自由も叡智もなにも見いだせません。
まさに東京も下町も地方都市も世界中もそんな風景ばっかり。

みんな<平等に働け>という道徳(思想)からは芸術も叡智も育まれない



これが漱石が日本の読者に伝えたかったことではないのかな。
恋愛も仕事も自由だといいつつも、その底には逃れられない社会規範があり、それは頑迷なキリスト教の影響であったのです。

おおらかさが消えた明治という近代文化を批判していたのが、明治の文豪とそれにつづく作家たちであったのです。

キリスト教の唱える人の”大罪”は支配者の偽善である



それを「それから」では見合い相手を手合いにしてキリスト教の贖罪意識を露骨に批判を加えているということです。

キリスト教の唱える大罪は信者を隷属させるためなのだから。

検索キーワード:漱石:

スピリチュアリズムとは無自覚な土人宗教です
室町時代が日本のルネッサンスであった(ドラッガー・コレクション)
夏目漱石の宗教観とインターネット空間が無法地帯であること
「それから」に学ぶ「喰うために働くということは悪徳である」ということ
100年前から女の方がずっと上手(うわて)です(夏目漱石「三四郎」から読む)
勝海舟はフリーメイソン・・・だったらどうだって?
フランス文学(という政治批評)が幕末・明治の知識層に多大な影響を与えた
理系とか理工学部とか理学と工学をいっしょくたにする愚かさ
柳田国男「遠野物語」と夏目漱石「私の個人主義」
日本の思想(主義)は40年周期で変わっている
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浅草寺ほうずき市 
Saturday, July 11, 2015, 12:52 AM
7/10 晴 10時 浅草での空間線量は18ベクレル/立法メートル

今日は台風襲来の危惧もありますが、久々の快晴です。
一気に洗濯機を回して洗い物をかたづけました。ついでに押し入れの整理をして着ていない服を引っ張り出し、着てもらえそうな人に押しつけることにします。

一段落して、友人が訊ねてきたので、浅草寺のほおずき市を見学してきました。


知人の店を探したのですが、人混みがすごいのでさっさと諦めて、浅草駅裏の呑み屋へブラブラしていきました。

ところが、そのお店がない・・・一瞬場所を間違えたかと思いましたが、それらしきところを探してもない。カフェやコンビニがいつのまにかできてます。真新しいワンルームマンションがあちこち建ってます。あらら、うちの近所もここ1,2年でボロイ2階建てが壊されてマンションになってしまいましたが、どこも同じです。
建築反対の幟があちこちにはためいていました。

結局浅草六区に戻って、元大関霧島の経営する「霧島」でジンギスカンを食べて解散しました。
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「いのちは(無条件で)尊いのです」・・・あ〜はいはい、だからナニ? 
Friday, July 10, 2015, 02:04 AM
このところ毎日聞くフレーズです。「命の尊さを伝えていきます」とか「尊い命を守りましょう」とか
なんでもかんでもイノチ、イノチ、イノチ・・・
もう少し頭のいいフレーズないもんかねぇ。

そりゃ子供を産んだお母さんが我が子の命を守りたいというのは、本能だからわかります。

ただねぇ、他人の命まで尊いなんていう、その大雑把で飛躍した考えを本気で信じているのならば、頭がおかしいんでないのか?
自分の親族が戦争で犠牲になった、軍によって死に追いやられたという恨みなら同情します。

だからって陳腐な台詞「尊いかけがえのないイノチを守りましょう!」なんてことを白々しく吐く人物は頭から信用しません。すっぱりと旧軍人が憎いと言えばいいこと。

政治家なら、「だから票を頂戴」という本音を逸らすための方便です。(誰もが気づいているのでしょうが)
また、イノチ=日本人の命という意味であれば民族主義者扱いですが、そもそも右翼は命が大切などという台詞は吐きません。

岩手で連絡ノートに悩みを書きつづった中学生が電車に飛び込んで自殺したことで、担任教諭の無関心さが問題となっています。

この関心を示さなかった担任教諭の対応が現代日本の教育の本音なのですよ。
死にたいとか、死にますと宣言されても、ナニも言い返すことができない。

せいぜい「イノチはタイセツに」とか「イノチをソマツにするな」としか言えない。

他人に生き死にを指図されることなど誰でもまっぴら御免です。

死にたいという子供に生きろと言えるのは、育てた親(産んだ母親)以外にいない。

学校で命の尊さを学ばせる・・・噴飯物です



そのまえに生きのびる術(survive)を教えているか?
そして死に方を教えることができるのか?

死に方を教えるのが真の教育なのです


三角関数や英語の文法なんかよりも、もっと大事なことが日本の教育者達(それを統治する文科省と教育委員会)にはすっぽり欠落している。お前らみたいなバカから学ぶことなどひとつもねえよ。

喧嘩はダメよなんて女の腐ったような人物がオカマに諭しているような場所で、ナニがイノチの尊さだと片腹痛い。

官僚もオカマ野郎揃いで、文科省認定の公認オカマみたいなフニャフニャなのが「イノチハタイセツニ、トウトイんだからぁ」なんて呪文ばかり繰り返すだけのニッポンの教育現場なんて、オカマ養成所みたいなもんだ。

生き延びるためのパワー(power)を少しも与えられない日本教育


ここでいうパワーとは腕力や屈服させる智力のことです。

昔の武将と呼ばれる人たちは、真剣に学んだのです。何を?
生きのびるための術を。(友好関係構築や脅し、腕力、懐柔策・・・)

そして仏教にすがり祈祷したのです。信長も秀吉も家康も。

仏教思想ではイノチは(無条件で)尊いなどという考えは一切無い


もちろんキリスト教でもイスラム教でも。

信仰する魂は尊いという考えはあっても、肉体などは現世の借り物という考えです。

秀吉が刀狩りをするまでは、寺には僧兵という兵隊がおりましたし。仏敵は殺して上等、命は信仰に捧げるものであるという命知らずですから、武士と死生観が似通っているので、武士同士よりも難敵であったのだとか。

「能」は「死後の世界」を表したものなので武将達は心を躍らせて鑑賞した



首を刎ねられる、切腹させられるかもしれない、日々がサバイバルである武士達にとっての関心は、死んだらどうなるのということ。

仏教では涅槃(ねはん)に行ってお仕舞い、あとは肉体を離れた魂だけで過ごすだけという考えです。信長が能を好んだのも無信仰でありながら死後の魂の存在を強く意識していたのです。

オレはこういう考え方は好きですよ。刹那を生きるとはこういうことです。

話を戻すと、テレビ、新聞でやたらと「イノチのタイセツさを後世に伝えていきたい」とか「イノチの尊さを子供たちに学ばせたい」とかクサイ言葉をよく耳に、目にします。

そんなこと絶対不可能だと思ってますし、そもそも支配層にとってイノチなんてタイセツでも尊くもないものだから。

東洋思想では命とは勝手に生えてくる雑草と同じ



そんな寝言を垂れる暇があれば、そこらの公園で裸で寝ている浮浪者や山谷のアル中などに、自分が衣食住を提供してやればいい。

岩手の自殺した中学生の担任の態度がすべてを表しています。
教育者だ、聖職者だなんだとか言っても、地方公務員の末端ですから。

子供が自殺するたびに、文科省の役人1人の首を刎ねるようにしたら、文科省も目が覚めるでしょう。
その配下の教育委員会も、少しはイノチイノチという寝言、戯れ言をいうことを控えるでしょうね。

スタンリーキューブリックの「フルメタル・ジャケット」の海兵隊ブートキャンプが公教育に必要とは思えませんが、まずは自分が生きのびるために真剣に取り組ませることを考えさせないとだめです。
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技術屋さん(engineer)の悪い癖は自分だけが知っていると思いこむこと 
Wednesday, July 8, 2015, 11:59 PM
7/8 曇のち雨 19時 浅草での空間線量は11ベクレル/立法メートル

あいかわらずアルバイトしてます(笑)といっても近所のお店番にすぎませんけど。

同じ店番のアルバイト君は大学四回生で大学院へ進学予定。
そのひとときの合間に小遣いを稼いでいるのだとか。

いいねえ、ひさしぶりに若い世代とだべることができる。

工学部で機械工学を専攻しており、材料工学(昔は冶金学といった)を修めているのだとか。
私も似たような専攻だったので、ちょこちょこと質問をすると、専門家(professional)気取りで鼻高々に説明してくれます。

大学院へ進学を予定しているだけあって生意気な態度だなあと内心苦笑しながら話をあわせておきます。
おそらく向こうも、レジ係のおっさんが、やたらしつこく食い付くなあと思っていたでしょう。

ついつい年配者面してみたくなりますが、気を悪くさせたくはないのでもっぱら聞くことに専念しました。

ホントいうと内心は

大学のお勉強・研究なんて実社会にでれば三ヶ月もあれば習得できる



自信満々の顔つきなので、何も言いませんでしたが、はたと気づきました。

技術屋(エンジニア)の悪い癖というか性根なのでしょうか、習った知識や本の知識をまるで自分が築き上げたかのように錯覚してしまうことです。

たとえば現在、自動車でも飛行機やビルまでも、天気予報からSPEEDIとよばれる放射能汚染予想図などコンピュータシミュレーションで広く産業全般で用いられている有限要素法(FEM)という計算手法。

二〇年三〇年前には限られた人しか触れなかったスパコンレベルとなった今のPCは、それこそ自動車一台丸ごと、飛行機丸ごと計算させることも不可能ではありません。

昔は計算処理もメモリーも追いつかなかったので、自動車のバンパーだけとか、タイヤの一部断面だけとか、翼の付け根だけ、それもすごく粗い概算でしかだせませんでした。

限られたリソースでなるべく単純化して、まあまあ許せる範囲の誤差で計算させるのが技術者が頭を使うところ。
今は円周率の計算もお金をかけたコンピュータ能力で力ずくでやってしまうようです。

現代の工学理論はほとんど二〇世紀初頭に考え出された



気象予報や建物の強度計算、はたまた地震波の伝達などなどで使われる有限要素法(FEM)は第二次大戦前に確立した計算手法です。
大戦中にコンピュータが日本にはとうとうできなかったので戦艦大和の設計を何百人もの算盤の達人を体育館に並べて、人海戦術で計算させたのです。理研にはコンピュータの試作機らしきものはあったようです。

有限要素法(FEM)は大戦では原爆の爆縮のシュミレーションに用いられました。その計算をしたローレンスリバモア研究所はFEMの聖地と計算屋さんからは崇められていることも知って置いた方がよいでしょう。そこでつくられたソフトウェアがNASTRANという世界中の設計で使われている計算ソフトです。

みなさんのクルマについているカーナビだって経路探索はオペレーションリサーチ(OR)の「クリティカルパス」という数学手法が基礎となっています。これも第一次大戦後に、兵力や武器弾薬の効率的な補給、配分をどう解決したらよいかという命題の解決策として考え出された技術です。

零戦だって翼形状はしっかりした流体理論で計算された物です。適当に翼を貼り合わせたわけではありません。堀越二郎ら当時の航空機設計者達は手計算してきたのです。

それが五〇年後、六〇年後にコンピュータの登場で、誰でも瞬時に結果が表示できるようになったに過ぎません。
それをさも自分が切り拓いたように話しているので吹き出しそうでした。

技術屋は先駆者たちの仕事の積み重ねで自分がいることに無頓着




コンピュータプログラマーなんてその最たるもの(笑)
まあ過去の余韻に浸っている暇もないほど、新技術を先駆けてやらなきゃいけない因果な職業だから仕方がないかもしれません。

コンピュータもプログラミング言語も、インターネットといったインフラ・・・それらが一朝一夕でつくられたものではなく
少しづつ少しづつ改良されて今日があるわけです。

ところが二流の技術屋さんってそれが水か空気のように感じていること。
そして自分の世界が、世間からずっと先端にいると、自己陶酔してしまいがちです。
日本の理工系学部の指導者がほとんどこんな輩のように感じてます。何でそう思うのか?
人間的な魅力がぜんぜんないもの(爆)所詮は特別公務員ですから。


大学生君は、数年後には理研で研究するか、自動車会社にでも入社したいと願ってました。
そうなるといいですね。

ただ頭の良い奴や天才肌は世間にでれば、いくらでも出会えるわけです。
日本人でありながらF1の設計者やら、アメリカズカップの船体設計者とか、その道の達人、仙人のような人々が。

大学数年の付け焼き刃で、ひしめく技術者を押しのけていけると勘違いしている若い大学生に、ちょっと苦笑してしまいました。
もっともレジ係のおっさんに笑われるのも気分を害するでしょうから、顔はへぇといった顔をしました。

若いっていいことだ。自分も似たようなものだったので、知識という武器をもった高揚感がよくわかります。

ずば抜けている技術者はちょっとネジが外れている



私が優秀だなあと思った人は、だいたい頭のちょっとネジがどっかに落っことしてきたような人ばかり。

将棋囲碁の有段者や熱心なクリスチャンでロザリオをコンピュータに掛けてたり、ギターや絵画の才能などなど異才を発揮するようなひとばかりでした。
もっとも他人から見れば子供じみていたり、傍若無人だったりと人格を疑うような人もいます。おしなべて”いいひと”では決してない。

私の師匠の副島隆彦も常人からみれば十分なキチガイです。

共通していることは、自分の思想と主義、信念がしっかりしていることです。
ある人は宗教的な信念、またある人は芸術分野からのインスピレーション、またあるひとは劣等感や社会への恨みみたいなもの。
スティーブ・ジョブスなんかは典型的でしょう。

視野が広い人しか技術屋では大成しない



オタクは消費者として企業にとってはありがたいのですが、いざ開発者(設計者)でオタクは嫌われるそうです。

トヨタ自動車にはクルマ好きがいないと豊田章男(とよたあきお)社長が嘆いたという逸話がありますが、実際に人材採用ではクルマのウンチクを語るほどのマニアは採用されないのだとか。またホンダはホンダ車の欠点(好まない面)を面接で発表させたとかそんな噂話があります。おしなべてクルマ好きやマニアはクルマ会社は採用をしないということは真実のようです。

独りよがりの技術者はマスプロメーカーにとって迷惑な存在だから。

まったく畑違いの人に商品開発やデザインをさせたほうが革新的なヒット商品につながることが多いようです。

斜眼帯(ブリンカー)をつけた競馬馬みたいな社員とくに技術屋なんて、今の世の中ではあんまり役立ちません。
平社員のままこき使われるだけです。

いわゆる便利屋、社内下請として重宝されて、使い捨てられます。

なぜなら、技術者(engieer)って元々から社会組織において地位が低い身分としてみなされてきたからです。
(産業革命でできた言葉。エンジンをいじる人という意味。同義語でoilish(油まみれ)という侮辱言葉もある)

・・・こんなことをアルバイトしている学生君にしゃべっても仕方がないので、ブログに書き留めておきます。

(追記)
ここまで書いてしまったので、はっきり申し上げますが

『技術大国ニッポン』なんてフレーズは大嫌いです



ああここまで技術が進歩して幸せだなあ〜なんて感じたことがいっぺんでもあったでしょうか?
夜間でもコンビニのATMでお金を引き出せたから幸せですか?テレビの画質がよくなって幸せを感じましたか?クソ喰らえです。

(誤解をされると困るので言い改めますけども、技術屋は大嫌いですが、職人さんは大好きです。宮大工とか刀鍛冶、時計職人なんてゾクゾクしますね)

工学部の学生君を眺めていて、感じたことですけども、若いくせに悟りきったような面をしていることです。副島先生が日本の若い男は去勢されてしまったと嘆くことがなんとなくわかります。

技術大国なんて私は望んでません。
目指すべきは『エロス大国ニッポン』ではないでしょうか。

技術には全くエロスを感じないのです。これを「不毛の文化」といいます。
この不毛さは浅はかな技術信仰と金儲け主義にあると考えます。
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食料品を除けば小売は昼から実働5時間程度で十分なのです 
Tuesday, July 7, 2015, 05:35 PM
7/7 曇 16時 浅草での空間線量は14ベクレル/立法メートル

あいかわらず午前中はお店番を錦糸町でやってます。
契約期間が来週までなので、あと少しで退屈な時間から解放されます。

手持ちぶさたで一ヶ月の売上帳を眺めていたら、平日は売れ行きの良い曜日と落ち込む曜日があることに気づきます。
週初めは売上はたいてい良くありません。

そして朝10時〜21時のショッピングモールの営業時間中、午前中の売上は全体の売上の1割程度しかありません。
大部分は12時〜17時の5時間が7割で、あとの2割弱が18時以降で、19時〜21時の時間帯は1割にも満たない。つまり夜は閑散としてます。

ざっとそんな感じです。服や鞄、雑貨といった商売は時間帯のピークは3時頃なのです。

ショッピングモールの長時間営業は店子の利益率を下げるだけ



売上が上がらない時間とわかっていても店員の人件費がかかります。
また夜間は手当を付けなければならない。

店のオーナーにとっては頭の痛い問題です。

女性を活用したいと思っていても、お子さんが小さいお母さんにはお願いできないのです。
配送と陳列ぐらいは男でもできるでしょうけども、とくにアパレルは女性ではないと接客できません。

接客業は5時間が体力的に限度



体験してみると、せいぜい3時間、なんとかもって4時間か5時間が限度です。
体力も気力もなくなります。

一日朝から晩まで笑顔を崩さず、テキパキと動き回るまわるなんて、私には無理ですね(笑)

これが自店舗ならば開店も閉店も自由に決められるのでしょうが、イオンやヨーカドーといったショッピングセンターでは店舗毎の裁量は無理なのです。

ショッピングセンターでは店員も"消耗品"扱い



だいたい店舗の開店前には、釣り銭の用意だとか、入荷した商品も確認、ポスターや値引きセールの貼紙など用意するために1時間は取られます。掃除をするところもありますね。

お店を閉めたからさあ帰れるというわけにはいかず、レジの現金と売上記録を突き合わせて、それをバックヤードにある入金室で入金したり、閉店後に模様替えや商品入れ替えをすることもよくあります。
となると閉店しても1時間2時間が費やされることになります。終電間近で帰って寝るだけという生活も珍しくないのだとか。

となると、24時間中12時間〜14時間も拘束される場合もあります。店長やマネージャーといった責任者になるほどね。

思えば、私のIT業界で働いていた20代も会社にダラダラと居させ続けられましたネ。一日の2/3が会社に居たことになります。まったく無駄で有害な時間の使い方です。

若いゆえに時間は豊富に有り余るほどあるという感覚だったからでしょうが、今は一日一週間一ヶ月が早い早い(笑)一秒でも無駄な時間は過ごしたくありません。

表では笑顔でも、裏の休憩所の雰囲気は、どの顔もやさぐれてます(爆)
疲労で笑顔もない。

日本の小売業態は人材をひたすら浪費しているだけ



若者が主体の職場・業種なのに、その若者達が賢い消費者になることを拒んでいるのが、現状の小売業の酷い現実です。

長時間営業は高コストであり、それは価格に転嫁され、また従業員が消費する機会を失わせているわけです。

こりゃデートだおしゃれだとお金を使うことができんわw
ましてや結婚相手探しの時間もないじゃねえの・・・。

ちなみに、ショッピングセンターの午後の買い物客の主体は、子供連れのお母さん達や孫を連れた爺婆です。
不思議に13時あたりから乳母車をゴロゴロと押して、大勢押し寄せてくる。

ママ友と食事を摂って、散策しているついでに晩ご飯の買い物を済ませているのでしょう。

ショッピングセンターで働いている若者達はいったいどこで買い物をしているのだろう?
わずかな休み時間で同じショッピングセンターの店舗で買っているようです。
特に飲食店はテナントの店員は優良顧客ですし、割引もしているようです。

いちどショッピングセンターの檻に入ったら、なかなか出られなくなります。大型商業施設であればあるほど。

社会効率化のために夜間や早朝営業を規制すべきだ!



とくに女性の活用を社会目標に掲げるのであれば、勤務拘束時間は徹底的に抑圧しなければなりません。
工場などの第二次産業は8時から5時と相場が決まっています。

工場勤務って陽が高い時間に帰ることができるから、釣りをしたり、趣味に没頭したり、本を読んだりいろいろな過ごし方ができるのです。家族団らんで食卓を囲むこともできます。

これが昭和の普通の生活だったのに、いつのまにか一つ屋根の下でも別々の生活リズムになってしまいました。

ホワイトカラーも第三次産業の従業員であっても、おしなべてダラダラ働かせ続くこの社会がはたして良いものだろうかと思います。

時給を稼ぎたいからなるべく長時間働かせてくれという若者はそれはそれでいいです。
また出稼ぎ外国人も長時間勤務は歓迎でしょう。

ただし国力(=人材)にとってはあきらかにマイナスです



白痴化させるだけならまだしも、精神疾患(精神分裂症、統合失調症)の原因ともなります。実際に長時間勤務が鬱病の最大原因なのですから。

私が権力を握ったら、時給は2倍、勤務時間は半分にさせます。
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ギリシャ国民よ、拝金(ユダヤ)教に<No>を突きつけろ 
Monday, July 6, 2015, 04:11 PM
7/6 雨 10時 浅草での空間線量は13ベクレル/立法メートル

まもなくEU(実態はドイツ帝国)がつきつける財政緊縮策に対するギリシャ国民投票が行われます。
事前の調査では賛否が拮抗していますが、深夜には体勢は決するでしょう。

私はEUという組織の理念には理解していますが、Euro(オイロ)という統一通貨は欠陥制度だと思っています。
国力、産業構造の違う国同志が通貨を共通すること自体が間違いだったと後世で語り継がれることでしょう。

ドイツとギリシャの関係は、東京と地方の関係と同じです。

EU圏が一国のように振る舞うためには、稼いでいる地域から、収益のない地域へお金は環流してやらねばならないのです。

沖縄に国費がいろいろな理由で投入されていますが、もしそれらのお金をやめてしまえば、沖縄はすぐに立ちゆかなくなります。中国やロシアのお金が入ってきたら、すぐに親中・親露になってしまいます。

ですから沖縄という重要拠点を維持するための必要コストだという認識は持っておくべきでしょう。

ギリシャですが、民主主義(デモクラシー)という概念が出来上がった国です。デーモス(民衆)による政治という意味。

だからギリシャは本来は地中海諸国の中では先進国家であったのです。

オリンピックの発祥の地であり、11年前にはアテネオリンピック(2004年)が開催されました。

欧州が再び世界覇権の中心に戻ってきたのかと感慨がありました。
ちなみに、欧州=ロスチャイルド家VS米国=ロックフェラー一族という観点でです。
私もEuroはドル体勢へのカウンターとして2000年頃はたしかに期待していました。

ロックフェラーの覇権もこれまでだ


そういう期待感があったのも10年前までです。

そのあたりからEU自体の制度欠陥が垣間見えてきます。
ドイツ一国が旧マルクよりも安い通貨で輸出が伸び、ギリシャやスペインなどの産業基盤の弱い国は旧通貨よりも高いEuroで苦しむという構図となります。

またギリシャを含めた地中海諸国はEU加盟国ということで、EUの信用を担保に有利な条件の国債を発行することができたわけで、一説にはアテネオリンピック費用もほとんどか国債で賄われたのだとか。

ギリシャのEU加盟の道筋を描いたのはゴールドマンサックスです



そしてギリシャ政府は通貨高の恩恵を堪能したわけです。もちろんギリシャ国民すべてが恩恵に授かったのです。

財政緊縮でいまさら国民すべて貧乏になれと言われても、ハイソウデスカと納得できるわけがない。

もし財政緊縮策をギリシャ政府が受入れたとしても、若者を中心にドイツやフランスへ出稼ぎに行ってしまいます。
10年前でもレストランの下働きやボーイなどはギリシャ人が多かったな。
ドイツで口に合う物を食べたいと思ったらギリシャ料理が一番です。それにけっこうギリシャ料理店ってあります。
ほとんど外れません。
つまり、ギリシャという国は出稼ぎで保っている国ということ。

人と資金の移動を自由化すると格差ができるのは自明



水が高いところから低いところへ流れるように、EU内でヒトモノカネの移動制限を撤廃したらどうなったのか。
これはいうまでもないでしょう。

グローバルとはユダヤ教(拝金教)そのものの概念



人・物・金を国家に属さない(させない)のがグローバリズムという主義です。その大元はユダヤ思想です。

国家主権よりもカミとカネが一番という人々です。

ギリシャのEU加盟と国債発行で財政の粉飾を手引いたのがゴールドマンサックスです。
(未来の国民の所得と年金を担保にバンバンギリシャは国債を発行することで、EU加盟が認められました。)

ゴールドマンサックスという寄生虫にしゃぶり尽くされているのがギリシャの現状
そしてヨーロッパの投資銀行の餌食となっているのです。

明日は我が身、しゃぶられているギリシャ国民が<NO>を突きつけてユダヤ拝金教に一矢報いてやれ。

(追記)
夜中に書いた文章をそのまま載せました。
国民投票の結果、ECBの突きつける緊縮財政策にNOを突きつけました。

それでいいのです。ギリシャ国民が悪いわけではない、グローバリズムの犠牲者なのだと私は見ています。

スペイン、ポルトガル、イタリアもどんどん続けばいい。

ユダヤ教という砂上に建てられたEUという楼閣など崩れてしまえ!


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徴兵制とは国家社会主義下での発想なのである 
Sunday, July 5, 2015, 10:17 PM
7/5 雨 10時 浅草での空間線量は14ベクレル/立法メートル

本日の朝日新聞の日曜版GLOBEは大人の定義がテーマです。

大人を独立と定義するアメリカでは親元から離れて暮らすことが大人とみなされ、同居は白眼視される社会です。
高校卒業とともに自活していくのが普通のアメリカ人の感覚。
ところが最近ではパラサイトも珍しくなくなってきたというニュース。

次ページにはイスラエル人は徴兵による兵役満了(18歳で女子は2年男子は3年)をもっていっぱしの大人扱いとなるという記事。
職業訓練も兼ねているので、兵役後は軍歴に準じた仕事に就くようです。

イスラエルは13歳で元服式(バル・ミツバー)というお祝いがありますが、大人の通過儀礼として徴兵制は大多数の国民に指示されています。

かたや日本は成人式という田舎モンの同窓会よりも、とうがたってから似たようなリクルートスーツ(という軍服?制服?)を着ることが通過儀礼化しているという指摘があります。なんとまあ間抜けな大人への階段だ。

そして朝日新聞の記事の通り

「軍で鍛えられた子供らはみな、急に大人っぽくなる」



その通りです。特攻隊員の遺書などを読めば死に面すればこれほど精神的な発揚ができるのかと感じ入ります。

一方で


「若者には『早く大人になって国を守らなければ』という気持ちが強い。兵役はそんな思いを満たすと共に、軍が恐怖感をさらにあおり、敵の脅威を叩き込む場でもある。その結果、多くの大人が保守的になり、イスラエルの批判に耳を貸さなくなる」


とイスラエルのキネレット大学の人間関係を研究する教授もマイナス面を指摘しています。

ここであらためて説明しますが、イスラエルという国は建国以来からほぼ共産主義国家なのです。
キブツという集団(ソ連ではコルホーズと呼ばれた)が生活単位(地域単位)でした。
キブツという集落単位で産業や農業を分担していたわけです。

国家社会主義は高コストで自滅してしまう



ソ連崩壊後は、イスラエルもキブツ制度を廃止してしまいます。なぜなら維持コストに耐えられなかったから。
国内でも自由経済に移行していきます。

となると、旧キブツ(共同体)内でも、またキブツ同志でも格差ができるわけです。
このようにガザやイエメン国境といった戦闘地区へ回される者と、後援部隊に居る者などの不平等に対しても不満が高まります。
農業主体のキブツと都市部のキブツの出身者で配属先が決まってしまうのです。

このように徴兵制とは国家内の矛盾をすべて若者達に押しつけてしまう制度なのです。

貧乏国家のみが許される制度が「徴兵制」である



国家社会主義思想の具体例として国家存続を錦の御旗のもとに徴兵制があるのです。

日本がかつてそうでした。先進国では東西分断されていた西ドイツも実は徴兵制でした。台湾も韓国も徴兵制がありますね。

学生時代に、私の同年代の台湾人、韓国人、ドイツ人が集まると、あの銃は重かったとか、弾があたらねえとか軍事マニアが喜びそうな話ばかりしてましたね。テニスの授業でテニスラケットで軽機関銃の構え方とか、匍匐前進の仕方を教えてもらいました(笑)
大学生にもなって体育の時間なんて誰も真面目にやってないし、やる気もない。

今でも仲の良いドイツの友人は、10圓發△訥垢ち牲盻討鮹瓦い撚申臭劼盥埒覆気擦蕕譴燭海箸嫌で嫌で仕方がなかったと話します。
ただ私ぐらいの年齢(40代後半)では徴兵制も形骸化しつつあり、親元から離れて集団生活をする機会に過ぎなかったようです。
(いまはドイツでは徴兵制は廃止されています)

日本に徴兵制は無理無駄



まず最大の理由に、日本は社会主義国家ではないから。
そして国力が衰えたとはいえ、徴兵制を敷くほど貧乏国ではないから。

そして徴兵制を敷く国が直面していることは
徴兵制ほどコストのかかる制度はないということ。

18歳から女子は2年、男子は3年まるまる抱えて、手取り足取り職業訓練を施さねばならないからです。
かつての日本がそうであったように貧乏人ばかりなら、高等教育を授ける機会になったのですが、馬鹿でもチョンでも大学に進学する時代に、兵隊になって勉強できるからと兵役に就く人はいないのです。

日本は徴兵制となるという論拠はどこにもない



日本が徴兵制を施行するためには、その前提で日本が国家社会主義色、ファシズムが強くならなくてはなりませんけども、繰り返しますが、グローバル世界において国家社会主義は時代遅れなのです。
イスラエルでさえ放棄した主義です。

もっともお隣のバ韓国は中国のケツを舐めてしがみついていますけども(笑)

国家財政の問題を抱える先進国(というか国家財政は常に赤字であることが先進国の証でもある)が一番財政負担の重い徴兵制などできるわけがないのです。

もし日本が徴兵制を施行できるようになれば、それは台湾とやインドネシアとかと並ぶほど落ちぶれたということ。

そこまで貧乏国家になれば、あきらめてみんな兵隊になりましょう。

野党が安倍政権は徴兵制を目論んでいるかのように喧伝していますが、そのコストに耐えられるほど日本の財政はよくありませんから〜、残念。
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雨が降っているから売れないとは本当か? 長時間勤務を強要する社会を憎む 
Saturday, July 4, 2015, 12:06 PM
7/4 曇 10時 浅草での空間線量は14ベクレル/立法メートル

雨降りが続いています。
昨日は昼過ぎまで激しい雨で、千葉市の一部では冠水したり地下街は浸水したところがあったそうです。

そんな天候ですから、駅から離れたショッピングセンターに人が流れてくるわけがない。
実際歩いてみたら、膝下までずぶ濡れになりました。

案の定ほとんどが開店休業状態です。

商売は立地なのだなあと実感します。鉄道会社が駅を商業施設に建て替えしているのもうなずけます。
ところが駅周辺の小売業にとっては大きなマイナスです。

駅舎の商業ビル化で周辺部の経済圏が一気に縮小してしまう



良い例がスカイツリーの大きな商業施設があります。
スカイツリーの観光客が周囲の商店街にも人が流れてくることを期待して、足元の商店街は開業当時はお祭りムードでした。

もう4年近くが経ってどうなったでしょうか。

よけい寂れてます(笑)歓迎ムードはどこへやら。

とくに天候によって便利な立地と不便な場所とでは雲泥の差ができるのは誰もがわかることです。

政府発表の自画自賛な経済指標のこじつけで、天候不順が消費の伸びない理由だと繰り返し説明されてきました。

こんなのは中国共産党なみな理由にもならない理由であることには皆さんも呆れて怒っているでしょう。

景気が悪いのは緊縮財政と消費税であることを責任転嫁する財務省



まさか本当に天気が悪いから景気がよくないと思う人がいるとは思えませんが、お店番の合間にショッピングモールでの売上記録を眺めていると、ミクロ(日報)では天気が悪い日は売上は低いのですが、マクロ(週報や月報)ではほぼ一定に収まるのです。

天気が悪い日でも、午後から晴れれば人通りが回復して、売上も閉店時には平均的な売上になりますし、天気が終日悪くても翌日や週末で売上は上回る回復をするのです。ですから週単位で見ればさほど雨の日があっても影響は少ないと言えます。

正確なことは長期的な傾向です。

経営指標で前年同期や前年同月の比較がありますが、経営者や株主が重視する理由がよくわかります。

長期傾向が右肩下がりは気が気じゃないでしょう。(外回りの営業さんは「左肩あがり」と言ってました、初めて聞いた言葉w)

この売上の減少傾向の対策として、多くの小売店や飲食業が取り入れているのが、深夜営業や24時間営業といった長時間の営業です。

かくして早朝から深夜まで煌々と灯りが点いている街ができあがりましたとさ。

めでたくないめでたくない。

たいていは管理者やアルバイトにしわ寄せがきています。10時間12時間勤務が平然とされているのがサービス業の実態。

長時間勤務は人間の思考能力を奪い取る



限られた空間と情報源のみで一日の大半を過ごしていると、どんどん考えることが奪われていくことが実感されます。
関心が目の前のことしか向かなくなっていくのです。

テレビでやっていましたが、日本は労働時間では世界第三位です。一位がアメリカ、二位が韓国なんだとか。
ところが労働時間で割った生産性では先進国最下位です。

ヨーロッパでは家庭で過ごす時間は最低11時間なければならないと法律で決められています。
あくまでも人は家族と地域に属していなければならないという考えが根強くあるからです。
ドイツの公務員はお昼の3時には帰っちゃいますからね。6時間ぐらいしか働きません。

日本に旅行できたヨーロッパの人が驚くことが、夜の7時とか8時に人が通りにたくさんいることです。
夜に人混みがあるのは、祭りがあるときぐらいなので「日本は毎日が祭なのか」と勘違いしてます。
9時とか夜になっても会社に居座っていることにも、信じられないと驚いてました。

アメリカ人は遅くまでオフィスにいるのは経営者や管理職なので、同情などは一切しません。
でも日本ではぺーぺーでさえも定時に帰らないのかと不思議がっていました。

この現状を改善するために厚生労働省は長時間拘束の監視を強めているのだとか。

ここ浅草では仲見世(なかみせ)や道具屋街は18時にはすべて閉店してしまいます。まだまだ明るいこの季節にシャッターをガラガラ閉めてしまう光景はちょっとした驚きでしたが、これが一番だと私も思います。

昔は蕎麦屋なんて11時あたりに開店して3時には閉めるのが普通だったのに、なんなんでしょうね。

いまでは大型ショッピングセンターは24時間や9時や10時といった夜間営業があたりまえになっていますが、これほど非効率な社会はないのだなと、実感しています。

本はおろか、新聞やテレビさえも見ることが出来ないのですから、これほど恐ろしい洗脳隷属化社会はないと寒気をもよおします。

今の中高年、老齢世代と比べて、若者20代30代前半で一日の大半を他人に奪われていると、知識を仕入れることができません。
知識や経験量では大きなハンディを背負っているのです。

今はスマホがあるから十分だと言う人がいるかもしれませんが、所詮は受け身の情報に過ぎず、思考の形成には役立ちはしないのです。
しょせんは借り物の知識です。

長時間の労働時間を強要する社会を私は心底憎みます。

ブラック企業を叩けって?

とんでもない日本自体が『ブラック社会』そのものじゃありませんか



私は他人に時間を与えるのは6時間が限度です。
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活気無く潰れつつある問屋街 
Thursday, July 2, 2015, 10:21 PM
7/2 雨 10時 浅草での空間線量は20ベクレル/立法メートル

昨日は錦糸町から回り道をして浅草橋に寄って帰りました。
浅草橋は手芸用品やバッグの留め具などの小物、アクセサリー、皮革の卸問屋がたくさんあります。
小売もしてくれるので、自作派の私にとってはありがたく、心強い場所です。店員さんに聞けばいろいろアドバイスしてくれます。

浅草橋の南には馬喰横山という場所で、こちらは紳士服・婦人服の問屋街です。
浅草橋の北は蔵前といって玩具問屋があります。

そこからずーっと北側にいくと、浅草道具屋街(合羽橋道具屋街)という通りにつながります。
ここは厨房用品、食器のお店です。

私にとって浅草橋から道具屋筋までの一帯は、とても重宝する場所です。

ところがこれら問屋街にもシャッターが閉まったままとか、閉店の貼紙が目立つようになりました。

単価の安い金具や素材が売れてないのです。

セール、大安売りと垂れ幕が下がっていて、夏物の服は今は投げ売りになりつつあります。
へたしたら70%OFFという看板さえ見かけます。

洋服は値引きしても売れるでしょうが、金具や素材、厨房用品といった商材の基となるものは値引きして売れる物ではありません。寸胴鍋が安いからもうひとつ買っておくか、なんていうわけにいきませんから。

問屋街は消費のバロメーター(気圧計)



需要がものすごく落ち込んでいるのが肌で感じます。
浅草のショッピングモールでも閉店が相次いでいます。テナントがいなくなってガランとした空間が1階2階にも目立つようになりました。
ここに越してきて初めて見る光景です。

新規開店がなく、撤退縮小が末端で起こっているわけですから、そこへ卸す問屋街だって青色吐息です。

消費税増税が経済の息の根を止めつつあります



小さな商店、長年の問屋、下町にたくさんある軽工業が潰れてしまったら、日本の強みである製造業は壊滅です。

アイフォーンや自動車だけが製造産業ではない。

多種多様な雑貨が日本の製造業を象徴していたのに、お先真っ暗です。問屋街を歩けば、7月なのに肌寒くてしかたがありません。

家内制手工業のような小規模製造業が集まる台東区や墨田区、足立区、江戸川区、葛飾区などの城東・城北地域は喘いでいます。おばちゃんたちと話すと愚痴ばかり。
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がさつな女は歩き方でわかるな 
Wednesday, July 1, 2015, 10:52 PM
7/1 雨 16時 浅草での空間線量は18ベクレル/立法メートル

半日だけ錦糸町のショッピングセンター・オリナスに突っ立ってます。
今日のような雨ですと、駅前ではない立地の商業施設は人は流れてきません。

目の前の錦糸町公園に訪れる人を狙った施設ですから、平日の雨模様となれば客足は遠のくことは予想できること。案の定開店しても人通りはまばらです。
昼頃になるとやっと幼児を連れた母親が行き交い出しましたけど。

墨田区錦糸町という場所は、もともとは場末の繁華街だったところで、若者や家族連れが集う場所ではありませんでした。
ところがスカイツリーに一番近いJRの駅ということで、しょぼい駅ビルしかなかったところに、商業施設が建ち並んだのです。

小規模の衣料品や雑貨の卸が裏通りにあったり、相撲部屋があったりして散策すると面白い場所です。

そして国籍もバラバラな人たちが行き交う場所です。

女性向け衣料品の専門店が建ち並ぶところなので、まばらに女子高生、OL、赤ん坊を抱えた母親、妊婦さん、おばさんらが目の前を通り過ぎていきます。

従姉妹のお店の店番なので、気楽に眺めています。

でもあることに気づきます。

女には颯爽と歩く人種と不格好に歩く人種がいる



年齢にはあまり関係ありません。年配でも立ち振る舞いがきれいな人がいる一方で、どたどたドスドスと歩き回る女子高生風情もいます。おもわずどこの相撲部屋の人かと訊ねたくなります。

足元を注視していると、あることに気づきました。

つま先が外に向いている女は、がさつです



着ている服装も普段着ですし、髪型もそれほど手入れしているようにはみえません。
はっきりいっちゃえば、若くても錦糸町のそこらのおばちゃんと同じ。

相撲部屋が多い地域なので、まさに相撲取りのような歩き方・・・ごっつぁんごっつぁんと言いながら歩いているようなもん。
ははん、ここはタイ人と韓国人の比率が多い地域なので、その国の方なんだろうなと合点しました。

総武線で若い女性が日本人であるかどうかは、すぐにわかると知り合いの医者の話を思い出しました。

「日本人は座っているときには必ず膝頭を揃えているだろ?でも、たとえば韓国から遊びに来ている女性をみていると、だらしなく股を開いて座っているからすぐにわかるんだ。」

これは幼稚園ぐらいのときから座るときにしつけられないと、内ももの内捻筋が鍛えられないから一朝一夕では閉じられないなのだとか。つまり自然ときれいな立ち振る舞いができるかどうかは小さいときからの訓練(習慣)で培われるのだとか。

タイや韓国では股を開いて座ることがあたりまえの日常生活なので、日本に来ても気を緩めるとすぐに

ぱかっと股を開いて座っている



のだそうです。たしかにそうですね、京成線の韓国人女性は日本人女性の座り方と違います。

ですから、国籍かお育ち具合は歩き方でだいたい推測ができてしまうのです。

きれいな立ち振る舞いの女性は、踵のない靴は履いていませんね。

妊婦さんや赤ちゃんを抱えているお母さんを除けば、踵のないズック靴(スニーカー)は感心できませんね。

なぜなら、歩き方も体型も「おばさんそのもの」だからです。
太った年寄と何も変わらない。

きれいでスタイルの良い女性は、足の親指の付け根(拇指球)を先に着地して歩いています。
一方、がさつな女は踵から着地して、ドスドスドスとドカタのオッサンのように歩き回ります。

もちろん眼が汚れるので、そっぽ向いてます(笑)
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「何のために勉強するの?」哲学なき社会の弱さ 
Tuesday, June 30, 2015, 10:42 PM
6/30 晴 16時 浅草での空間線量は20ベクレル/立法メートル



まもなく夏休みに入ります。そこで勉強しなさいと叱責したら、子供から「勉強はなんのためにするのか」と反論されたら、どうすればいいかをラジオで意見の募集をしていました。

寄せられた意見や教育評論家と呼ばれる人物がごちゃごちゃと言い訳めいた話がされていただけです。

たいていは「将来のため」「なりたい仕事に就くため」「良い暮らしを得るため」・・・そんなところでしょうか。

哲学なき日本に反吐が出る



なんのために勉強するのかと言われれば、発展途上国の子供たちは自分と国を豊かにするためと即答するでしょう。
もちろん幕末から明治となり、猛烈に欧米列強に立ち向かうために必死で、貪欲に吸収していく意欲が日本にも満ちあふれていたでしょう。
そして1960年から70年あたりまでは日本と自分たちが豊かになるためと答えたはずです。

その頃は子供であった私の世代だって親がいうままに信じたはずです。
でも思春期あたりで、自我が生まれるとたいていは疑問に感じるのです。

はたして「なりたい仕事に本当に学校の勉強は必要か」「良い暮らしとは何か」という漠然とした懐疑が生まれるのはあたりまえ。

物質的には十分満たされていますし、私の世代ではジャパンアズナンバーワンと奢れた時で繁栄の頂点のように感じられていた頃です。

高校生の私は考えました、なんのために勉強するのかと。

とりあえず

・良い暮らしとは大きな家、良い車、奢侈な生活
・いい女(誰もがうらやむ才色兼備の美人)と結婚するため
・社会的なステータス(誰もが知っているブランド企業)

これらを得るために勉強というものをするのだろうと不完全ながら考えました。
今の若者言葉で言い換えれば、「スペックを高めるために勉強するか」ということ。

そして30年後の中年真っ盛りの現在で

高スペックなことは何も手にしてません



・良い暮らし・・・東京の下町で賃貸生活
・いい女・・・縁がありません、というかお目にかかったことがありません
・ステータス・・・入社後すぐに挫折

もし30年前にタイムマシンで戻れるなら、もっと好きなことやれよと自分に言いたいです。
どうせ同じ結末だから(笑)

何か一つでも得ているのなら、幸運な方でしょうね。

個性を重視した教育方針ですとか、子供の個性を尊重しますとか知った顔でいうテレビタレント風情の教育評論家がいます。

個性とは「神さまからの授かり物」という意味



宗教的な背景があってこその言葉で、キリスト教圏において個性(personality)は神さま(God)からの授かり物であるから人間が侵してはならないという意味合いです。

もっと露骨に天才(genius)、天性(talent)は欧米では「(神から才能を)与えられし者」(gifted)とも呼ばれます。

少なくとも家庭と地域社会において信仰に基づいた暗黙の教育方針があるわけです。

つまりは「勉強する行為=信仰の行為そのもの」であるから、何のために勉強するのかという疑問こそ信仰に反する愚問なのです。

勉強することは信仰の行為そのもの



神棚もなく墓参りもしない無信仰の親の元で育てば、たいがいバカに育ちます(笑)

黒柳徹子の「窓際のトットちゃん」、ビートたけし(北野武)の「たけし君ハイ」やB&B島田洋七の「がばいばあちゃん」といったベストセラーを読みましたが、共通していることは信仰心の厚い母親か祖母が必ずいるということです。

あれをしてはなならい、これをしてはならない、これをしなければならないと口うるさくいう母親(祖母)が必ず登場するのですが、叱る理由はほぼ「信仰に反しているから」という諭しなのです。

それを子供はなんとなく感じて従うわけです。これが単に親の私見やエゴだったら反発するだけでしょう。

無神論者(atheist)無信仰者(nonbeliever)の意見はエゴイズムでしかない



子供はそういう欺瞞をするどく見抜きますから、たとえ親であっても聞く耳を持ちません。
アホかと反発するだけ。

親は子供に哲学をちゃんと示さねばならない存在であるべきなのです。

哲学とは宗教(信仰)に基づいた考え方やとらえ方です。つまり上位に宗教(信仰)があって哲学(勉強の体系)が生まれ、そこから思想が生まれ、その下に思考(考えの道筋)、さらに戦略と技術ができるわけです。

宗教(信仰:神さまGod)→哲学(Godはどう我々を形作ったのか)→思想(Godの意志とは何か)→思考(自分自身の答え)→戦略(どうすればいいのか)→技術(問題解決への手腕)

このような道筋になるのです。

ところが日本の大多数を占めるバカ親は思考も思想も哲学も持ち合わせていない。
いや日本全体が哲学から信仰心も消え去っているのです、戦後からずっと。

哲学無き日本は「経済力(お金)という神さま」しかいなかった



戦後教育でくるくるぱ〜にさせられたから、勉強の目的を即答できないわけです。
信仰心抜きの教育は上滑りな建前論と見透かされています。

今の公教育に期待している中間層以上の世帯はいませんよ、東京や神奈川では。
都立中学や都立高校は荒れまくってますから、こぞって私立に通わせたいという親が多いのです。

私立ならすくなくとも問題児は退学という手段があるからに過ぎません。
理由はそれだけ。

低偏差値、荒れている学校の生徒というのはたいていは家庭も無信仰なのです。

勉強する/しないは信仰心から醸し出されるものであって、進学しないという選択だってとうぜんあるわけです。
ヨーロッパ、特にドイツでは子弟制度があり、テクニシャン(技巧者)として生きる道筋がちゃんとあるわけです。
そちらへ向う人という神の指示があったということで、劣等感も何もないわけです。

日本では「金儲け教」の脱落者としかみなされません。んで、低脳の親は悲しむという構図。

これがいまでもずっとつづいている。日本は戦後はずっと「無宗教国家」ですから。

だから「なんのために勉強するの?」という問いが子供らに出てしまうのです。そしてそれに答えられない親の存在、そのまた親の存在がどうしようもないからです。

創価学会の官僚が今は大部分を占めるのは当然の結果



霞ヶ関では一説によると三割近いキャリアは創価学会なんだとか。
私は創価学会に対しては別になにも感じません。日蓮宗系の宗教としか認識していません。

たしかに勉強できる奴が多かったかなという認識です。
受験勉強は大学生が教えてくれるから勉強会においでよと誘われましたことがあります。
彼らにとって日々の勉強や受験勉強は修業の日課にすぎないという認識があるのでしょう。
そこには何のために勉強するのという疑問の余地もありません。ついでに折伏。

だから教師や塾で創価学会信者が多いのは当然なんだなあと思います。

「なんで勉強するの?」の答えを持っているからです。

即答できない親は哲学もなく思想もない馬鹿親です。そんな親の元に生まれたことを憐れむべき時代になりつつあります。
背骨のない子供にしっかり立てということと同じです。

そもそも日本で勉強とはなにかを親も教師も知らないのですから


検索キーワード:哲学:

信仰とは他力本願のことだが、ブッダは否定した(釈迦仏教と大乗仏教の違い)
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ただいま店員修行中 レジスターって結構難しい 
Monday, June 29, 2015, 12:36 PM
6/29 晴 11時 浅草での空間線量は24ベクレル/立法メートル

7月中旬まで不定期で浅草からすぐの錦糸町の商業施設オリナスにおります(笑)
東京建物の施設で、上階にはシネマコンプレックス、下階は専門店街となっています。
そこで半日つったってます。

アルバイトの学生さんが期末試験なので、従姉妹の会社のピンチヒッターなのです。
まだ三日しか行ってませんけど、お店番に過ぎないとはいえ、初体験で毎日どぎまぎしてます。

自店舗ならば開店も閉店も自由が利くのですが、ショッピングモールは厳格に決められているそうです。
つまり10時開店までに必ず開けて、閉店が21時ならばきっかりそれまでお店を営業しておかねばならないということ。

ですから遅刻はできなければ、子供が発熱や怪我といった急用でも店を閉められないのです。そのようなことがあればペナルティーを課せられるそうです。

子供のいる女性にとっては厳しい職場。子供との会話が長時間勤務でできないという愚痴も聞きました。(通勤時間を合わせれば一四時間にもなる)

また喉が渇いても、小腹が減っても口にしてはなりません。これはお店をやっている人には当たり前のことか。

そして驚いたのは、常に立ってなければならないのだと。スツールが置いてあるので座って良いのかと思っていたら、これは商品棚に手を伸ばすときの踏み台なのだとか。

へぇぇぇ〜と感心するばかり(オレに務まるか・・・)

お隣の店舗の中年アルバイト店員は座ってスマホをいじくっている姿が監視カメラでばっちり映されて、すぐにショッピングモール側から厳格注意の上退去させられたのだとか。一挙一動どっかからふさわしくない行為として監視されているそうです。

まだコンビニはひっきりなしに客がくるから、手を休める暇はないでしょうが、専門店はそれほどお客が列をなすことはありません。
つまり、ず〜〜〜っと手持ちぶさた。おまけに駅から離れているので平日は客もまばらです。

商品の位置を直したり、服をたたみ直したり、つねに身体を動かしておかねばならない。(店員が暇そうな店はお客が入らないから)

あと、いつも恐る恐るなのが、レジ打ち(泣)
こいつがオレを悩ませます。

電卓の親分みたいなもんだろ〜と思っていたのですが、打ち間違えるとさあたいへん。

たとえば税込み1,080円を1,008円と打ってしまい、[C(クリア)]ボタンがあるので、それを押して改めて打ち直しても、一旦1,008円が売上に計上されてしまいます。つまり打ち間違えるたびに累積して実売上と乖離していきます。

そして締めで現金がたらな〜いと大騒ぎ(笑)
だからレジ打ちとあわせて、手書きで売上記録をしっかり書き留めておかないとミスがわからない。

なぜ打ち間違えるのかというと、商品区分という必ず押さねばならないボタンもあったりと、あれこれ押さねばならず、それを省くとすぐにE(エラー)が出てしまうのです。そしてそれも売上には記録される・・・。

おまけに値段が税込みと税抜きの2つがある・・・。
アホだろ、このレジスターメーカー!(具体的にはカシオ製)

レジスターを放り投げたい衝動に駆られます(爆)
店員間では「バカレジ」と呼ばれているそうです。

さらにレジの売り上げ記録は毎日ショッピングモール側に提出しなければならないことも知りました。打ち間違いがあると報告の日報も書くことが多くなるのです。

一秒でも早く帰りたいのにイライラします(いや、させてますw)

それぞれ独立した店舗のように思っていたのですが、売上も監視されており、あまり低いと別テナントに替えられてしまうのです。厳しい世界だねえ。

それからというもの、スーパーのレジのおばちゃんらを見る目が変わりました。
いくつものボタンを瞬時に押していることに敬服します。
それとたくさんの人が働いていることに驚きました。小売業とは人海戦術の世界なのです。


何事も体験ですねえ。
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国連やNATOの「集団安全保障」活動を「集団的自衛権」と印象工作する朝日新聞 
Sunday, June 28, 2015, 11:28 AM
6/28 晴 10時 浅草での空間線量は20ベクレル/立法メートル

昨日の新聞を読むまで『集団安全保障』という言葉を知りませんでした。誰も興味ないし下手な直訳した日本語というイメージしかないでしょう。
よほど関心がなければ調べようなどという気持ちすら起きません。

『安全保障』という言葉は『軍事同盟』ということ



「安全を保障する」のは警備会社の宣伝文句ではありません。

ちゃんと戦前では「(軍事)同盟」と報道されていたのに、国民を騙すための印象工作として「安全保障」と置き換えられたのです。

英語ではアライアンス(alliance)であり、同盟国はアライ(ally)といいます。

軍事同盟を辞書で引くとミニタリー・アライアンス(military alliance)となりますが、いちいち軍事をつけなくてもアライと言えば、「義」や「戦友」「共同体(一心同体)」というものすごく強い結びつきを示す言葉なので、アライアンス自体が軍事(power、force)の意味を含んでいるのだとか。(副島隆彦先生の英語解説より)

スネ夫とジャイアンはallyだ
(Suneo and Giant are allies.)

このように言われれば、誰もスネ夫にちょっかいを出せない。なんかあればジャイアンが拳を振り回して飛んでくることは理解できます。
そして問答無用に殴られることを覚悟しておかねばならない。

同盟(alliance)という言葉はそれほど重い重い意味なのだとか。
まっ、それを戦後の官僚たちが、ヨレヨレ爺しかいない警備会社の宣伝文句のような安っぽい言葉に置き換えたから意味がわかりにくい。

「集団安全保障」を英語ではCollective security、直訳すると「みんなによる警備体制」となってずいぶん受け身的な意味を持たせています。
とはいえ「集団」とは具体的に国家群、たとえば国連(the United Nations)、NATO(北大西洋条約機構:the North Atlantic Treaty Organization)やワルシャワ条約機構、上海条約機構などなどの締結国を示します。

「Ally(同盟)」よりも関係が浅いニュアンスの「Treaty:条約(国家間の約束・契約)」であっても、軍事力の融通という点では同じです。

真偽はわかりませんが、第一次大戦時の日英同盟下で日本軍が参戦に積極的でなかったことが、後の同盟破棄につながったという史観があります。アリバイ的に近場の上海のドイツ租借地を火事場泥棒のように奪っただけだという嫌疑がうまれたという説です。当時にヨーロッパまで派兵するだけの国力もなかったのでしょうが、もちヨーロッパ戦線に僅かな兵隊であっても送っていたのならば、歴史は大きく違っていたかもしれません。

掲載した記事は、NATOによるドイツのアフガニスタン派兵を同盟による集団的自衛権の行使のように報道して読者を混乱させたという指摘です。

・2001年アフガニスタンへのドイツの派兵は条約に基づいたもの
現在国会で審議しているのは
・自衛行動を同盟国で分担し合う是非をとうもの

全然意味合いが違うジャン!

自衛権とは主権国家が有する権利であることは国連においても常識です。
さらに集団的(=軍事同盟国)での自衛行動も主権国家においてはごく常識的に認められています。

新聞による思想操作の一部を見た感がします。

なんとしてでも日米軍事同盟に亀裂を生じさせた〜い



もちろん中国(中国共産党、人民解放軍)が願っていること。それを朝日新聞がみごとに実行しているということ。
プロパガンダはこのように行われるという見本にもなりそうです。

あっ、私は日米安全保障条約は破棄となってもいいと思ってます。それが真の独立国家の姿ですから。

でもその時は核保有、大幅軍備増強、兵器開発への国力投入と誰もが期待しない方向へ向うことになるでしょう。
日本が軍事国家となってほしくないと、思っていても結果は正反対になってしまうということ。
(このような意に反した結果を小室直樹は「合成の誤謬(ごびゅう)」と名付けました)

関連ログ:集団的自衛権とは軍事同盟下では当たり前の行動なのに
数量化という概念が理解できていない人物の戯言は日本に悲劇的な結末を招く
3分で読む小室直樹「新戦争論」(学問道場版)

新聞を揶揄する川柳を紹介しておきます。

アカが書き、ヤクザが売って、馬鹿が読む



馬鹿は無害ならいいのですが、やる気だけある馬鹿ほど手に負えないものはないです。
だから国家問題は一小市民にとっては無関心であることが一番です。

なぜなら政治的関心が強い人は利用される(そして捨てられる)だけの存在だからです。

はい、私は新聞記事の99%はどうでもいいことです。


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沖縄独立論は米中代理戦争の舞台になるだけ。それでよいならば御勝手に 
Saturday, June 27, 2015, 02:46 PM
6/27 曇 10時 浅草での空間線量は18ベクレル/立法メートル

本日もどうでもいい話

中朝、米国政府=国際巨大資本、日本政府、国内大企業それぞれ利益の代弁であるのが新聞やテレビといったメディアであることはあらためて言うまでもありません。独立を謳うNHKであってもプロパガンダの一角に連なります。

そんなことは誰もがわかっていること、なのに・・・

テレビ制作の経験を買われ、NHKの経営委員会に抜擢されたりと自民党に重用されている百田尚樹(ひゃくたなおき)の放言がかっこうの非難の的になっています。

(政府方針に反対を唱える)共産系沖縄地方紙を潰してしまえなんて発言は本音でしょうけど、公で言うことではないでしょう。

安保法改正反対で使われる「戦争になる」という陳腐なフレーズしか繰り出せない野党民主党はかつての社会党と似たような存在になりつつあります。

けっきょく民間人でありながら舐めきった発言をする百田氏は、慢心がすぎると誰もが思うでしょう。
ましてやマスコミ出身者でありながら、マスコミすべてを敵に回してどうするんだ(笑)

米中ではプロパガンダ(印象操作工作)という戦争の真っ最中



いきなり背後から撃たれたと自民党議員は思っているのではないでしょうか。

リーサルウェポン(切り札)かと思い陣営に加えてみたら、誤爆・暴発を繰り返すどっかの国の武器みたい(笑)

いかりや長介ではないですが「ダメだこりゃ〜」

沖縄が独立して自主政府樹立を宣言したければしたらいいじゃないか



アラブや動乱がつづく東欧のような代理戦争による地獄絵図になるのはあきらかでしょう。

中国を新たに宗主国とするのも、それはそれで琉球王朝の歴史上やむを得ません。

このように百田氏が切り返したら、少しは左翼系(中国寄り)メディアは黙り込んだだろうに、中共に利する発言してどうするんだ(笑)

非武装中立を謳ったところで、結局は周辺諸国から常に軍事的な脅威を意識して、さまざまな問題(領土・領海)を解決していかなければなりません。

非武装中立とは他人の褌をあてにする楽観主義の極み



一旦周辺のパワー(軍事)バランスが崩れると、真っ先に体制崩壊するのは地政学的には当然のことです。

結局は沖縄の人間も闘わなければならないということ。

だからって私は「琉球独立論」を否定しているわけではありません。

むしろ闘って戦って、戦い抜いて沖縄の人々が独立を目指す気位を持ち続けて欲しいと願っています。

日本の独立は沖縄からはじまって欲しい



私はリバータリアンですから、軍隊ぜんぶ追い出して、米中露どこにも恭順せずに、我々で美しき沖縄を死守すると蜂起して欲しいです。

それぐらいの激しさがあれば、全日本人が真の独立とは何かと目が覚めていくでしょう。

沖縄はちょうどキューバのような位置づけになるでしょう。

私が生きている間に、カストロやゲバラのような人物が現れて、琉球独立宣言を出す日が来たら、感動するだろうな。

もちろん日本人も琉球人もたくさんの血を流すことになりますけども、それはやむを得ません。

イデオロギーの闘いはどちらかが殲滅されるまでつづく、非情なものなのですから。

左巻の「米軍出ていけ」論はもっともっと激しく運動をやったらよろしい。
そして武力抗争へと発展して、生きるか死ぬかで白黒つけたらよろしい。

一番血なまぐさい解決ですが、主張を貫くということは、そういうことです。ちなみに

イデオロギーの闘いはNHK大河「花燃ゆ」から学びました(爆)



怒れる沖縄県民よ、さあカラニシコフ(AK-47)を手に取ろう!ただ中国製コピーだろうけどさ。そんな時がきたら私たちも無関係ではなくなりますけど、それも仕方がないです。


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ファブリーズ(消臭剤)のTVコマーシャルがうっとおしい 
Friday, June 26, 2015, 05:25 PM
6/26 曇 10時 浅草での空間線量は16ベクレル/立法メートル

たまにはどうでもいいことを書きます。

湿度が高く、汗をかく時期になりました。
ちょっと身体を動かしただけでシャツが汗ばみます。
衣類は洗ってしまうのが一番気持ちがよい。

私はべつに洗濯可能なものではないスーツやジャケットでも平気で水洗いしてしまいます。

過去に以下のような経験をしたからです。

ドライクリーニングしておいた夏服を久しぶりにタンスから出して着てみたら、なんか臭い。どれも体臭が染みついて気持ち悪いので、やけっぱちで風呂の残り湯に突っ込んでみました。

残り湯が紅茶色になりました。

衣類用中性洗剤で丁寧に洗ってから、脱水機にかけないで、タオルに挟んで水気をとって吊しておきました。あら不思議、テカテカしていたスーツがふっくらしました。

調べてみると、ドライクリーニングは油汚れだけしか落ちないため、水溶性の汚れ(汗や垢)はそのままなのだとか。

それいらいウールだろうが麻だろうが、手洗いしています。

そっちのほうが襟首などの汗染みがきれいに落ちるからです。さらに着心地が良くなります。

たしかVAN創業者の石津謙介氏も、アルマーニは水洗いしたほうが風合いが出て、ずっと着心地が良くなると、自分のドレススーツはドライクリーニングをせずに、高級ブランドでも平気で風呂場で水洗いしていたそうです。

型くずれや皺が気になるのであれば、ビシャビシャのままトルソ(マネキンの上半身)やタオルを巻いたハンガーに掛けておけばよいのです。この時期ですと、一日で乾いてしまいます。

掛け布団や毛布も平気で洗ってしまいます。ダウンジャケットも羽毛布団も水洗いします。

水洗いにまさる気持ちよさはありません



ところがテレビコマーシャルの影響なのか、汗まみれの運動靴やトレーニングウェアでさえも親の敵のようにファブリーズをかける人がいるのです。

洗えばいいのに、面倒だからとあちこちにシュッシュッシュッシュ、はいこれで明日もOKとのこと。

・・・でもねぇ〜、遠くにいても臭いんだよ。それも微香を伴った嫌な臭いです。
この臭いは身に覚えがあるなあと思っていました。

先月はビジネスホテルに連泊していたのですが、ビジネスホテルの部屋の臭いってファブリーズの臭いなんですね。どうも掃除係が枕や掛け布団にシュッシュシュッシュしていくようです。

人工的な臭いが充満しているので、部屋にはいるとまずは窓を全開にして臭気を出します。

そして我慢して寝る(笑)

テレビコマーシャルの悪害でしょう。洗える物は洗った方が良いし、ソファーやカーペットなどは熱いお湯で叩き拭いた方がよほど気持ちがよいはずです。

でも誰もやらないし、シュッシュッシュで済むならそれで良いと思っている。

悪臭も慣れれば感じなくなるのでしょう。

ファブリーズって単なる薄い重曹水だそうです。弱アルカリなので酸性の臭いを中和しているだけで、アルカリ性の臭いは消せません。

除菌だ消臭だと消費者を惑わしていますが、要するに

肌に触れるものが、ずっと汚れっぱなしってこと



あ〜気持ち悪い。そしてファブリーズ臭い奴は大嫌いw

いっぽう私は衣類寝具のみならず、電化製品、パソコン、テレビも水洗いしてしまいます。
コーヒーをこぼしたキーボードをバケツに突っ込んで洗うわ、ブラウン管テレビは裏蓋空けて洗車たわしで擦ってやりました。パソコンもなんどか基盤を台所で洗っています。これだけで直っちゃうのです。

過去ログ:そもそも根拠のない数字だからこうなるのです
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人権平等主義のオウンゴール 過激平等主義は国家を揺るがす 
Thursday, June 25, 2015, 12:02 PM
6/25 曇 10時 浅草での空間線量は10ベクレル/立法メートル

ギリシャ債務問題よりももっと根本の重大な問題がEUを揺るがしています。
北アフリカ地域から地中海をわたって難民が押し寄せてイタリアが悲鳴をあげています。

日本の半分ほどの人口に年間17万人、今年前半だけでも10万人を越えているので今年は20万人を越える勢いです。
昨年とあわせて40万人近くがイタリアやギリシャに住み着くだろうということ。

日本にあてはめれば人口数の少ない地方の県がまるまるイスラム教徒占有されたようなものです。

人口比では0.6%程度ですが、言葉も宗教も慣習もすべて違うのですから仕事ができるはずもなく、税金で養わなくてはなりません。衣食住を提供するのに、100人から徴収した税金を回すとしたとして、40万人のために4000万人!が赤の他人のために稼ぐハメになります。4000万人という労働者数は日本のほぼ健常な成人(労働人口)に該当します。

難民の受け入れをEUの規則として制定しているのですから、イタリアやギリシャは大いに弱っています。

なんで難民の受入れがEU加盟の条件だったのでしょうか。

それは、EU(ヨーロッパ諸国連合)とはドイツがヨーロッパの覇権を握ったことで成り立った実質「ドイツ第四帝国」だからです。(第三帝国をナチス国家とした場合)

大戦後ECを経て、ユーラシア大陸に散らばるロスチャイルド系の貴族がドイツに恭順して成り立ったのがEUという連合国家です。

それも最悪なことに、「人権平等主義」という偽善を建前にして・・・

皮肉なことに、同じ偽善国家アメリカのアラブへの介入で、間接的に首を締め上げられているという大きな構図となっています。

あ〜あ、どんどん問題が大きくなって、一国家ではどうしようもならなくなっちまったよ。

EUからみれば日本の在日朝鮮人問題なんて問題の内に入らないです。どこでもある民族対立にすぎない。
それどころか、大阪(生野や鶴橋)や東京(新大久保、西葛西)、群馬(太田市のブラジル人街)などなどは一二〇点の点数をつけてもいいのではないでしょうか。

日本という国家は異言語・異教徒らに本当は寛容な国家なのです



私はEU発足後にドイツに滞在した経験があります。
まだ当時はユーラシアが(ロシアを除いて)統一されたという機運が満ちていたし、ドイツ人やフランス人は国境がなくアルプスを越えてバカンスを楽しんでいるように見えました。隣町へいくような感覚で1000kmぐらいのドライブに行ってしまうのです。

ところがアメリカでもそうですが、街を外れると、あからさまでない些細な差別はいくらでも体験できます。日本人もそうですが、小馬鹿にされていたのはギリシャ人やポルトガル人、東欧諸国の人たちら出稼ぎの人たちでした。ウエイターやウェイトレスはほとんどそういう人です。身体で稼ぐ仕事の出身国は相場が決まっているのです。
フランクフルトなどではスーツを着たアフリカ系の人ももちろんいますし、大都市ではいろいろな人種がごちゃごちゃいますから気になりませんけども。

我がドイツ国家こそコスモポリタンだという自信があちこちにみなぎっていました

それが

EU発足20年が過ぎて内部崩壊は目前



ドイツという工業力と資本力が強い国と、強力な産業がない国家とでは一方通行の関係になっていきます。ドイツの発言力が高まっただけでした。

ナチズムを全否定したら自縄自縛(じじょうじばく)で自爆しつつあるのが独仏両国の姿です。
だからプロテスタントの信者はドイツで減っているのだそうです。プロテスタント福音派の洗礼者数の減少が著しいのだとか。
アメリカもプロテスタントは減少傾向で人口比ではすでに半数を切っています。

カトリックに対するプロテスタントと一口で言っても、オランダから英国を経由して新大陸アメリカへ渡っていったのは清教徒(ピューリタン)というユダヤ教と合わさった宗派(ユニテリアニズム=一神教=ユダヤ教=フリーメイソン)を信仰する人たちです。

これに対する勢力はご存じバチカン(カトリック・イエズス会)でした。

アメリカがなんでイスラム・スンニー派を支援してきたのかというと、イスラエルのロビーによるものでもあるし、シオニズムを支持するユダヤ人資本家がシーア派(具体的にいえばイラン)への制裁を推していたわけです。

私の推測ですが、つまり敵(カトリック・バチカン)の敵(イスラム・スンニー派)は味方という流れもあったはずです。

ところが20世紀はカトリックを大きく凌駕(りょうが)したかのように見えたプロテスタント派は近年大きく勢力をそがれています。

もっともアメリカはとうの昔にカトリックに支配されている国でもあるのですけれども
過去ログ:カトリックとプロテスタント、どちらが原理主義(またはカルト)に陥りやすいでしょうか?
Liberty(リバティ)はプロテスタント・カルバン派の標語でしたが・・・
>CSIS(戦略国際問題研究所)の設立母体はイエズス会であった


プロテスタントの掲げるリベラル(福祉主義)・自由平等主義の<偽善>がやっと嫌われてきたからです。

ヨーロッパのみならず世界では右翼(民族主義)勢力が伸びているのがその証左。またピケティが述べているようにフランスでは露骨なほどカトリック優遇措置へ傾いています。自由平等を謳っていながらの矛盾した政策を進める政府という構図です。

ギリシャがEU脱退となるとギリシャ人のみならず喝采を送る人たちが多いのではないかな。特にカトリックの人たちは。

1982年に小室直樹先生が国連という幻想を捨て去り、自前の軍隊を確立することが世界の秩序安定につながるという逆説に辿り着いたことはご自身でも驚いていたそうです(副島隆彦談)

弟子であるその副島隆彦先生も、元左翼主義者でありながら、世界の国家問題の根源は18世紀にルソーが唱えた<過激・人権思想>にあるという結論に辿り着いてしまったのです。

今の国会中継などを眺めていると、なんか日本は半周は遅れているなと感じずにはいられません。
政治家たちに緊迫感がないもの・・・とくに辻本清美なんて馬鹿代議士の質疑なんか聞いていると。

馬鹿を掲げる国民性なんだから、日本にはお似合いです。

どっちみち我々は島国土人(islander:アイランダー)なんだから周囲だけ注力しておけばよいです。

キリスト勢力に荷担して他国にお節介しに行く必要はないのです。


あっ、でも私は憲法改正には賛成です。

これが費用もかからず一番軍事衝突の可能性が低い領土防衛策だからです




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スピリチュアリズムとは無自覚な土人宗教です 
Wednesday, June 24, 2015, 02:28 PM
6/24 晴 10時 浅草での空間線量は9ベクレル/立法メートル

明治となり西洋から啓蒙思想(フランス革命で宣言された「人権」という新たな概念)として流入した利己主義(エゴイズム)に悩んだのが夏目漱石であり、晩年の森鴎外ら文豪たちです。

「人権(Human Rights)」は今でも世情不安にさせる諸悪の根源だ


関連ログ:まさに「黒い巨塔」・・・最高裁事務総局の黒い支配! 「ニッポンの裁判」瀬木比呂志著
私は憐れむことには飽きた (旧約聖書エレミヤ書15章6節)
一票の”格差”が半世紀以上も放置されつづけているわけ
「余剰の時代」を生きのびるにはリバータリアニズムを根付かせるしかない
三権分立が厳格なアメリカで米官僚が安倍晋三に議会演説を要請するわけがない
NHKによるリンチ報道とまんだらけ万引き犯の擁護をするNHKの欺瞞
あなただって立派なフリーメイソン思想なのです
安倍政権の外国人労働者受入拡大に断固反対する!米国務省の仕掛ける罠
リバータリアンはナショナリズム(民族主義)ではない!むしろ究極のリベラルである
大日本帝國憲法(明治憲法)はキリスト教概念をとりいれた憲法であった
「医学的根拠とは何か」(津田敏秀 著)・・・専門家たちの独断のことです


朝日新聞で漱石のそれからが連載されています。
これを読んでいると明治の知識人の戸惑い(アンニュイ)がよくわかります。漱石に同情しながら読んでいます。

高校生の頃読んだ感想とはぜんぜん違います。漠然と恋愛の話だと思っていました。

ああ苦悶していたのだなあ、漱石さんは・・・

「明治日本はユニテリアン教会がつくった」(成甲書房 2014年)を執筆してからというもの、ずっと明治の知識人に関心を抱いております。

明治維新によって「国家と国民」という西欧に倣った秩序ができあがり、それに戸惑うのです。

主人公の代助が抱く漫然とした疑問・・・利己主義がほんとに近代的なのだろうかと逡巡しているのです。

代助の父は維新で活躍した武士階層であり、儒教的な旧来の考えを押し付けますが、代助はそれをのらりくらりとかわして働きもしません。

命をかけて守るものは何だ!?



それまでは武士であれば主君やお家であり、農民にとっては田畑だったのですが、文明開化という名目で霧消しました。
資本主義経済が生活をすべて変えていったのが、100年前の漱石の時代です。

そして倫理観もそれまでと一変して殖産興業、富国強兵こそ国民の責務と喧伝されていたのです。
漱石は”それから”の始めに主人公代助に馬鹿馬鹿しいと言わせていますね。
(対して鴎外は無邪気に一等国だとはしゃいでいます)

国家や資本家に対して働く意味を代助は見いだすことができません。

また学問に対しても常に傍観的な立場をとり続けます。昨日のアウトサイダー(outsider)の立ち位置に居続けるのです。

漱石はほんとうに頭が良かったのだなあ〜

明治日本はユニテリアン(フリーメイソン)らによって創られたことは、「明治日本はユニテリアン教会がつくった」で述べております。

ユニテリアニズムというキリスト教でありながらサイエンスを重視した思想を日本の知識層は近代思想として受け入れたのです。なんども言っていますが、物理・天文・数学といった理学は宗教思想から派生して発展していった経緯があります。

ですから”それから”の主人公・代助も本来は西洋では修道士のような人なのです。
また江戸時代では「食客(しょくきゃく)」や「客人(まれびと)」と呼ばれており、藩や豪商らが知識人を学者や指導者・相談相手としてそれぞれの屋敷に住まわせていたのです。

居候はべつに恥ずかしいことではなく、藩やお金持ちは知識人に見返りを求めることなく衣食住を提供していたのが江戸時代までの文化でした。

ところが食客としての身分を明治も終りになると、誰も認めない社会になってしまったということ。

サイエンス(science)という信仰に国民すべてが切り替わってしまったように漱石は感じていたのでしょう。

反動で明治から大正にかけて、新興宗教が乱立していきます。いまでも仏教系、神道系、キリスト教系あわせて600ほどの団体があるようです。

新興宗教が流行ったのは、社会変化(科学万能主義)についていけなかった人たちの受け入れの場だったのではないでしょうか。
はっきりいえば信者たちは、落ちこぼれであり、貧乏人であり、情緒不安定な人たちです

こういう人たちを救済することが目的ですから、それはそれで意義があったのでしょう。

いまは仏教も神道もキリスト教自体も日本においてはそれほど勢力はありません。

なぜならソビエト連邦が成立し、共産主義が知識層に拡がり、戦後さらに加速したからです。
新興宗教よりも昭和初期の国家社会主義、そして戦後は共産主義が昭和の代表的な思想だったからです。

ユニテリアニズムはリベラリズム(平等主義)であり、さらに共産主義と親和性が高いのですから、当然でしょう。

現代によみがえる霊魂主義(スピリチュアリズム)という先祖返りの宗教



占いの類は昔から脈々とつづいております。
「神」という言葉自体は本来は「占い師」「まじない師」であると副島隆彦は指摘しています。

日本人の「神さま」とは「ご託宣をくれる人」という意味程度で多用されますね。(例:〜の神さまと人を形容するときに使われています)

霊魂の存在を信じるのがスピリチュアリズムというのでしょうが、じつはこれはインディアンとか原住民といった非欧米諸国の土着宗教なのです。

日本でも小泉八雲や遠野物語の柳田国男が、地方の伝承をまとめていますが、妖怪伝説や霊魂のお話はそれぞれの土地に信仰として存在しております。

無宗教の時代である現代において、スピリチュアリズムが若者の間でひろく浸透しているということは、ふたたび土着宗教に信仰が戻っているということです。

とどのつまり四柱推命や風水も土着信仰の一つです



スピリチュアリズム(霊魂世界を信じる新興宗教)は自己啓発(いわゆる願えば叶うという信仰)や健康法(水に感謝するといいといった類)といった具合に形を変えてそこらに広がっています。

そこに精神的な安定を求めるのは結構ですが、そもそもそれらを信じる土壌には人々の劣等感・貧困・情緒不安・愁訴などがあるからです。土人宗教にのめり込む人たちはそういう問題を抱えた人達です。

知識層には属さない人たちが無自覚に信者となっているのでしょう。

六城ラヂウムはスピリチュアリズム(霊魂世界を信じる新興宗教)には関心がありません。

また新興宗教に関わることもないと断言しておきます。

ただ無神論者ではありません。いちおう神社では手を合わせますし、お墓参りもします。

明治の知識人も同じ心情だったのでしょう。

過去ログ:夏目漱石の宗教観とインターネット空間が無法地帯であること
「それから」に学ぶ「喰うために働くということは悪徳である」ということ



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