国内の油田跡地を観に行ってみた(新津油田跡) 
Sunday, April 25, 2021, 04:29 PM
仕事で帰る途中にかつてから寄ってみたかった新潟の油田(新津油田金津鉱場跡)を訪れてみました。
新潟市中心部から外れた五泉市の近くに、原油を汲み上げていた施設が残っています。

(ジオラマによるかつての最盛期の街並)

この地域は石油が湧出るところで、燃える水、燃える土は物珍しさから将軍家にも献上されていたのだとか。

でも灯りとして使うにはそのままでは煤と臭いがすごかったのだとか。

加熱して軽質な油が分離できるようになると利用価値が高まり、需要がうまれた。

手堀、手汲みで船樽で運ばれていた新潟産石油も1890年代以降は産業革命で需要が急増し、機械での採掘と鉄道輸送へとなります。

パンフレットによると、この地の庄屋であった中野貫一(1846-1928)と息子の忠太郎(1862-1939)が大正4年(1915)に興した中野鉱業は戦時中に帝国石油へ統合され、戦後は再び中野家の経営となります。

なんと1996年、25年前まで操業されていました。
日本は産油国だったんだという事実には驚きます(いまもいくつかの油田が細々操業中)

24基の組み上げポンプと設備はそのまま残っています。

(汲上げた原油を貯めるのは木桶だぜ・・・)

石油のくみ上げポンプといっても、そこらの鉄材で組んだような簡単なもの。

細い筒を上下させるだけの機構で、しかもそれを動かす動力は山の中腹の粗末な小屋からワイヤーを通して、遠くから引っ張るだけ。


動力は小さなモーターがひとつだけで、この新津油田の油井ポンプをぜんぶ動かしていました。

こんな小さな動力でちょろちょろと原油を集めて、小さなバーナーで水を分離していた。

それを煉瓦で覆ったタンクに貯めて出荷していたそうです。


こんな簡素な設備で一日何バーレル(142リッター)穫れたでしょうかね。

電気が地方では普及していない昭和初期までは灯油としての需要はこんなもんで良かったのでしょうね。

(貯蔵タンクといっても、こんな小さなもの)

石油の資料館には各年代の掘削パイプが展示されており、興味深く見ました。


昔は上総掘り(かずさぼり)といって弾み車で竹竿に地面に刺して掘っていたそうです。
50mぐらい掘れば石油がにじみ出てきた。

現在ではドリルパイプという先端にビットという切削具を付けて回転させて掘る方法が主流です。最低でも1000mから3000mも掘るから。

まあでもオタクですよね。石油掘削施設が遺っていると聞いてわざわざ行くのは。
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天才数学者フォン・ノイマンの登場で世界は一変した 
Monday, April 19, 2021, 11:18 PM
丸善で平積みされていた「フォン・ノイマンの哲学」(高橋昌一郎 講談社現代新書 2021)が目に止まったので読みました。

とても驚いた。

ノイマンの登場でアメリカの国力が一変したと言う現実


一研究者にすぎないのに、米国大統領直々に連絡があるぐらいです。

フォン・ノイマン(1903-1957)は第一次大戦前のハンガリー王国で生まれ、数学の天才として知られていました。
ベルリン大学とスイス連邦工科大学とブタベスト大学院をみっつ掛け持ちで学び卒業しています。
大数学者ヒルベルトの招集でゲッチンゲン大学、そしてベルリン大学を経て、アメリカのプリンストン高等研究所の設立で招聘されました。

風雲を告げる欧州から多くの超一流研究者を破格の待遇で呼んだ



アインシュタインもプリンストン高等研究所に招聘されたひとりです。

新興国家であったアメリカは金と最大の権限を財団経由で与え、世界中から一流、それも超一流の研究者を1930年頃から掻き集めていたのです。それはいまでも続いています。

中国が国家戦略として世界中から研究者を掻き集めていると批難する人がいますが、なにをいわんや。

金も出さず、脳力(能力)ある者に権限さえも渡さない国で立ち枯れするよりは、人間というリソースが無駄にならない。
『我が国を科学立国に』と寝言で言うしかない二流国家はせいぜいマスメディアに頭脳流出だと吠えるぐらいしかない。

歴史が示すように、強国とは世界から一流の頭脳を集めて「研究者の楽園」を創れる国なのです。中国にも大挙して行くのもしかりなのです。

ちなみにノイマンはハンガリー人ですからアンチヒトラーで、やがて狂信的とも言えるアメリカ愛国主義となりました。

キューブリック『博士の異常な愛情』のストレンジラブ博士のモデル



ヒルベルト数学の旗手であり、現代物理学(量子力学)、応用数学で多大な貢献をし、そして原爆製造のキーとなる爆縮を数式化してシミュレーションの道筋をつくりました。

今我々が使っているコンピュータの原型(モデル)を作り上げたのもノイマンです。

大統領・陸海軍が絶大な信頼を置き、満遍なく完璧にこなした超人



本書を読んで、ほんとうにこんな人物がいるのかと半信半疑になったくらいです。

1957年(昭和32年)に52歳という若さで亡くなりましたが、一流科学者の10人前の仕事を1人で片付けたのですから、まさに太く短くという生き様です。

ノイマンがあともう少し生きていれば、今の社会はもっと違っていたかもしれません。

少なくともアメリカは、彼の悪魔的な能力をもって、より強固なパワー(軍事力、支配力)を持っていたでしょう。

高橋昌一郎氏の他の著作を読んで、もういちどノイマンという超人的数学者を考察したいと思います。

過去ログ:コンピュータ技術者の夢は『生命体の創造』である
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子育て世代が多い地域は経済が強い 
Sunday, April 11, 2021, 09:47 PM

とある地方都市にいました。
東京と大阪のコロナ感染状況はまるっきり他人事です。

朝は通勤の渋滞があり、ショッピングセンターは盛況です。飲食店はそこそこ。

公園ではベビーカー連れの親子や子供たちがスケボーやバスケットボールで遊んでいます。
憩える場所が整備されているので一日優雅に過ごせます
体を動かしたければスポーツセンター、本を探そうと思えば大型書店もいくつかあります。

ここ新潟という場所は案外良い場所です。
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反物質があるなら反空間(マイナス宇宙)だってあるんだろう 
Friday, April 2, 2021, 08:10 AM
昨日は映画館から帰ってからはずっとエヴァンゲリオンの解説サイトを眺めていました。
いろいろなSF映画のオマージュ(敬意:hommage)が含まれていたり、聞き慣れない物理学用語を転用したような名称を復習しました。

劇中で使われるフィールド(field)という言葉はいわゆる”バリア”(barrier)と同じなんでしょう。
これは影響を及ぼす範囲や領域としての「場」という純粋な物理学用語

ところが途中で「結界」という言葉も出てくる
これは神秘主義の宗教用語であり、自と他を分割する境界です。

どちらも同じ意味なのに使い分けられているのは何でだろうと思いました。

その先には「マイナス宇宙」という空間が拡がっている。(そこではマイナスエネルギーが使われる)

まあ、スタートレック(邦題:宇宙大作戦)で宇宙船が光速を越えるために”ワープ”という概念が使われ、やがてSFアニメでは常套になっていったのですから、新たな概念がいくら出てこようと、それこそがSFそのものです。

このアニメは劇中ではなんの解説もないので、語呂だけで想像しなくてはならない。

すべての事象には”対称性”があるという前提を受容れるしかない



マイナス宇宙ってなんでしょう。マイナスのエネルギーってなんでしょう。

わからないけども、現在の空間があるのならば、その逆(裏側)の空間だってある。

少なくとも数学的にはあります。

1,2,3・・・と数字を右に並べた数直線を書く

右に伸びるならば、左にも伸ばしてもいいのではないかと誰かが気づく

これがマイナス領域

数直線が水平ならば、垂直方向に伸ばしても良いのではないかととある数学者が気づく

これが虚数領域

こうやって概念が拡張されていったのが物理学(数学)の歴史です

反物質はすでに地球上で存在が確認されている



自分の世代では反物質(antimatter)とか反重力(antigravity)という用語はSF小説でしかお目にかかったことがない

でも100年後には小学校でも習うようになるのかもしれません。



検索キーワード:反物質:
ノーベル物理学賞をペンローズは受賞していなかったのか・・・
反物質は地球上でもすでに存在していた
真空は素粒子で満ちている

検索キーワード:暗黒物質:
量子でコンピュータ性能が一億倍となったらそれは宇宙(Universe)という
宇宙は膨張していない!(エントロピーという学問のでたらめ)
真空は素粒子で満ちている
そして再び「無」の探求が始まった
Newtonの法則で銀河系の全質量までわかる!(数学の力)
「引力」ではない!「押しつけられる力」なのである(暗黒物質の正体)
まだまだ未知の物質だらけ (既知の物質は全体の4%)
ダークマター(エーテル)説をあざ笑っていた科学者出てこい!

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シン・エヴァンゲリオンは最先端のスピリチュアリズムである 
Thursday, April 1, 2021, 05:30 PM
今日一日は映画が安いのでエヴァンゲリオンを観てきました。

といっても自分はアニメといえば宇宙戦艦ヤマトと最初のガンダムぐらいしか知らない。
ちょうど映画でマトリックスが人気だった頃、このエヴァンゲリオンも深夜に放映されていたのを横目で眺めていたぐらいです。

ただテレビ放映の最終回には驚いた。
鉛筆書きのコンテと殴り書きした台詞で終わったから。

テレビ版では謎の美少女綾波レイが母のクローンだということで伏線は回収されたような気になりましたが、それでもエヴァという宇宙人的なロボットが何であるのか、はたまた敵は結局は何なのか、攻撃する目的はなんなのかはさっぱりわかりません。

地球環境の浄化をし、仕上げに魂を浄化するとのこと。それが最終目標・・・と言われてもねえ(追記:世紀末は必ずあるという終末論がベースなのだから、このアニメファンが「信者」と呼ばれるのは当然です)

劇場版は2007年「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序 」2009年「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破」2012年「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q」となり今回が最終話となります。

この前三部作はテレビでも「シン〜」にあわせて放映されていたので予習として観た方もいるでしょう。
それでも自分には80%は何であるのかはわからない。台詞の意味もさっぱりです。

160分近くの大作なのでトイレは必ず行きましょう。自分は我慢できませんでした。

結局わかったようなわかんないようなフワフワした感覚で映画館を後にしました。

SF映画のようでSF映画でもない

壊滅後の電車の操作場で生きのびる人々の生活から始まり、主人公シンジが成長し、宇部のローカル鉄道(と工場群)が背景で終わります。

テクノポップと民謡をあわせて聴かせるような現代芸術の映画



このように表現するしか他に言い表せません

人型ロボットの闘い合いは生死で結着が付くのではなく、魂の対話のような場面が後半では続きます。

親子の和解で主人公は自分を取り戻すことで物語は終わる

自分はこの映画を先鋭的なスピリチュアリズムとして観ています



高度文明で侵略された地球と現在の日本の風景(農村であり工業地帯)が同時にある

親子が和解したパラレルワールド(?)での出来事の後に、普通の高校生大人としての日常に戻ります。

160分近い長編なのでテレビでは放映されないでしょう。
断言できることは映画館で観るしかできないアニメだということぐらいです。

自分には難易度が高すぎでした

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MMT理論の行き先は現物資産の高騰という結果しか生まなかった 
Monday, March 29, 2021, 02:53 PM


自分は緊縮財政と増税は日本経済の衰退と市場の縮小という結果しか生み出さないと考えています。

ただでさえ景気の後退(depression)下において緊縮と増税をしたことは後世の禍根を残すでしょう。

消費税10%で売上が減少しギリギリで回っていたのに、コロナ禍で浅草の地域経済は息も絶え絶えです。
日曜日でありながら開いている店が少なく、人通りもない。

NHKで信用組合と浅草の飲食店の実態に迫ったドキュメンタリーをやっていましたが、肌感覚でも実感します。

有名な雷おこしでさえ、融資返済のために土地家屋で精算するという選択にまで追い込まれています。

東京五輪での外国人観光客の需要も雲散霧消となり、建ったが運営されていないゴーストホテルばかりです。

そこで注目されているのがMMT(現代貨幣理論)。

政府は国債を発行して、それを中央銀行に渡して企業と雇用者に配れば良いという考え。

現実に欧米日+中国はどこも同時に財政緩和という名目で中央銀行がジャブジャブとお金を供給しています。

MMTが良いか悪いかという議論ではなく、

現実にMMTが実践されている時代にいるということ



そしてMMT理論の通りに通貨価値の下落も、インフレの兆候も全くありません。米中を除いて金利はゼロに貼り付いたまま。

FRBはお金の供給を2023年まで続けると発表しています。

そのとたんアメリカダウは史上最高値を付けました。
同時に金価格も原油も上昇を続けています。銀や銅も値上がりが顕著です。

安全資産の代表である金と株価はほんらいシーソーのようにバランスをするのが今までのセオリーでしたが、すでに崩れています。

世界のGDPの3倍もの通貨(2京4000兆円)が供給されたために、極端な金余りとなって土地や貴金属、株式、美術品などに流れ込んでいます。

平成から30年間も経済成長がない日本においても都市部に限れば値下がりは一度もない。

シャッター通りとなった商店街と所得が一向に伸びない状況下でも土地や金といった資産にはどんどんお金が流入している。

資産家はブクブクと膨れまくって、無資産層は不況で苦しむという状況。

MMTの現実は結局資産の高騰と高止まりという結果しか生まなかった。国民の消費意欲はずっと減退したまま。

でも低金利政策と大規模な財政出動を常態化したら、もう止めることができない。

MMTの怖さは、ゴールが見えた瞬間に世界の金融市場が暴落することです。だからFRBは3年は続けると断言したのです。

ということは金も土地も株式も3年間はずっと上昇するということ。

どこかの市場が一つ崩れればあっという間に崩壊する薄氷の状態



中国共産党は国内の景気浮揚策として新幹線や土地開発、国防費に国家予算を注ぎ込んでいます。

政府債務はずっと膨れたままですが、中国経済は悪くはなっていない。中国の中央銀行自体が共産党と一体だからです。

むしろMMT理論の先進モデルとも言えるのではないでしょうか。

米中対立ばかりが強調されていますが、世界経済では一蓮托生です。

元とドルはペッグされていますが、このバランスが崩れれば、金融市場は大混乱となるでしょう。

つまり刷り散らかした双方の貨幣価値が暴落するということ。

でも、アメリカも中国も財政出動は止めることはもうできません。

イーロンマスクが仮想通貨に言及しているのは、将来のドルの目減りを予見しているからです。
まっ、現金(ドル)をたくさん抱えている悩みなんでしょうが、俺には関係のない話。

この書評の下の「自転車お宝ラーメン紀行」(石田ゆうすけ著 産業編集センター)の方が気になりますね。

日本中をブラブラと1人自転車で巡っているだけで本になるなんて羨ましいかぎり。

石田ゆうすけの著作は結構人気があるそうです。月刊誌サイクルスポーツ(八重洲出版)でも連載中です。

過去ログ:
日本で税金を徴収するのはインフレを抑制する目的でしかない
正しい眼鏡をかけろ(スティファニー・ケルトンのMMT論)
G20のキーマンは米国でも中国でもロシアでもなく、あの国なのだ
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『愛国心』とは為政を批判する精神を持つことである 
Sunday, March 28, 2021, 12:51 PM
 愛国心、英語ではPatriot(パトリオット)。パトリオットの語源はラテン語で祖国Patria、父方の家系、はたまた父Paterなんだとか。

もともとは尊敬し、讃えるという意味合いが強い言葉です。

ただし、人種が多様な欧米では、この言葉、Patriot(愛国者)は出身国への愛慕を指すのか、今居住する国を指すのかで、意味合いが違う。そのためわざわざ自ら愛国者ですと言うのはリスキー以外の何物でもないそうな。

ただし前トランプ大統領が「アメリカ国民ならば愛国者たれ」と演説でずいぶん濫用したそうで、すなわち愛国者ならトランプ支持というレトリック(rhetoric)なのです。

香港自治にも愛国者しか立候補させないという中国共産党の習近平はもっと露骨です。

両者の言う愛国精神は独裁主義(despotism)を隠す方便に過ぎない



対立軸を単純化し、日本でも非国民呼ばわりをする幼稚な批判と同じ事。

ほんとうの愛国心とは決して分断を誘発するのではなく、立場・思想が異なる人々たちを纏めることなのです。

愛国心を為政者が強要し、煽る国家って言うのは、それだけ内部分裂を抱えている証左です。

中国の場合は共産党を毛の先からつま先の爪まで信じることが愛国心であり、習近平への服従こそがその行為だということ。

称賛と野党への誹謗中傷を繰り返すネット右翼は自民党の陰の広報部隊とも言われています。

一番愛国者から遠い存在です。

真の愛国者は、かえって国の悪口を言うものですからね 魯迅




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海も山も道路も線路も霞ヶ関の所有だが、愚民どもよ、なんか文句あるか? 
Wednesday, March 24, 2021, 11:30 AM


 国民のためとか、人にやさしい社会だとか言った空念仏が選挙の度にあっちこっちで繰り返されています。

弱者を守れと掛け声は響いても、その弱者とは誰なのかは人それぞれです。

むしろその弱者側が大きな障壁であり、省庁の利権や政治家の基盤であることが大半です。

読売新聞のスポーツ欄にセーリング競技を応援する日本セーリング連盟の広告が掲載されていました。

なかなか見事なポスターだと思います。

日本セーリング連盟も公益財団法人で、配下に都道府県別に支部がある。

各競技の公式戦は日本ではトップ組織の公益財団法人や公益社団法人による主催という名目で行われます。

オリンピック種目ならば潤沢な資金が与えられ、文部科学省の外局であるスポーツ庁が国内スポーツを盛り立てているのかというと実態は全く逆。

『金は出さんが口は出す』というだけの存在



選手の育成・強化をする組織ではなく、お国と行政に「どうかスポーツをさせてください」とお伺いをたてるためにあるだけ。

ヨットであれば港湾を管理する国土交通省、海上保安庁、農林水産庁・漁協、地元有力者(議員)、消防庁、警察などに使用の根回しをしなければならない。

それらをすべて手弁当で行ってやっとおおっぴらにレースや競技ができる。つまり黒子の立場。もうひとつ言えば使えない小役人の天下り先(掃き溜め)でもある。

強化予算を獲得するほどのロビー活動ができる競技団体は陸上や水泳など花形種目の一部だけ。

ヨットが盛んなニュージーランドの人が驚いていました。同じ島国なのになぜ国民が自由にヨットを帆走させてはならないのだ?とね。

海は公共の場であって、いちいち誰かに許可がいるということが理解できないと憤慨していました。

同じく、自転車レースが盛んなイタリアの人が、日本でレースを開催するのに警察、役所にたらい回しにされるだけだとね。

イタリアでは市長の一声で道路は閉鎖され、警察はレース運営を手伝うそうです。

ヨーロッパではローカル線では自転車も一緒に持ち込めますし、自転車王国台湾も自転車は電車バスにそのまま乗せてもいい。

公共物やインフラは国民のものだという共通認識がある



かたや日本でこのような理不尽な対応に甘んじているのかと立腹していました。
町おこしにもなり、経済の活性化にもなると良いことずくめなのにと嘆いています。

『遊び』という語彙しかない貧相な日本語



英語の動詞ではPlay以外にもHang OutやGo Outという口語があり、形容詞ではfunやenjoyが使われます。
名詞ではレクリエーション(Recreation)、レジャー(Leisure)やハイキング(Hiking)、娯楽という意味が強ければアミューズメント(amusement)があります。
どれも仕事・勉強の疲れを、休養や楽しみで回復することの意味があります。
このように『遊び・娯楽』は『働くこと』と同等かそれ以上に重視されるのが西洋社会です。

一方日本では『遊び』は子どもが行うことで、『娯楽』は暇つぶしであるかのように擦り込まれています。
だから日本でスポーツ競技の大会を開こうにも、政治家も役人も無関心。
むしろ働いている人たちに配慮しつつ、嫌々協力しているという態度の方が有権者や市民には良い感情を持たれるのが現実。

ヨットでは漁師に迷惑がかかり、自転車はトラックやタクシーの運転手に迷惑がかかり、警察に迷惑がかかり、小役人たちに迷惑がかかり、市長や市会議員の評価が下がるというのがその理由。

自分は日本人という土人にスポーツやレクリエーションといった高尚な理念を理解するのは無理だとあきらめています。

島国なのにヨット人口なんて数千人もいないのですから、ヨット連盟の広告がますます儚く見えてしまいます。

海にヨットを浮かべるだけでも、古臭い法律を楯に許認可はすべて霞ヶ関と行政が握っているのです。
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群馬を旅する 
Monday, March 22, 2021, 03:32 PM
趣味の仲間と連れだって群馬の中之条から草津方面を旅してきました。四方山だらけの場所です。


天気があいにくでしたが、雨具を着込むほどではありません。

土建王国の異名をとるだけあって、道路だけはよく整備されています。でもちょっと外れれば未舗装の林道があります。
オートバイや自転車の愛好者には”オフロード天国”でもある。

2年前にも1人で行っているのですが、今回の目的は八ツ場(やんば)ダムがどうなっているかを観てみたかったから。

ダム完成前でずいぶん高いところに道や橋が架けられていると思っていましたが、水が湛えられると普通の橋であり、普通の高架道路です。

JR吾妻線は駅も線路も高台に移っていて、貧相な駅舎はどこもきれいで立派。

そしてやたら観光向けの箱物が建っている。すべて公共の名の元に作られたのでしょう。

でも有名な温泉場はどこも駐車場はいっぱいでにぎわっています。
群馬県が実施しているGoTOキャンペーンが今月いっぱいで終了するので、東京都の緊急事態解除を受けて一斉に客が戻ってきたと宿の主人が言ってました。

そりゃ1人5000円補助してくれるなら、ちょっとお高めの宿に泊まろうという気になるわなあ。

それでも電車はがら空きで、車が大半。
オートバイや自転車はもう少し暖かくならないと来ないとの宿の方の弁
うん、確かにまだ残雪があった


過去ログ:
土建王国ぐんまの奥地を旅する


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小森はるか氏の岩手・陸前高田のドキュメンタリーを観た 
Friday, March 19, 2021, 07:26 PM
ドキュメンタリー作家小森はるか氏をある方から薦められたので、観に行きました。
JR東中野の駅前の小シアターで上映されているとのこと。

震災10年目で朝日新聞にも小森氏が取り上げられています。
東京芸大を卒業後に津波被害が大きかった陸前高田市に移住して丹念に記録されてます。


Webで確認すると小さな映画館で当日はトークショウもあるとのこと。

上映時間にあわせて映画館に着きました。

入口で作品名を告げると、満席だということ。それでもスクリーン一番前の席ならひとつ空いているとのことで、そこに座りました。

いやー、まさか、こんなに人気がある方とは存じませんでした。客層は学生街だから若者ばかりかと思いきや、年配者や女性など多様です。

上映が終わると、階上のカフェでトークショウがあるとのこと。

トークショウの開演待ちの行列ができていました。

今日観たドキュメンタリーは5,6年前の陸前高田市です。

土埃が舞う中、空には巨大なベルトコンベアが被い、大型ダンプが行き交う場所。

商店街であり、住宅地であった場所はいまではアスファルトも剥がされた更地となっています。

そこに土砂が運ばれて台形の高台へ造成されてゆく。

そこで生まれ育った人が埋められる自宅跡に思いを馳せる。

次のシーンでは集落の1/3が亡くなり、その喪失感をしみじみと語る老齢の元消防団副団長

最後のシーンではやがて埋め立てられる土地だけども潤いを与えたいと、流された土地に花を植えた主婦の方々と、手伝う金沢の学生たちの話

自分たちの土地への愛着が伝わります。

自分も東北(宮城)育ちですが、ほんと地域の団結って強かったと思うなあ。いまでは昭和的なレトロを感じさせます。東北ってそんな雰囲気を今でも保っているのだなというのが正直な感想。

自分の小学校の先生はいまでも東北に毎年ボランティア活動で訪れているそうです。

若くもない人が単身で行ったところで、何の役に立つのかと思っていました。でもね、このドキュメンタリーを観て考えを改めました。

一緒に花を植える、祭に参加するだけでも立派な行為なんだね



話をしながら一緒に体を動かすだけでも、”賑やかし”も何もない原っぱとなった場所では貴重な一時なんだと気づきました。

ただ、撮影が手持カメラなので手ぶれがひどく、スクリーンを見つめていると気持ち悪くなって、頭痛でトークショーまでは居られませんでした。

東京芸大卒の映画監督サンダー澤田氏も過去評してます。
過去ログ:
土建王国ぐんまの奥地を旅する
映画「ひかりのたび」
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霊性の自覚は、かの南方熊楠を突き動かす原動力であった 
Sunday, March 14, 2021, 05:24 PM


和歌山が生んだ孤高の天才科学者・南方熊楠(みなかたくまぐす)
その思想背景には同年代の鈴木大拙(すずきだいせつ)がいた。
南方は粘菌研究で、鈴木は仏教学者として禅の解釈を欧米に発信しました。

生物学と宗教が深く関わっていたことを解説した「熊楠」(安藤礼治 河出書房新社)の書評(尾崎真理子・早稲田大教授)です。抜粋します。

紀州に残る洋書群からは近代思潮の脈絡をさかのぼり、熊楠を「粘菌」に向かわせたのは古生物学者コープの進化論、「曼荼羅」はプラヴァツキーの神智学、「潜在意識」はマイヤーズの心霊学−3氏の著作を重要な源泉だと特定する。

つまり熊楠は、<近代が可能にした新たな「科学」を利用しながら、中世以降の信仰原理(曼荼羅)を読み替え、そのことによって心・物・人間・自然・神という理念を再編成したのである>。


「霊性の自覚」はこれからの時代の大切なキーワードだと思う



なぜそんな風に感じるのかというと、大科学者たちの伝記を読めば読むほどスピリチュアルを感じるからです。かのニュートンでさえ降霊術に嵌っていたのですから。

自然を愛でることと科学的視点は一体だと説いたのは、和歌山の数学者・岡潔です。

過去ログ:南方熊楠邸を訪れる
私の地元の天才「岡潔」のドラマ
岡潔(おかきよし)をご存じでしょうか

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さすが一流選手は頭がよいと感心(菊池雄星) 
Sunday, March 14, 2021, 04:07 PM


 六城ラヂウムは菊池雄星選手を応援しています。もちろん大谷翔平選手だって常に注目し、今年は2人とも大活躍するものと確信しています。

今日の読売新聞の書評欄にその菊池選手が登場。
スポーツ欄じゃないのに現役大リーガーを”登板”させるなんて、なんとも粋なことをするものだ。

ナニナニ、雄星クンはどんな本を読んでいるのだろう・・・それよりも

その内容構成のしっかりした文章に驚いた



これは見事な文です。
初っぱなは大リーガーの日常に触れ、そして自分へと誘導して読者の好奇心を誘います。
そして読書好きになった経緯を含めた自己紹介。
主題は
インターネットやSNS時代だからこそ、子どもたちは本を読んで欲しい。
現代は短く、即効性があるように見える言葉が広がりがちです。
野球で言えば、「これをやれば、球が速くなる」「これだけ飲めば、体が大きくなる」など、
「魔法」のような言葉が語られ、つい飛びつきたくなります。
でも、そんな魔法はありません。
本を読み、ここに書いてあることは本当かなと思う癖をつけるだけで情報との向き合い方が変わります。


みごとな文章。う〜んと唸りました。
本を読めというだけじゃない。ちゃんと体験を踏まえてかみ砕いて効用を説いている。

締めとして、不安を覚えている人たち(つまり新聞の読者たち)に向けても読書をお勧めしている。故郷の人々を思う優しさが滲んできます。

みごとな名文!小さな子どもでも理解できる文章は雄星クンしか書けないよ。ほんとうに。

深夜特急(沢木耕太郎)、上杉鷹山(童門冬二)はボクも熱中して読みました。
愛読書が同じでますます雄星クンのファンになりました。

過去ログ:沢木耕太郎を読みたい!東北新幹線の社内誌エッセイ
スパイだったヘミングウェー(デマゴークとしての裏の顔)
ロバート・キャパを私は赦(ゆる)します。
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既成概念をぶっ飛ばせ(パラダイムシフトの時代へ) 
Friday, March 12, 2021, 10:17 AM

 今日の新聞広告があまりにもカッコイイので載せます。
アメリカズカップのセイルヨット(sailyacht)です。

今の最新セイルヨットは水上を時速60km以上で”飛んで”いきます。
写真のような水中翼船(Hydrofoil)が今ではヨットレースの主流。

自分は人生で2回水中翼船に乗ったことがあります。
幼いときに広島の宮島で乗った三角形の大きな翼がある船(貫通型水中翼船)

そして10年ほど前に熱海から伊豆大島に渡る際に乗ったジェットフォイル

今では現存している貫通型水中翼船はありませんが、水中翼が水面下にある(全没型)のジェットフォイルは日本各地で見かけます。

旧来の貫通型水中翼船はガッツンガッツンとピッチングがスゴイのですが、全没型は一旦浮かぶとジェットエンジン音だけでほとんど揺れなくなります。

ジェットフォイルが日本国内に登場したのは昭和60年頃。元々はボーイング社が米海軍向けに作った魚雷艇だったと記憶しています。

翼と言っても畳程度の大きさしかないのに、それで船体を浮かすのですからすごいなあと関心しました。
翼は油圧で自動的に制御されているため大幅に乗り心地がいい。

かつて昭和40年代に全盛だった水中翼船では、船酔いでもうこりごりという人が多かった。

水中翼船という概念は昔からあったのですが軽量高強度な素材と制御技術の発展で、いまでは十分にこなれた(枯れた)技術となりました。

アメリカズカップのヨットは船体にカーボンファイバーで、エンジンに相当するセイルはと高強度高分子素材でできています。

すごく高価な素材なのでしょうが、太平洋戦争の頃はジュラルミン、ベトナム戦争の頃はチタン合金、イラク戦争の頃はカーボンと続々と新素材が誕生してきました。

いまではこれらの素材は眼鏡やゴルフクラブ、スポーツ用品などで気軽に使われています。

話を船に戻します。

船というのは当然”水に浮かべる”ことが一番重要な要素であって、潜水艦だって浮力(排水量)を決めてから設計が始まる。

もし歩く程度の速度で良いのならキャラメルの箱を大きくしただけでいい。

積荷(用途)とか常用速度を考慮していくにしたがい船首や船体の形がだんだん決まってゆく。揺れにくく一番経済的な形といった諸条件を満たすために試行錯誤されて現代の船が出来上っています。

ところが船であって船ではない乗り物ができちゃった



現在の水中翼船は船体が水に浮かぶことは真っ先に挙げられる条件じゃない。動きだせば翼が自重を支えてくれるから。

そして波を跨いで進むから、波の影響を考慮する必要もない。

セイル形状、水の抵抗と揚力、運動性能といった諸条件は飛行機の設計とあんまり変わらない。

船は速度が上がると海面を滑走するようになり、ちょっとした外乱でも転覆する危険が高まります。競艇がその代表。

また水の抵抗も速度の二乗で大きくなるので大馬力エンジンが必要でしたし、頑丈な船体が必要でした。

いまヨット競技ではカーボン素材はあたりまえ、海外では水中翼ヨットもすごい勢いで普及しています。

水中翼ヨットが普及すると、旧来のヨットとは操船技術も大きく変わります。

速度域も時速10〜20kmから30km〜80kmと数倍高速になりました。

セイルに受ける風を推進力にするために、身体が大きく頑強な体力が必要で、海面と風向きを常に注意する必要がありました。

ところが水中翼ヨットは船体のバランスは翼が担いますし、波が多少荒れていても関係ない。操船もモーターボートに近い。

スポーツとして体力勝負から、戦略(strategy)と戦術(tactics)が一層重視されるようになった。
特にヨット競技はテニスやサッカーと同じように、相手の邪魔をして自分を優位にする競技です。

小さなイノベーション(革新)が大きな転換であったとやがて気づくだろう



見逃しがちな小さなイノベーションが既存の戦略をすべてひっくり返してしまう

大規模・大量・広範囲といった昭和平成までの勝ちパターンなんて、あと数十年もすれば「ああ、無駄で馬鹿なことをしていた時代だったんだな」と思うことになるでしょう。
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コンピュータ技術者の夢は『生命体の創造』である 
Monday, March 8, 2021, 01:10 PM


 6年前にアラン・チューリングの半生記の映画「イミテーションゲーム」(The Imitation Game)の感想を書きました。

ドイツの暗号器エニグマの解読に成功し、英国側の戦況を好転させた立役者です。
そして、『チューリングマシン』としてコンピュータの動作原理を確立させます。
このような大天才でありながら不遇な半生でした。主役のカンバーバッチがすばらしいんだな。

コンピュータを仕事にする人は少なからず感情移入すると思います。なぜなら

誰もが機械に知能感情を与えたいと夢想するから



チューリングともう一人、コンピュータに大きな功績を挙げた人物がフォン・ノイマン
現在のコンピュータがノイマン型と言われるのは、彼がプログラムで実行するコンピュータの動作原理を考案したからです。

自分が学生の頃は1人一台コンピュータを持つなんて夢物語で、コンピュータ概論の授業なのに分厚い本だけの講義ばかり。
やっとコンピュータが触れるぞと意気込んでいたので、たいへんがっかりした思い出があります。

2人が共通することは、生命とは?知能とは?という飽くなき探求であったのです。
それを機械の仕組みで再現できるかという壮大な考えです。

コンピュータやスマホのプログラムを仕事としている人は、もっと人間的にできないかと夢想するでしょう。
いくら高性能になっても所詮は半導体の塊であり、動作原理は数億数百億個の電気スイッチでしかありません。
しかしそのような夢想をしない技術者は三流でしょうね。

プログラムが複製され続けていくとコンピュータも進化するか?



機械に過ぎないコンピュータのソフトウェアがいくら膨大な大きさになっても所詮はコンピュータであり、生命体には昇格できません。
いや違う、という方はSF小説愛好家ぐらいか

生命体も”複製を続ける機械”とすれば魚から爬虫類、そして恐竜や動物へと進化するのか?

そもそも74億人もいる人類は膨大な繁殖経緯から進化しているのか?という疑問が湧きます。

腕が3本ある人物や空を飛べる人物に会ったことがないですから。

この本の広告にはとても興味を惹きます。

検索キーワード:コンピュータ:

小説家になるためには科学的な思考が必要なんだなあ
『ブルシット・ジョブ クソどうでもいい仕事の理論』
ノーベル物理学賞をペンローズは受賞していなかったのか・・・
日本のゲームソフトはJRPGと呼ばれ糞ツマラナイの代名詞
SFファン大絶賛の「三体」を読んでみた
銀行の子会社ってのは、掃き溜めか痰ツボ程度の認識
エンジニアの上位クラスがデザイナーなのである
レガシー・システムの最たるものが都市銀行であり、財務省役人たちである
IBM Watsonが医療分野でみせた実力
映画イミテーションゲーム(The Imitation Game) を観てきました

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法律とは弱者側が連合して制定するべきものである。国際法であっても 
Monday, March 8, 2021, 11:55 AM
 更新が止まってました。というのもたいした記事がなく、連日官僚接待事件と緊急宣言延期のわだいばかりでしたから。そして10年となった東日本大震災関連ばかりです。

ひさしぶりにガツンと頭を殴りつけるような胸のすく良い書評を拝見しました。



幕末維新の頃、世界には「万国法」という国家観の普遍的な方があると思われていた。


書き出しからすばらしい。

幕末維新伝記でかならず登場する『万国公法』などというファンタジーがあり、それを胸にしまって活躍する坂本龍馬像が出来上ってしまいました。

海外のルールにすぎないものを後生大事に金科玉条とする姿勢がいかにも嘘くさい。

そう思っています。

評者の加藤聖文氏はさらに畳みかけます。

だが、いまでも日本では国際法に幻想と期待を抱いている者が多い。


小室直樹氏も同じ事を書いています。国際法、国連が指導役・指南役を担うような幻想を持つことはやめろとね。

過去ログ: 龍馬がよりどころとした「万国公法」は今では全くのフィクションである
新自由主義と共産主義は表裏一体
安保改正反対派に問う「それでは中国が攻めてきたらどうする?」
クラウゼヴィッツ「戦争論」的には中国の一貫した態度には感心します
国連やNATOの「集団安全保障」活動を「集団的自衛権」と印象工作する朝日新聞
数量化という概念が理解できていない人物の戯言は日本に悲劇的な結末を招く
3分で読む小室直樹「新戦争論」(学問道場版)
小室直樹「新戦争論」を今こそ読む(5)  国際社会と国家を理解することが真の平和主義
小室直樹「新戦争論」を今こそ読む(4)  国連を国際社会と混同する文化的原因
小室直樹「新戦争論」を今こそ読む(3) 国連の幻想と国境の思想
小室直樹「新戦争論」を今こそ読む(2) 言葉を翻弄したことで文明史を曇らせた
小室直樹「新戦争論」を今こそ読む(1) 平和主義者が戦争を引き起こす

寄り合い所帯の利害関係の調停の場に過ぎない存在の国連がまるで世界政府かのように考えている人が案外多いです。学校で左翼教師からそのように習ったからでしょうね。

国際法の誕生(中井愛子著 京都大学学術出版会)では欧州で成立した国際法の歴史をひもとけば、その起源は19世紀前半の欧州の植民地であったラテンアメリカ諸国に遡るそうです。

領土問題と宗主国からの脅威に対抗するためにラテンアメリカ域内にて制定された法が、宗主国に伝播していったとのこと。

法は強者側が強要するのではなく、弱者側が対抗するために創るもの



欧州国際法を非欧州諸国が受入れて現在に至るといった一般的に信じられている国際法観をひっくりかえすものだ


そして結びに
日本は国際法遵守を唱えるだけではなく、アジア諸国を巻き込んで国際法のイニシアチブを発揮することが必要だ。


この見事な短文の書評を全官僚、国会議員がしっかり読めと言いたいです。

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なぜ渋沢栄一のドラマがいままでなかったのだろうか 
Thursday, February 25, 2021, 09:50 AM
 幕末明治のドラマでは脇役で登場することがあっても、今までなぜか澁澤を主人公としたドラマは記憶がない。

そもそも深谷の惣庄屋(百姓の代表、村長)の息子が数年後にフランスを外遊するというだけでも、驚きなのにその後の八面六臂(はちめんろっぴ)な活躍は想像を超えています。

だから大河ドラマ向きではなかったのかな。


論文集「フリーメイソン=ユニテリアン教会が明治日本を動かした」(成甲書房)では渋沢栄一を以下のように書きました。
(転載始め)
■大久保一翁も勝海舟も維新後は内幕を一切語らずに世を去った
横井小楠の朋友である徳川幕府重臣の大久保(おおくぼ)一(いち)翁(おう)(忠(ただ)寛(ひろ))が蕃書調所(ばんしょしらべしょ)の初代所長です。そして弟子が勝海舟です。 この大久保は幕末には勘定、海防、外国掛といまでいう大蔵大臣、国防大臣、外務大臣とほとんどの要職に請われて就いたひとです。しかし元の役は大目付(おおめつけ)という藩や朝廷に反逆の兆しがないか監視する立場です。今で言えば江戸版CIA長官でしょうか。つまり当時の国内諜報網のトップなのです。
佐久間象山一門の兄弟子である勝海舟の連絡係として坂本龍馬は活躍しています。 千葉道場に通っていたのは他にも渋沢栄一や福沢諭吉もいます。 このように千葉道場を単なる町の剣術道場と見るのは間違っています。諜報機関の表看板であったにすぎないのです。

土佐藩内では脱藩浪人の坂本龍馬は千葉道場で修業したとされますが、実際は土佐藩から密命を受けた技術者として軍艦操練所の勝海舟との連携を大久保一翁の配下で練っていたのです。
(転載終わり)



つづいて論文集「明治を創った幕府の天才たち−蕃書調所の研究」(成甲書房)でも渋沢栄一を以下のように書きました。
(転載始め)
剣術の稽古で道場に通うことが当然とされた若いインテリ武士たちにとっては、千葉道場はかっこうの隠れ蓑であったろう。後世に日本の近代資本主義の父とたたえられる渋沢栄一は、埼玉深谷の惣庄屋(百姓の代表、村長)の息子である。この頃(一八六一年)の渋沢は、千葉道場に通う浪人であった。六年後の一八六七年(慶応三年)には徳川昭(あき)武(たけ)(慶喜の弟)に帯同してフランス・パリ万博を外遊している。
風雲急を告げるように描かれるチャンバラ劇のような幕末の様相は決して「竜馬が行く」(司馬遼太郎というワル作家)のような下級藩士たちの青春群像ではない。後の明治新政府の要人となる人物たちは、幕末にすでに蕃書調所で用意されていたのである。倒幕計画を実行するグループの中心に勝海舟と坂本竜馬が含まれていたに過ぎない。坂本竜馬が起文したことになっている船中八策や亀山社中での活動も、すべてはフルベッキやグラバーたち貿易商人(武器商人)らフリーメーソンが指図したのである。
(転載終わり)


龍馬と同じく改革派の工作員(インテリジェンスオフィサー)として育てられていたからですよ


というのが自分の見方

科学分野では幕府の西洋研究機関「蕃書調所(ばんしょしらべしょ)」で、そして諸外国に対抗すべく産業振興分野では絹や藍染といった繊維産業が盛んな地域で適役だった渋沢栄一に白羽の矢が立ったのでしょう。

この記事にあるように、深谷は大きな藩がなく侍が支配する地域ではなかったことが大きな要因でもあった。
藩益を優先してしまう心配がないということが徳川幕府にとって都合が良かったのです。

まあ大河ドラマですから奇想天外な展開になってゆくのでしょうけどね



過去ログ: 数学世界の俯瞰図をほんとうは最後にお見せしたかった
吉村昭の書斎が三鷹市で整備されるそうです
源了圓で分かる人は知識(インテリ)層ですね
「本当は恐ろしいアメリカの思想と歴史」は近代思想を俯瞰するための最良本だ
『隠された十字架ー江戸の数学者たち』を読む(1)
森鴎外だったら新元号はなんとしていただろうか
漢文聖書初版、京都の寺で発見 研究用か世界的に貴重(京都新聞)
演繹法、帰納法、形而上学は頭を使うための基礎素養である
データ分析はすべての研究・学問の基礎手法です
正直言って坂本龍馬タイプは苦手です
『明治を創った幕府の天才たち』をぜひ読んでください
『フリーメイソン=ユニテリアン教会が明治日本を動かした』読書感想の掲載
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お医者さんという職業には理学的アプローチと工学的アプローチの二通りがある 
Monday, February 22, 2021, 02:01 PM
昨日は親戚のお宅で雑談していました。
アメリカ留学もされたお医者さんの家系で地域医療でご活躍です。

副島隆彦先生もお悩みの脊柱湾狭窄症、つまりは腰周辺の神経痛なんですが、やはり今も完治ができない難病だとか。

「痛み」だけでも取って欲しいと患者なら誰もが願うのですが、そこが一番難しい

痛みを取るのは鎮痛剤や麻酔薬を使う手段もあるが根本解決ではない
時期に効かなくなるとますます強いクスリへとなってゆく

外科的に手術で悪いところを切るという手段もある。
むしろこっちの方が一般的な医者なのかもしれない。

人間も機械と同じで具合の悪いところは切ったり、繋ぎ直したりすれば良いというエンジニアリング的な考えです。

心臓がダメになったら入れ替えろ、腎臓が機能しなくなったらフィルターで代替しようという発想。

西洋医学ではよくある発想です

ウィルスが病原であるという理屈が常識のように報道されていますが、たかだか120年前にウィルスを顕微鏡で存在を確認できたことで生まれた考えです。

病気はすべてばい菌によって引き起こされるというドイツ医学を信奉したのが、陸軍軍医総監であった森鴎外です。

結果、日露戦争では脚気で数千という兵士を死にやった

ビタミンBの欠乏症だという説はあったのに、頭ごなしに拒絶したのです。

原因があって結果があるのだから、原因を排除したらいいという単純な理屈

これは水漏れしたら管を付け替え、ポンプが壊れたら入れ替えるという水道管屋となんらかわらない。

むしろこんな発想でいいのなら、配管屋さんや手先の器用な工芸師でも構わないです

でも現実は「手術は成功しました」→「寿命は縮みました」という例が多い

手術を断固拒否した医者のご婦人



痛み止めだけで先日まで社会活動を精力的にされていました。

ええ、昨日雑談で訪れた相手です。

癌宣告から16年目です

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小説家になるためには科学的な思考が必要なんだなあ 
Sunday, February 21, 2021, 01:30 PM
文筆を職業とする人はそうとう頭が良いのだろうとは思っていますが、やっぱり森鴎外も太宰治も早熟で抜群の頭脳を持っていましたよ・・・という身も蓋もない話

森鴎外は16歳でドイツ語の医学専門書の翻訳を手がけ、その直筆の冊子が発見されたという記事。もうひとつは太宰治の旧制青森中学(現・青森高校)の成績表では数学の代数が満点で運動神経も良かったという記事。

鴎外はほとんどバイリンガル(またはポリグロット)で多言語を理解できた。母国語以外にいくつもの言語が入ると、普通の脳力では精神障害を引き起こしてしまう。
太宰は意外にも数学が得意でした。


長い文章を破綻することなく書くことはそれ相当に頭のデキが良いのです。

でも訓練である程度は補えるとも思っています。
コンピュータプログラムって実は誰でも書けると思っています。今はコンピュータ言語もずいぶん進化してわかりやすくなってます。

短い文章(センテンス)を貯めて貯めて、さいごにそれをブロックのように積み上げていくような作業です。

小説も登場人物を何人か用意してそれぞれを動かし物語を進めていくので、意外とプログラムを書くようなものかもと密かに思っています。私が熱中したプログラムはオブジェクト指向というもので、まさにキャラクター(人格)をそれぞれの構成要素(ボタンやウィンドウ)にあてはめていく愉しく面白い作業でした。

代数学は入力(インプット)に対して出力(アウトプット)という関係性を考える学問だから、太宰は数学が得意だったんだろうなあ。




過去ログ:映画イミテーションゲーム(The Imitation Game) を観てきました

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江戸時代中期から降って湧いたような皇国史観は朱舜水の受け売りであった 
Sunday, February 14, 2021, 10:59 PM
在野の日本思想研究者として活躍している田中進二郎氏の学問道場への投稿がなるほどと思ったので、こちらにメモしておきます。

日本史では幕末動乱で避けて通れない「水戸学」という皇国史観が、それも徳川譜代の水戸徳川家から発生したのかが疑問に感じていました。水戸光圀がいくら蘭癖(らんぺき:舶来贔屓、西洋かぶれ)であったとしても、一個人の思考がそのまま藩の思想にまで昇華するには無理がある。

田中進二郎氏によると、それは大日本史編纂における朱舜水(1600-1782)の存在だからだという。
まさに盲点ともいえる指摘です。

幕末から戦前までの過激な国粋主義は朱舜水の入れ知恵であった



反清政権の朱舜水は明復興を狙ってどうしても日本(徳川幕府)の協力が必要であり、そのためにも中華思想を日本にも移植しなければならなかったのです。
こうして天皇を中心とした国家観を日本にも、それも天皇重視の思想を体制側に根付かせることに成功したのです。

巧妙に改竄された歴史は50年100年後に強烈な支配道具になる



蛤御門の変(1864)あたりから一枚板であった藩幕体制が急激に瓦解していきます。
徳川将軍家を頂点としたそれまでの儒教(朱子学)が中華思想と同じく天皇を中心とした本来の独裁体制を是とするようになってしまった。

そして戦後にはGHQにより(朱舜水により作られた)皇国史観と大日本史で有名となった七生報国を大義とした楠木正成親子の物語等々が一切消されて、教育現場ではなかったことにされてしまった。

ところがどっこい、森喜朗の失言でずいぶん叩かれてますが、水戸学系の思想(日本会議系)をもつ国会議員は多い。

自分はどっちが良い悪いとかは思っていません。
女の話は長くてつまらんと男なら誰だって思ってますもんw



[2974]亡命中国知識人の朱舜水が江戸時代の政治思想を変えた


投稿者:田中進二郎
投稿日:2021-02-12 17:04:05
引用

昨年、副島隆彦先生の監修で、『秀吉はキリシタン大名に毒殺された』(電波社刊)を書いた田中進二郎です。

2/9に重たい掲示板↓で副島先生に、拙著を紹介していただきまして、ありがとうございます。1/17の学問道場の定例会でも、六城雅敦研究員による『江戸時代の知識人はみなキリシタンである』という発表の中で、紹介して、いただきました。

これから、拙著「秀吉毒殺本」を読もうという方には、完全版として、電子書籍の方をおすすめします。単行本にあった、誤記や訂正箇所を改めています。

副島先生の著書を大量に紹介している、ユーチューバーのごんべえさんが、大河ドラマの『麒麟が来る』の最終回について、副島先生の『信長はイエズス会に爆発され、家康は毒殺された』と拙著『秀吉毒殺本』の視点から、意見を述べている。↓

「読書中毒 アラ還」

https://youtu.be/Oh5vlTLxNw0

日本の読書人たちのあいだに、『麒麟が来る』への怒りがかなりあるでしょう。Amazonの戦国安土桃山時代本ランキングを見ると、それが分かります。「光秀は天海上人だ」説が、これからどんどん主流になってくるでしょう。

−−−−−

ところで以下は、私田中の続編の原稿です。江戸時代に日本に亡命してきた中国知識人の朱舜水(しゅしゅんすい 1600ー1682)について、書きました。かなり長文になります。


明治維新の原動力となったが、太平洋戦争後は皇国史観、狂信的であるとして、捨て去られた水戸学について考察する。現代日本の研究機関で水戸学を研究すると、「右翼人間」と思われるそうである。戦前の狂信的な天皇崇拝、天皇原理主義は、敗戦後、徹底的にアメリカのGHQによって除去された。しかし、それでも現在の保守派・右翼は、東条英機をはじめとするA級戦犯を合祀した、靖国神社に参拝するカルト・オブ・ヤスクニが多い。森喜朗・元首相の「日本は天皇を中心とした神の国である」という発言(2000年)もそこから出てきている。
  2016年に出版され、ベストセラーになった菅野完(すがの・たもつ)の『日本会議の研究』(扶桑社新書刊)は、神道系団体(生長の家 等)が、全共闘時代に保守の側から対抗する形で復活した。自民党議員(清和会系)も動かしている。そして、国民の知らないところで、憲法改正を実現しようとしている実態を、暴いた。
これらの起源と言っていい水戸学はいかにして歴史に現れたのか。

●朱舜水の指導で、『大日本史』の編さんが始まる

 水戸黄門(徳川光圀 みつくに 1628−1700)は、時代劇の中では、全国を漫遊する。
しかし、実在の水戸黄門(光圀・義公)は、行動の自由もなくて、水戸と江戸を往復する以外は、水戸領内の巡察と、鎌倉に数回訪れたのみだ。
黄門様の側近で有名なのは、助さん、格さん。助さんのモデルは佐々宗淳(ささそうじゅん)、格さんのモデルは、 安積澹泊(覚兵衛 あさか たんぱく 1656−1738)である。二人は水戸生まれの儒学者である。
徳川光圀は、長崎に亡命してきた中国知識人・朱舜水(しゅしゅんすい 1600〜1682)を江戸、水戸に招き、教えを乞うた。天皇崇拝の日本通史である『大日本史』の編さんを開始した。安積も佐々もこの事業の責任者、総裁だった。安積澹泊は、1660年にわずか10歳で、朱舜水のもとで学び始めている。

『大日本史』の編纂は、最初、江戸の駒込にあった水戸徳川家中屋敷(現在の東京大学農学部の敷地)の中で始まっている。彰考館(しょうこうかん)という。ここには、全国からの儒学者、歴史学者が30名も集められ、史局員となった。水戸藩の江戸屋敷はほかに、小石川の上屋敷(後楽園と現在の東京ドーム)と、隅田川沿いの浅草、小梅に下屋敷があった。

 彰考館はのちに、水戸城の二の丸の敷地内にもつくられ、50名体制に拡充された。光圀没後も、編纂は長い中断期間はあったものの、延々二百年以上続けられた(完成は1906年 全397巻) 光圀の大日本史編さんが、水戸学の始まりとなった。

●朱舜水が、文天祥崇拝を日本に移し変えた

朱舜水については、副島隆彦先生と石平(シーピン)の対談本『中国人の本性』(徳間書店 2013年刊)で次のように解説されている。
(引用開始)
石平: 水戸光圀は朱舜水からそれほどの影響を受けたのですか?

副島: 影響などというものではありません。水戸光圀は朱舜水から、司馬遷の『史記』の書き方を教わったわけです。隠元禅師(1592−1673)は江戸時代、1654年の63歳のとき、弟子たち20人を引き連れて日本へ渡ってきました。その5年後に朱舜水も日本に永住を求め、日本国学の思想も吹き込んだ。

石平: その国学が水戸学につながって、幕末維新を動かしていったわけですね。

副島: つながったどころか、この国粋思想(排外主義 ショービズム)しかなかったと思います。日本の「尊王攘夷」は中国知識人から教えられたものです。それなのに、「中国から最高級の亡命知識人たちが日本に来た」という真実を、日本の右翼言論人たちは隠そうとしている。日本の各宗派の僧侶たちもこの真実を隠して、地力で高度の仏教思想を築きあげた振りをしています。
(中略)
副島:朱舜水は楠木正成の息子である正行(まさつら)との「桜井の訣別」とか足利尊氏に敗れて自害した「湊川の決戦」の故事を初めて日本の正史として高く評価した人です。
二・二六事件の青年将校たちも、水戸学が築いた「日本の国体」なるものに心酔しました。
だから戦争中に狂ったように崇拝して、今でもあちこちに楠木正成の碑と銅像があるのです。

石平:神戸市にある湊川神社には楠木正成の墓碑(嗚呼忠臣楠子の墓 ああちゅうしんなんしのはか)がありますね。

副島:その墓碑の裏面には、朱舜水のつくった賛文(陰記)が書かれています。今は誰も読めません。この湊川の墓碑の建立(1692年 元禄五年)によって、楠木正成の威徳が極端にまで宣揚されるようになりました。後の幕末勤皇思想の発展につながり、明治体制の精神的指導力にまでなりました。さらに、神がかりといえるほど軍国主義の本尊に祭り上げられました。そして敗戦でアメリカに打ち倒されました。
【P47〜51】
(引用終わり) 

田中進二郎です。
以下に、朱舜水の裏面の碑文の書き下し文を挙げる。石碑は難解な漢文である。1692年建立、この年から十年後の元禄十四年(1702年)、「忠臣蔵」の赤穂浪士の討ち入り事件が起こっている。


楠公碑陰記 (なんこうひいんき)      
朱 舜 水 
忠孝天下に著(あら)はれ、日月天に麗(つ)く。天地に日月無ければ、則ち晦蒙(かいもう)否塞(ひそく ふさがる 逼迫する)し、人心に忠孝を廢(はい)すれば、則ち亂賊相尋(あひつ)ぎ、乾坤(けんこん 天地のこと)反覆す。余聞く、楠公諱(いみな)正成は、忠勇節烈にして、國士無雙(国士無双)なり、と。其の行事を蒐(けみ)するに、概見(適当に見ること)すべからず。大抵、(楠)公の兵を用ふる、強弱の勢ひを幾先に審(つまび)らかにし、成敗の機を呼吸に決す。人を知りて善く任じ、士を體(たい)して誠(まこと)を推(お)す。是(ここ)を以て、謀(はかりごと)中(あた)らざるなくして、戰(たたかひ)克(か)たざるなし。心を天地に誓つて、金石渝(かは)らず。利の爲に囘(かへ)らず、害の爲に怵(おそ)れず。故に能く王室を興復し、舊都(きゅうと古い都ー京)に還(かへ)せり。諺(ことわざ)に云ふ、前門に狼を拒(ふせ)いで、後門に虎を進む、と。廟謨(びょうぼー朝廷のはかりごと)臧(よ)からず。元兇(足利尊氏のこと)踵(きびす)を接し、國儲(こくちょ− 君主の後継者・護良親王)を構殺(無実の罪に陥れること)し、鐘簴(しようきよ)を傾移(けいい)す(足利尊氏が後醍醐天皇を京から奈良の吉野追い出したことを指す)。功成るに垂(なんなん)として、主を震(おどろ)かす。策善(さくよ)しと雖(いえど)も、庸(もち)ひられず。古(いにしへ)より未だ、元帥前を妒(ねた)み庸臣(ようしん)斷を專(もっぱら)らにして、大將能(よ)く功を外に立つる者あらず。之(これ)を卒(?)ふるに、身を以て國に許し、死に之(ゆ)いて佗(他)なし。其の終りに臨み、子(楠木正成の子 正行 まさつら)に訓(をし)ふるを觀(み)るに、從容(しようよう)として義に就き、孤に託し命を寄せ、言(げん)私(わたくし)に及ばず。傭蕁覆擦い舛紊Α貌を貫くに非ざるよりは、能(よ)く是(か)くの如く整ふに暇(いとま)あらんや。父子兄弟、世々に忠貞を篤くし、節孝一門に萃(あつ)まる。盛んなる哉(かな)。今に至りて、王公大人、以て里巷(りこう)の士に及ぶまで、口を交へて之(これ)を誦説して衰へず。其れ必ず大いに人に過ぐる者あらん。惜しいかな、筆を載する者、信を考ふる所なく、其の盛美大を發揚(はつよう)すること能(あた)はざるのみ。
  右は、故(もと)河(内)・攝(津)・(和)泉三州の守(かみ)、贈(おくる)正三位(しょうさんみ)近衛中將楠公の贊(さん)、
明の徴士(ちょうし)、舜水朱之瑜(しゆ)、字(あざな)魯璵(ろよ)の撰する所、勒(ろく)して碑文に代へ、以て不朽に垂(た)る。

(楠公碑陰記おわり)

田中進二郎です。
江戸時代には、湊川神社には、この顕彰碑だけがあって、社殿などはなかったことが、当時の名所図会(めいしょづえ)に描かれている。水田や松林などの中に、この碑だけが屋根で囲われてあった。頼山陽(らいさんよう 1780−1832)がここを訪れて、漢詩を読んだ。
幕末になると、東上する吉田松陰、西郷隆盛、坂本龍馬ら志士たちが、必ず神戸の湊川を訪れて、この碑文の前で、頭を擦りつけて、尊王を誓って涙を流した。どれだけ涙を流せるかが、本当の志士であるかどうかの基準とされた。

これは、朱舜水が、南宋の政治家で軍人の文天祥(ぶんてんしょう 1236−1283)をそっくりそのまま日本の楠木正成に移し変えたものだ、と言える。文天祥は元の皇帝フビライ=ハン(1215−1294)と最後まで抗戦するも、捕らえられる。獄中で、フビライに「大臣にしてやるから、臣下になれ」、と何度も言われるが、拒否し、南宋に忠義を貫いて処刑された人物である。
文天祥の死は、日本史の二度の元寇(1274年 文永の役、 1281年 弘安の役)のすぐ後だ。
しかし、楠木崇拝が、中国に原型があり、亡命中国人が日本に伝えたのだ、ということを知っている日本人は、戦前にはいなかった。

『空気の研究』で知られる故・山本七平(1921〜1991年)は、次のように書いている。
『現人神(あらひとがみ)の創作者たち』(山本七平・小室直樹 共著 文藝春秋社1997年刊)p48より引用する。

(引用開始)
楠公(楠木正成)を発見し、これに賛を書いたのが、中国人朱舜水だなどということは、戦前の日本人にありえざることだったのだろう。(中略)
楠公碑は、講談にも副読本にも歴史教科書にもでてきて、私たちの世代の人間はいやおうなく覚え込まされたが、その表面の「嗚呼忠臣楠子之墓」が、光圀の自筆であることは語られても、裏面の文章は朱舜水であることは、まったく語られなかった。と同時に、そのすべては戦後に消されてしまった。

(引用終わり)

●朱舜水と同郷の黄宗羲(こうそうぎ)の復明(ふくみん)運動

朱舜水が、日本に亡命するに至った、当時の東アジアの情勢を次に見てみよう。
明末清初に、満州の女真族を統一したヌルハチ(太祖 位1616−26)は後金(こうきん)を建国した。彼はもともと、軍人ではなく、商人であった。遼東地方で薬用の人参や貂(てん)の毛皮の交易を行いながら、利権を独占して、力を握った。
ヌルハチに巨大な権力を与えたのは、皮肉なことに、スペイン帝国がもたらした銀と、明朝のバブル経済であった。
故・岡田英弘博士は、『読む年表ー中国の歴史』(WAC 2015年刊)という新書の中で、次のように書いている。

(以下引用する)
メキシコから太平洋をわたってきたスペイン人が1571年、フィリピンにマニラ市を建設してからメキシコ産の銀が流れ込み始め、そのおかげで中国では空前の消費ブームが起こった。その結果、女直人(マンジュと呼ばれた。これが満州という地名の語源である)たちの住む森林地帯の特産品である高麗人参と毛皮の需要が高まり、ヌルハチたちも富を蓄積することができるようになったのである。
(中略)
ヌルハチとしては、できれば明と平和的な貿易を再開したかったのだが、明の朝廷では主戦論ばかりが幅をきかせていた。・・・そうした事情で、戦争がずるずると続いた。
【P225】
(引用終わり)

田中進二郎です。
岡田英弘博士と同様のことを、故・西村三郎(京都大学名誉教授)が『毛皮と人間の歴史』(2003年刊)で指摘している。大興安嶺(だいシンアンリン)山脈からアムール川流域、長白山脈の奥地から、貂(テン)皮をはじめとする特産品が、遼東南部、つまり建州を通って、中国本土へと運ばれた。それらの見返りに、中国からは、朝廷からの下賜品や交易市で入手された物品が、再び建州を通って、北の辺境の地の隅々にまで流れていった。だから、ここから、ヌルハチとその一族が、後金国(のちの清帝国)が生まれたことは不思議ではない、と西村三郎氏も書いている。

ヌルハチが病没し、次のホンタイジ(皇太子の中国読みがホンタイジ 太宗 位1626−43)のときに、国号を清と改めた。清は1637年に、李氏朝鮮を服属させた。丙子(へいし)の役(1636-1637)。
この戦いで、朝鮮の宮廷も、明の朝廷と同様に、門閥貴族階級である両班(ヤンパン)が、いたずらに徹底抗戦を唱え、和平の道を自ら閉ざしてますます窮地に陥っていった。
朝鮮王・仁宗は、12万の大軍を率いるホンタイジの前で、屈辱的な三跪九叩頭(さんききゅうこうとう)を行った。
この戦役を描いた最近の韓国映画に、『天命の城』(2017年公開)がある。

明が1644年に李自成によって、滅ぼされた数十日後に、清の次の皇帝(順治帝)の後見人ドルゴンが李自成を破り、北京紫禁城に入城。こののち、清軍は、漢民族も軍に編成して(漢軍八旗)、女真族の風習である辮髪(べんぱつ)も強制するようになった。清に対する漢民族の抵抗運動が、中国南部の江南地方で起きていた。
なかでも、大きかった反乱は、揚州(現・江蘇省揚州市 南京から100キロ北)においてのものだった。この地で、「揚州十日事件」という悲惨な虐殺事件がおきている。

明の遺臣たちは、南京を拠点として清に抵抗した(南京は、明朝の最初の首都だった )。長江流域の諸都市も、明の遺臣にならった。 が、翌1645年、清の大軍が、揚州を包囲して攻め落とす。その直後、80万人という住民の大殺戮がおこなわれたという。これは中国の王朝の残酷史の中でも、特筆される出来事だ。
(『蜀碧・揚州十日記(しょくへき・ようしゅうじゅうじつき)』東洋文庫所収。『揚州十日記』は1805年(文政年間)に日本でも刊行されている。江戸時代の日本の読書人がこの本を読んだ。そして震え上がった。)

●朱舜水と黄宗羲の出身地−余姚(よよう)−について

朱舜水の出身地の余姚(よよう)県は、 上海とは長江を隔てた南の対岸にある。対岸といっても200キロも離れている。王陽明が学塾・を開いた陽明学の聖地である。だから、朱舜水も、はじめは陽明学者だった。
余姚(よよう)県出身の陽明学者は他にもいる。『明夷待訪録』(めいいたいほうろく)を著した黄宗羲(こうそうぎ 1612−1695))だ。

黄宗羲の父親も、明の復興を企てる政治結社・東林党に属していた。そのため清の政府によって殺されている。その仇を討つために、彼は生涯懐に刀を入れて持ち歩いていた、という。黄宗羲は東林党の精神を引き継いで、政治結社・復社(明を復興する組織)に参加した。清が中国本土に侵入してくると、郷里の子弟を組織して義勇軍を結成、清朝支配に抵抗した。
黄宗羲は、明の皇族で、福建省を支配した魯王・朱以海(ろおう・しゅいかい)の政権に協力し、1649年には長崎を訪れ、日本の江戸幕府(3代家光の時代)に反清の援軍を要請した。この時の要請は果たせず、結局「反清復明」の運動は絶たれてしまい、以後は故郷の余姚で、著述に明け暮れる日々を送った。

この、黄宗義の『明夷待訪録』によって、湯武放伐論という易姓革命の思想が生まれた。
易姓革命は王朝の姓が易(か)わり、天命が革(あらた)まる。と言う意味だ。王朝交代は正当だ、とする考え方だ。もともと孔子の百年後に現れた孟子が説いた。

この本は、明から清への交替を経験した黄宗義が、明朝末期の社会混乱の原因や理由を考察し、君主専制の否定、「民本重民」の思想をのべたものである。この時代の政治評論集として白眉(はくび)であると評価されている。黄宗義の『明夷待訪録』は中国のルソー、中国の「民約論」として清朝末期にもてはやされ、「排満興漢」の起爆剤になった。
(参考ー副島隆彦・石平 対談集『中国人の本性』徳間書店刊)

 
黄宗羲の秘密結社は、ずっと続いていった。今も中国フリーメイソンの祖と崇められている。一説には、中国フリーメイソンの組織は一億人いるそうだ。華僑(かきょう)はみんな中国フリーメイソンだ、という見方もある。

このように黄宗羲と朱舜水は、王陽明の故郷の余姚で、陽明学を学び、復明運動を行ったところまで同じである。このことは、戦後の日本の陽明学の研究者たちが言わないことだ。
そして、清代の陽明学は、王陽明の教えとは変質して、経世学(けいせいがく)になっている。
彼らの同時代の考証学者の一人・顧炎武(こ えぶ1613−1682)は、「経世致用」(けいせいちよう)をスローガンに掲げた。、朱子学(空虚な理気ニ元論、大義名分論)などに対して、自分の学問を経学と称した。朱子学の抽象的な議論を嫌った。

ヌルハチ、ホンタイジ、順治帝の後に、康煕帝(こうきてい 位1661−1722)が即位すると、いよいよ清帝国の隆盛ははっきりしたものになった。もはや漢民族の抵抗運動の時代は終わった。この時代は、清代の盛世(せいせい)と呼ばれる。康煕、雍正(ようせい)、乾隆帝(の前半)まで清朝は繁栄を続けた。
 だから、反清運動は革命路線を捨てて、「経世致用』を説いて、現実社会の役に立つことを目指した。

●国姓爺=鄭世功はキリシタンだった

ところが、朱舜水や鄭世功(ていせいこう)はなおも、日本の徳川政権の力を借りて、明の復興を企図したのである。
朱舜水は、鎖国政策下の日本へ、鄭成功の救援を求める日本請援使として派遣されていた。1647年、51年、53年、58年にそれぞれ長崎に立ち寄っている。鄭成功軍が南京攻略戦で敗退した後、59年朱舜水は明の復興運動(復明運動)を諦め、日本の長崎へ亡命を希望する。鄭成功は、オランダ東インド会社の支配する台湾を攻略するが、翌年の1662年に、39歳の若さで死んだ。


鄭成功は、日本人の母を持っているが、母子ともに熱烈なキリシタンであった。 彼の活躍を、近松門左衛門(1653−1725)が人形浄瑠璃の脚本『国姓爺合戦』(こくせんやかっせん 初演 1715年)で和藤内(わとうない)として描いた。 近松が国姓爺=鄭世功を主人公にしたのは、彼もまた、隠れキリシタンであったからにほかならない。

古川愛哲著『江戸の歴史は隠れキリシタンによって作られた』(講談社α新書 2011年刊)には次のように記されている。

−若き日の近松は、京で雑掌として一条恵観と、その兄の後水尾帝にも仕え、とくに後水尾帝(1596−1680)からは和歌を賜っている。

一条恵観の兄である後水尾天皇の后と母が早くにイエズス会の説教を聞きに京の教会を訪れたことを、イエズス会のルイス・フロイスが記録している。このように戯曲を書く前の近松は、キリシタンゆかりの人々に囲まれて成長をしたことになる。おのずから近松門左衛門の精神は、隠れキリシタンによって形成された。−

■参考ー鄭成功の母 田川マツについて

『日本女性人名辞典(普及版)』p.646-647より引用します。

田川マツ (生年不詳〜1646)

鄭成功の母。肥前の国平戸、川内浦の住人田川七左衛門の娘。明の泉州(中国福建省)出身の鄭芝竜と契って、福松と七左衛門を生んだ。福松が後の鄭成功である。芝竜は平戸老一官と称して藩主の寵を受けた。のちオランダ船で南に行く途中海賊に捕えられたが才幹を認められ、頭目の死後は、党類を率いて中国南部の沿岸を攻め、明朝に帰順し、富貴権勢赫々たるものがあった。子供たちは平戸に残っていたが、福松は単身渡海し、一五歳で南京の太学に学ぶ。二一歳の時、明王隆武に謁し、国姓朱を賜り、成功と改名、軍部督となった。人々は国姓爺と敬称した。のち平戸の母を中国に招き、よく尽した。清が起り、明王が危険に瀕した時、芝竜は清に降ったが、マツは泉州安平城内で憤死した。平戸 川内浦千里ケ浜に、鄭成功の児誕(じたん)石と葉山鎧軒撰文の碑が立つ。(『史都平戸』『長崎女人伝』)

(引用終わり)

田中進二郎です。このように、日本に亡命してきた朱舜水は、陽明学、経世学、そしてキリスト教(これらは同一だった)の背景を持っていた大学者だった。
だから、長崎にやってくると、当時の儒学者たちが、次々と朱舜水に教えを乞うた。山鹿素行、伊藤仁斎、山崎闇斎(あんさい)、浅見絅斎(あさみ けいさい)たちも思想を変容させていった。次回はそれについて書きます。
(続く)

田中進ニ郎拝

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気違いだらけの時代に坂口安吾の未発表作品が発見された 
Thursday, February 11, 2021, 07:33 PM
ニュースで坂口安吾(1906-1955)の未発表作品が発見されたと報じていました。

坂口安吾は新潟の人で昭和10年頃の執筆だと推測されています。

芥川龍之介と同世代であり、大恐慌さなかで浮沈を繰り返した人というイメージです。

似たような時代になったもんだと思います。

ちょうど越後(新潟)におりまして、せっかくだから江戸末期の大豪農伊藤家の屋敷を見学してみました。
阿賀野川沿いのへんぴな場所で北方文化博物館という名称で昭和25年から一般公開されています。



ただ庭園も雪で埋り、冬期は閉鎖している建物も多いので人はまばらです。昨日は1名しか入場者はいなかったそうな。でも今日は自分たちで15名の来場者だったそうです。

ぷらぷら見物して、ちかくに坂口安吾の墓もあるそうなので寄ってみました。

坂口家代々の墓に納められていると教育委員会の説明文にありました。


気違いばかりの世の中には気違いの作家が生まれるんだなあと1人感慨に耽りました。

(追記)新潟市内に残る坂口安吾の生家です


過去ログ:きちがい教育委員会 はだしのゲンを叩く
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